スポーツ偉人伝 西田 一善

nishida

氏名   西田 一善(にしだ かずよし)

生年   1949年(昭和24年)生

競技   ボウリング

区分   競技者

 日高郡印南町で生まれ、中学・高校・大学と和歌山市内で育つ。

 競技との出会いは大学1年の時にボウリングを体験したことがきっかけで、その後競技としてのボウリングを始め24才まで続けるが、最高成績は全日本の9位であった。その後仕事の関係で競技から離れていたが、競技に対する思いや、国民体育大会の正式種目に採用されたことや、友人の誘いもあり、39才で競技を再開することになる。復帰戦となるその年の国体予選に出場したが最終予選で負け、15年のブランクの間にボウルの材質や、レーン上のフィニッシュの材質も変わっており、そういった変化に対応できるまで約2年間の練習を要したことが、後の自身のボウリングの基礎となっていると言う。

 ボウリング人生の中で一番刺激になった人物はプロボウラーの板倉奈智美である。板倉との出会いは、知人から中学生の板倉にボウリングを教えてほしいとの声がかかり、一緒に練習することが始まりだった。その後は自分の娘のように時には厳しく、そして温かく指導し、ついには日本人のアマチュアとして史上初めて世界大会で優勝する選手に育て上げ、指導者としての手腕も発揮した。またその頃から50才から勝つための考え方を改革し、集中力と自分の気持ちのコントロールをする方法を模索しながら練習に励み、2003年1月に板倉のアマチュア最後の大会となる全日本支部対抗ボウリング選手権大会に同じチームとして出場、師弟での優勝を遂げる。その後の同年5月、第37回NHK杯争奪全日本選抜ボウリング選手権大会で大会至上53歳の最高齢での初優勝を達成、その後も国民体育大会等で数多くの入賞を果たした。

 西田は今も競技者としていられるのも、県連盟や妻に支えられてのものだと感謝しながら、競技者として県ボウリング連盟を引っ張っていくとともに、2015年の和歌山国体へ向けてジュニア選手育成に力を注ぎ、第2の板倉を育てるべく後進の指導にあたっている。

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