第4回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第4回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第4回和歌山県人権施策推進審議会
日 時 平成14年11月14日(木曜日) 13時~15時半
場 所 和歌山市 アバローム紀の国
議 題

(1)高齢者の人権に関する現状と課題について
(2)同和問題について
(3)その他

出席委員

大畠委員 橘委員 谷口委員 月山委員 辻委員 都村委員 中川委員
中谷委員 中村委員 村田恭委員 柳瀬委員 吉澤委員

配布資料

(1)『いきいきとした喜の国・和歌山の実現にむけて』
和歌山県福祉保健部長寿社会推進課
(2)『高齢者を支える地域社会づくり(概要版)』和歌山県福祉保健部長寿社会推進課
(3)『始めよう!育もう!サービス評価』
特定非営利活動法人 全国痴呆性高齢者グループホーム協会

内 容

委 員

ただいまから、高齢者の人権につきましてご審議賜りたいと思います。なお、時間がございましたら、同和問題等につきまして、ご審議を賜ることがあると思います。

高齢者の人権につきまして、担当課が出席して頂いておりますので、そちらの方からの説明で始めさせて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

事務局

福祉保健部の長寿社会推進課でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。常日頃から高齢者福祉の推進につきましてご尽力、ご協力頂いていますことを、厚くお礼申し上げます。本日は、また、高齢者の人権について、時間をいただきまして本当にありがとうございます。よろしくご指導のほど、お願い申し上げます。

現在、和歌山県の高齢者人口というのは、23万5,838人でございまして、高齢化率は21.8%と大変高い率になってきております。全国に比べましても4ポイントも高いという状況の中で要介護者・要支援者は、14年7月現在で3万6,080人となってございます。12年の4月と比べますと急増しているという状況でございます。介護保険制度が、
ある意味では順調に推移していると捉えています。そうした状況の中で、高齢者の人権について私どもの取組をご説明申し上げ、後ほどこれに関してのご指導、ご助言を賜りたいと考えております。

高齢者の人権の問題につきましては、様々な現状があるわけでございますが、捉え方として、私どもは3点ばかり説明申し上げます。

一つの視点として地域社会の捉え方、2点目は家庭における在宅的な形での捉え方、3点目は施設における捉え方。そういうような視点で捉え方を行っているところでございます。

まず、本県におきましても、ゆくゆく3人に1人が高齢者という状況になってくるわけでございます。本県の市町村の中には、もう既に、そういった状況になっているところもございます。そうした状況の中で、社会の構成員として、高齢者が重要な位置づけを占めております。従って、地域における高齢化の中で、高齢者が年齢に囚われることなく、その人の能力を、個々人に応じた形で発揮して頂く必要があると考えております。
私どもは、従来から、家庭におきましてもそうですが、特に地域におきまして、高齢者の年齢にかかる差別的な環境についての意識改革をしていかなければならないと考えております。その中で、地域社会での取組を行うところでございます。それを具体的に申し上げますと、9割近い方が、元気高齢者の方々であり、そうした高齢者の方々が「学ぶ喜び、働く喜び、役立つ喜び」という視点に立ちまして、地域での積極的な活動をして頂くために、「健康と生きがいづくり事業」というのを実施しています。高齢者の方々に積極的に社会参加して頂く、家に閉じこもるというのではなく、おおいに積極的に地域に出てきて頂く、それぞれの持ち合わせている能力をフルに発揮して頂くという趣旨で施策を展開しているところでございます。

二つ目は居宅介護です。家庭における問題点についてでございます。介護保険制度が、平成12年4月1日に導入されています。それ以前の介護というのは基本的には、家族介護という状況で展開して参りました。その中で問題点として、いわゆる老老介護といわれるもの、特に女性の方が介護をするということがございます。85%がそうであるというようなことが言われております。そうした家族介護の実態、いわゆる介護力の不足というのでしょうか、そうした中から介護に対するストレスが、介護放棄・虐待・家庭崩壊というような形につながっていくと言われて参りました。介護の社会化というか、社会全体で介護の施策として展開していかなければならないという状況の中で、12年に介護保険制度が導入されました。14年3月現在、本県では要介護の認定者が34,513名になっております。そして、実際にサービスを利用されている方が、約26,000人いらっしゃいます。まず、基本的には在宅サービスが充実することによって、家族の方々の介護力を補えるのではないかということから、介護保険制度を十二分に発揮していくところでございます。

そして、家族介護の方々への支援ということです。これは、介護保険制度のみではなく、家族の方々に介護してもらいたいという高齢者の方々の意向もあります。介護の必要な高齢者を抱えた家族の方々に介護技術を身につけて頂く、あるいは、同じ立場の方々が、お互いに交流を図ることによって、問題を解決していけないか。そういういろいろな事業を家族介護の方々へ提供するためのメニューも用意しております。家族の方々には、自分が介護すると同時に、ホームヘルプサービス、あるいはデイ・サービスであったりという介護保険制度も取り入れて頂いており、現在の介護を充足して頂いているというところでございます。

次に、成年後見制度の利用支援ですが、この施策は成年後見制度を利用する時の諸経費を、支援させて頂くという施策でございます。そうしたものも居宅介護の充実ということの中で、いわゆる介護放棄等の問題等から、高齢者の権利擁護を図るための施策として取り組んでいるところでございます。

三つ目の視点といたしまして、施設関係でございます。施設関係のことを申し上げますと、ご承知頂いているとおり、特別養護老人ホームであったり、あるいは老人保健施設であったり、介護療養型医療施設がございますが、こういった三つの施設がいわゆる介護保険施設といわれるものであります。こういった施設の中におきまして、現時点においてもまだまだ100%ではございませんが、身体拘束の禁止に取り組んでいるという状況があります。できるだけそうした身体拘束をなくしていこうということで、「ゼロ作戦」という形で進めております。これは介護保険制度の中にも禁止規定として置かれているところであります。以上のような施策の観点から、施設における身体拘束をなくしていく運動を実施しているところでございます。

県におきましても、関係機関の方々にも参加頂く中で、協議会を発足いたしまして、2年前から実施を行っているところでございます。今年度は、各施設の経験豊かな方に代表としてご出席頂いて、各施設で働く方の相談員のような形で、育成をしていきたいと考えております。そうした形で身体拘束に向けて、県として取組を実施いたしているところでございます。

そうしてもう一つは、やはり介護、ケアを必要とされる人の中で、一番気を付けていかなければならないのは、痴呆性の高齢者への介護でございます。痴呆性高齢者への介護に対する取組として、やはり介護にあたる職員の知識、技術というものを向上させていかなければなりません。そうした観点から、研修関係も当然でありますが、より一層、痴呆性高齢者介護にかかる技術向上、質の向上に向けての取組を実施いたしているところでございます。

また、同じ痴呆性高齢者関係でも、14年10月から新しい取組を実施いたしておりますので、若干ご披露申し上げますが、グループホームという、9人ほどの軽い痴呆性の方々が、一つの家というか、住まいを同じくして、それぞれ個室を持ちながら、家庭的な雰囲気の中で、共同で食事と生活とをしていただく施設があります。しかし、施設内がよく分からない、内容がよく分からないという状況の中で、グループホームの評価を正しく知っていく必要があるのではないかということがあります。従来ならば、各施設の自己評価として実施いたして参りましたが、この10月から外部評価として、第三者に入って頂いた中で評価をして頂き、そして問題点を出して頂いて、さらに施設の快適さを充実させていくという取組も実施しているところでございます。

今、申し上げて参りましたとおり、地域社会、あるいは施策、あるいは施設がそのように進んでおりますが、介護を行う職員の質を高めていくということが一番重要でございます。そうした職員に対する研修の実施というのを、現在、総括的に行っているところでございます。特に介護保険制度の要といわれております介護支援専門員(ケアマネージャー)という職種がございます。現在、2,370名の方が登録されていますが、現実に活動されておられるのは、千人少しの方々であります。こういった方々に対して、年数回の研修を重ねているところでございます。

次に、先程来、申し上げて参りました痴呆介護に携わる職員の研修も、最重要の一つとして取り組んでいるところでございます。また研修についてはこのほか、それぞれの職員の職種においての研修を実施いたしているところでございます。

