スポーツ偉人伝 友田 忠

tomoda

氏名  友田 忠(ともだ ただし)

生年  1924年(大正13年)生

区分  功労者

 関東で生まれ、小学校4年生頃に兵庫県西宮に転居する。旧制関西学院中等部を経て、昭和16年太平洋戦争勃発時に関西大学の門をくぐり、大学入学と同時に拳法部に入部、これが日本拳法人生の第一歩となる。昭和22年、豊中市において教員を続ける傍ら、日本拳法創始者宗家より直接指導を受け、日々稽古に精進する。やがて稽古で培った技量をもとに、後進を指導・育成し、現在の豊中市拳法連盟「誠心会」の礎を作ることとなる。昭和30年宗家の命により単身和歌山の地に身を置き、さらなる日本拳法の普及振興のために活動を始める。周囲の人々にも恵まれ、昭和35年に下津において第一期生を迎え、和歌山での普及活動も徐々に基盤ができ、以後40年の歳月経て、和歌山、海南、下津、有田、宮原、湯浅、御坊、田辺、串本、粉河、九度山の各支部の活動をはじめ、日本スポーツ少年団、県体育協会加盟と和歌山県日本拳法連盟の確立となる第一人者となり、全国日本拳法連盟の一翼を担うこととなる。その後も県下各支部で活動を続け、各支部において多くの指導者を育成し、競技人口増加もさることながら、和歌山の地以外にも海外、東京、岩手、九州で日本拳法競技の原動となる基盤作りを続け、日本拳法のさらなる普及活動に尽力する。また日本拳法連盟においては、社会人連盟会長を経て全国日本拳法会会長を歴任し、平成8年にこれまでの日本拳法に対する業績を評価されて和歌山県スポーツ功労賞を受賞、平成14年3月に関西大学体育会OB会より、貢献賞を授与した。

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