平成6年2月 和歌山県議会定例会会議録 第2号(大江康弘議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

平成六年三月九日(水曜日)

○議長(宗 正彦君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 38番大江康弘君。
 〔大江康弘君、登壇〕(拍手)
○大江康弘君大変久しぶりの登壇でありまして、どういう質問をしようかなといろいろ私なりに考えたわけでありますけれども。
 この壇上に登ってくるまでには大変長い道のりがあります。いろんなところからいろんな皆さんが、もうそういう質問はやめてくれとか、これは堪忍してほしいとか。そういうことをかき分けて、この壇上に参りました。三年ぶりの登壇でありますから、いささか耳の痛いこと、また昨今の時代の流れの中でいろんな激変がありましたから、そういうことも含めまして、本日申し上げました質問に入らせていただきたいと思います。
 きょうは、大変多くの県民の皆さんが傍聴に来られております。県政バスで来られた皆さんも、たまたまきょうの二番目の私の質問と時間が合ったわけですが、傍聴の皆さんが「県会というのはあんな議員しかおらんのか」という思いにならないように、ひとつ頑張って質問をしたいと思います。
 実は、きょうは四番目に、十一年間この同じ議場で友情を分かち合いながらあすの県政を互いに夢を見、希望を持ってともに切磋琢磨してきた我が友人・石田真敏議員が、志新たにして県議会を去る最後の質問をされるということを聞きました。私がいろんなことを申し上げて、もし──今までは野党席から議事進行が出て五回ほど議会がとまったことがあるわけですが、今回、議事進行が出るとすれば自民党の皆さんから出される可能性もあるんじゃなかろうかなと。しかし、お互い道は違えども、仮谷県政を支えて和歌山県の将来のために血肉を削ってやっていくんだという気持ちにはいささかの違いもなかろうと思いますし、私も岡本県連会長のもとで、至らぬ身でありましたけれども、自由民主党のためにという思いと日本国家のためにという思いで十四年間自民党員としてやってきたことの事実は、どうかひとつ自民党県議団の皆さんもご理解をいただきたい。
 たまたま、昨年の六月の政変以来、私どもは自由民主党を離党して五名で新生党県議団・開政クラブをつくらせていただきました。近親憎悪という言葉がありますが、裏を返せば、それほどお互いが今まで仲よくやってきたことでもありますし、我々地方にあって国のことを云々するということはこれまた非常に距離の遠いところもありますけれども、もはや今、地球の裏側のことがもう一分以内にリアルタイムで届くという時代の中で、我々がこれから真の地方の時代を求めていくに当たって、どうしてもこの国の流れというものは的確に把握をし、それをいろんな決断の中心に置いて考えていかなければならないということは、ご理解もいただけると思うのであります。
 私は、前段申し上げましたように、そういう中で石田議員と十一年、相交わってまいりました。やはり、若くして政治を志すということ、そして若くして政治家になるということは大変なことであります。そして、一年、二年、三年、四年と、まさに大木が年輪を刻んでいくがごとく、一年一年の経験がその人の人間の幅を大きくし、成長していくという過程は、お互い人生の中で当然のことであろうと思います。
 石田さんが今求められてみずからの政治の生き方を変えるということについて、私は大変な決断であっただろうなとも思いますし、やはり男が、政治家が一たん決断をしたのであればおのれを捨ててその道に邁進していくという、私はこの心意気に打たれる一人であります。
 私ども新生党といたしましては、今回の海南市長選挙に当たっては今立候補を予定されておる両名の方の推薦はできないという決定をさせていただきましたが、十一年間の友情、そして石田議員の真摯な今日までの活動を見せていただいた一人として、私は心から友情の声援を送りたいと思う次第であります。石田議員の最後の質問のご迷惑にならないような形で質問をやらしていただきますので、よろしくご理解をいただきたいと思います。
 知事、「疾風に勁草を知る」という言葉をご存じですか。──私がときどき難しい言葉を言えば、知事は不思議な顔をする。「あいつ、何であんな難しいことを知ってるんかな」と。そういう顔はどうかひとつやめていただきたい。私も、本も読めば、時間があればテレビも見るわけですし、十五年もこの県議会でやらしていただきましたら、それなりに知識も頭に入ってくるわけであります。