以上が総括的に申し上げて参りましたが、私どもあるいは市町村が高齢者福祉を推進していく上で、最重要の人権に対する意識の取組として、申し上げて参りました。どうぞよろしくお願い申し上げたいと思います。

委 員 長寿社会推進課の方から説明がありましたが、人権室の方でこの問題について、どういうふうに考えておるのかということをご説明願いますか。
事務局

高齢者の人権について、簡単ではございますが、概要についてご説明させて頂きたいと思います。

まず、初めに社会やそのメンバーが高齢者に対してどのような意識態度を抱いてきたのか。そしてそれが歴史的にどのように変化してきたのかということについて、述べていきたいと思います。中世、近世には、一般的に高齢者は儒教的思想のもと敬老の対象とされておりました。また、家の長として、権限を行使することで、強い高齢者像が浮かび上がって参ります。このような権限の行使を裏付けていたのは、高齢者は多くの経験を経てきて、知恵のある人であり、調停や決断をする役割を担っていたためだと考えられております。同時に、自らの持つ知識を次世代に伝えていくという文化伝達者としての機能も持っておりました。一方で、厳しい生活条件、環境の中で、生産能力を持たない存在として、姥捨ての話にみられるような高齢者にとって厳しい一面もあったと考えられております。しかし、一般的にいって高齢者は肯定的にとらえられてきたと考えられます。

しかし、近代社会、特に現在のような生産性や効率性を重視する社会の中では、そういった生産性や効率性を持たないものの社会的価値が否定されるようになってきて参ります。あるいは、生活様式が劇的に変化しており、高齢者の持っている特質や能力は、発揮できず、逆に否定的な感情が高齢者に対して向けられているのではないでしょうか。このような高齢者に向けられる社会の見方の変化とともに、少子高齢化と呼ばれる急激な人口高齢化も進行しております。医療の進歩、生活環境の向上等により、平均寿命が延び、高齢者が増える一方で、出生率が下がり、子どもの数が減少しております。この少子高齢化と呼ばれる変化の中で、高齢者や、高齢者をとりまく人々にそうした変化のしわ寄せのかかる状況が生じ、人権侵害となって現れてきているのではないでしょうか。

例えば、介護の場面で起こる問題があります。3世代が同居することで、家族内で担うことができていた介護も、核家族化が進み、家庭内での介護力が弱くなってきております。家族介護の場面でも、「親の面倒は子が看るものだ。」との世間の目のために、家族だけで抱え込んでしまい、充分な介護をすることができず、寝かせきりになってしまうことも、少なくないと聞きます。施設であっても、やはり、介護力不足のため、大部屋に入れられ、高齢者のプライバシーが確保されないことや寝かせきりにさせられる。身体拘束等が、残念ながら行われてきたことも事実です。また、虐待も大きな問題となっております。殴る、あるいは身体拘束といった身体的な虐待。侮辱したり、怒鳴ったりする心理的な虐待。高齢者の財産に対する経済的な虐待はもちろんのこと。放置したり、適切な医療を受けさせないといった虐待もございます。生活にかかる問題として、現金収入が少なく、生存権すら脅かされる方もいらっしゃいます。また、就業を望んでも、高齢というだけで門前払いをされるケースがあります。地域社会の中でも、高齢者が一人では動きづらい。まるで高齢者の外出を拒むような社会環境も見受けられます。このような高齢者の自己実現、自立を拒んできた社会に対する取組も行われております。

1992年に国連総会で採択された国連の高齢者原則がございます。この原則では、できるだけ長く自宅で安全な環境に住み、教育、就業、所得を得る機会を持つことができること。ボランティアや政策策定に参加し、集会、運動を組織することができること。施設で過ごす場合でも、適切な医療を受け、リハビリテーションを利用し、基本的人権や自由を享受できること。自己実現のために、教育的、文化的、精神的、娯楽的資源を利用できること。高齢者が評価され、虐待を受けることなく、尊厳を持ち、安心して生活できること等がうたわれております。さらに1999年をすべての世代のための社会を目指してをテーマに国際高齢者年と定め、先に述べた国連の高齢者原則を政策及び実際の計画活動において具体化することを目的としております。

我が国における取組としましては、介護保険法の施行があります。措置という考え方から、契約を主体としたサービスへの転換が図られました。高齢者が自らの権利として介護サービスを受けることができ、自己決定権を尊重するという姿勢を打ち出しております。また、家族介護から介護を社会化し、家族介護の負担を社会で共有するという姿勢も打ち出されております。同時にサービスの消費者となる高齢者の権利、保護として成年後見制度も制定されております。高齢者が自らのことを自らで決定し、発言ができ、高齢者の持つ能力を社会の中で発揮できること。友人関係や生活環境、健康など生活の質に関わる部分を維持し、向上させることができ、安心して暮らしていくことができる社会を作っていく必要があります。高齢者を一括りにした偏見や固定観念を取り除き、高齢者には多様なライフスタイルがあることを認識して、一人一人をしっかりと見ていく必要がございます。最後に、誰もが高齢者になり得る可能性を持っております。高齢者の問題を一人一人が自分の問題として、考えていくことが重要ではないでしょうか。

委 員 担当課と人権室の方からの説明がございましたが、これらにつきましてのご質問、ご意見でも結構ですが、ご自由にご発言賜りたいと思います。
委 員 先日、若い20歳ぐらいの大学生の方が、経済問題を検討する会の中において、若者の代表として、ご意見を出されました。私は、その会にNPO関係者ということで参加していましたが、その時に発表された若者の意見にちょっとびっくりしました。経済問題についてということで、税金の使い方といった問題も検討していたのですが、その中で、高齢者ばかりに税金を使っているという意見が出ました。若者は年金をもらえるかどうか分からないのではないかということでした。住居についても、充分な住居を自分たちは確保できるかどうか分からない。今、日本は年寄りに対して、主たる対策をやっているのだと考えておられるようで、怒りさえ持っているような雰囲気でした。発言者お一人の意見かもしれませんが、男性代表という形で、ご意見をおっしゃっていましたので、自分の個人的な意見ばかりだとは思えませんでした。偏見かどうかは別の問題として、そういった若い人達の高齢者に対する意識、あるいは社会的な現象としてそういう意識が、世代間のギャップみたいな形で表れてきているのかどうか。そのことについて、私は、資料等を見たこともありませんでしたし、たまたま、そういう意見に遭遇してびっくりしました。若者の高齢者に対する怒りを感じ、びっくりしました。そのようなことがありましたので、その点について、事務局の方はどんなふうにとらえられていらっしゃるのか。そういったことが県の施策につながっているのかどうか、お聞きしたいと思います。
事務局

若者の意識についてのご質問でございますが、基本的に介護保険制度を導入する時にもいろいろ議論がありました。例えば、今、現在、40歳以上の方が被保険者でありますが、20歳以上の方はという議論がありました。見直しの時もこうした議論が浮かび上がってくる可能性もあります。先程来より申し上げておるとおり、3人に1人、2人に1人という実態になってきておりますから、高齢者に対する経済的な問題を一つとらえてみましても、平成10年と比べましても、全体的な状況としては収入状況、資産状況は格段に良くなってきておりますが、やはり低所得の方にかかる状況には、まだまだ課題があるわけでございます。そうした方々への施策をどういうふうにしていくのかという問題が浮かび上がってくる時に、どうしても若者たちの中からは、社会保障経費、年金等、先程おっしゃって頂いたとおりの問題点等についても不満として出てくると思います。しかし、これは国の施策の問題が絡んでおります。私どもの課としてどうかというところを申し上げますと、9割近い高齢者の方が元気でいらっしゃいますので、そうした高齢者の方々が、いわゆる幅広く社会参加をして頂くための施策というものを重点的にやっていかなければならないと考えております。そのことがある意味では、介護予防へとつながって参りますし、間接的な努力として必要なのです。

