平成7年2月 和歌山県議会定例会会議録 第6号(中村利男議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

○議長(平越孝哉君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 21番中村利男君。
 〔中村利男君、登壇〕(拍手)
○中村利男君 登壇することのお許しをいただきましたことを、厚く感謝申し上げます。
 質問の前に、去る一月十七日未明の阪神・淡路大震災でお亡くなりになりました方々に、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された方々に対しましても、心からお見舞いを申し上げます。
 さて、これが私にとりまして最後の質問になろうかと思いますと感慨深いものがございますし、またただいま和田正人議員からは心のこもった温かいお言葉をちょうだいいたしまして、本当にありがとうございました。感謝を申し上げます。
 登壇するに当たりまして、今まで試みた質問の原稿を整理してみました。やはり、水産問題が一番多かったように思います。中でも一番印象に残っているのが、昭和五十九年七月、熊野灘一帯を襲った大規模な赤潮の発生であり、串本町から新宮市に至る沿岸海域の漁業、特に養殖漁業に壊滅的な打撃を与えました。紀伊半島の南部は外洋に面し、赤潮の心配は少ないものと信じていただけに、漁業関係者にとっては大きなショックでありました。
 県は、直ちに緊急対策本部を設置し、知事を先頭に現地の水産試験場の皆さん、また水産課職員の皆さんが不眠不休のご努力をされていたことが、今も強く印象に残っております。我々県議会も臨時議会を開き、幅広い角度から種々検討を重ね、今後の対策について当時の高橋経済部長にお尋ねをいたしましたところ、今回のごとく赤潮が広範に、しかも長期化し、被害額が日を追って拡大するさまを見るとき、天然、自然に対する人の力の無力さを痛感し、その対応の難しさを啓示された感がいたします、このように答弁され、自然の猛威の前には決め手となるような適切な対応ができなかったことを述懐されておりました。
 「災害は忘れたころにやってくる」と言います。どうか、過去の教訓と経験を生かされるように十分ご留意賜りますよう、お願いをいたします。答弁は求めません。
 次に、捕鯨問題についても数回質問させていただきました。
 質問するに当たり捕鯨の歴史を調べておりましたところ、明治十一年十二月二十四日、太地の捕鯨史を大きく変えるようなセミクジラの捕鯨に係る大遭難事故が発生し、陸奥宗光のいとこである長坂邦輔、後の岡崎邦輔が、当時新宮警察署長であり、遭難漁民の捜索と救助のため海軍省に軍艦の出動を求めました。そのころ新宮地方には電信電話がなく、県庁へ飛脚便を飛ばすなど、大活躍をしております。また、新宮署長当時、岡崎邦輔らしい、極めて豪快といいますか痛快といいますか、そんなエピソードのあったことも和歌山県警察史を通じて知ることができました。こんなときは、大変楽しい思いに浸らせていただきました。
 また、和歌山県議会の名において国に対し、捕鯨存続等に関する意見書及び要望決議書を過去三回提出いただいたことに対し、地元の議員として感謝を申し上げます。
 さて、和歌山県民にとって、やればできるという自信と勇気を与えてくれたのが、昨年大成功をおさめた世界リゾート博と、いま一つは昭和六十三年十月、那智勝浦町をメーン会場に開催された日本文化デザイン会議ではなかったかと思います。
 日本文化デザイン会議については、県庁所在地からはるかに遠い熊野地域での開催であり、果たしてうまくいくのかどうか心配をいたしたところでありますが、仮谷知事初め関係された皆さんのご努力、ご協力によって見事に大成功をおさめることができました。そして知事はフィナーレに際し、「まかれた種は大事に育てていきたい。熊野に文化の灯がともされた」、このように締めくくっておられました。
 せっかくともされた熊野文化の灯を育てていくためのよりどころとなる熊野学研究センターについて、現在、幅広い分野から検討が進められております。平成四年二月には那智勝浦町において梅原猛先生を座長として「熊野を語るフォーラム」が開催され、また昨年三月には白浜町において「熊野学の推進に向けて」のシンポジウムが、そして来る三月十一日には那智勝浦町で「熊野学への結集を求めて」のシンポジウムが開催されます。