 この言葉は、荒れ狂うあらしの中で、何が信念なのか、何が真実なのか、そうした信念のもとに、吹き荒れるあらしにも負けないで一本だけ高原に残っておる草のことを言うそうであります。前段申し上げましたように、昨年六月の国の変革以来、私はこの「疾風に勁草を知る」という言葉を絶えず自分の心のそばに置きながら政治を進めてきた一人であります。
 今、日本に求められておるのは何か。私は、いろんなことがありましても、自由民主党が五五年体制の中で今までやってきたいろんな施策というのは大筋において決して間違いがなかったと認める一人であります。しかし、なぜ私ども五名は昨年六月にあえて自民党を離党いたしたのか。大きな傘の中でおるのは楽であります。雨にも当たらない。風にも吹かれない。しかし、政治家というのはまず行動を起こすということ。暖房が効いた部屋で温かいコーヒーを飲みながら、テレビに写ってくる画面を見て、ああでもない、こうでもない、そういうことを言って世の中が変わっていくのであれば政治家は要りません。評論家がやればいい。政治家に求められるのは、なぜ今行動をしなければいけないかという、私はこの一点であろうと思います。批判は後で聞けばいい。何もせずに、ああでもない、こうでもないと言うことだけでは政治は前へ進んでいかないのではないかなと私は思うのであります。
 我々五名は、経験も浅いし、また政治的な思慮も浅い者ばかりでありますけれども、県政を思う気持ち、国を憂うる気持ちはだれにも負けないと自負をしておるものであります。その中で、時の流れというものはだれにもとめられるものではない、時の流れというのはだれも避けて通れるものではないということを、この八カ月間、感じてまいりました。
 細川内閣が、「ガラス細工」だとか、やれ「八頭立て」だとか、いろんな批判を受けながらも、今まで五五年体制の自由民主党の一党支配の中でなし遂げることができなかったことを、今一つ一つそれぞれが知恵を出しながら解決いたしております。
 知事は、この八カ月間の細川内閣の軌跡をどう評価し、判断されるのか、まずお聞かせをいただきたいと思うのであります。
 その中で、今回の予算編成作業について、今までは自由民主党が中心に作業をやってまいったのでありますが、この平成六年度の予算編成作業は、連立政権になってから初めてのことであります。そこで我々も、地方で連立政権を支えていかなければいけないと思う同志が相集い、この議会で四派連絡協議会というものをつくりました。座長は公明党県議団の森本明雄先生であります。この不況の中にあって、仮谷県政がひたむきに県民の福祉の向上やふるさとの発展を求めようとして頑張っておるその行為に我々も何とか力になれないものか、政治家としての使命を果たすことができないものかという思いの中で、たまたま今申し上げた連立政権の初めての予算編成作業で、「この機会に我々のこの新たな思いをぶつけることが我々に与えられた使命である」という認識で一致をしたのであります。
 諸般の事情でおくれましたけれども、ことしは二月十日に大蔵省の内示がありました。この政府予算の内示に基づいて、毎年県は東京事務所に予算獲得のための事務所を開設されます。我々も、二月十日一時の開所式に、森本座長、松本議員、私、そして野見山議員と、四名が出席をさせていただきました。このときに大変申しわけなく思ったのは、たまたま連立政権を支えておる中西、二階、西の三代議士が非常に忙しくて開所式に出席できなかったということ。自民党のお二人は来ていただいておりましたけれども、私どもの議員は非常に忙しかったので出席をさせていただけなかったのは大変申しわけなく思うわけでありますが、翌日の新聞を見ましたときに、各会派のコメントが載っておりました。これは二月十一日付の朝日新聞でありますが、そこのくだりで──もしこの記事が間違っておったら問題があるなと思うわけですが、やはり新聞というのは公器でありますから、そんなにうそは書かないだろうと思って、この記事を読ましていただきます。
 「一方、自民党県議団は今のところ上京の予定はない。『今さら陳情しても効果が上がるものではないだろう』(宗正彦・同党県連幹事長)と覚めた目で見ている」──「同党」というのは自民党であろうと思います。