一方、社会全体として見た場合には、元気な高齢者がたくさんいらっしゃるということは、高齢者に対する医療費等とも関係してきます。できるだけ多くの高齢の方々が、元気で過ごしていただけるようにする施策というのは、これは全国必須ですが、特に和歌山県は生きがいづくりという事業を重点的にやっていきます。答えになっているかどうか分かりませんが、国の絡む問題等でございますが、私どもの課は、懸命に取り組んでおります。

委 員 例えば、子どもの問題や、障害者の問題、あるいは男女共生についてもかなり取組が進んできて、大学あたりでは、授業の中で各問題に関わる社会人を招き、勉強会をやっています。そうすると、勉強会など通して、一生懸命問題に取り組んでいらっしゃる方の様子はよく分かります。同じように、高齢者の世代間ギャップを取り除くための取組を、官民あげてやっていく必要があるのではないかと、思うところがあります。
委 員

今日は質問しようと思っていたのですが、例えば、子どもの人権といいますと、盛んに問題になっております児童虐待や児童買春・ポルノであるとか、学校におけるいじめといったことがあり、それ自体、誰が見ても、子どもの人権というのが、それこそ侵害されている状況があり、それを何とかしないといけないとなってくる。あるいは女性についても、女性に対する職場での差別であったり、あるいはDVであったりして、女性の人権が侵害されていると非常にストレートに受けとめられます。障害者差別や同和問題についても、同じようなことがいえる。ところが高齢者の人権という捉え方をした時に、間違った質問かもしれませんが、具体的に高齢者の方の何がどういうふうに侵害されているのか、正直申し上げて非常にわかりにくいところがあります。先程の若者たちの意見も、そういうわかりにくいところから出てくるのではないかと私は思っています。例えば、家庭内で高齢者の方が虐待されている、高齢者に対する虐待と言われますが、子どもに対する児童虐待で、子どもが死亡したりというようなケースに比べて、あまり表には出てこない。

それから、今、施設における拘束の問題も指摘されています。そういう拘束があるということになると、人権侵害だと一見して分かります。ただ、単にお年寄りだから、高齢者だから人権うんぬんということには、違和感がある。高齢者の福祉に対してどうするのか、これからの長寿社会を生きぬくためにどうするのかということならば、必要だというニュアンスで分かりますが、人権という捉え方には違和感がある。人権侵害があってというふうな捉え方については、子どもの人権や女性の人権に比べて、少しピンとこないところがあります。今日は、その点について勉強したいと思って参りました。

委 員

児童虐待なり、女性問題等は、表に出ていますが、高齢者について言えば、家庭内の親子げんかという捉え方の部分があり、特に、痴呆の高齢者に何かがあったとしても、なかなか外部には出てこない。そういう意味で、人権というものが、どういうことなのかというのは非常に難しい話題ではあります。児童にしても、女性にしても、法制度的には成り立っているわけですが、高齢者の場合は、そうした人権に対する制度というものはありません。その点について、少しわかりにくいところがございます。

そうした中で、具体的な施策で一番わかりやすいのは、施設に対する拘束の関係等でございます。それでは、家庭内での虐待などに対する実態はどうかという話になってきた場合には、正直申し上げてなかなか実態がつかめない。

平成14年度の国のアンケート調査の中で、少しでも、虐待に近いことをやったという人を含めて、20%ぐらいの人が、虐待が不覚にもあったと答えています。県の虐待の実態、家庭内での虐待についての調査を実施したことはありませんが、なかなか難しい課題であると考えております。

それから、先生のおっしゃっている部分についてですが、子ども用の副読本を作り、高齢者にかかる施策なり、高齢者の人権のことについてふれております。この冊子を、小学6年生の児童に配布して、各学校において、道徳的な時間の中でご活用頂くようにお願い申し上げています。また、老人クラブの活動の中で小学校に出向いて頂いて、交流事業なり、たくさん実施して頂いており、大変心強く感じているところでございます。

委 員 先程、高齢者の場合に、子どもたちと同じような形での人権問題があるかどうか、また、あるなら、どういう形で存在するのかという意見がございました。そういうような点について、先生方はご意見をお願いします。
委 員

先程、事務局の方の説明を聞いて、本当に救われたと思いました。女性の立場からすると、高齢者の人権は、すべての人権につながると思っています。

1つは、居宅介護サービスについての説明の時に、家族介護だったのが、ヘルパーによるサポートのある居宅介護になったという話がありました。介護しなければならない家族の抱えているストレス、虐待、家庭崩壊について、家庭の中で介護しなければいけない立場になってきた年齢の女性の間では、話しても話しても尽きないくらい話題があります。その中で、虐待等が外に見えにくいということについては、なんとなく恥だという意識があるのと、介護が嫁の仕事といわれているようなことがあり、手抜きをするということは、責任回避をしているのではないかという意識が働く。外から言われなくても、自分の気持ちの中で責任回避をしているのではというような意識もあって、なかなか外に出にくいと思います。年取って寝込んだおしゅうとめさんや、おしゅうとさんに今までの恨み辛みを込めて、食事を手の届くか届かないところに置き、いやな思いをさせて日頃の不満をはらすというような話を聞いたことがあります。そのような状況で看なければいけない、自分たちで介護しなければならないという追いつめられた状況に穴を空けることで、介護されなければならない高齢者の人達の人権ももちろん守られます。また、女性にとっても、そういう思い、そんないやな人間にならなくてすむ。やっぱり大きな救いだと思います。

それと、もう一つ、50歳の女性が、東京で家を借りて住もうと思ったら、たとえ保証人を付けても、貸してくれるところがなかった。よく、耳にするのは、「年とった人には家を貸さない。」という話もあって、高齢者に対する人権侵害が決してないわけではなく、声高に叫ばれないだけだと思います。弱者側が直接外に向けて発信する機会が今までなかった。そういう意味で、若い人に、高齢者の実態をきちんと伝えていくことが大切なのではないか。高齢者を抱えている家の子どもは、自分の母親が、どんなに大変な思いをして看てきているのか知っていますから、決してそんなことは言わないと思います。何らかの補助があれば、何らかの支援があれば、介護の負担が少なくすむだろうという思いがあるので、それをできるだけ広い意味で伝えていくことが、これから大事なのではと思います。

委 員

高齢者の人権といっても、レベルの違う問題が入り混じっているような感じがします。切実な問題になるほど問題点の指摘が、非常に具体的になります。身体拘束はかなり具体的に指摘されています。例えば、居宅介護サービスを重視するとなると、非常に問題点が出てくるところではないか。

もう一つレベルの違う問題が、少子高齢化社会です。これは、ある意味、社会構造的な問題であり、そう簡単に解消されるとは思えません。むしろ、かけ声とは逆に、どんどん少子化が進んでいくのではないか。高齢者の人権に対する一つの対策として、少子高齢化社会をどうするかという問題は、レベルが全然違う話になってしまうのではないか。具体的に討議をしにくいです。

高齢者の人権という場合、具体的なものにしぼって話をすればいいのではないか。あとは、一般な状況として指摘すれば、居宅介護サービスや施設介護サービスのことを中心に、討議を具体化していけば、議論が広がっていくのではないか。そうしないと、いったい高齢者の人権とは何かということになりかねない。我々もどこをどういうふうに討議したらいいのか分からなくなる。少し質問があるのですが、居宅介護サービスの問題点はどこにあるのですか。

