スポーツ偉人伝 田中 章二
氏名 田中 章二(たなか しょうじ)
生年 1950年(昭和25年)生
競技 体 操
区分 功労者
1950年2月、鹿児島県川辺町で生まれ、山ノ口小学校、大蔵中学校、県立戸畑高校を経て日本大学に進学する。卒業と同時に和歌山県教育委員会に着任する。
中学2年時、東京オリンピックの体操競技をテレビで見て体操競技に興味を持つ。高校進学にあたり、当時、本格的に体操競技をしている県立戸畑高校に入学した。
高校から体操競技を始め、高校3年時の九州大会で個人総合2位、インターハイでは種目別で平行棒2位となる。その後、日本大学に進学し、東京オリンピックメダリストの遠藤幸夫(当時監督)、早田卓次(当時コーチ)両先生の指導の下、専門的に体操競技に関わってきた。4年時の東日本インカレ5位、全日本インカレ7位となり、大学卒業後、和歌山県教育委員会体育指導員に採用され、その後高校の教員等を37年間務める。
30歳を過ぎてから本格的にコーチとして活動し始め、教鞭をとりながら和歌山北高校体操部の指導と共に和歌山オレンジ体操クラブコーチ・代表者とし、優秀な選手を育成し、その間、2009年日本体操協会「優秀指導者賞」・2011年日本体育協会「公認スポーツ指導者賞」・2012年日本体操協会「功労賞」・2013年「和歌山県スポーツ功労賞」を受賞。
「体操の田中3きょうだい」の父親であり、指導者でもある。ロンドンオリンピックでは、3きょうだい揃っての出場を果たし、また、和仁・佑典選手は、ロンドンオリンピックで男子団体銀メダル・理恵選手はロッテルダム世界選手権でエレガンス賞を受賞し、佑典選手はリオデジャネイロオリンピックで男子団体金メダルを獲得するなど、他にも優秀な選手の指導育成を行っている。
以上のように、指導者としての手腕を発揮し、和歌山県のスポーツ振興並びに競技力向上に尽くした功績は誠に顕著である。