第2回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第2回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第2回和歌山県人権施策推進審議会
日 時 平成14年9月11日(水曜日) 13時~15時半
場 所 和歌山市 アバローム紀の国
議 題

(1)同和問題に関する現状と課題について

(2)犯罪被害者支援に関する現状と課題について

(3)その他

出席委員

稲垣委員 谷口委員 月山委員 辻委員 都村委員 中谷委員 中村委員
村田溥委員 村田恭委員 柳瀬委員 吉澤委員

配布資料

(1) 今後の同和行政に関する基本方針(平成13年8月17日策定)
(2) 「地対財特法」期限後の和歌山県の同和行政のあり方(平成14年3月策定)
(3) 平成14年度の同和対策予算一覧

【冊子】

※同和問題関係
(1) 『地域改善対策提要(平成13年11月)』地域改善研究会監修
(2) 『人権文化の創造』和歌山県同和委員会編
(3) 『和歌山県同和行政総合推進プラン(平成10年1月)』和歌山県
(4) 『同和問題に関する和歌山県民の意識-意識調査報告書-』和歌山県同和委員会
『同和問題に関する和歌山県民の意識 -平成12年県民意識調査より抜粋-』
和歌山県同和委員会
(5) 『同和行政28年のあゆみ(平成11年3月)』和歌山県

※犯罪被害者対策関係
(7) 『警察による犯罪被害者支援』警察庁
(8) 『こころの扉をひらいて』和歌山県警察
(9) 『被害者の手引き』和歌山県警察
(10) 『交通事故被害者の手引き』和歌山県警察
(11) 『被害者・家族・関係者へのこころの支援』
特定非営利活動法人紀の国被害者支援センター
(12) 『あの笑顔と生きる』なごみの会

※人権問題
(13) 人権啓発担当者用資料集

内 容

委 員

今日の議題につきましては、各先生方から各分野毎に発言を賜り、事務局から説明を受け、あらかた我々の各分野における認識を共通にしたうえで全体的な視野で手直すということでございました。

まず、各分野毎にということで、今日は「同和問題」そして時間がありましたら「犯罪被害者に対する現状と課題」ということで、事務局から説明を頂きたいと思います。また、各先生方からご自由に発言を頂きながら議事を進めさせて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

それでは最初に、同和問題について、事務局から説明を頂きます。

事務局

事務局より説明。
委 員 現在の同和対策、また今までやってきた対策事業の経緯等、先生方のご質問という形でやって頂いた方がいいかと思います。おそらく当局も全部が全部把握できないと思いますが、一応先生方の方からこういう点はどうかということを遠慮なく聞いて頂きたい。各先生方も、同和対策について、専門家の方もいらっしゃいますが、私も含めてそうでない方もたくさんおられると思いますので、そういう点からご質問という形でやっていただけたらと思います。
委 員

同和問題というのはそもそも特別な差別の問題かどうかという点。もし、特別だとすれば他の差別問題と、どこがどう違うのかという点。それに対して具体的にどのようにしようとしたのか、またどうしたのかという点について教えて頂きたい。近年特別対策から一般対策への移行といわれたわけですが、これは理念として同和問題が特別な差別問題だったとすれば、何か理念の変更があったのかどうか、他の差別問題・人権問題との関係というのは理念的にどういうふうに考えられるのかという点。一般施策への移行とは具体的にどういうことになるのか。それで具体的に、例えば学校教育については授業料はどうなっていたのか、どうなるのか。例えばという話で結構ですから、わかりやすく教えて頂きたいと思います。

もう1つは、特別対策から一般対策への移行したということの具体的な意味ということです。先ほどおっしゃった所によると、実態的差別と心理的差別があるということですが、それぞれについてどのように一般施策への移行ということと関わるのかという点です。できるだけ具体的に教えて頂きたいと思います。

事務局 まず最初に同和問題は特別な差別かということについてですが、人権問題は全て違いがある所から始まると考えております。違いがあって違いを認め合うところから始まると考えてございます。例えば、女性の問題でしたら女性と男性、障害者の問題でしたら障害のあるなし、子どもや大人の違い、外国人の場合でしたら民族や人種・宗教の違い。お互い違いがあるところから始まる問題ばかりであると思います。
同和問題とは、同対審答申にも書かれていますように、日本民族であり何ら違いがないのに差別がある、ここに決定的な違いがあるのでないかと思っております。この中でやはり政治起源説というものをとっているわけですけれども、何の違いもない人々を政治の思うままに枠にはめていったという差別でありまして、国の責任であり、国民的課題であるということです。県としましても行動計画で、国の行動計画と異なり、同和問題は一番始めに解決しなければならない問題としてトップに扱っています。
県と国はそういう風に位置づけをしております。そういうことで心理的差別と実態的差別の問題でございます。
委 員 他の人権問題との違いがどこにあるのかについては、少し解りました。それで、特別な施策をとろうとした、そういうことになるわけですか。
事務局 特別な政策をとったというのは、本来行われるべき行政施策が同和地区には行われてこなかったという事実が、例えばオールロマンス事件など京都にあったわけです。これは、劣っているところはどこか、環境の悪いところはどこか、教育の遅れているところはどこかと挙げていったときに、全て同和地区と重なったということです。
本来一般に行われなければならない施策が、同和地区だけを除いた形で実施されてきたために、他の地区との間に非常に大きな格差が生じました。その格差解消のためには地域を定め、対象者を定め、特別に事業を実施する必要があるということで、法律を作り特別に重点的に事業を行ってきたという経緯がございます。
それは緊要性に基づいてとられてきた対策ですので、ある一定の時期がくれば、当然に一般対策に戻していくということになります。同和対策は同和地区を対象と定め行ってきたわけですが、一般対策はすべての人を対象に全ての地域を対象とした事業です。しかし、一般対策の実施に当たりましても、課題のある地域、遅れた地域から真っ先に手を付けていきますので、的確に対応していけると考えます。
委 員 違いはないのだが差別はある。そういう特殊性から特別対策として別枠で予算を付けて、道路や下水道の整備や教育の助成とかやってきたわけですね。特別対策が一般施策へ移行していくのですが、違いはないのに差別はあるという根本的な差別に相違がない。そのことについて、どういうふうにお考えですか。
委 員

一番始めは皆の解る入り口から始めて、ずっと専門的になってしまっている。入り口から始めて、同和問題とは特別な問題かと、おっしゃったように、同和問題とは何かというところから皆で共通の基盤を持ちながら進めたい。

同和問題とは、元々違うはずのない人を、違うと言ってきたものです。その部分をもう一歩踏み込み、そのほかの人権の課題、例えば性差別などで考えてみましょう。男性・女性という生まれながらの属性があって、グループ分けがあって、機能としての生物学的な違いがあって、個々の問題についてはセックスとか性差とか言われている形で、変えようのない部分が属性としてそこに存在する。女性差別をしないようにという形でジェンダー、性差を悪用した形で社会の中で女性を蔑視していくという差別のつながる元となるのは、男性・女性という性差が元々あるということです。
これからやっていく人権問題でいうと、その属性はあるけれども、それはたまたまの属性で、人間という大きなものから考えたら、男女という属性で差別する属性はあんまり重く見ないで人間へ戻っていこうよということです。障害、高齢者、子どもの問題でも同じようにつながります。