事務局 家庭内介護で生じた問題、いわゆる介護疲れや介護ストレスからの介護放棄という状況を何とかしようということで、介護保険制度が導入されてきたわけです。つまり、介護する方の介護負担をできるだけ少なくしていこう、家庭内でのこの問題を何とかしていこう、ということで始まったものだと思います。
委 員 居宅介護サービスの実情で言えば、あまり充分にサービスが使われていないのではないか。このサービスの実施前と実施後で約1年くらいたっていると思いますが、そういう状況があるのではないか。また、介護される人と介護する人との間にどのような問題点が生じているのか。これは調査が充分に行われていないところがあるから、分からない部分があるかもしれませんが、説明されたことが、よく理解できない。やはり、居宅介護サービスについての調査、実情の調査というものを、早急に、きっちりとやる必要があるのではないか。そうしないと、問題点というのが、全然見えてこないです。
事務局 そもそも居宅介護サービスなり、施設サービスというのは、サービスを利用したいという意向が、どの程度あったのか。また、現在、高齢者の方々にサービスについて把握、もしくは利用頂いているのか。さらに、在宅サービスの内訳で言えば、ホームヘルプサービスであったり、デイ・サービスであったり、それぞれの種別ごとの利用がどの程度あったのかという議論はもちろんしております。施設サービスの希望について等、利用意向の調査をいたしております。そのうえで、どの施策を5年の計画の中で、どの程度満たしていくことができるのかということで、12年4月1日以降、進んできております。しかし、以前は、いわゆる制度上の情報がなかなか行き届いていない部分がありました。もちろん、今も100%と申し上げません。そういう意味では、介護力の問題として発展し、介護放棄あるいは家庭内暴力といったことに発展していくということが、逆に関連的にそういう議題が高まってきています。
委 員 人権問題なのかというご質問に戻ることになるのかもしれませが、一番やはり重要な、深刻な事柄であろうと思われますのは、先程、事務局も重要課題だとおっしゃっておりましたが、痴呆性高齢者介護の問題です。それは、人権そのものの問題ではないかと私自身は考えます。なぜそうなのかという理由を申し上げますと、痴呆性高齢者の方は、ご自分で意思を伝達することができません。ですから、これまではどのような状態に放置されてあっても、それが自分はいやだ、こんなひどい状態なのだということを、外には決して出すことのできない状態であったと思います。今、日本では、痴呆性高齢者は調査、統計によりますと、160万人を超えているということです。痴呆性高齢者は、今後、高齢化率が上昇するのと平行して実数がどんどん上昇していくことになると思います。例えば、身体拘束ゼロ作戦ということが介護保険制度のもとで、命令化されて取り組まれることは、すばらしいことだと思います。また、和歌山もこのような協議会を設置し推進なさっていることを、今日初めて伺い、すばらしいと思います。ところが、こういうすばらしい取組にもかかわらず、私どもの学生は県内の隅々まで行かせて頂きますが、実際の高齢者福祉施設の現場においては、残念ながら、まだ届いていないということが現状ではないかと思います。専門職である施設職員が、明らかに人権侵害になるような罵声を浴びせたり、放置をしたりといったことが、残念ながら続いている施設もあります。こういう実態ではないかと思います。申しおきますが、もちろん、すべての施設がそうではなくて、非常に進んだ施設もございます。私は、現在、専門学校の介護福祉士の養成をしております。その前は、特別養護老人ホームに数年おりました。介護保険前のことでございますが、その時代には、施設介護そのものが、全く画一化された介護を連綿と続けておりました。その中では、痴呆性の方はもちろん入居者には、自己決定であるとか自己選択の余地はありませんでした。そういう実態が数年前まであったわけです。本当に介護保険制度の大きなメリットだろうと思いますが、オープン化された施設の中で、ようやく改善が見られたのではないかなと思います。ですから、そういう意味では、居宅介護だけでなくて施設介護についても、中身そのものを含め、ずっと点検し続けないといけないと思います。特に、高齢者、痴呆高齢者の問題というのは、焦点のあてられる、重要な取組とされ続ける大きな問題だろうと思います。
委 員 痴呆性高齢者の問題が社会福祉の問題じゃなくて、まず、人権問題であるということはまちがいないと思います。ただ、理論的に考えた場合に、高齢者だから人権が侵害されているケースよりも、年を経るに従って、やはり、身体障害者や知的障害者、精神障害者の様相が出てくる。そういうことから、高齢者の人権の問題なのだろうか、それともそれぞれの障害、身体、知的、精神の障害者の人権の問題であるのだろうかという枠が、高齢者の場合は、はっきりしない面がある。いったい、どの分野の人権問題としてとらえるのかという点が一つあります。もう一つは、やはり、社会福祉等と関わる部分、つまり、明らかに社会福祉のような問題でも、人権問題としてそこをやっている。そのところが、ややこしいのは事実であります。先程、おっしゃられた50歳になれば、家を借りられませんというようなことは、典型的に高齢者の人権問題だと思います。50歳という年齢で以てサービスが受けられないわけですから。ただ、そういうことだけを取り上げようとすれば、高齢者の人権というテーマの大きさにも関わらず、非常に狭い範囲のことしか見えないのではないかと思います。これは高齢者の人権問題である、これは障害者の人権問題であるというのに、あまりこだわらずに、先程いいました痴呆性高齢者の問題とは、分類はともかく、何らかの人権問題であるということを念頭において、考えていけばいいと思います。
委 員 先程から、皆さんがおっしゃっているように、高齢者自身から発信すること、つまり自宅でこういうことがあるなどと発信する場所というのは、子どもたちや女性の場合と異なり、発信する場が少ないと思います。私なんかもそうですが、自分がひとりで辛い、しんどいと思う時に、自分の辛さやしんどさを言えない状態になっていることが、高齢者の場合はあります。子どもの人権という場合は、自分自身がかつてたどった道を振り返って、こういうことがあった、ああいうことがあったとちょっとした侵害のある場合でも、あれは侵害だということで納得して発信し得ると思います。しかし、高齢者の立場が侵害されている立場において、自らこれを訴える場が、ほとんどないのではないかと思います。例えば、長寿社会推進課で、高齢者自身の方からあるいは施設や家族から、どういうところに人権侵害があったかということを、アンケートする、あるいは尋ねたことがありましたか。また、こういうことがありえると思いますか。
事務局 私どもの出先機関的なところに、高齢者の総合相談窓口を設置しております。
委 員 実際に相談はありますか。
事務局 長寿社会推進課の方に直接そうした問い合わせがあったのかについては、私自身は記憶はありません。相談というのは、大体家族の問題、親子等の問題、就職の問題とかであります。いろいろな相談の窓口にしておりますので、そう言われるような状況の相談内容があるかどうか、確認をさせて頂きたいと思います。
委 員 現実に、高齢者から高齢者自身の悩みを発信するようなことは、ほとんどないのではないかと思います。そのことが、また逆に若者からすれば、高齢者ばかりをいたわるような社会になる。若者たちが、我々自身が高齢者になった場合に、どういうふうになっていくのだろうかという点に、不満が、今後起こってくるのではないかという現状だと思います。高齢者自身が侵害される人権は、どういう形のものだと考えますか。先程の身体拘束というようなことは確かに侵害といえると思います。
委 員

私達は、「NPO法人WACわかやま」という会で、高齢者疑似体験ということをやっています。80歳を疑似的に体験して頂いて、その時に心がどんなふうに変わるのかということを、5年くらいやっています。橋本から新宮まで県内のいろいろなところでやっているわけです。今年からは、和歌山県の新規採用の職員の皆さんにやって頂くことになりました。ものすごくいいことだと思って、私達は頑張ってやっているのですが、子どもたちにやって頂くととても有効です。「80歳の体になった時はこんな感じですよ。あなたの家のおじいちゃん、おばあちゃんもこんなに毎日過ごしているの。あなたは10分か15分ではずせるけれど、おじいちゃん、おばあちゃんははずせないよね。」ということを言いながら、高齢者と交流するわけです。その時に、子どもたちの中には、涙を流す子もいたりします。元気で長生きすれば皆さんは、必ず高齢者になります。子どもはまだ60年、70年と先のことなのですが、先取りして高齢者の気持ちを分かってもらえるというのは、すばらしいことだと思います。

いろいろな人権問題を解決する時には、やはりまず、「気づく」ということが重要だと思います。まず気づくということ、自分のまわりに差別があるということに気づくことを説いていくのですが、まさに高齢者のことを実感して頂く。そうした気づく部分も窓口ではないかと思っています。

