スポーツ偉人伝 出来 良造
氏名 出来 良造(でき りょうぞう)
生年 1922年(大正11年)生
区分 功労者
和歌山市で生まれ、和歌山中学、早稲田大学卒業後学徒出陣にて出兵、帰還後、家業の銃砲店の11代目店主となる、父良太郎氏、(初代会長)、浦武雄氏(2代目会長)と協力し昭和38年和歌山県ライフル射撃協会設立初代理事長に就任、以後多くの海外進出選手や国体において数々の優勝者、入賞者を育成し本県の天皇杯得点獲得に大きく貢献する。射撃界の多方面にわたり選手として、役員として活躍すると共に、世界に普及種目としてビームライフルを紹介する。また昭和46年3月幾多の困難を乗り越えて海南市の絶大なる協力を得て海南市高津において和歌山県ライフル射撃場を完成させ、同年の和歌山黒潮国体の運営など和歌山県射撃界に大きな功績を記した。社団法人日本ライフル射撃協会国体委員長を歴任。昭和62年他界するまで和歌山県ライフル射撃協会理事長を務める。和歌山県ライフル射撃協会の運営面や選手層の開発、強化、育成に物心両面にわたる献身的努力が認められ、昭和59年3月2日和歌山県教育功労賞、昭和60年10月10日文部大臣表彰、昭和62年12月25日社団法人日本ライフル射撃協会名誉師範、昭和62年12月24日勲五等瑞寳章を受賞。