その前にもう1つ戻ったら、同和問題というのは先ほどのお話でいうと、同じ日本民族の中に誰かが違いを作り上げてしまった。それを同対審当時の政治起源説の話に乗っかるとしたら、時の政治家が身分とか、宗教とか、無理矢理一部の人たちに定めて差を作った。差を作られてしまった少数の人がその差を世襲するという形で、その人の子どもへと引きずっていくなかで、あたかも生まれによる差別であるかのように話をしていくということがありますが、同和問題というのはそういったものとは違います。元々属性がないというところに、同和問題のスタートの所の間違いがある。外国の人が見ても解らない。なぜ、違いがないのに差別するのか説明がつかない。しかし、世間を見るとそれに起因する差別がたくさんある。そのために、まず同和問題から手を付けるということになったのではないかと思います。
私は、同和問題の原因は属性ではないということを共通認識としていく必要があると思います。

委 員

認識を共通するという意味で、差別というのは全部作られた差別です。男女にしてもハンセン病にしても障害者にしても、そうです。

ハンセン病を例にとると、明治の初期に外国人観光客や居留地に住んでいた人が解放されてどこにでも行けるようになったが、神社・仏閣に行けばハンセン病の人がいるという状況だった。これでは日本としては非常に困る。そこで、ハンセン病の患者を隔離する政策をとった。始めは、地区内での患者を対象としていたが、そのうちに家の中でひっそりと住んでいる人にまで及んできた。

同和の問題にしても、先ほどからいわれているように、作られた差別です。時の権力者が、自分の政治のしやすいようにと階級を作った。

発生している全ての差別の問題は、時の権力者といいますか、国が作った差別です。それが民間の問題として広まっていますが、官とすれば民の問題としているようです。しかし、全ての差別は官が作った、ほとんどの大きな差別は官が作ったと言えます。作られた差別の1つとして同和問題がある。もともとは違いのない人間ではないかと、先生がいわれるのはそこのところですね。

委 員 そんなところの違いというものを、この審議会で基本的に共通認識として積み上げていく必要あるのではと思います。
委 員

部落差別は、いわゆる政治起源説に基づく差別といわれていますが、学会・研究レベルでいいますとかなり克服されています。政治起源説に固定する必要はないと思います。

それから部落差別が日本の特殊な問題だということでは決してない。最近国連の人種差別撤廃委員会の中の分科会で、いわゆる人種的な差別、民族的な差別、そのほかに世系に基づく差別ということで、インドと日本を同じグループにしているわけです。外国人が解りにくいのは、日本の部落差別を政治起源説として徳川時代に作られたと説明するからであり、そうでない部分もある。今から数年前に国連の委員会で、日本の部落差別はインドのカースト制に類似する世系であるという認識がなされているのです。このことはあまり知られていないのではないかと思います。それから人種差別撤廃会議・条約のこともほとんど知られていない。実は国連レベルでは日本の同和問題はいわゆる人種差別の範疇になっている。実際人種が違うからということではなくて、非常に広い範疇なんです。結局、世系つまり出自に基づく差別の1つです。ここでいう出自とは非常に議論のあるところです。

徳川時代にはキリスト教を徹底的に弾圧しましたが、明治時代に弾圧を解きましてキリスト教への差別はなくなりました。同じ政治的差別であるとすれば、なぜ部落差別は今に残っているのか。

それからアパルトヘイトというのがありますけど、あれは典型的な政治的差別です。ここ50年、60年の間に黒人系の人を差別するために作った。それが世界的なアパルトヘイト反対、つまり人種差別撤廃条約を作ったためにそれはなくなった。しかし黒人と白人の差別は厳然としてあります。政治的な意味での人種差別はなくなった、むしろ黒人のほうが政権をとっていますから。しかし、黒人と白人の差別は厳然として残っている、特に経済的な面で。

政治的差別、作られた差別だから、今なぜ続いているのかを説明するのは非常に難しいと思う。だから、審議するにあたって共通認識だと言われても、それは違うだろうと思います。

例えば、宗教なんかで空海が「旃陀羅(せんだら)」という言葉を使います。空海が「旃陀羅(せんだら)」という言葉を使ったら差別発言だと言えるのでしょうか。空海が「旃陀羅」と使ったのは平安時代です。これはインドのチャンドラがセンダラにあられて、これを日本のよく似た状況を表す言葉として使われて、それが一度死語となって、江戸時代にまた使われるようになってきたのです。

それからもう一つ、あまり簡単に意見を統一していってはいけないと思います。部落差別は始めがあれば終わりもあるわけです。とにかく、部落差別は政治的差別だから本当は実態がないのに差別が残っているのだと認識を共通にしてスタートするのは、どうかと思います。

委 員 今までは同和委員会を中心にして考えてきた、政治的な起源説を中心に考えてきた、それがいいか悪いかは別として、そういう考えが支配的でした。
委 員 起源説には中世起源説と近世起源説があり、さらに中世政治起源説もあるわけです。同和委員会で知られているかどうか解りませんけれども、近世政治起源説を採られていると思うんですが、もう少し専門的に調べられた方がいいかもしれない。これは崩れてきているのですよ。
委 員 おっしゃっている趣旨は私なりに理解できますが、部落差別は他の差別、女性であるとかと根本的に同じだとおっしゃっているわけですか。
委 員 先ほどおっしゃられたようにセックスの違いに基づいて、それにジェンダーという社会的な概念が被さって女性差別が起きてます。
委 員 差別の構造として、部落問題と女性問題は同じ構造をしているのか。
委 員 構造という場合、いわゆる歴史的な意味で違う。しかし差別をする人があって、社会的に差別意識というものがあって、特定の人が特定の人を差別するという点では同じです。
委 員 事務局がおっしゃったのは、部落差別は違いがないのに差別があるんだという点で他の差別と構造が違うということでしたが、その点について先生のお考えを伺いたいと思います。
委 員

違いというのは至る所にあるわけです。差別にならない違いもあるわけです。しかしある違いに、ある特定の偏見的価値判断を加えた場合に差別が発生するわけです。AとBとが違う、そしてBのほうが劣っているとする。そして違いに対して特定の価値判断を加えて蔑視すると差別になってくる。

つまり、同和地区に住んでいると言うことを条件に、あるいは同和地区の人だったと言うことを元に差別してきたということです。もっと厳密な例ではインドのカースト制は完全な出自といえます。

委 員 どこに違いがあるのかと尋ねているのですから、ここに違いがあるんだということをおっしゃってください。
委 員

インドの人からすると、カーストと部落差別やアパルトヘイトを同じにしてしまっては困るのではないでしょうか。カーストというのはもっとすごいものです。

外国のことはいいとして、女性であれ、高齢者であれ、障害者であれ、子どもであれ、他の差別問題と部落差別が同じものなのか、それとも事務局が言われたように違うものなのか、先生のお考えをお尋ねしたいのです。なぜかという点については、その人の考え方になりますし、なぜそうなったのかについては色々な考え方があると思います。