そういう気づくことに適したプログラムがあるので、子どもたちから体験してもらえたらいいということがあります。私達も子ども用の体験グッズを今年は用意して、うまく使ってもらえたらと考えています。やはり、高齢者の特徴、体の特徴がどんなものか、実際になってみないと分からないし、なった時には、既に、本当に毎日毎日少しずつ、少しずつ年をとるのです。ある日突然、年をとるわけじゃないですから、自分では、ほとんど年をとった自覚がない。目が見えにくくなった、体が動きにくくなったという時に初めて年をとったと思うくらいで、それが原因で何かいじめがあったとしても、仕方がないと思ってしまうわけです。全部できなくなるのではなく、しづらくなるという段階をとおっていきますので、本人は全く気づかない。ある日、突然、年をとっていた状況ではない。歩きづらくなる、動かしづらくなる、飲みづらくなる、つかみづらくなる、見えづらくなる、そういうことで、全部がしづらくなるという状況です。だからそういう高齢者の状況を気づいてもらうという活動が、高齢者の人権が守られるかどうかという中で、とても大事なことだと、今、皆さんのお話を伺いながら、感じていました。

委 員 高齢者の人権を考える場合、一番接点になってくるのは、介護の場だと思います。家庭や施設の現場において人権が侵害されるということが一番取り上げられやすい形態だと思います。

家庭内における女性が、世間体のために、あるいはまた、従来からの性別役割分担的な考え方のもとで、女性の方に介護が押しつけられる。介護を押しつけられる反動として、どうしても家庭内で人権問題の起こる機会が多いということを、皆さんがおっしゃったと思います。家庭内ではそういう状況であり、同時に施設においても、職員による人権問題が起こりやすいと思います。

介護の場合以外の人権問題があれば、そういうことについて、発言をお願いいたします。

委 員

あまりよく分からない、非常に混乱しています。例えば、13年度ですが、居宅サービスと施設サービスの利用者を合せると2万5千人ちょっとです。高齢者人口が約23万5千人くらいです。そうすると、約1割ぐらいの方が、この対象になっています。ここで高齢者と言っているのは65歳以上になると思いますが、65歳の方と80歳の方というのは、おそらく、いろいろな点で違う。それを全部一緒にして高齢者としているところに問題があると思います。年齢でもそうですし、年齢以外の面でも、おそらくは違う。同じ年齢でも仕事をされている方がいる一方で、仕事をされていない方もいる。つまり、かなりの幅を持っている一つの固まりです。だから非常にわかりにくくなるのではないでしょうか。

そうすると人権を考える時に、何で区切っていくのかということがあります。確かに諸機能の低下ということで生ずる生活のしぐさを含めて、その部分が侵害されるということがあると思います。しかし、機能は別に運動機能だけではありません。

それから痴呆問題について、実は知的障害というのは子どもの時に原因があって生ずるものですが、それ以外は全部知能低下を受けると痴呆というところにいれます。例えば、40代の人が交通事故で知能低下状態になっても、痴呆です。ここでの老人性痴呆、あるいは早発性痴呆というのは、特殊な疾患という形の方々をおそらく痴呆老人ということで問題にされているのだろうと思います。痴呆問題というのは、別に精神病だということがあるわけです。ですから、精神施設に入っている方とか、病院に入っている方もおられる。生活や、自分でいろいろなことができるという面での機能もあるでしょうし、先程の運動面というのも確かにあります。また、いろいろな生活と関わるところもありますし、それから当然、医療という関わりはかなり大事な面になってくると思います。老人というのは、年をとりますと医療機関に関わりがありますから、その中での問題に対することもあると思います。そういったことを整理しないとなかなか議論になりにくいのではないでしょうか。

委 員 痴呆というのは、病気としてとらえるのですか。いわゆる痴呆状態というのは、どういうものなのですか。
委 員 痴呆というのは、「知能が低下している状態」ととらえればいいと思います。病名は今、変わっていますが、以前に分裂病といわれていたものは、早発性痴呆という言い方をされていました。それも、痴呆という状態であり、その状態が病気として重くなってくる場合もあります。また、例えば、脳の障害では、疾患や病気でなく、どこかに傷を負い、そのために痴呆状態になったことについては、状態があまり変わらないであろうと考えています。疾患というのは変化しますが、言葉としての痴呆は、状態と考えればいいと思います。
委 員 福祉施策の対象としての高齢者は、かなりはっきりと分かりますが、人権という面から高齢者を考えた場合、果たして定義できるものかどうか。高齢者という言葉の中に包括される、我々の心の思いというものがあります。そういうものを対象にした高齢者は、どういうふうにとらえればいいのでしょうか。
委 員 年齢で切るというのが一つあります。60歳の方は、いろいろな活動ができる、70歳は元気な方もかなりおられる。80歳になるといろいろ難しくなってくる。そのために高齢者問題が起きてくるのではという考え方があると思います。

委 員

高齢者という言い方はどうでしょうか。

もう一つ大事なのは、長生きをすれば、皆が年をとるということ。つまり、高齢者問題はすべての人の問題であるということです。私達が活動している原点はそこにあります。生まれたばかりの赤ん坊も、年を重ねていき、いつかは高齢者と言われる立場になる。その時に、社会が住みづらいならば、高齢者だけの問題ではなく、皆の問題だという捉え方で話をしています。そうしないと、年をとってから考えればいいと、皆がそう思うわけです。しかし、年寄りが先に言っているのです。年をとってからだと、なかなかできない、しない状況がある。ですから、若い人達が、人権問題だととらえて、社会全体で担っていくことが必要だと思います。責任を持たなければならない問題だと私は思っています。

委 員

高齢者がいろいろな形で障害を持って、差別的に取り扱われる状況というのは確かに一般的な現象です。そういう一般的な状況に合わせて人権問題として取り組むわけです。介護サービス、人の助けを必要とする人々は、特に人権を侵害されやすい。集中的に老人の人権の侵害が現れてくることと、一般的な問題は分けて分析した方がいいのではないかと思います。一般的な問題は、一般的な問題として論じればいいと思う。論じればいいと言っても、それをさらに人権にこじつけると非常に難しいと思います。年齢に応じてといっても、人によって違いますから。

それともう一つは、少子化社会の問題ですが、高齢者の状況説明としてはともかく、高齢者の人権対策として論じることは困難です。少子化問題は、構造上の問題ですから、10年、20年、30年かけたとしても、克服できるかできないかの問題です。少子化問題を高齢者の人権問題とする捉え方は問題がある。だから、少し整理をして、どこに和歌山県の人権施策の焦点をあてるのか決めないと、何もできないと思います。

委 員 先程から話を聞き、問題点の輪郭が現れてきたのではないかと思います。最初、高齢者の人権問題と福祉の問題とは、どういう点が関わりを持つかという点がまず問題提起されました。高齢者の人権侵害の状況については、やはり現実的には相当ひどいものがあります。私は、現在、成年後見人制度についての仕事をしていますが、その中で各特養をはじめ、いろいろなところで高齢者は人権侵害の状況にある。現状はそういう状況にあると思います。先程から話に出ているように、高齢者の人権には、いじめの問題等にみられる人権一般で扱えるものがあります。それらと別に、高齢者特有の人権侵害というものが、果たしてあるのかという点については、私はやはりあると思います。先程から、出ているように、知能の点でも衰えてくるということから出発して、心の問題というより、トータルとしての人権侵害が発生すると思います。高齢者の人権というのは、本質的にはトータルの人権侵害という感じがします。高齢者が意見を表明しづらい状況や、能力面でも老人性痴呆という高齢者特有の状況があると思います。例えば、かつて豊田商事事件というのがありましたが、高齢者のそういう弱いところにつけ込んだ事件です。こういったものは人権侵害の最たるものだと思いますが、やはり高齢者はいろいろな面で、人権が攻められやすい。そういうことがあろうかと思います。また、高齢者が侵害を受ける可能性のある場は、施設あるいは家庭といったところであり、現実に侵害の例がよく起こり得るわけです。施設や家庭における高齢者の人権問題は、福祉を充実させるなりして、これを統一していけば、かなりカバーされるのではないかと思います。福祉の問題というのは、高齢者の救済的なものとしてとらえられるのではないかと思います。高齢者の問題というのは、やはり非常に大事な人権問題の一つであるというふうに把握すべきであると思います。一般の人権問題に解消できるものではなく、高齢者特有の人権問題というのは充分にありますし、今、際立って重要になってきているのではないかと実感しております。
委 員