 私は、もしこの記事が本当であれば悲しいことだなと。私も十四年間自民党でお世話になった一人として、毎年毎年、予算陳情時に東京へ参りました。そういうことが効果がなかった──議長、済みません。議長の悪口を言うているんじゃないですよ。しかし、自民党という今まで日本の国を支えてきた大きな党の県連幹事長のコメントというのは、大変大事なものであります。公党の幹事長としてのコメントは当然──百歩譲って、今の中央でのお互いの力関係ですから、自民党としてはまあおかしくはないかなというふうには思うわけでありますけれども、しかし、四十七名の議長という立場を考えていただくならば、我々議員が願ってやまない本県の発展のために、お互いが力を合わせて東京に行って、一万円でも二万円でもよその県より予算を獲得してこよう、仮谷県政の発展になるのなら一つでも二つでも多く事業をもらってこようと思って東京へ行ったことについて、一刀両断に「効果が上がるものではない」と言われた。これは、私は大変寂しい思いをした一人であります。
 この場でこのコメント云々というのは適切でないと思いますけれども、県民の皆さん、我々は決して、あの二月十日から十二日まで東京へ遊びに行ったわけではないのであります。細川政権が初めて試みた平成六年度の予算編成作業に当たって、「何とか和歌山県のために」という思いで、我々四派連絡協議会の十四名が陳情をし、国会の先生方にお願いに行ったわけでありますから、どうかひとつこの点はご理解をいただきたいと思うのであります。
 こういう我々の行為を仮谷知事はどう思っていただくのか、そのことをお聞かせいただきたいと思います。そして、五五年体制からずっと自民党が中心になって続けてきた予算編成作業と今回の連立政権が行ったこの予算編成作業において、和歌山県が予算編成をする上でどのような違いがあったのかもお聞かせをいただきたいと思います。
 また、我々が陳情に上がったときの朝食会に西口副知事が出席をしていただきました。これも二月十三日の朝日新聞の記事でありますが、「苦しい立場」として「両方に気遣わねばならず、行政マンとしては苦しい立場です」との副知事のコメントが載っております。最近、大変おやせになったのはそのせいかな。あちらを立てればこちらが立たず、まあ行政の立場というのは私もわかるわけであります。
 しかし、何度も言いますが、お互いだれのためでもない。今こうして平成六年度の予算を審議しておるのも、日ごろいろんな批判の中で政治活動をしておるのも、お互い個人のためではない。自分たちの地域のために、自分をこの議政壇上に送ってくれたふるさとの人のために、そしてあとの体の半分は、お互い力を合わせて仮谷県政を支えて和歌山県の発展のためにという思いでやってきておるのではないでしょうか。私はそういうことに思いをいたしますときに、今回の予算編成作業にはいろんな投げかけられた問題が多くあったと思います。
 しかし、どうか早くこの予算編成作業になれていただきたい。ことしもこの形で行きます。連立政権が予算編成をさせていただく予定であります。私も、自民党の皆さんがいま一度政権をとってまた予算編成をやっていただくことを期待申し上げる一人でありますが、なかなか難しいのではなかろうかなと。さすれば、県の皆さんももうこんなお気遣いは要りませんから、この編成作業にきょうからなれていただいて、来年連立政権がつくり上げる平成七年度予算を和歌山県の発展のためにいい意味で生かしていただく努力をひとつ今からしていただきたいなと思います。
 最後に、この予算編成に当たりまして、私は知事に所信、感想を聞かせていただきたいと思います。
 それは、基本的なことであります。先ほど言いましたように、八カ月間、連立政権がやってまいりました。もうこの時の流れはだれもとめられない。国民の声なき声が今の連立政権を支えておるのであります。それだけに、知事も政治家としてもう五期目、いよいよ円熟してきて、これからさらにいろいろと、今手がけていること、また二十一世紀に向けて和歌山県の発展の基になる施策を進めていってもらわなくてはいけない。
 知事は最近、石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」という歌をよくカラオケで歌われるそうであります。まだそこまで回顧をしていただくのはちょっと早いような気もいたしますが、あの歌は大変いい歌詞であります。私は、人生は何が大事かといって、やっぱりいかに青年期にすばらしい先生、すばらしい師匠にめぐり会えるかということであろうと思います。明治維新のときの坂本龍馬は、勝海舟というすばらしい師にめぐり会いました。高杉晋作は吉田松陰というすばらしい師にめぐり会えた。すばらしい師というのは、自分が教える人間のいい面を引き上げる力を持つものであります。そういう意味においては私大江康弘の師匠はさしずめ仮谷志良と、こういうことに相なるのではなかろうかなという気がするわけであります。