委 員 憲法の用語で言いますと「門地」ということです。
委 員 違いは「門地」にあると言うことですね。
委 員

結局、そこの部分が違いがあるとする側と、違いがないとする側の考え方の違いがあるのです。

歴史的にどこで切るのかというそんな問題ではなくて、女性を差別する人を我々は啓発で変えていこうとした。男・女という生まれによる違い、しかしその違いはなるべく小さくまとめてしまおう、できたら個人の人間らしさ、個人の特性、こんなものは人間の尊厳の前においては同じなんだというところに持っていかないと本来の人権運動なんて完結しない。

国連の人種差別撤廃条約が慎重な言い回しをしていますが、日本やインドの問題は結果としてこの人種差別撤廃条約に入ってきています。始めから人種や民族が違うということではなく、結果として生まれによる差別、特定の地区に生まれるか、特定の親から生まれるかで、生まれ出た瞬間に決まるという点で、例えば、女性問題における女であり男であるのと同じ扱いを受けてしまうわけです。そこが同じだとすれば今までの組み立てはまるで違う。地区住民の人にとってみると、生まれたときから男・女や、白人・黒人という風に違いを持って生まれてきているのかとなる。女性差別のようにジェンダーはだめ、区別・性差はあるが人間として差別はいけないというのと同じで、あなた達は生まれは低いところにあるが、社会的に差別したらいけないという問題にすり替わってしまうような気がする。
だから厳密に言うと人種差別撤廃条約の中で議論されるような差別とは違うような気がします。1つの進め方の中でその他の人権問題を非常に語りにくくしてしまうと思います。

委 員

今までのお話を伺っていたら、人権問題は差別の撤廃ということが大切ですよね。差別の撤廃という時の前提となるのは、やっぱり人権意識といいますか、そこからだと思います。

差別、偏見の対象といいながら、他の差別、偏見と違うところはどこかということを、まず最初にお話ししましょうか。

委 員

私は、政治起源説が違うかどうかを言っているのではないです。歴史的な評価の問題があります。そういう違いがあっても共通に人権を述べていくということであり、誤解しないでください。

人種差別撤廃条約は禁止ということを定義していません。人種差別ということで定義していますが、そのところがちょっと違う。人種差別という考え方は、非常に広い概念と捉えていることを、ご理解頂きたい。

委 員 あまり難しいことを言われると、同和問題・差別とはそんなに難しいことなのかと考えたりとか、うかうか触れると、えらいめに合うとかいう風になってしまう。前から言われているように同和問題を誰でもが大っぴらに話し得る問題だという意識にしなければならないと思います。同和問題・差別についてあまりうかうかしゃべれないのだ、そういう考え方は絶対にいけないので、これがあるために今まで同和問題が解決しなかった。同和問題というものを、どこでも、誰でも自由に発言できるものであり、自由な発言の下で初めて同和問題が解決しうるという認識で、遠慮なしに発言をお願いしたいと思います。
委 員

一般の女性の代表というつもりでここに座って居ます。この間、識字学級の方の集まった会で同和地区の人と話をする機会がありました。堂々と自分の地区のことを話しながら、「どこも違わないのに、こんな辛い思いをしてきた。今、こういう世の中になって、字を覚えることで自分の新しい様々な世界を得ることができた。今本当に幸せです。」と涙ながらにおっしゃいました。

誰もが先の戦争のことを風化させることなく語っていきたいと考えるように、同和地区の人も今は差別されないけれど、忘れてくださいとは絶対に言わないと思います。だから差別してきた歴史を、差別した側がきちっと踏まえなければならない。今は差別が少なくなりつつある、そして今後は差別をしない世の中にするという視点に立って、私たちは人権の施策をやっていくことのお手伝いをさせて頂くのだと私は思います。もし私たちが誤って違った意見を申し上げたことがあれば、専門家の立場からそれは間違っていると教えて頂きたいと思います。本当に涙ながらに語る自分の差別された辛さを、一人でも語らなくてもいいようにしていく施策ために頑張るんだという共通認識を持ちたいと思います。本当に曖昧かもしれませんが、ついこの間のことでしたので、その人の語る思いというのをとても重く感じました。そういうことを大切にしながら、ここでよりよいものを作る審議会にしていきたいと思います。

差別の1つ1つについて文章にして、これに対してはこういう対策をという風にやっていかなければならないのは、悲しいことだと思うのです。差別というのはどんなものでも許されないわけですから。施策の中で区別していくという形はできるだけとりたくないのですが、1つ1つの差別について厳然とした違いがあれば、1つ1つの対応が違うのであれば、そういう人たちの希望に添ったことを行う必要があると思います。今皆さんの議論を伺いながら、先日の同和地区の女性の涙を思い浮かべておりました。

委 員

地区という言葉自身は、私は行政がしやすいように地区指定した結果、今に及んでいると考えています。

それは別にして、なぜに地区の人がという、そこの所を深く考えないといけないでしょう。先程、先生は感動したとおっしゃいましたが、それは地区の人からの話だったから感動したという話ですよね。なぜ地区の人だと感動するのですか。虐げられたということがあるからですよね。そうすると、虐げられたということは何かということですね。表現がいいかどうか解りませんが、虐げられたということはっきりと認識したい。

委 員 私は、パラリンピックを最初に見たときや、先だってハンセン病の方をテレビで見たときに、あんな不自由な体であんなに一生懸命してという風に感動します。一方、先生は被差別部落の方のお話をなさいましたが、被差別部落の人を見ても何の感動もないです。その人のこんなことがあったよという話を聞いて感動するわけです。受け取る側からすれば、そこのところが基本的に違うと思います。
体が不自由なのにあんなに頑張ってという風に直接に受ける感動でなくて、頭の中を通して間接的にそんな差別を受けてきたのかと感動する、ワンクッション置かざるを得ないというのが違いになるかなと思います。言い換えれば、外見上は何の違いもないわけです。
委 員 しかし、私は話を聞いたから、頭を通したからということではないです。今まで語れなかった、隠していた、それを語ってくださったことに対して感動したのです。これまでは語れなかった、出自を隠していた、自分そのものを全否定せざるを得なかった、それを今は語ることができて、色々なものを得ることができるようになって一番幸せというのに一番感動したのです。語れなければ隠さざるを得なかった、そういう生き方を選ばざるを得なかった、そうおっしゃったことに対してです。
委 員

学問的には弱いかもしれませんが、教育の場で30年にわたる日本の同和問題の流れの現場に身を置いたものとして、先生のお話を聞いて共鳴を覚えました。もう1つ同和問題を若い人に知らない人が多いし、我々の意識の中からも薄れ始めている面がある。こういうむごいことがあったんだと言うことを忘れないで欲しいという思いもあるのではないかと、思ったのですが。

