豆知識

柿の歴史

我が国の古文献を見ると「古事記」(711年)、「日本書紀」(720年)など最も古い記録では柿は地名、人名として現れ、既に奈良時代には柿のあったことが裏付けされています。
柿の品種名が見られるのは江戸時代中期の「毛吹草」(1645年)大和の御所ガキ、美濃の八屋の釣柿、安芸の西条柿などの銘柄産地の品種が知られていたことがわかります。
その後、明治時代に入って、現在の主力品種である富有、平核無が出てきます。

和歌山県での柿栽培の歴史

和歌山県政史によると「柿の起源はつまびらかでないが、伊都郡四郷村、野上町の各村、西牟婁郡上秋津村、東牟婁郡四村」などで1590年安土桃山時代に栽培され、販売したと記録されています。品種は青曽(アオソ)、似たり、ホゾグロなどが主な品種であったようです。

富有柿の導入
明治40年かつらぎ町島の山本長左衛門氏が東京の農園から「富有」の苗50本を取り寄せ、水田に植栽したとされています。(かつらぎ町史)
また、同年、九度山町役場が岐阜県より富有の苗木を買い入れ、古沢に植えられたとされています。
下古沢中心史
その後、大正10年に橋本市学文路の奥田耕一氏が、大正12年には入野(現川辺町)、大正14年に那賀郡麻生津村に導入されたと記録にあります。 (平核無の導入)
大正10年11月、橋本市学文路の奥田耕一氏が和歌山県園芸試験場より渋柿18種類を導入し、試験した結果、平核無が豊産性で当地に適したとされています。
その後、大正14年に九度山町、かつらぎ町に苗木を買い入れ植栽されたと記録されています。(果樹農業発達史)

「引用文献」
1985年和歌山の柿、1996年和歌山の柿、和歌山県政史、かつらぎ町史、下古沢中心史、果樹農業発達史

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