 知事、やはり歴史の転換点において、その状況を揺り動かし、そして新しい時代を切り開く役割を担ったのが、必ずその当時の若者であったと思います。振り返れば、源頼朝が古代社会にピリオドを打って中世へ導く役割をしたのが三十四歳。足利尊氏が後醍醐天皇を追い落として武家社会の基礎を築き上げたのが三十二歳。そして、織田信長があの下克上の戦国時代に安定した武家社会をつくろうと行った桶狭間の戦い、当時二十七歳であります。私は、こういう過去の傑物がそれぞれの時代にターニングポイントを与えた年代を見ましたときに、いかに若い人が情熱を持って、理想を持って燃え尽きていったか、今さらながら心深く思うのであります。
 こういう歴史を振り返ってみたときに、知事はこれから和歌山県のあるべき姿を一体どういうふうに持っていこうとするのか、またこういう若い世代に対してどういうアピール、指導をされていくのか、そしてそれをどのような形で政治に生かしていくのか、こういうことをひとつ知事さんの言葉として、もし感想があればお聞かせをいただきたいなと思います。
 いろいろと申し上げましたので、後はそれぞれの項目について質問をしていきたいと思います。
 まず、フロリダについてであります。
 実は、けさ新聞を見ましたら一枚の写真が載っておりまして、思わず目が覚めました。この顔、ご存じですか。(新聞を示す)中西公室長であります。目が覚めました。一体どういうことを述べられておるのかなと思いましたら、ちょうどきょう私がご質問をさしていただくことに似たような内容をコメントされておりました。
 昨年、我々開政クラブは、今本県は山東省、南フランスのピレネーオリアンタル県の二つと友好協定を結んでいるが、これからの国際化の時代の中で三つ目としてフロリダ州との交流を進めてはどうかということを、当地に行かしていただき、そして九月議会で浜田議員から質問させていただきました。
 その後、いろいろ県も対応していただいたそうで、今回、二月七日から十一日間、公室長がわざわざフロリダに出向いて交流を深めてきていただいたということをお聞かせいただきました。公室長が行かれたときの感想、全般的な報告をここでお聞かせいただきたいと思いますし、後で聞いた話ではその帰途にメキシコのシナロア州にも寄られたそうでありますが、ここへはどういう目的で寄られたのかもひとつお聞かせをいただきたいと思います。
 三つ目に、私は串本町の同和対策事業についてご質問をさせていただきたいと思います。
 実は、この串本町の同和対策事業について、私は地元の串本町から二年前にお話を聞かせていただきました。昭和四十四年に同対法が制定をされて以来、今の地対財特法の延長まで過去五回その法の延長を見、今日まで法的な根拠を裏づけとしてこの同和対策事業を進めてきたのは周知の事実であろうと思います。その間、本県は、この国民的課題である同和対策事業に物的事業、非物的事業合わせて九千八百五十五億七千三百万円の予算をつぎ込んで、この解決に努めてきたわけであります。
 今回の串本町の事業は、何とかもう終了宣言をしたい、一日も早く同和問題の解決をしたいという思いの中で二年前に計画したものであります。今まで串本町は、昭和六十一年三月に水産加工の大型共同作業場、そして平成二年八月に発泡スチロールの大型共同作業場をつくっております。水産加工の場合は当初五十人の就労者の予定が今は六十五人、そして発泡スチロールは当初二十五人の予定が三十五人と、いずれも地区の皆さんや地域の皆さんの就労対策の場として大きな成果を上げているのはご存じのことであろうと思います。
 そうした串本町の長い経験と歩みの中で上げてきた今回の同和対策事業に関しまして、私は農林水産部の対応はまことに遺憾なことだなと思わざるを得ないのであります。なぜ今日になっても、これが予算化されて前を向いて進んでいかないのか。もう、足かけ三年であります。一番最初にこの計画書が出たのが平成四年十一月三十日。そしていろいろ県との協議の中で、私は平成五年六月十一日に計画変更の計画書を、町からいただきました。二年前に県にお願いをしておるにもかかわらず、今日まで県から一言の経過の報告もない。そして聞けば、金額が大きいから難しいんだとか、水産同和の予算が足らないからなかなか難しいんだという、どうも否定的な声ばかりが聞こえてくる。
