二川ダムの歴史
有田川は、その源を高野山の楊柳山に発し37の支川を集めて、4市町を貫き紀伊水道に注ぐ、延長94キロメートルの和歌山県では4番目に大きな川です。また、流域面積は46平方キロメートルで、県土の約1/10に相当します。
二川ダムは、洪水調節と発電を目的として昭和38に着工し昭和42年3月に完成した、県内2番目に大きい重力式コンクリートダムです。
有田川は、明治22年、昭和23年の水害をはじめ、たび重なる災害をもたらしてきました。 特に昭和28年 (7.18水害)には紀中、紀北地方を未曾有の大災害 (死者・行方不明者1,046人、負傷者7,600人以上、壊れた家屋数8,600戸)が襲い、 川沿いの地域は壊滅的な被害を受けました。
水害直後
有田川堤防決壊状況
これを契機として有田川の根本的な治水計画が策定され、有田川総合開発事業として二川ダムが建設されました。
ダム建設工事は昭和38年に着工、4年の歳月を得て昭和42年3月に完成しました。
堤体工事中の様子
昭和42年 完成当時