今日の審議会に臨む前に、高齢者が地域で生活していくために何が必要かという思いで臨みました。事務局の話を聞きまして、まず一つは、生活保障そして所得保障そして人権擁護がなければ、生きていけないと思いました。

冒頭に、事務局の説明の中で、元気な高齢者は90%もいらっしゃる。この潜在能力を社会に反映させることで、若い人ばかりがリスクを負うことは、解消できるのではないでしょうか。そういうシステムをつくっていないことが問題です。ですから、若い人からすれば、どうしても高齢者を受け身の存在、非生産者であるとのイメージが強いということになります。それぞれの立場でご活躍されている高齢者のPRをする。そして、こういうものがありますから参加しませんかというふうなことをもっと全面的に出す必要があると思います。

話を元に戻しますが、元気な高齢者の実情といったものを具体的な数値等で表す中で、高齢者も社会参加していますと、若い人にも訴えるような意味合いのものをもっと考えていく必要があると思います。これからどういう形で表面化するのか分かりませんが、お話を聞く中で、そういう思いを持ちました。

委 員

高齢者の問題は、たくさんあるのだろうと思います。先程、知能低下みたいなことを言いましたが、自立の低下と言ってもいいのかもしれません。つまり、助けてもらわなくてはならない部分が増えてくるだろう。そして、そのことが逆に人権侵害につながっていくという可能性を持っているという意味では、高齢者特有の問題になるのかもしれない。これから侵害される可能性が高い、助けてもらう必要が出てくる、その中で起こってくる人権問題があるのかもしれないという思いが一つあります。

それから、労働ということを考えると、定年というのは、人権侵害ではないのでしょうか。つまり労働することができるにもかかわらず、ある年齢になると辞めろと言われるわけです。例えば、和歌山県はかなり高齢化が進んでいる。生産、労働人口がだんだん低下してくる。そうすると高齢者も労働人口として参加して頂くのはかなり大事な問題で、逆に仕事を辞めようと思ってもできない。これも問題だと思います。そういう捉え方も一方ではあると思います。

委 員

実は私、エレベーターの中で全く知らない小学生ぐらいの女の子と一緒に2人になったので、「どこへ行ってきたの。」と聞いたところ、どこどこと答えてくれた。その後、「おばあちゃんはどこへ行ったの。」と言われて、ショックでした。この子のおばあちゃんも大体私と一緒くらいの年齢だろうと思いました。その時に、こういうふうに一括りで、おばあちゃん、おじいちゃんと、毎日そういうふうに扱われると、私自身が活性化を失っていくだろう。やはり個人の尊厳を大事にされたい、個人として生きていきたいと思いました。

あるいは、誰しもが年をとっていく、高齢化するというお話がありました。そのとおりですが、人として、赤ん坊としてこの世に生まれて学齢に達するまで人の世話になり、人の世話にならないと生きていけない。同じように高齢化することによって、人の世話になることが多くなりますが、これが様々である。

私も先日、関空で著名な方にお会いしました。大荷物・大袋を持って前を歩いてらっしゃるので、思い切ってお声をかけると、「そうです。これからカナダに講演に行くんです。」とおっしゃった。その方は、重い荷物を持っていらっしゃる。まわりには秘書も誰もついていない。だから「お荷物を持ちましょうか。」と言いますと、「いいです。」とのことでした。少し話をさせて頂いたのですが、そんなふうに100歳近くになっても、現役でいらっしゃる。皆がそうではないかもしれませんが、テレビ等で100歳でも元気で現役でなさっているとかいうようなことがあります。元気な高齢者が9割というお話がありましたが、自分でもなるべく真似をしてと思います。

それだけに逆に、残りの1割に入った時の惨めさ、これはまわりも含めて、大変いたたまれないものだろうと思います。好んでそういうふうになったわけではない。有名な作家の方もなってらっしゃるし、元気でない方になっていく時の惨めさがある。身近にも自分の母親とそれから夫の母親が同じ年齢でおり、夫の母親は、痴呆に近い状態で、非常に手がかかる。自分の母親は一人暮らしでまだあちこちに元気で行っている。誰もが高齢になるが、老い方は様々である。人生の集大成の面もあるし、あるいは世の中の肯定的な中で、そうでない1割に入った時の惨めさもある。人権問題と叫ばれるように出ている身体拘束ということにつながっていくであろうから、憲法の34条あたりの問題というのは、そういう意味で人権は、必要だろう。そういう意識が必要だと思っています。

委 員

お話を伺っていて思ったのが、子どもの人権のことです。生まれてから20歳少し前までということで、非常に能力に差がある。その中で、具体的な場合において、小学生である子どもも、大学生・高校生でも子どもとして、一緒に含めて人権の問題を考えていこうということになります。高齢者の場合も一応、線引きをしている、せざるを得ないということがある。子どもの場合は、20歳で線引きをしていると思います。高齢者の場合も、65歳になれば、そうでない人もいるかもしれませんが、多くの人が多少衰えているでしょう。一応の線引きをした上で、その中でおのおの人権の具体的な問題について、考えていくということでどうでしょうか。

もう一つは、高齢者の中でも、特に人権に配慮しなければいけない人が、そんなに多くない。例えば、女性の人権というものを考えた場合に、女性であるがゆえに人権侵害されているという場面が今では非常に少なくなっているという気がします。具体的に人権侵害の問題になった時に、セクハラ、家庭内暴力、配偶者暴力もそうかもしれませんが、女性であるがゆえに差別されたり、女性の中でそういう形での人権侵害をされる場面というのは、そんなに多いわけではないのではないかと考えます。高齢者の問題というのは、高齢者であるがゆえ侵害されるものと高齢化に伴う身体的、知的、精神的な衰えに応じてなっていくものがある。高齢者がそういう状態の時に、痴呆があるから、身体障害があるから、年寄りだからと、常識的に、我々が目にする高齢者の人権が侵害されているということが現時点でなかろうという点を考えてみますと、今までの議論を追認するような形に結局はなるかもしれませんが、65歳以上で線を引いて、その中で高齢者に特有の問題があるという認識を持って、その中で特に問題があるのが、施設あるいは家庭内での問題であるという形でとらえていかなければならないのではという気がします。

委 員 先程、定年の話をしていました。皆、いずれは高齢者になるのですが、意識の問題として、何が違うかというと、これは私が勝手に思いついているのかもしれませんが、もう既に社会に果たすべき、例えば労働等の役割を果たし終えて、後は、その社会に対する貢献ができない。社会にとって役に立たないというような高齢者だから仕事もできないし、それ以外の貢献もできないという意識がある。高齢者ではない一般の人達に、潜在的にそういう意識がある。表面だってそんなことを言う人は誰もいないと思いますが、潜在的にそういう意識があったりする。逆に高齢者になった人達も、自分は定年を迎え、仕事も終えて、若い者の負担になるだけ、迷惑をかけるだけという意識を潜在的に持ってしまうというようなことはないでしょうか。日本という少子高齢化の社会の中で、高齢者ばかりが増えて、社会負担が増え、後の世代の子どもたちに付けをまわして大変だという意識を持つ人が多い。あるいは高齢者になった人達が、逆に今はもう自分は生産性もないし、働きもしないし、社会にとってお荷物になるだけだというような意識を持つ人が多い社会であれば、それは福祉の問題でもあるが、同時に人権の意識の問題でもあるのではという気がします。ですから、福祉のことを言っているのかもしれませんが、高齢者の問題というのが、意識の問題としてとらえれば、そういう意識が、もし高齢者にもそうでない人にもあるとすれば、それは人権問題、つまりそういうような発想を持ってしまうということについての人権問題として、高齢者問題をとらえることができるのではという気がします。その中に先程から出ているような痴呆性の高齢者の問題であったり、拘束の問題であったり、虐待の問題等が発生しているのではと思います。
委 員

今のお話でいろいろ考えたのですが、私が「気づくことは大切ではないですか」と申し上げたのは、その意識の部分への啓発的な取組の問題です。人権問題の施策の中に盛り込んでいこうと思えば、その意識改革をどのようにやるかということを、具体的に考えていかなければならないのではないかと思います。確かに、固定観念意識を持っている方は非常に多いですが、それに加えて、高齢者の場合は、女性問題もそこに加わってくる。