 同和事業というのはそういうものではない。金額が大きいからとか、予算が大きいからできない──予算が小さければいいのか、規模が小さければいいのか。私はそれは、同和問題、同和対策事業を進めていく上での正しい判断とは言えないと思うのであります。
 こういうことについて、所管の農林水産部長を初め、今日まで和歌山県が先進県だと言われて同和対策事業を進めてきた民生部はどういう考えをお持ちであるのか、聞かせていただきたいと思います。
 同時に、昨年の十一月十六日に、馬頭同和対策委員長にお願いして、私も含めて現地の視察もさせていただきました。町長や議会の皆さん、関係の皆さんのご説明、ご陳情を受けたことも、あなた方はご存じであろうと思います。それなのに、国の予算が減るとか、国の予算が足らないからできないとか。そうしたら、なぜ国の予算が減らないような努力をしないんですか。あなた方は政治的な動きというものをすべて否定するわけですか。同和対策事業特別措置法、そして今日までの五回の延長の中での地対財特法、これすべて中央の政治にお願いをしてやってきたことではないですか。
 同和問題というのは、皆さん、町内会の会長が、あの地域が嫌だからあそこを差別しよう、この地域が嫌だからあの人たちを排除しよう、そんなことで出てきたのではないんです。時の権力者が、時の行政の責任者が自分の都合でつくり上げた身分制度が事の起こりであります。
 ならば、同和問題の解決というのは、やはり時の政府が、時の政治に携わる者すべてが解決のために努力をするというのは、当然なことじゃないですか。私の考えは間違っていますか。私はどうも、今回のこの同和対策事業についての県の対応や考え方は、本当に和歌山県は同和の先進県なのかなと疑わざるを得ないような、そういう県の内情であろうと思いますが、いかがですか。
 最後に、この事業について今後どうされていくのか、金額が大きいからもうやめるのか、予算が足らないからやめるのか、そこのところをひとつお聞かせいただきたいと思います。
 もうあと与えられた時間が五分でありますので、最後の人事につきまして申し上げます。
 私は、十五年間、県議会議員としてこの議場でお世話になり、また県でお世話になるにつれて、我々議員ですから、当然いろんな仕事も地元から頼まれます。そのときにいろいろお願いをし、力になってくれるのは、県の皆さんであります。
 県民の皆さんもそんなに不理解はないと思いますが、県の職員の皆さんも大変なんです。夜中、二時、三時まで仕事をしたり、あるいは寝ずの仕事をしたり。この間、私の近くで道路工事がありました。海と海との間の橋をつけかえる工事でありましたが、聞けば夜中の一時からガンガンうるさい。しかし、なぜ夜中に工事をするのかと言えば、干潮にならなければ工事ができないという理由です。朝六時まで土木の技術の皆さんが立ち会って工事をしたそうであります。
 今、三千七百二十三名の事務職、技術職の皆さんがおります。それぞれが与えられた仕事を頑張っていただいておりますが、技術職の皆さんのポストを何とかもう少しふやしてやってもらえないか、そして技術職の皆さんのいわゆる待遇改善をもう少しやっていただくことができないか、こういうことを思うのでありますが、いかがですか。
 そして、毎年陳情のときに思うわけですが、もう少し東京事務所に技術屋の皆さんを派遣されたら建設省や農林省との折衝がスムーズにいくのではないかなと思いますが、いかがですか。これをひとつお願いをし、ご答弁いただきたいと思います。
 最後に、県の皆さんを褒めさせていただいてこういうことを言うのも申しわけないですが、どうも電話の対応がもうひとつ不親切ではないかなという思いがします。
 ただ、ここで申し上げておかなければいけませんが、県庁の電話受付の女性の方は皆さん大変親切であります。朝早く電話をしても、「おはようございます。和歌山県庁です」と、さわやかな声で対応をされ、朝のすがすがしさを醸し出してくれるわけであります。ところが、一たんその電話がどこかの課に通じると、「はい。何すか。──いや、今おりません。おたくだれ」「私、県会議員の大江です」「あっ、ちょっとお待ちください」と。私はこれはいかがなものかなと思います。県民の皆さんにもこういう電話の対応をしておるのであれば県政のイメージにとって大変マイナスでありますから、どうかひとつこのことについて善処方をお願い申し上げたいと思います。