起源説につきましては、教育現場では答申にあるように日本社会の発展の過程の中で形成された身分階層に基づく差別だ、社会の一部の人が経済的・社会的・文化的に低位の状態に置かれ基本的人権を侵害されている、そういう教え方で来ているわけです。答申の出された時代は国民的課題ということで、真剣に取り組まなければという状況にあったと思うのです。国民的課題として教育・行政の色々な立場の人が取り組んで、学問的真相は別にして、国際化の進む中で教育現場に置いても同和部というのが大きな位置を占めていました。

同和部を人権部に変えていくという動きがここ何年か起こってきて、県立高校のほとんどが人権部になっているのではないかと思います。その過程で議論したことは、同和問題という国民的課題に正面から取り組み、これを乗り越えなければならない、憲法も実際に体現することが重要だということです。
同和問題に取り組むことができるならば、バックボーンとして同和問題をしっかりと教えておけば、仮に他の人権問題が起こってきたとしても、それらを乗り越えられるのではないかということです。だから日本人として教育の現場でも、同和問題ということであらゆる人権を扱ってもいい、逆に根幹は同和部、国民的課題として歴史的に発生させたとして取り組む姿勢として人権に変えるのはいかがなものか、ということでした。私はそういう意味で、「同和問題」といった方がいいと考えています。
当初は、同和問題を人権と変えるところは少なかったのですが、国際化情報化の中、あるいは色々な運動の中で、同和問題を色々な問題と一緒に捉えていっていいのではと言う意見に抗しきれなくなった。
人権部とすること、一般施策ですることで我々の本来の侵した日本の歴史的なものを薄めていくことにならないかという危惧がありました。
しかし、国民的課題として真剣に取り組めばある程度の成果があったのだと考えます。そう考え、最後やめたときまで同和部でということで置いてきましたが、その後すぐに人権部になった。間違いないと思うのですが、時代の流れで、国際化の中で、お話を聞いておりました。

委 員 同和問題を特殊な問題として取り上げていくことのあり方、同和問題のどこに違いがあるのか、人権問題以外の問題であるのかどうかという点、同和問題が大きな柱の1つという認識、この認識は必要だと思います。
しかし、今までのように同和問題を特殊な問題だ、人権問題の中でまず最初に解決しなければという位置づけをしていく問題かどうか。また、他の人権問題と同じものであり一緒に解決していかなければならない問題ではないかという視点からすれば、同和問題についてなぜそこまでという疑問を皆持つわけです。そこを率直に申し上げて頂きたいと思います。
委 員

さっき言ったことに誤解があるといけませんので、私は同和問題というのに賛成ではないんです。歴史的に見て同和問題とはなかった、同和問題といってやっている間に同和問題になってしまったので、人権といえば人権問題になります。最も集中的に部落差別に現れた、そういう点では人権問題の最も激しい現れではないかと考えています。

部落運動とは特別な運動ではなくて日本における人権運動だと思っています。人権運動の先駆的な運動であったし、日本の人権運動のリーダー的存在です。部落解放同盟がやっているから特殊な問題だというのではなく、よく見るとあれは人権運動です。日本における最も人権侵害の激しい部落の人々が立ち上がって、行政闘争により、社会権的基本権である教育権とか労働権とかそういうものを回復したわけです。最も激しい差別から解放する、そして人間として回復することで、最近象徴的なのは97年の新しい解放同盟の綱領です。「人権が確立される民主社会の中に部落差別を」とはっきり明記してある。人権問題の相当重要な中心的なものの1つとしてと、自覚的に同和問題と人権問題をつなげる姿勢で解決していくのがいいと思います。

委 員

私は和歌山出身でないため「同和問題」と聞いて意味が分からなかったのですが、夫は和歌山ですが、昔は「人尊」ということを高校の時にもやっていたと言っていました。そのときに「寝た子を起こすな」とか「寝た子は正しく起こさなければ」とかずいぶん大層なことがあるのだなと、非常に特異な特殊な感じがしました。歴史的背景を持った差別でしょうが、全国一律にこういうことが言われているわけではないかなと思います。
同和施策が国を挙げて行われていることから、全国的の問題なのかもしれませんが、知らないで生きている人間からすれば、和歌山でそういう話があった時にずいぶん同和問題とは怖ろしいんだという感じがしました。総括とかややこしい表現がありまして、当たらず触らずという感じでありました。ただ、会長がおっしゃっていたように、どんなところでもどんなときでも誰でもこのことについて発言ができる時代になったんだなと、すごくうれしく思いました。

そのようなことがあったので、お金をかけて実態的差別という、目に見える差別を取り除くとしてやっていっても気持ちのほうが着いていきませんでした。30年間は必要だった時代だと思うのですが、これ以上同じ形態で継続していくことはマイナスしか残らないかなと思います。
今後も同和問題が問題としてあり続けるなら、先生のお話にもありましたが、同じように政治的に差別されていたキリスト教徒が差別されているかと言えばそうでない、同和問題だけが残っているなら、それは同和問題自体が抱えている問題だと思いました。人権の中の同和という考え方に移っていく時代だと思いました。

委 員

同和問題にそれほど詳しくないので、初歩的な間違いがあるかもしれませんが。この問題について先ほど事務局から説明もありましたが、抽象的な話を聞いても解りにくいのです。
こちらも来る前に配布して頂いたものに目を通しましたが、こういうと失礼ですが、抽象的な表現になるのは当然なのですが、手に取るようには判りにくいという感じがしました。それは表現に抽象的な言葉を使うからそうなるのだろうと思います。

私は、この差別については特別な差別ではなく、同和問題とはもともと経済的な問題だと考えます。経済的に非常に悪い状態にあった、これは国の政策によってどうにでもなることです。
例えば、経済環境・住環境を良くすれば、当然差別も減っていくだろう。それが昭和40年以来の国での政策であったと思います。実際、住環境は相当良くなった、それでも心理的差別は残っている。それは時代とともに世代が変われば変わると思いますが、根強いものがあるというのは、染みついている気持ちがあるのではないかと思います。

私もハンセン病患者の話を聞きましたが、ハンセン病の方が出生を隠して、そういう隔離された生活を送ってきたということが、まさに極限的な差別だと思いました。そういう話を聞いて、あるいはテレビの報道を見て、全く申し訳ないと思いました。やはりそれは見ている他の人も同じように感じたと思います。私も子ども時代からハンセン病について聞いていましたが、そういう気持ちを持ちました。

部落の問題も政治的起源説等色々意見があると思いますが、そんな起源の問題を考えても意味がどれだけあるのか。今現在ある差別というものをどうやってなくすのか、心理的差別を受けている人たちをどうやって救済するのか、それをなくすのかという方が最大の問題です。起源が何かというのは差別が無意味なものだということ、差別する理由もないのに差別してきた説明として、あるいは啓発の手段として意味のあることとは思うのですが、今、現にある心理的差別をどうするかという、それが最大の問題だと思います。なぜそういう差別意識が出てくるのか、そうした意識をどういう風にして解消していくのかという観点で捉えていくべきではないかと思います。

