スポーツ偉人伝 花田 直弥
氏名 花田 直弥(はなだ なおや)
生年 1980年(昭和55年)生
競技 ソフトテニス
区分 競技者
和歌山市で生まれ育ち、小学4年生から両親の勧めでソフトテニスを始める。全小個人はベスト16が最高。中学時代(和歌山市立河西中学校)に全中大会で、男子では史上初の3年連続出場を果たす。3年生で準優勝、日本一への気持ちを強く持つことになった。1996(平8)年、三重高等学校に進学、2年生でインターハイ個人優勝。翌年、高校生でナショナルチームに選ばれた。団体は東海大会3連覇、インターハイ優勝、高校選抜優勝、全日本私学大会優勝。しかし、国体は3位で全タイトル獲得まであと一歩であった。
1999(平11)年、同志社大学に進学。大学1年生でインカレ個人優勝を果たした。大学時代は、関西、西日本のタイトルをすべて獲得し、ナショナルチームとして将来の中心選手として期待が高まり、国際大会で優勝したいと強く意識した時代であった。
2003(平15)年、社会人になってはじめて世界選手権日本代表予選会で優勝、日本代表として国際大会初デビュー。広島で開催された「第11回世界選手権大会」で団体3位・シングルス、ダブルスはベスト8入賞を果たし、男子ソフトテニス界の中心選手としての地位を築いた。翌年もアジア選手権に、2度目の国際大会出場を果たした。国内大会に於いても、西日本選手権2連覇、全日本社会人2位(翌年優勝)、全日本選手権2年連続準優勝と着実に力をつけていった。
2006(平18年)12月、「第15回アジア競技大会」で見事、日本史上初の団体優勝を成し遂げ、歴史に名を刻んだ。この時の金メダルはアジア大会史上通算3000個目の金メダルであった。この年は、中山杯国際大会でダブルス・シングルスの2冠に輝いている。2007(平19)年、前回に続き世界選手権日本代表予選に優勝し、2大会連続で「世界選手権大会」出場。韓国(安城市)で開催された「第12回世界選手権大会」で見事、優勝。世界選手権では12年ぶりに世界の頂点に立った。プレースタイルは豪速球が代名詞である。スピードボールには、それだけ魅力が秘められているが、ゲームそのものも豪快で魅力的な選手である。