介護していらっしゃる方たちも含めてワークショップをやった時に、妻の介護をしている男性がこられた。その方は、妻をいじめていました。自分の世話をするのが当たり前だと思っていた。何もかもを妻がやっていた。それが妻が病気や痴呆で体が動かなくなり、一度にできなくなった。全く夫の世話になる状態になった時に、立場が逆転してしまったわけです。その時に夫ができたことは、妻をいじめることしかなかった。生活のすべてを妻がやっていた。いきなりできなくなったから、やってくれない妻に対する恨みが出てきた。ところがある時、体が動けない奥様が自分の体を引きずって、道路に出ていって自殺しようとした。それを見た時に、始めて妻が人間だったと気づいた。こういう、すごい重い体験発表をして下さいました。

特別な例だと思いますが。多かれ少なかれ、体の弱いもの、年をとったもの、そして女というような、意識の中で固定的に決められた枠の中にはめられて、生きていかなければならない方が、たくさんいらっしゃると思います。こういう施策の中でそのような人を救っていくことが大事だと思いますので、そういう方もいらっしゃること、そしてそういう状態なんだということをお話ししました。先程から何度も皆がおっしゃっているように、そのことに気づいてもらうような、行政としても、民間としても、そういうことを繰り返し、繰り返しやっていくことが大事だと思います。先程の男性も、妻も人間だと気づいた少し前に、男女共同参画社会の講演会に出席されたそうです。少しだけそういう知識があって、その後、妻が自殺しようとした時に、頭を殴られた思いで、聞いた講演会の内容がよみがえってきたとおっしゃっていました。意識が変わる時に、ちょっとした知識があるかないかということが非常に大事になってくるのではと思います。子どもたちについても、小さいプログラムをしてもらった時に、こんなことをして自分の気持ちがやさしくなった、と皆がそう言います。だから、高齢者を思うこと、敬う気持ちというのは、一人一人がやさしくなり、そういう人間感覚が磨かれていくことに当然つながっていくと思います。そういうふうに思いながら、やっています。

この人権というのは、数字的なものだとか、ここをこうとか、問題意識とか、これだというポイントをやっていく大事な施策のためのものは、必要だと思います。しかし、高齢者は、人々の気持ち、人権感覚を磨くことに貢献していると思います。若い人が、高齢者の心を思うことでやさしくなるということがあります。高齢者が長く生きることにより、若い人達に貢献しているという形を持っていると思います。

アメリカでやっているプログラムの中にすべての人は可能性があり、寝たきりの人も社会貢献ができるという部分があります。寝たきりの方がやっている社会貢献は何かという話を聞いてみました。寝たきりの高齢者で耳も口も元気であれば会話ができるわけですから、子どもたちの話し相手になることができる。痴呆の人の社会貢献は何かといえば、痴呆で動けない人と痴呆で歩ける人が話をするそうです。痴呆の人は二回繰り返し、同じことをいうので、痴呆でない人が話の相手をするのはとても苦痛になります。しかし痴呆の人が同じように話を聞くと、言った方もすぐ忘れるし、聞いた方も忘れるということで、とてもいいコミュニケーションになる。しかも、言ってすっきりしたということと、思いのたけ言えたということになる。また、いいことをしたと施設の方に褒めて頂くことで、痴呆の進行が緩やかになるわけです。そういうことでいうと、それぞれの人が誰かの役に立つ、死ぬまで役に立つ、そういう観点をこういう施策の中に盛り込めるような、高齢者の人権というものにしていってもらえればと思っております。

何歳で高齢者を区切るかということですが、国連の文章の中に65歳と出ているかと思います。意識調査の中でお年寄りと呼ばれて仕方ないと思うのは本人です。そう思う方は75歳から77、78歳と言われます。80歳でも言わないでとおっしゃる方も中にはいらっしゃる。だから、いくつで区切るのかということは非常に個人差があるので、あまりこだわらなくてもいいのではないかと私は思っています。何かいい方法があれば、本当に個人がゆるやかな頭の中で年寄りだって敬い思いやることができるようなものがあればいいなと思います。

委 員 これは3、4年前くらいだと思いますが、厚生労働省が出している白書、その当時は「厚生白書」だったと思いますが、老人神話についてかなり詳しく書いていた年があったと思います。要するに65歳以上の方が、皆高齢者だということは違っている、事実でも現実でもなく、神話に過ぎないということです。厚生労働省がいろいろな調査をもって、あなた自身は高齢者と呼ばれてもいいですか、認めますかとかいう調査や、反対に若者から見ていくつが高齢者だと思いますかという調査もあったと思います。高齢者というのは、神話によって意識づけられて、皆が偏見を持っている実態があるということを厚生省が示した年がありました。なかなか誰もが「厚生白書」を見ることはないと思いますが、その白書を利用されて、意識改革というか、啓発活動に使われる際に、いろいろな材料があるのではないかと思い、聞いておりました。
委 員 この審議会で取り上げる人権問題の対象としての高齢者の概念はどうするのか。先程来、65歳ぐらいで線を引くのがいいのではないかとありました。皆さんもお感じだと思いますが、高齢者をステレオタイプ視して、高齢者の意識はこういうものだと一つの概念の中に押し込んでしまい、その中で高齢者の取扱いをどうするかとなる。その前に、そのグループに入れられステレオタイプ視された高齢者がどう考えるかという視点が、欠けている。そうしたことについて、福祉政策の面においても、人権としてとらえていくことについても、個別差や個人差というものを、もっと尊ぶ会議でなければならない。そうでなければ、人権問題全般が偏見視され、それこそ、自ら差別を行い、偏見の中に陥っていくという過ちを犯しているのではないかという気がします。施策にしても、考え方自身にしてもそうではないかと考えております。ここで和歌山県が高齢者問題についてどう動くかということを決めていただければいいのですが。
委 員 高齢者の年齢をどう位置づけるということよりも、加齢すること、年を積み重ねていくことにより、肉体的、精神的につまり機能的にどんどん変わっていく。そういう中で65歳以上の方を線引きすることで皆が理解するという展開がありますが、これから施策をしていくならば変えていくことが大変重要でなかろうかと思います。高齢者といいますが、どうしても言葉にはすぐに偏見蔑視がつきまといますので。
委 員 ある程度の年齢で線を切るということは、一つの方法だと思います。そうしなければ、行政としてはやっていけないことがあるかもしれません。ただ、高齢者についても、人が人として生きていくことのできる状態であるべきだと思います。高齢者の障害を取り除いたり、できるだけ緩和したりするものが、介護サービスや個々にいろいろと出てきている形だろうと思いますが、高齢者が必要とした時に、提供できる状況にあることが一番いいのではないでしょうか。介護認定のシステムで、同じ年齢でも、要支援の方も支援なしの方もいらっしゃる。個人個人の程度に合わせて受けられる内容が違ってくるわけです。そういうふうに必要な時に、必要なものが与えられる状態であるということが、年齢的にというよりも、重要ではないでしょうか。準備だけはしておき、65歳になっていないからダメというのではなく、状況に合わせた方策があればいいと思っております。
委 員 65歳になったから、必ずやるとは限らないわけですね。
委 員 お元気で活躍されている方は、おそらく、いらないのではないかと思っています。
委 員 かつて、同和対策の個人給付について、ある方が「私のところは、個人給付は必要ない。どうもおかしいのではないか。」と言われていたことがありました。そういうふうなことを考えた場合に、一つの体制として創っておいて、必ずやる、やらざるを得ないと決めてはどうか。施策としては難しいことだと思いますが。
事務局 今日のテーマの中でも、年齢の部分についてはいろいろな議論はあると思いますが、福祉の施策の中で、やはり財源的な問題を一つとっても、年齢の部分で分けていかなければならない。また介護保険料についてもそうです。元気な方、あるいは介護を伴う人から保険料をいただいていますという施策であれば、別の議論になりますが。いずれにしても、何らかの形で、線引きをしていかなければならないのではなかろうかと考えます。
委 員 今、同和対策事業を一般施策として受け入れています。当事者として受け入れる、そういうようなことになってきたわけです。高齢者の問題も同じではないかと思うのです。同和問題が解決したというわけではない。この同和問題を例にとるのはおかしいかもしれませんが。
事務局 例えば、年金の問題でも、老人医療の問題でも、その中である程度所得の格差によって、応じたサービスをしています。行政としてここまではします、それ以上については個人でというふうな所得的な格差があります。例えば、20歳の方から70歳の方まで、同様に支払うということも、現実的には合わない部分もございます。福祉サービスとして何か考える場合に65歳が本当にいいのかどうか別にして、老人医療の事業も状況によって区切る年齢も変わってきているわけです。そういう意味で65歳は今後もこれが一番望ましいのかということはありますが、どこかでやはり線というものが必要なのではないだろうかと思います。
委 員 福祉の問題は分けないとやっかいです。福祉は65歳という年齢で大体やっていますから、それはそれでいいわけです。人権として扱う時にどうなのだろうかという問題だと思います。そこは、先程言われたようなことで扱わざるを得ないのかなという主張であって、そこに執着するとやっかいだろう。福祉は、確かに人権と関わって援助するという側面もあるわけですが、イコールではないです。カッコに入れた方が今は議論しやすいではないでしょうか。
委 員