私は同和問題について、体験者のお話を聞くと感動するのです。色々な流れの中で、色々な話を聞いて感動するのです。1つには申し訳ないという気持ちがあるからです。体験者がそういう気持ちを持たなくていいようにしていくには、どうすればいいのか。それを考えるのがこの審議会の役割だと思います。体験者や同和問題について詳しい方の話を聞くのがいいと思うのです。

それから各々が断片的に話をしていても、まとまらないのではという感じもします。もし、チューター的な方がお話しされるのでしたら、同和問題についての詳しいエキスみたいなものを出して頂いて、それについて質疑応答があればしていく。あるいは体験談などを聞く。なぜ話を聞くかといえば、どこから差別意識が生じてくるのか、どうすれば解消できるのか知るためにはそういう方法がいいように思います。

委 員

最初人権懇話会というものが、県条例を考えていくときに、前文のところで「確立された人権」であるとか、「同和問題をはじめとして」という捉え方はおかしいのではないか、あるいは「確立された」という捉え方は人権問題についてできるのかということを議論した経過がありました。同和問題とは専門家だけで議論する問題ではないと思います。どうぞ率直に同和問題について意見を述べてください。同和問題について特別の問題として考えなければならないか、あるいは人権問題一般として考えていいのかということについて感想といいますか、考えをおっしゃってください。

私は、最初にこの問題に足を踏み込むときに、大阪のある地域に行き、半日ほど勉強したことがありました。牛の血を精錬して一部は薬に一部は肥料にしている家に行き、2~3時間遊んでお茶を呼ばれて、それから2~3年の間、月に1回ぐらい遊びに行きました。本当の生活をともにしている中では、変わった考え方を持つのは誤っていることだと思いました。なんら変わるところがない、人間として同じだというところ、尊厳というのは同じなんだということ、それが問題を考える際の出発点だと思います。

従って人権問題として捉えるということは、決しておかしくないし人権問題以外の何事でもないのではないか。とにもかくにも同和問題が先頭を切って室のほうで取り上げてこられたのは、現実の問題なんです。この点について各先生方お願いします。

委 員

人権懇話会は今でもありますが、全部で25人ほど各人権分野の方々がお集まりになって、話をしてきました。その話の中で、それぞれが専門として持っておられる人権分野の個別性の部分と、その人権の横に流れる共通性の部分との2つがありますが、個別性の部分をあまりにも強調しすぎていたのではないかと思います。
例えば女性問題を中心にやっておられる方からすると、同和問題の形でやっていくのは極めて行き過ぎているとか、特殊なものとか考えることになります。また、他の分野の方が女性問題を考えるときもジェンダーとかリプロダクツ・ヘルス、ライフとか言わないでわかりやすい女性差別ぐらいで言ってくれればいいのにということになります。個別の問題で奥深く入っていくとそこにばかり行ってしまい、横の共通の部分がなくなってしまうのではないでしょうか。

同和問題でも、既に解決されているわけでない。しかし、少しだけあるというのと少ししかないという日本語の違いみたいなものが随分あるような気がします。どの分野においても。だから個別の問題をやれば、それがどの分野であってもそこの穴から他の人権分野が見えてくるということがある。

また、もうちょっと幅広く人権ということで考えてみたいと思います。例えば、自らは責任を負うことができないことに起因するという形で、自分の責任でないことで苦労をかけるということを共通項で言うならば、多くの差別はそこに入ってしまう。和歌山は非常に気候風土に恵まれている自然の場所で、仲良くいこうという共通項が、条例の一番上に乗っかっていて、そのためにどうすればいいかというときに、各個別の各論について、あまり個別性を見いださない方がいいのではないかと思います。だからどこから入っていってもいいのではないでしょうか。

私は昭和58年に県の同和委員を拝命したときに、入って一番初めの日に「同和問題は人権問題です」と言うと、別室に連れて行かれまして叱られたことがありました。その方は「同和問題は人権問題とは違う、同和問題以外の人権問題は人権擁護委員にお願いしているのだから、同和問題は人権問題ではない。」とはっきりおっしゃいました。ところがここ5年程、その方が同和問題は人権問題とおっしゃるので、私の立場はないと思いながら、私は時代の推移もあり同和問題の解決をここまでしてきたという思いを皆持っていいと思います。県も県の行政もそうだったということを。この方々がやっていなかったら、もっとひどい状況だっただろうと思います。これから同和問題を含めて人権問題をなくしていくときに、あらゆる人権問題をきちんと視野に入れて、どの人に対する人権侵害も許さないという思いがあってこそ一番理不尽な形で残っている同和問題が解決していくと考えると、会長がおっしゃったこの問題を特別視するのかということについては「しない」ということでいいと思います、大きい小さいという問題が多少はあっても、少なくとも人権という範疇で同和問題を解決していくためには、あらゆる人権ということを視野に入れながら同じ高さでやっていく必要があると思いますし、「同和問題をはじめ」という言葉は感心しない言葉だと思っています。

委 員

先生方のご意見を伺いまして、私も全く同意見でございます。同和問題について私は詳しく学んでいませんが、日本の人権運動の歴史的な、いい意味でも悪い意味でもまさしくシンボルであったのではないかという感想・思いがあります。本日の提案された議題の進め方と違うかもしれませんが、シンボリックなものを特別なものとして取り上げていくのではなく、この時代私たちの気づかないところに人権侵害・人権問題があるのですよということを、この審議会、我々自身も気づいていくことが、重要になってきているのではないかと思いました。

同和問題はこれまで素晴らしい解決をなさってきたと思うのですが、これだけを取り上げるのではなく人権問題の1つとして考え、それ以外にも私たちの周りにこれだけ色々な問題があって、1つ1つが同じように深刻なのですと、何らかの形で訴えることができればと思います。

委 員

私は今年で51歳になるのですが、兵庫県で育ちました。中学で初めて人権教育を受けたときに、劇を見て作文を書きました。職員室に呼び出されまして、こういうことを友人に話してはいけないという風な言い方をされました。また、自宅に帰りましたら両親から作文を書いたらしいけれど、悪いことではないが外に出て言わないでという風な押さえ方をされました。それが起点で、どうしてなんだと考えまして、歴然とある差別について、存在が解ったのであればなぜ語ってはいけないのかと思いました。

それから人権とか女性の問題とかやっておりますが、侵してはいけないものの基本となるところが同和問題の中にある、同じ人間として問題だとずっと思っていました。ジェンダーの問題にしても、ハンディキャップが体にあってそれを克服しながら侵していけないものを侵されるのは、別なものだとずっと思っていました。

今日、お話を聞きまして、資料にもありますが1兆何千億という巨費を投じたにもかかわらず、住環境は良くなったが、心の壁は未だにとれていないわけです。一方、特別視してはいけないということが頭の中に育ちつつあるのですが、やはり、この問題を解決していかなければ、委員もおっしゃったようにあらゆる侵害というものを克服していけないのではないかと思っています。特別視するわけではなく、個人的なことですが、受けた教育の中で、大切に考えなければならないという思いがすごくあります。
他の人権問題と比べるわけではないのですが、この同和問題を解決できたならば、あらゆる人権侵害を解決できるのではないかと思っています。

