平成3年9月 和歌山県議会定例会会議録 第5号(浜本 収議員の質疑及び一般質問)
県議会の活動
午前十時六分開議
○議長(山本 一君) これより本日の会議を開きます。
──────────────────
○議長(山本 一君) 日程第一、議案第百十二号から議案第百三十六号までを一括して議題とし、議案に対する質疑を行い、あわせて日程第二、一般質問を行います。
43番浜本 収君。
〔浜本 収君、登壇〕(拍手)
○浜本 収君 一つ目はオーストラリアの木曜島における日本人墓地と慰霊塔について、二つ目は県選挙管理委員会発表による有権者の増減、主として減を中心に見た紀南の浮上について、三つ目は原子力発電問題、南紀用水と日置川町と題し、三点の質問をいたします。
私は、戦前、多くの紀南の人々がアラフラ海の真珠採取に働きに行かれたことを知っておりましたが、この七月二十五日、オーストラリアの総領事館で木曜島と日本人墓地について勉強してきた盟友貴志代議士から話を二時間ばかり聞きました。準備不足は百も承知の上であったが、まず元ダイバーであった串本町内の方々、すさみ町の方々とお会いしてその当時の状況を聞き、また木曜島についての記録やエッセイ、新聞記事、文学書等をにわか仕込みで走り走りに読みながら、八月十二日から八月十八日まで、議長のお許しを得てオーストラリアに行ってまいりました。その目的は、木曜島における日本人墓地と慰霊塔についてであります。
私は、八月十四日朝、八時十分発の飛行機で目的の木曜島に向かう。乗客三十六人乗りのプロペラのセスナ機は心細い限りだったが、雲海の下にコバルト色の海が広がり、点在する無人島を見おろしながら、二時間後、無人駅のようなホーンアイランドの空港に着陸。日本の夏はオーストラリアでは冬というのに、真夏のような太陽が照りつける。十分後、小屋のような待合室の前に用意されたマイクロバスで港に出て、小舟に乗って藍色の海を十分ばかり爽快に走り、十一時、目的の木曜島に着く。
オーストラリアの北端に位置する木曜島は、三・二四平方キロ、人口約二千三百人の小さな島。前在ブリスベーン総領事・岡丸正二氏は、「木曜島は遙けく。」の一文に、こう記述する。「想えば、日豪往来の第一ページは、南海の小島木曜島に始まった─中略─海は、まことに広く真に碧く、数多い島の一つ一つがその経てきた過去を秘める。試みに地名を拾ってみても、トーレス海峡の名は、一六〇七年、この海峡を発見したスペイン人ルイズ・バエス・デ・トーレスに因むスペイン名。海峡の根っ首を圧えるポゼツション島は、一七七〇年、タヒチのイギリス日食観測隊輸送任務を終えての帰路豪州東海岸を北上して、ここにたどりついたキャプテン・クックが英国領有を宣明し、豪州領有の先鞭をつけた歴史的な島である。 海峡に散在する大小いくつかの諸島の中心が、木曜島であるからには、金曜島も、水曜島もあり、キャプテン・クックが上陸した曜日を島の名前にしたのが定説となっている」。
さて、木曜島の桟橋には、領事館のお世話で日本人の高見さんという方とビリー芝崎さん──お父さんは新宮の三輪崎の出身であり、向こうの方と結婚をされて二世といいますか──この二人が出迎えてくれ、その二人の案内で、私は直ちに日本人墓地と慰霊塔に向かう。
「虹の国のアルカダシ」の著者・茂木ふみかさんは、日本人墓地と慰霊塔について次のように記述する。「北向きに開けた台地の草叢に点在する墳墓は、長い年月の潮風にさらされ、土台は、落ち込み、墓標は朽ち滅び、傾き、ときには巨大な蟻塚が骸の上に、どっとあぐらをかいている。これが、明治から大正・昭和へと祖国の繁栄のために命を懸けた真珠の尖兵の墓とは、余りにも哀しく無残である─中略─もちろん、中には立派な墓もある。しかし、多くは、貧しく働き者の少年達が青春を埋め尽くしたこの島に、家族も作れず死んでいった淋しさは、草葉の蔭という言葉が、いかにも悲しくふさわしい墓となって残っている。墓標に消えに消え残る『紀伊の人十九歳』などという文字も痛々しい。若者の多くは、潜水病による事故死だという。道端に近く、木曜島移民百年を記念して、建てられた慰霊塔だけが、際立って立派に整えられている」。
八月十四日正午、照りつける太陽のもとで私は、持参の線香と久原脩司先生──現新宮高校の先生です──から届けられた線香を慰霊塔に供える。白御影石の慰霊塔の高さは二メートル五十、重量八トン。黒御影石の文字盤がはめ込まれ、その題字は和歌山県知事仮谷志良の達筆で、碑文は次のように記されている。「この慰霊塔は、このトーレス海域において死亡された約七百名の日本人の霊を慰めるとともに、彼等の功績を後世に伝えるために、建立されたものである。日本人は一八七八年から一九四一年まで、北部オーストラリヤの基幹産業であった真珠貝、高瀬貝、ナマコの採取漁業に雇われ、島の人々と共に活躍し、漁場の発見、漁法の改良を通して、この漁業を発展させた。この塔は、和歌山県・愛媛県を中心に、彼等の遺族や郷土と、この漁業に従事した人々、この海域の真珠養殖会社等の寄付により、日本人来島百年を記念して、ここに建設した」。慰霊塔建立の意義はこの碑文に要約されているが、私は、いま少し立ち入って、慰霊塔建立の経過に触れてみることにする。