 あと一分であります。いろいろと申し上げましたけれども、仮谷県政の発展のため、和歌山県の発展のために我々開政クラブも──最大与党と自負をしておりますから、数が少ないといってどうかお見捨てにならないように、ひとつご指導をお願い申し上げたいと思います。
 適切なご答弁をお願いして、質問にさせていただきます。ありがとうございました。
○議長(宗 正彦君) ただいまの大江康弘君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 大江議員にお答え申し上げます。
 まず、予算編成についてでございます。
 数々のご意見があったわけですけれども、質問のございました平成六年度の政府予算案については、現下の非常に厳しい経済状況のもと、大幅な税収の落ち込みが見込まれている中で、所得税などの減税を実施する一方、歳出面では景気に配慮するため、一般歳出が低い伸びにもかかわらず公共事業関係費が高い伸びを示しており、生活重視の観点から国民生活の質の向上に資する分野に重点配分された予算であると認識し、評価しておるわけでございます。
 また、連立政権にとって初めての予算編成でございましたので、大江議員から話ございましたように、その対処について県としてもやや戸惑った面もございましたが、連立与党側で各省別の予算チームが編成され、本県の要望についても十分受けとめていただくなど、時宜を得た対応をいただいておるところでございますし、予算獲得につきましては、本県選出の国会議員初め県議会の皆さんのご尽力をいただいて一定の成果が得られたと思っておるところでございます。特に、本県が重点的に要望してきた関西国際空港の全体構想調査費、和歌山大学の理工系学部創設準備経費が復活折衝の中で認められましたことは、県政の長年の念願であっただけに大変喜んでいるところでございます。
 また、お話ございましたように、現下の厳しい政治情勢の流れの中で、知事はどう予測し、どう対応していくかという問題があるわけでございます。
 私は、今は国内的にも国際的にも、かつてない大きな変革の時代を迎えておると思うんです。そうした中で、政治に対する信頼回復の問題、国内経済対策の問題もございます。さらには国際社会において日本がいかになすべきか、経済政策、防衛問題など多々ございまして、そうした問題がかつてない大きな課題として降りかかっているわけでございます。
 そうした中で、話ございましたように、連立政権が昨年八月に発足し、前政権からの基本的政策を受け継ぎながら、それぞれの立場の違いを乗り越えて今日に立ち至っておる、そしてまた与野党一致して国民が期待しておる政治改革への一歩を踏み出したということは、私は大いに意義あることではないかと思います。
 今は、価値観の変貌により経済大国から生活大国へと移りつつある現状でございます。こうした国民的な志向を求めてこれからの政治を進めていかなければならないと考えるわけでございまして、和歌山県においても、こうした大きな変革の時代の中で、大所高所に立って、真に県民の皆さんの幸せとは何か、生きがいとは何かを求めてふるさとを立派なものにしていきたい、いろいろのご提言をいただきながら今後とも努力してまいりたいと思っておるところでございます。
○議長(宗 正彦君) 知事公室長中西伸雄君。
 〔中西伸雄君、登壇〕
○知事公室長(中西伸雄君) 大江議員にお答えをいたします。
 先月、二月七日から十一日間、私たちはアメリカ合衆国フロリダ州及びメキシコ合衆国シナロア州を訪問いたしました。両州との友好を深めるとともに、世界リゾート博覧会に参加していただくため具体的な話し合いをしたわけでございます。
 フロリダ州は、本県と同じく本土最南端の地キー・ウエストを持つフロリダ半島に位置し、アメリカ第四位の大州でございます。現在、人口は千三百万人を超え、面積は九万四千平方キロメートル──本県の約二十倍でございます──北部は温帯、南部は亜熱帯に属し、「サンシャインステート」のニックネームが示すとおり、暖かい太陽の光あふれる州であり、二千百六十キロメートルに及ぶ海岸線はマイアミなどの世界有数の海洋リゾート地を生むとともに、豊富な魚介類がリゾート客にとっても大きな魅力の一つとなってございます。暖かい気候は農業にも適しており、また最近、ハイテクや医療、宇宙産業などの先端産業が盛んな、今アメリカでも最も注目されているすばらしい州だと思ったわけでございます。