委 員

確かに、今おっしゃったように日本の場合は、同和問題に対する取組が、あらゆる人権侵害の解決の先頭的な役割を果たしてきたことを素直に認めなければならない。また、必要なやり方だったと認めなければならない。人権啓発の観点からも貴重な運動だったと認めなければならない。

ただ先程から先生方が言われたように、同和問題を解決したとは皆決して思っていない。同和問題には物的な面でさえ、残っている所はまだまだあります。この点について押さえるべきは押さえないといけないし、心理的な差別だけでなく実態的な差別についてもまだ残っているという現実を押さえなければならない。

将来に向かってどういう風に考えていくかということについて、捉え方として他の差別と違いがある、従って違った対応をしていかなければならないんだということについて、個別的な対応は別として一般的な考え方としての対応、これについて特に違った考え方をしなければならないとか、そういったところを基準としておっしゃっていただければありがたいのですが。

委 員

違った対応ということについては、私も今は考えていません。本当に腰を据えて、ものを真正面から見て、そして残っている心理的な精神的な構造というものをいかにして克服するのかということに重点が置かれていますが、それの解決に向けて具体的にどういう風にできるでしょうか。

学校現場において環境が良くない、生徒たちに学力をつける、そしてその子たちが自信を持って動くことで成果が上がる、どんどん解決して進んでいったと思います。だから姿勢という点では、いくつか差別がありますということではなしに、1つに腰を据えてやっていくべきだと、現場にいたときに思いました。

今、我々が置かれている立場というものは、懇話会の先生が十分審議なさって、社会づくり条例というのを作ってくださって、それに基づいて組織された審議会であるということです。前文にも社会的門地・人種ということで並列的に書かれ、あるいは人権施策基本方針というものも具体的にこういうことを考えなさいということです。それぞれの立場のものが、私の申し上げたような考え方でこの場に臨み、少しでも思いが反映して頂いたらいいのではないかと思います。会長がおっしゃっているような形で議事進行して頂いたらありがたいと思います。

委 員 特別申し上げることはないのですが、行政の方々の同和問題に対する施策は成果が上がり、平成14年から一般対策の中でということで、いい時期だという風に考えます。意識の問題、具体的に言えないのですが、同和の意識の問題は世代が変わりますと薄くなると思うのです。そのことについても皆さんとお話をしていきたいと思います。
委 員 先生のお話を始めとして、今後の我々の取組といいますか、同和問題の審議会における位置づけということについてお話願いたいと思います。
委 員 NPO等の熱心にやっている団体がどういう形で連携もしくは協議するか、一緒にやるかということについて、かなり明確に書く必要があると私は思います。県があって、市町村があって、すぐに県民ということでは、とても県民まで届かないと思います。
県民の意識ということがどこにあるかです。やはり、NPOという自主的な団体と協力して、いかにやるかということを、きちっと書く必要があるのではないでしょうか。これを今後の論点として1つ発言いたします。
委 員 先程から、委員の先生方のお話によれば、多くの方は、やはり人権問題として捉えるべきであるということ、特殊な問題として考えることは適当でないということで、私達は把握したのですが、そういうことでよろしいでしょうか。もちろん、違いということは十分あると思いますが、人権問題であり、人権問題以外の何ものでもないのだという捉え方で進んでいくということです。
委 員 資質的な違いはないと、ただ、ウエイトの置き方については、やはりその状況によっていろいろありえるだろう。
委 員

先程からいろいろ言いますように、対策事業自身が特別対策事業から一般対策への移行の仕方というのが、はたしてどのように、どの程度できるのかということについて私は非常に疑問に思っています。国や、地区指定というのは度外視していった方がいい。どのような対応の仕方をするのか疑問に思うところがある。そこらは行政として考えていって頂かなければなりません。

今、先生が言われたところの、その個々に対して、どのような捉え方をし、どのような対応をしていくかを審議会で考えていく。ただ、差別ということの質として、特別の考え方をする必要はないということが、大方の先生方の意見ということでよろしいでしょうか。

事務局

いったん、事務局から発言させていただいて、よろしいでしょうか。若干、その説明についてお聞きしたいことがあります。
我々行政側としては、これからも同和問題をやっていくわけで、その特別対策事業を一般施策でするという話が誤解されていたらまずいと思い、説明しました。同和問題に対して同和行政を進め、取り組んで参るわけですが、我々が説明して参りました法律が三本ありまして、そういう法律を作って、特別対策事業をやるんだということが無くなったということだけご了解ください。

もちろん、議長からお話がありましたように地区の指定が無くなっているということがプラス・マイナス大きな問題として残るわけですが、同和行政はやっていくんだという話を、まずご理解を賜りたいということです。

それから、今回これからとりまとめていただくこと、救済の部分を入れるべきという話もございましたが、そういうところを大いにご指導賜れればいいと思います。

同和行政をやっていくうえで、ご提言されたことですが、私ども国民の責任だ、国家の責務だということでやってきたわけですし、これからも、そこにスタンスを置いていかなければならない。なかなかその基本スタンスが定まりにくいところがありまして、ご議論をうかがって、私自身が不十分になってしまいました。最初、政治起源説ではないというお話がありました、そうなってきますと、それが特別の法にどう結びついてくるのか、あるいはこれから先の行政がどう進めていくのか、私は個人的に非常に難しい問題を抱えたと思って、さっき混乱したところがありました。もう一度先生、ご説明をお願いします。

委 員

その点についてですが、具体的な啓発活動の中の一つとして、例えば我々がこの本をつくった時に、いろいろ議論がありました。私なんかは、そのような過去の問題を、分厚い本に取り上げて、何の足しになるのかと反対でした。
それよりも前を向いて進むべき方向を、もっと的確に捉えるべきだと思っていました。私というよりも、かなりの委員の意見だったのですが。違いということを捉えることは必要だと思いますが、起源説をそんなに深く大きく取りあげることが必要かどうかというと、多分に問題だと思います。

先程、私自身が完成時のという言い方をしましたが、解説していただいたとおり、現代につながる近代という前提がある。さかのぼろうとすればいくらでもさかのぼれる。いろいろとさかのぼっていった場合に、政治起源説ということで、要約していいようなものかどうか。その点について考えていった時に、さかのぼったことが意味がないように思った。

これからあなた方が啓発する点についても、今ここで出ている意見というものについて、十分に念頭に置いていただきたいと思います。

委 員

同対審答申のさっき読んでいただいたところでなので、我々は歴史学者でもないので、そこへ入っていこうとは思わない。今の考え方から言うと、政治起源説をとなえていく人は、現状ではむしろ少なくなってきているかもしれない 。
現実に人権を侵害されている人達がここにいるという状況を作り上げているのは、すべてその人以外のみんなに責任があったという形で考えていくとすれば、組み立てはできると思います。 政治起源説をとったから政治家が悪いとか、あるいはその国民がそれに乗っていったとか、そこへきちんと原因と結果を持っていく状況ではない。同対審答申自体がそうなのです。歴史には深くかかわらない。

