4.復原のための調査研究
復原の方針
県会議事堂は議事堂としての役目を終えたあと、二度の移築を経て根来寺で一乗閣として使われていた。解体の危機が訪れるたびに、議事堂を保存し、 次世代へ受け継ごうとする人々の動きがあった。
しかし、その間、正面外観に大きな違いはなかったものの、控室が失われ、議場の向きが逆転、さらに本館1階の間取りや、柱の位置も大きく変えられ、控室 は柱3本、土台1本、瓦のほかはすべて失われるという大きな改変が加えられていた。
平成24~27年度の保存整備事業では、これまでの建物保存の経緯を踏まえ、また和歌山県指定文化財(当時は県指定)として適切に保存するため、明治 31年(1898)の建築当初の姿に復原する方針とした。
1階平面図の比較(左が建築当初、右が一乗閣時代)
復原の調査
県会議事堂の復原調査は、柱や梁などに残るモノそのものからの痕跡などの情報と、当時の史料(JAへ売却時の図面、大正時代の修繕調査書、古写真 など)を根拠に行った。調査結果をできるかぎり活用して正確に当初の姿に復原するよう努めた。
柱の痕跡調査・実測図
失われた控室部の復原
県執行部が使用した後方の控室は、JA移築の際に失われたが、議場と控室境の柱が残っており、控室の床や天井の高さ、また桁や梁の取り付いた位置 が明らかにできた。
壁の形式は「県会議事堂修繕個所調査書」(大正時代、久保田家文書)に「黄壁」と記され、黄大津壁とわかった。また、この時、天井の張り替えも計画され ていたことから、通常張り替えの必要のない板張り天井でなく、紙張りかクロス張り天井であったと推定された。どちらかは不明であるが、今回の修理では耐久性を考慮して天井は布クロス張りで整備した。
議場隅柱に残る控室桁の痕跡 転用されて残されていた控室の柱 復原なった控室