この慰霊塔の除幕式は、昭和五十四年(一九七九年)八月二十二日、現地木曜島で行われた。当然のことながら各新聞社は、全国版と和歌山版で大きく報道した。記事の概要は、次のとおりであります。重複をいたしますが、「明治十一年、島根県人・野波小次郎さんが木曜島へ渡航したのを皮切りに太平洋戦争まで、アラフラ海を舞台に日本人ダイバーが真珠貝採取に雇われ、危険な潜水作業や重労働に従事した。しかし、明治三十一年に漁業法が改正され、貝を採取する船の所有は英国人のみに限定された。また排斥運動もあったが、その中で潜水技術の改良や漁業の開拓などを続けた。木曜島は、その漁業の中心地。全盛期の明治三十一年ごろには日本人漁民は千人を超え、島の人口の六割を占めた。日本人町も栄え、太平洋戦争までに、わかっているだけでも延べ七千人が働いていた。うち五千人は紀南の人たちで、愛媛県、広島県、その他の県を入れて延べ二千人に達したと言う。しかし、潜水病などの犠牲者も多く、アラフラ海一帯で二千人近い日本人が死亡。木曜島の墓地には墓碑名もろくに読めない、朽ち果てた約七百人の墓があった」。
昭和五十年夏、西南太平洋学術調査隊の特別隊員として島を訪れた、先ほど申し上げた新宮高校の久原教諭は、四十日間にわたり、荒れほうだいの約七百基の墓を調査。オーストラリアの裁判所の資料から、ここで亡くなった五百二十五名の名前を確認したが、墓標で氏名の判読ができたのは百七十基にすぎなかった。久原教諭は、帰国後、調査報告書をまとめる傍ら、この見捨てられた日本人墓地について、二年有半にわたり、いろいろな会合やダイバー等の出身地を回りながら慰霊碑建設を訴えた。その努力が実を結び、県知事仮谷知事を名誉会長とする慰霊碑建設会が組織され、当時、和歌山県議会の下川議長、大江敏一副議長もこの会に名を連ねているが、和歌山県、広島県、愛媛県などの遺族や関係県市町村などから一千万の募金が集まり、慰霊碑は完成した。
昭和五十四年八月二十二日の除幕式には、オーストラリア・クィーンズランド州知事、関係大臣、久原教諭を初め、新宮市三輪崎の浜口宇之次郎会長ら、百五十人が参列した。故早川代議士は式場ですばらしい演説を行ったと聞いてございます。また、当時木曜島で生活されていたただ一人の元ダイバー藤井富太郎さん──串本町有田の出身の方です──がこの慰霊碑の建立に献身されたことは、今も島民の記憶に新しいところであります。
以上、大ざっぱな経過に立ち、以下、墓地と慰霊碑についての感想を述べ、質問をいたします。
この墓地の維持のため、日本政府は年間七万五千円を支出しておりますが、この状態では年々荒廃していくことは火を見るよりも明らかである。建立されて既に十二年目の夏を迎えた立派な慰霊碑だが、地下の変動のためか、慰霊碑にひびが入っており、何らかの対策が必要と思われる。また、慰霊碑の前面道路の改良はぜひ必要と思われる。墓地を取り巻くもう一つの道路──こんなことを言っても現地に行っていない人にはわかりにくいのですが、丘から下る荒廃した道路は環境整備の上からもぜひ改良しなければならないという、極めて常識的な感想を持って帰ってまいりました。
以上の三点について、和歌山県は国際親善、国際交流の立場に立って今後の調査を進めながら、関係当局である日本政府、オーストラリア政府、関係の州、木曜島当局と十分話し合いを進め、その対策に乗り出すべきだと私は思う。知事の見解を伺う次第であります。
二つ目の問題に移りたいと思います。
県選挙管理委員会は、九月二日、同日付で、登録された県内の有権者数を発表した。それによれば、総有権者数は八十二万一千百四十七人で、去年を六千五百九十七人、〇・八一%上回った。この十年間の伸び率では、去年に次ぐ二番目の高率となっている。
有権者がふえたのは二十六市町村、減ったのは二十三市町村で、伸び率が最も高かったのは那賀郡岩出町で、去年より九百七十六人ふえた。県選管は、分譲マンション、賃貸借住宅建設に伴う人口増の影響と見ている。宅地開発による人口増のあった橋本市、那賀郡貴志川町でも伸びが三%前後で、高かった。三%の花園村は、有権者数が少ないところへ企業の保養所ができたなどで、去年より十六人ふえた。