しかしことわっておきますが、今、差別を受けている人たちは、紛れもなく同じ日本民族なのに、こうして差を付けてきたということになれば、それはオールロマンス以来ずっと、行政の大きな責任があり、それに乗っかった国民全体の任意的なものとして、2つが相まって差別してきたということになります。行政の側でもあるいは県民の側での責任ということについては、どの人権侵害であったとしても、理解していいのと違うかなと思います。内容を政治起源説の、どの説をとったからというところへ、持っていかなくてもいいと私は思います。

委 員

それと、同和委員会が政治起源説をとなえて、そして非常に強行に、説明をしていた。また「寝た子を起こすな」というのは間違いなんだ、ということで、固定した一つの考え方になっていたと思いますが、それ自身をこれから反省するべきものであると思います。かつて、同和委員会がこうあるべきだと言ったことを、もう一度考えなおす時期にあるのだ、そういう考え方をして欲しいと思います。かつての、同和委員会がやったこと、これがそのままやはり承継しなければならないと考えてもらっては困ると思います。

今、先生方から出ている意見というものが、これから作るべき同和問題に対する対処の仕方なんだという把握の仕方をして頂きたい。あるいはまた、この審議会は何回開かれるか解らないが、そういうふうなことのあり方についても、いろいろ問題になってくると思う。

我々としても、例えば今の行政というものが、同和委員会を解散し、また人権懇話会の方で立ち上げるべく、予定したところの線に果たして乗っているかどうかというふうな点についても、非常に疑問に思います。そういうところについて、これから追々やっていかなければならない。

これまでの同和委員会と言いますか、同和室がやっていた仕事の役割が非常に大きかった。その大きかった同和室の役割が今現在、県行政の中でどういうふうな組織で承継されているかというと、前回の時にふれたように、果たして機能できるような承継の仕方をしたのだろうか。おそらく民間の方達もその点において疑問に抱いておられるのではないかと思いました。そういう点について追々これから議論、意見が出てくると思います。しかし、先程言いましたけれど、これが解決策だという例では決してないです。

委 員

これは、議長が冒頭に注意深く、同和問題のみならず、他の差別も全部作られた差別だという風に、明確におっしゃいました。同和問題が解決しなければならない国民的課題とすれば、他の人権問題も等しく同じです。行政が責任を持って解決しなければいけないのが同和問題だとすれば、他の人権問題だって同じことだと、こういうふうな議長の認識で先程おっしゃったのかと思って、理解してきました。

それから今議長がおっしゃった事と同じことですが、私達は同和委員会が全然何のことかわかりませんので、あまりそんなことを言われても困ります。ここでの議論というのをよくお聞きくださりたいと思います。

委 員

別に政治起源説を、私は批判するつもりで言っているのではなくて、個人としては私は反対ですということです。しかし、そのことをここで議題にするつもりはありません。今後十分に、人権、同和問題をどうするかということを話し合うことができますから。

私は同対審で国民的課題というのが実は嫌いなんですよ。国民的課題ではないです、これは人類社会の課題ですから。国民という枠を設定せずに、その枠をはずしてしまってはどうでしょうか。このような枠を付けているから、外国人に対して、国民ではないと言って、差別したことになるわけです。そこのところは、同対審にそう書いてあるが、これにこだわる必要はないと思います。

委 員 それから先程から、「行政の責務」と「国民的課題」という言葉がよく使われますが、これは、かつて同和委員会当時に発行した冊子を基準にしておっしゃっているのではないですか。あれは改訂してしまったのです。
同対審答申では、国の責任となっていました。それが今現在でもそのとおりだということで、これからもやっていこうということなんですか。
委 員 この「人権文化の創造」というここにある本を手にとっていただきたい。今の国民的課題ということを言わないでおこうとか、あるいは実態的差別・心理的差別という分け方をもうしないでおこう、そんなこと分けたことによって同和問題を何か違うところへ持っていってしまったのではないだろうかという反省がいっぱいあります。ちょっと、読んでおいて頂ければありがたいです。
委 員 同和問題が解決したから同和委員会解散に達したわけでは決してないということ、そこをはっきりとさせたい。何か我々の認識が共通なものになっていない気がします。
委 員

先生がおっしゃったように、いわゆる人権をどう守るか、予防していくかという前の部分と、そして相談支援・救済までの状況を全部両方やっていこうという中で、同和地区・同和地区住民という言葉をそのままにして進んで良いのでしょうか。

昭和48年だったか和歌山県の同和教育基本方針が出されました。あの基本方針についての、改訂の予定とか、そのようなことは教育委員会であるのですか。あの文章の前文の中で、「同和対策事業特別措置法の主旨」に対してという形で、今は無くなっているこの法律をどう進めていくかという形の中で、同和教育基本方針を策定するという形であるとしたら、まさにその全体を人権条例でやっていこうというときに、この学校における同和教育という形で書いているものが、まさにこの同和教育だけでやっていくことになります。先生がおっしゃったように今までは同和教育というものを中心に置いてこの教育をやることによって、ほかの人権侵害がうまくやれるであろうという、信念の元にこれ一本で来た訳です。そしてまた、大きな成果をあげた。しかし学校の教育も、今では同和教育というかたちであれば、先生方が非常にやりにくくなっている。人権というかたちで、同和を抜きにして、その他の人権だけを語るようやっていける状況になっていると思うのです。そんなかたちでやっていけるのか。あるいは、同和教育というのは依然として今までどおりに学校教育基本方針のままでやっていかれるのか。でも、それはちょっとこの法律もなくなっているという状況からすると、具合悪いのではないかなという思いはあるのです。この2点。

委 員

先程、先生が言われた救済の問題ですが、救済ということの定義、救済の対象となる人権侵害は非常に制限されたものです。救済ということの意味は、そういうふうな限定された事象に対する救済だけではなくて、広い意味での救済のことをおっしゃっていると思います。

確かに、法務省の方にも人権擁護委員会があります。この人権擁護委員会というのはある程度の会員があり、活動できる形になっていますが、これも曖昧な存在になっております。人権救済の方は、私たちに任しておけ、そういうふうなあり方になっています。それは、救済の手続きの中において、民に任せておいた場合には、ある意味ではかえって人権侵害が起こるのではないかという恐れからです。
私たちに任せておけというようなことで大きな問題については、役所の方でやるんだという形です。役所の方というのは、我々がいうところの、独立した機関でなくて法務省になっている。これは、公正忠実な第三者機関というパリ原則の理念というものから全く離れてしまった存在になっている。こういうところに救済を任していいものだろうか。少なくとも我々が預かるところの人権問題については、それとは違ったような救済機関というものが必要ではないだろうか、これが先生のおっしゃった主旨だと思います。

そういう風なところを、どういうふうに考えていくかと言うことが必要と思います。

委 員 法案がこの秋に国会で審議されることになると思います。今、会長からご説明ありましたように、人権委員会というのは、法務省の外局という形で一応離れて活動します。おそらく人権救済の問題というのは、それが中央にあって、全国8つの法務局の所在地に支部みたいのがあって、さらに和歌山なんか大阪法務局管内でやっていくところもあるわけです。まだ決まっていないのですが、そういう組織ができて、人権擁護委員の中でも、一部の人がそれに携わる方向になろうかと思います。全員ではなく一部の人が携わることになるということです。
委 員

