スポーツ偉人伝 板倉 奈智美

itakura

氏名   板倉 奈智美(いたくら なちみ)

生年   1975年(昭和50年)

競技   ボウリング

区分   競技者

 大阪府岸和田市に生まれ、小学校・中学校と岸和田で過ごす。14才でボウリングに興味を持ち始めた頃、知人の紹介で後に師匠となる西田一善に出会い、競技として真剣にボウリングに取り組むようになる。

 競技を始めてすぐに関西ジュニアボウリング選手権に出場したが2位という結果に悔しく涙を流し、なにより関西のボウリング競技のレベルの高さを肌で感じることができ、さらに上位を目指したいという思いで師匠と供に練習に励んだ。高校進学に際し、国民体育大会に師匠と一緒に出場したいという目標のため、和歌山県立青陵高等学校に入学し、高校3年の夏に第1回JOCジュニアオリンピックカップ高校選手権大会で優勝を果たし頭角を現す。また念願だった師匠との国体出場も果たす。高校卒業後、ダイニチグループ日吉染業株式会社に就職し、社会人生活との両立を過ごすが、ナショナルチームに選出されたため、競技に専念するため退社する。その後の1998年、国際大会初挑戦の極東選手権で、いきなりシングルスで優勝を果たし、その後も数々の世界大会で入賞を果たす。また2001年のAMFボウリングワールドカップで日本人として初めての優勝を勝ち取り、板倉の名は日本のみならず世界へと轟くことになる。

 アマチュアとしては国内でもはや敵はいなく、1999年と2000年のNHK杯全日本ボウリング選手権大会での連覇を皮切りにプロアマ大会へ数多く参戦し、ベストアマを10回以上獲得、2003年には史上初の実技試験免除でプロ転向し、新人より史上初となる2003年から全日本選手権を2連覇する快挙を達成した。

 2009年現在、通算6勝、公認パーフェクト4回とプロボーラーとして活躍する傍ら、自身を育ててもらった師匠のようになりたいと日々ボウリングについて勉強し、財団法人日本体育協会公認スポーツ指導者制度のコーチ資格を取得、今後は和歌山県のボウリングに恩返しと貢献をしようと活動している。

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