 フロリダ州政府は本県との交流に大変好意的で、世界リゾート博についても、より充実した実りあるものにするために州政府としても積極的に協力したい旨の申し出がありました。サザンベルと呼ばれるアメリカ南部の衣装をまとった女性の出演など具体的な提案がありましたので、今後さらに細部について協議を重ねてまいりたいと思います。
 友好提携については、以上述べましたように、ともに半島に位置し、温暖で農業、漁業、海洋リゾートに恵まれるなど、類似性に富んだ両県州でありますので、今後さらに幅広い交流を重ねてまいりたいと考えてございます。
 このフロリダ州との交流については、一昨年九月、スーザン・アイダンソン国際貿易投資局長が来県されるなど、さまざまな形で交流を重ねてまいりましたが、特に、大江議員初め開政クラブの皆さん方が昨年九月、フロリダ州を訪問されて友好を深められたことについては、両県州の交流に非常に意義深いものがあったと思ってございます。
 次に、メキシコ合衆国シナロア州についてでございますが、本県は多くの県民の皆さんの移住を通してメキシコ合衆国とつながりが深く、中でもシナロア州とは五年前、当時のオチョア知事が来県されてからいろいろな形で交流を続けてまいりました。
 シナロア州は、メキシコ北部、アメリカに近く太平洋に接する人口約二百三十万人、面積約五万八千平方キロメートル──和歌山県の約十二倍でございます──の漁業や農業の盛んな州で、最近は特にリゾートに力を入れ、マサトランはメキシコでも屈指の海洋リゾート地となってございます。
 今回、世界リゾート博への参加のお願いに対しても、シナロア州政府からはぜひ参加したい旨の返事があり、特に、ラテンのリズムとカラフルで華やかな衣装で有名な民族舞踏団を派遣したいとの回答を得ることができました。今後、細部の協議を行ってまいります。
 また、シナロア州政府は本県との友好提携についても大変熱心であり、在メキシコ県人会や駐メキシコ日本大使の強いご推薦もございまして、今後積極的に交流を進めていきたいと考えてございます。
 なお、フロリダ、シナロア両州政府の熱意については、仮谷知事にも報告を行ったところでございます。
 私どもは、今議会の知事の提案理由の説明にもありましたとおり、ことしは国際交流が一気に花開く年でもございますし、また花開く年にしなければならないと考えてございます。既に友好提携済みの中国山東省やフランス・ピレネーオリアンタル県に加え、フロリダ州やシナロア州との友好提携も積極的に進め、文化や経済など多くの分野での交流から生まれる新たな創造をつくっていきたいと思っておる次第でございます。
○議長(宗 正彦君) 農林水産部長野見典展君。
 〔野見典展君、登壇〕
○農林水産部長(野見典展君) 大江議員にお答えをいたします。
 串本町の同和対策事業についてのご質問のうち、まず農林水産部の基本的な同和問題に対する考え方でございます。
 同和問題は、憲法に保障された基本的人権の問題であるとの基本認識に基づき、その早期解決こそ県政の責務として、県民の一層のご理解を得ながら、国、市町村と協力の上、推進していかなければならない問題でございます。
 農林水産部としては、各部局との連携を図りながら地区農林水産業の振興と農林漁家の経営の安定を図ることを基本目標として、生産基盤や近代化施設の整備、生産団地の造成等、産業職業対策に積極的に取り組むとともに、同和問題の啓発についても力を入れてきたところでございます。今後とも、法期限内の完全解決に向けて最善の努力をしてまいる所存でございます。
 次に、農林水産業の同和対策事業の取り組みについての考え方でございます。
 農林漁家の経営安定、所得の向上を目的として産業職業対策を中心に事業を実施してきたところであり、今後ともこうした考え方に基づき、残事業の完全実施に向けて懸命に取り組んでまいる所存でございます。
 串本町のヒラメ陸上養殖施設については、これまで事業の実施に向けて取り組んできた結果、養殖施設の建設については国の理解を得てございます。しかしながら、事業効果、事業内容、事業費等について国との調整も必要でありますので、今後、町と十分協議しながら努力してまいりたいと考えてございます。
 次に、県議会同和対策特別委員会の現地調査並びに地元議員の強い要望活動を踏まえ、どう取り組んでいくかというお尋ねでございます。
 これまでも、各般の事業推進については議員各位のお力添えをいただいたところでございます。当事業についても、今後とも議員各位のご指導、ご支援をいただくとともに、関係各位との連携を密にしながら実現に向けて取り組んでまいります。