 その間、講師の先生方からは、それぞれのお立場から熊野への熱い思いが語られる中で、例えば博物館といった具体的な構想も見え隠れしておりますが、日本の原郷熊野を知事はどのようにデザインされようとしているのか、お伺いをいたします。
 さて、県議会の先輩・同僚の諸先生方、そして議会事務局長さん初め事務局在籍の皆さん、大変お世話になり、ありがとうございました。また、仮谷知事さん初め、知事部局の皆さん、教育委員会、公安委員会初めそのほかの委員会の皆さん、大変お世話になりました。ありがとうございます。心から感謝を申し上げます。
 県会議員選挙も目睫に迫ってまいりました。全員ご当選は間違いないと思いますが、どうかお体には十分お気をつけられまして圧勝されますよう心からご祈念申し上げまして、ごあいさつといたします。どうもありがとうございました。
○議長(平越孝哉君) ただいまの中村利男君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 中村議員にお答え申し上げます。
 ただいま中村議員には、今期をもって引退されると表明されたわけでございます。四期十五年余にわたりまして県政のためにご努力いただきましたこと、心から厚く御礼申し上げますとともに、今後とも体に十分留意され、別の角度から県政のためご支援賜りますことをお願い申し上げたいと思います。
 それから、熊野学研究センターの構想実現に向けて知事はどのようなデザインを持っているかということでございます。
 熊野学研究センターについては、現在、県と東牟婁、西牟婁郡の二市十四町村で組織する実行委員会をつくっておりまして、有識者の意見を聞きながら基本的な考え方を検討している状況でございます。
 和歌山県には、熊野や高野山を初めとして日本を代表する歴史、文化資源が数多くございます。特に、国際日本文化研究センターの梅原猛先生が言われるように、熊野は日本の原郷として、海に山にすばらしい魅力を備えたところでございます。熊野地域の歴史、民俗、文化、宗教、森林、海洋等、どれ一つをとっても十分に学問的な対象となり得るものでありますが、それぞれの分野を総合的な観点からとらえて一つのまとまった地域学として研究していこうとする試み、これが熊野学研究センターの構想そのものでございます。まだ、学問的には確立されていないわけでございます。また、広範な分野にわたるだけに、その展開についても、今後とも多くの学識経験者の力を得ながら研究を進めていかなければならないと思っております。
 現在の熊野学研究センターの考え方といたしましては、一つには、新しい地域学としての熊野学を研究する機能、二つ目として、熊野の魅力を映像や演示により効果的に提示して体験する機能、三つ目には、熊野学の研究活動を促進し、人的物的ネットワーク化を図るとともに全国に熊野を情報発信する文化的機能の三つの機能が考えられると思っております。今後、地域学として何を研究し、どのようなものを展示し、体験していただくか、またどういう文化的事業を行っていくのか、まだまだ検討の段階でございますので、地元の方々はもとより、学識者の意見を聞きながら具体的な構想をまとめてまいりたいと考えておる次第でございます。
 いずれにいたしましても、熊野は古代より熊野信仰の聖地として多くの人々を引きつけ、今日においても日本人の心のふるさととして再び注目を浴びているところでございます。県としては、市町村を初め学識者、関係の皆さんのご意見を聞きながら、また協力を得ながら、地域の活性化に結びつく熊野学研究センターの建設、実現に向けて積極的に検討、研究を進めてまいりたいと思っております。
○議長(平越孝哉君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(平越孝哉君) 以上で、中村利男君の質問が終了いたしました。
 これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
○議長(平越孝哉君) この際、暫時休憩いたします。
 午前十一時十二分休憩
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