今までの県の同和委員会の同和問題への取組につきまして、一言説明させて頂きます。同和委員会というのは、県に同和委員会があり、各地方に同和委員会があり、さらに各市町村に同和委員会というのがある、啓発組織としての非常に大きな組織であったと思います。同和問題の解決のために活動していた同和委員会というのを解散しましたが、それをどういう方向付けで解散したかということをお話しします。

今ここでご審議に上がっているように、基本方針、あるいはまた政策方針そういった問題についての意見・提言をしていくという役割を同和委員会がもっていたわけです。同和委員会の持っていた政策提言といった分野については、審議会に任そうということになりました。そこで先生方には今言った基本問題について取り扱ってもらうということになっています。そしてもう一つ、同和委員会では、いろいろな啓発の実践を担当していました。その啓発の実践分野については、和歌山県人権啓発センターの方へ役割をまわしました。言いかえれば、色々な基本的な方針を審議する機関というものと、実際の啓発教育を扱う分野とに振り分けしたわけです。振り分けした結果が、現在のような状況になっているわけです。先生方にここでお願いしたいのは、基本方針について審議しながら、ご意見を承っていこうということです。同和委員会を解散したことの方向付けとはそういうことです。

また、同和委員会の担っていた分野は、今まで同和問題だけということでした。しかし、同和問題だけということで、果たして同和問題が解決するのだろうかということになりました。人権問題として捉え、人権問題の解決ということによらなければ、同和問題自身も解決しないのではないか。そういう観点から、同和委員会というものを解散し、広く人権委員会という形にしていこうというのが、今申し上げたような形です。そういった形にしていきたいという経緯がありました。

先程申し上げたように、同和委員会には地方同和委員会がありました。その地方同和委員会は、市町村の同和委員会をその地方ごとに束ねていました。具体的に言えば、市町村の同和委員会は教育啓発を担ってきましたが、いろいろな弊害もあり得るということから、市町村とのつながりを一度断ち切った。お金の流れにしてもこれを断ち切ったわけです。そして根本的に同和委員会というものを解散したということです。ただ、市町村におかれた下部の同和委員会というものが、名前をほとんど人権委員会に変えていますが、その組織があります。その組織とあり方をどういうふうにするべきかということが非常に大きな宿題になっているわけです。解散したことによる宿題ということになっていますので、将来いろいろご意見を聞かねばならない問題だと思っております。

それともう一つはお金です。お金については、人権擁護に関する改革があり、これは国の問題になるのですが、国民的な責務という意味で、国の方から予算がきます。その予算が法務局の方から県につく、そのような流れ方というのは、今しばらく続くのではなかろうかと思います。法務局、あるいは法務省という一つの行政機関から流れてくるわけです。その行政機関との関係というものをどういう風に保っていくかということです。端的に言えば、法務局なり、また地方法務局なりと各地方法務局にある人権擁護委員会というものと、県の組織というものとをどういうふうに繋げていくかということです。この役割分担をどういう風にしていくかということです。これも検討していかなければいけない問題です。そういうことが宿題になっていたわけです。その点大変重要になっていると思います。

もし、その点について地方は現在どんなふうになっているのかという点でお話があれば聞かせていただきたいと思います。

とりあえず、今日はこれで終わりたいと思いますが、皆さん方ご予定あると思います。この次どういうふうにしましょうか。事務局の方はどのような予定でございますか。

事務局

2つお願いしたいことがございます。1つは、次回の審議内容についてでございます。そして、もう1点は今後の審議の開催日程についてです。

次回もしよろしければ、長寿社会推進課で所管しています高齢者の関係と、障害福祉課で所管しています身体障害者と知的障害者について、お願いしたいと考えております。障害者にもうひとつ、精神障害者があり、障害福祉課ではなく健康対策課の所管でございますので、ハンセン病とか難病の関係の時に併せてお願いしたいと考えております。次回は高齢者と、身体障害者、知的障害者の関係の2点についてご審議をお願いしたいと思います。

委 員

今の同和問題についても、まだまだいろいろご意見承らなくてはいけないのですが、一度、ざっと各種の問題というものを、一とおり認識にしていくということが、建前と思うのですが、今日のような提案でどうでしょうか。

高齢者、身体障害者、知的障害者の関係ということですが、私自身感じるのは、現在の実態でいえば精神障害者の方が問題になっている面が多いのではないでしょうか。時の流れというのはおかしいですが、新聞紙面から報じられているものから2つほどあります。だからどちらかといえば精神障害者を先にやっていく方がよろしいかと思いますがどうですか。皆様が一番気にしてられるのは、精神障害者の問題についてだと思いますから。

事務局 わかりました。事務局の方で調整するようにします。
委 員 今日の同和問題でもそうですが、審議会でどういうことをするのかという問題提起があればお願いしたいと思います。
同和問題でも、何かあったら考えていきたいのですが。次回は、高齢者の問題、身体障害者の問題を扱うと言うことですが、フリートーキングで進むのでしょうか、方向付けか、何かないのでしょうか。
委 員

一番最初に申し上げたように、当面は基本方針の策定ということになります。しかし、この審議会において、われわれが取り上げていく問題ということで考えたのが、基本方針の作成だけではなく、その時その時に起こってくる人権問題について、それについての対応ということです。基本方針に類似するような方向付けが必要ではないかとのことでやっています。

当面の目的というのは基本方針の策定ということであり、各委員として認識を共通にしておいて頂かないと、結論の出し方というものも、問題があると思います。そういうことでそれぞれの認識を共通にすることが大切だと思います。

委 員 どういうことを論ずればいいのか、何について話したらいいのか戸惑いがありました。そこへ出た話題について言ったら良いのかも知れませんが、基本的には基本方針をどうするかというのが大きなテーマですね。
委 員 現在起こりつつある問題を、県として、県民として、放っておくことができないというのが人権問題です。それに対応する我々の意見等を述べることも、一つの責務というか、役割の中に入ると思います。
委 員

一つには、県の既存のプランなり、あるいは施策が前に進んででき上がっているものがあります。一方、今日の犯罪被害者などは人権の分野としてあまり語られないし、県警だけが進んでいるという形で、県行政が遅れています。

既にある物とそれから無いものとを、率直に分けていただいて、そして認識を共通にしようということが、初めにあったと思います。こうして資料をいただくと、同和行政はこんなにできている、それに対して、犯罪被害者の方は何も無いというようなかたちでいくのが、我々に必要な部分ではないかと思います。一番最初のところで、人権問題としての取組がこんなに進んでいる、あるいは取組が遅れているということも、率直に言って頂いたらどうでしょうか。

委 員

各先生方は非常に熱心にやって頂いています。先生方は非常に積極的にご発言頂いて感謝しています。

本日はこれで終了したいと思います。皆様、ありがとうございました。

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