 次に、当事業の実施に向けての決意でありますが、地区漁業者の生活基盤の確立や所得の向上を図ることが重要であると認識してございます。当事業の実施については、用地の取得や造成の問題、採択上の問題等、解決しなければならない問題がございますので、今後とも県議会のご支援をいただき、国、事業主体である町当局とも連携を密にしながら率先垂範し、早期に事業が実施できるよう最善の努力をしてまいります。
 以上でございます。
○議長(宗 正彦君) 民生部長南出紀男君。
 〔南出紀男君、登壇〕
○民生部長(南出紀男君) 大江議員の串本町の同和対策事業にかかわるご質問のうち、民生部関係についてご答弁させていただきます。
 まず、二点目の民生部としてこの同和対策事業についてどう思うか、またどう対処するかという点でございます。
 同和対策事業については、政府各省庁の広範囲な分野にわたって事業実施が図られており、県においても総合行政という立場から、直接的にはそれぞれ関係する所管の部課において計画的に実施されるものでありますが、民生部としては総合調整の役割を果たしながら、本事業の早期着手ができるよう努力してまいりたいと考えてございます。
 三点目の同和対策事業実施に当たっての基本的な判断基準についてでございますが、同和対策を進めていく上で、その事業が真に同和問題の解決に向けて必要な事業であるのか、また関係者の経済的自立を促進する事業であるのか、そうした点を見きわめ、さらには事業効果や事業内容等が適切であるかを勘案しながら実施してきているところでございまして、今後も引き続き、国の予算確保に努めながら事業推進を図ってまいりたいと考えてございます。
 六番目の串本町の同和対策事業を民生部としてどう進めていく意思があるのかとのご質問でございますが、民生部がかかわる串本町の大型共同作業場は、農林水産省所管の陸上養殖施設に関連する加工施設として計画されたものでございまして、養殖施設を前提とするものでございます。しかし、厚生省事業として雇用人員、事業採算性を勘案しながら共同作業場の事業実施が図られるよう、国に対して積極的に対応してまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(宗 正彦君) 総務部長木村良樹君。
 〔木村良樹君、登壇〕
○総務部長(木村良樹君) 人事に関するご質問にお答え申し上げます。
 技術職員の職についてのご質問でございますが、県庁組織として見ると、数多くの職の集まりという形になっております。これらの職に、事務職、技術職のいずれの職員を配置するのが適当であるかということについては、その職の職務内容等を勘案しながら決定しているところでございますけれども、ご指摘の点も踏まえ、今後とも変化する行政内容を見きわめながら、どのような職の体系が適当であるかということについて検討してまいりたいと考えております。
 それから、同じく東京事務所に技術職員を常駐させた方がいろいろな事務が円滑にいくのではないかというご指摘でございます。
 現在、東京事務所行政課の職員については、職務の内容により事務職員を配置しているところでございますが、ご指摘のように、担当省庁によっては技術職員の方がより適当であるというようなことも考えられようかと思いますので、今後の検討課題とさせていただきたいと思います。
 最後に、電話の応対についてのご指摘でございます。
 職員の電話対応については、常に親切かつ丁寧に接するよう職員に対して指導を行ってきているところではございますけれども、ただいまご指摘のような点もございますので、そういう趣旨に沿い、改めて主管課長会議や職場研修の場を通じて、不適切な電話の対応を行うことのないよう職員に対して周知徹底を図ってまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(宗 正彦君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(宗 正彦君) 再質問がございませんので、以上で大江康弘君の質問が終了いたしました。
 これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
○議長(宗 正彦君) この際、暫時休憩いたします。
 午後零時二分休憩
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