ただ、福祉の問題としたところで、65歳になれば、受給資格を与えられる。しかし、資格だけの問題だけではなく、やはり本人の意思でもらうか、もらわないかを決めるべきであり、何でもかでも65歳になると行政としてはやりやすいからというやり方はおかしい。やはり各別に考えるべきでないでしょうか。スタンダードをどこに置くのかという問題かもしれませんが。

やはり線引きというのは、行政にとってはやりやすい。ただ、行政にとってやりやすい線引きというものが、過去にいろいろな差別を生んできたわけです。偏見の対象の原因となると思います。そういう意味では、福祉の施策だから65歳というものは、一つの手段なのかもしれませんが、必ず与えられるというのは、一番最初に出たように若い人が見た場合にどう感じるのか。あの人は年をとっているがあんなに元気で働いてるということが、妙な偏見を解消するのではないかと思います。

委 員 例えば、先程言いました子どもの人権でも、20歳で線引きをします。しかし、今の裁判所の考え方からいうと、両親が大学卒の場合、実は、子どもも大学まで行くとして、23歳に達するまで扶養請求権があるという。この場合、子どもの人権は、20歳で終わっているわけではなく、まだ大人になっていない者の人権を、子どもの人権と名付けて、20歳と言っているのと同じように、高齢者の方の人権も65歳ということにした方がいいのではないか。知的障害、身体障害、精神障害でもないが、65歳を超えた。高齢者としての人権も守って欲しいと思う人があるとすれば、そういう幅を広げた方がいいのではないか。具体的な問題に当たっては、個々に判断していくべきではないか。何か枠組みがないと。それと、社会福祉と人権の結びが違うということですが、重なっている人も現実にはいろいろとあるわけです。社会福祉の政策の方で65歳を高齢者だと掌握しているのなら、わざと反逆することはないのではという高齢者ご自身の感覚でもある。若年層から見た場合の公平感を理解できないことはないですが、それが適当でいいのではないでしょうか。
委 員 一つ偏見等に関わってステレオタイプのことは問題になりますが、高齢者については、今すぐに対策を立てる必要はないだろうと思います。社会で活躍している高齢者はかなりいらっしゃる、そのことを皆が見ているわけです。そういう意味で個人の問題みたいなこと、あるいはある程度含めて援助が必要な対象ということも問題だという意識はあるのではないかと思います。
委 員 65歳という年齢的なものと、行政上のことの違いは確かにあります。
委 員 年齢について、求職などに行った時に、高齢者扱いになってしまい、年齢ではじかれてしまう。社会的に高齢者というと65歳であるとすると、年齢が意識の中に入り込んでしまって、個人を見る前に年齢を見てしまうことはないのでしょうか。
委 員 一番新しい年金法では65歳からの基礎年金が給付されますので、そのことは大きいと思います。職業を持つかどうかの時に、65歳以下の人を優先するということがあると思います。
委 員 65歳になっても、自分は仕事をしたいという経済的なものだけではなく、生きがいとして仕事をしたい時に、そういう区分する線が決まっていることは、プラスかマイナスかどちらだと思いますか。
委 員 高齢者のハローワークみたいなものがあります。これも問題としてやってます。高齢者雇用の問題として、この場合はどうするのか。
事務局 高齢者の需用や求職数は少ないです。また、収入ということでいえば、やはり求職条件からして少ない金額です。逆に言えば、高齢者には年金があるので、少ない収入でもやっていける。求人する方も、それを前提にした求人の仕方をしているようなところが現実だと思います。
委 員 今、年齢の問題になっていますが、先程出ていたお話では、福祉の問題は65歳、高齢者の人権の問題というのはそれと同じではないという趣旨だったと思います。高齢者の人権も、ある程度の枠が必要になってくるというのも分かります。ただ、人権の問題では、高齢者の定義の問題ですが、高齢者とは何歳を以て高齢者というのか、65歳とすると、他の分野でも65歳を高齢者としていいのかという問題があると思います。一般的な概念としては、65歳が基準となっているようですが、他と同じように考えていいのではと思います。ただ、人権侵害というのは、そういう高齢であることを理由とする侵害、例えば66歳だから再雇用しませんであるとか、65歳だからするといった、年齢を以て侵害を受けた場合には、65歳を超えた人がそれを理由として差別を受けた場合には高齢者の人権が侵害されたということになると思います。80歳、90歳でも人権侵害を受ける可能性の低い、かくしゃくとした方もおられます。そういう方は80歳、90歳でも人権侵害の問題はそうありませんが、65歳を少し超えたところで人権侵害を受ける方もおられますし、本来高齢者の人権というのを何歳からと決めること自体に違和感を感じますが、侵害があるのかないのかという時には、一応基準が必要だと思います。
委 員 先程の就業の問題についてですが、現在の年功序列型の社会構造では、定年に近い年齢になってくると、意欲のあるなしに関わらず、組織の硬直化と無縁であり得ないということを痛感しながら勤めていました。社会構造を柔軟なものにするという観点から、高齢者の才能を活かすことを考えて頂きたいということを痛感しております。専門的で経験が必要な職業では、年齢を重ね、経験を積むほどすばらしいですが、普通の組織の中で働いている限り、意欲がある人でも組織の中で無用になることがあります。その点については社会構造を変えて、意欲のある人をうまく活かすことが必要なのではないかと痛感しております。
委 員

ある意味では、次の世代に送っていくということを考えていかなければならない。高齢者自身が阻害される要因を作っているということに、高齢者自身も気づかなければならない。自分が高齢者であることを受け入れて、社会全体のために自分がどうあるべきかということを高齢者自身が知ることが必要だと思います。

高齢者自身にとって、一番人権が守られている社会というのは、どういうふうなものであって、どうすれば一番守られるのか、勉強も必要だと思います。高齢者に対する勉強の機会もいろいろと創っておられると思います。事務局の方で、先生方にこれについて伺いたい点ございませんか。また、これまでの議論に対して事務局として、どのように考えるかということがございましたら、どうぞ。

事務局

原点に戻って考えてみて、人権というのは人が人として幸せに生きるために生まれながらに持っている権利と考えますと、憲法の保障した基本的人権が守られる社会を創っていく必要があります。そのために県全体でどうしていけば良いのか、それに取り組んでいきたいと考えております。

高齢者であるゆえに、好きなことができないというのは侵害になるのではないか。また、働きたいのに働けないことも侵害に当たるでしょうし、そのようなことがない社会にするために、私達がどのようにしていけばいいのかということを考えていく上で先生方にご意見を頂戴して、基本方針を作っていきたいと考えております。

委 員 高齢者の人権について、まだまだ語り足りないことがあるかと思いますが、認識を共通にする立場からの議論はこれでよろしいでしょうか。本日はこれで終了させて頂きます。

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