逆に減った市町村は、新宮市を初め、東牟婁郡は七カ町村中五町村、西牟婁郡も七カ町村中五町村、日高郡は十町村中五町村、有田郡は五町中二町、伊都郡は五町村中三町、那賀郡は六町中一町、海草郡は三町中一町であります。これらの郡市関係で全体として減少したのは、新宮市マイナス〇・一三、東牟婁郡はマイナス〇・四九であります。
ちなみに、西牟婁郡七カ町村では五町村が人口減となったが、上富田町、白浜町の二つの町でわずかに人口がふえたため、西牟婁郡は辛うじてプラス〇・〇九増となっているが、特徴的に言えることは、県南部での人口減少傾向が目立っているということであります。もちろん、各市町村ではそれぞれの地域の創意工夫を凝らし、県関係機関ともども不断の努力を払っているところでありますが、現状では、人口減少傾向にあるこれらの市町村は今後とも人口減少は免れない状況にあります。
そこで私は、まず県選管の発表によるこの有権者数の増減、特に減少傾向についての分析と今後の基本的な方策を伺うものであります。
二つ目、さきのTAP90''s(第五回観光立県推進地方会議)における瀬島龍三氏の観光に関する所見によれば、「この紀伊半島三県は極めて雄大な光景であると思います。そしてこの雄大な自然の中に、歴史的、伝統的、文化的な資源がちりばめられております。那智勝浦付近の熊野権現、那智大社、那智の滝等々は、皆、歴史的な資源です─中略─宿泊の施設とか交通の整備など、現状では一応できております。したがいまして、この地域は二十一世紀に向かって観光振興という大きな潜在力を持っております」という感想を述べ、この潜在力を誘発していくのは、まず第一に交通問題の解決だ、この解決が潜在力を誘発していく起爆剤であろうと言及されておりますが、これはひとり観光問題に限らず、すべてに通じることであります。
今さら瀬島龍三氏の所見を述べるまでもないが、この方は生まれて初めてこの地に来たと前置きして話されただけに、改めて重要な提言だと思うからであります。そして瀬島氏は、「勝浦は東京から六時間。これを四時間に直したら、うんと違ってくるだろう」と具体的に言及されております。
ただいま、明春三月のダイヤ改正と車両の改良を目指し、名古屋─勝浦間を四十分短縮しようとの試みがJRを中心に行われようとしていると聞き及んでいるが、それらが実現すれば所要時間は五時間二十分となる。そういった点についての県の努力を促すものであります。
ちなみに、平成三年から平成五年までの県の第二次中期実施計画を読んでみても、鉄道を中心とする交通体系の整備改良の視点は不十分であり、決定的に弱いと痛感しているが、紀南を中心とする鉄道に関する今後の方策をあわせて伺うものであります。
「能登はいらんかいね」の一節に、「汽車は昔の各駅停車」とあるが、それは時に旅情を誘うことはあっても、地域の活性化、活力ある政治にはつながらないことを、この際、付言しておくものであります。
三つ目、平成六年に向かって今、県は、新白浜空港の用地買収を初め関連事業に鋭意取り組んでいるところであり、特に現地建設事務所長を初め職員の皆さんの旺盛な努力に敬意を表するものであります。しかしこの空港は、単に観光的視点から取り上げるのではなくて、この周辺の物産、特にフラワー、フィッシュ、フルーツ等の農林水産物を運ぶ空港としての側面をより強化すべしと私は思う。スマートな「臨空産業」という言葉の響きを実質的なものとするために必要な措置を今から十分検討すべしと思うが、所見を伺うものであります。
四つ目、去る八月二十二日、田辺市、新宮市、東西牟婁郡の県議十二名はそれぞれの市町村長と一堂に会し、国道四十二号、田辺─新宮間の改良促進協議会(仮称)を結成したところであります。ご承知のように、この四十二号線はまことに曲折の多い道路で、防災面での整備、混雑解消の整備、道路線形幅員の整備等が急がれねばなりません。「観光道路はこれぐらいにして、ぼつぼつ国道を走ってよ」ということをバスで来られたお客さんが時々言われると聞きますが、まことに曲がりくねった国道であります。
また、本年正月早々、すさみ町は見老津の黒島地点で片側の山が三十メートルばかり崩れて通行不能となり、迂回した車はそのために二時間以上かけて予定地に着くなど、またその復旧に十日間を要したが、この四十二号線は南に下るほど不備の箇所が多いことを、この際、指摘しておくものであります。
「初めに道があったのではない。人々が歩くことによって道ができた」、魯迅の言葉であります。また、「オール ローズ リード トゥ ローマ(すべての道はローマに通ず)」という言葉は、その昔、花開いたローマ文化の発揚を意味するが、道路行政はまさに政治の根幹であると言っても言い過ぎではないと思う。せっかく当日出席された磯村土木部長の四十二号線にかける今後の決意と方針を伺うものであります。答弁によっては再質問をいたします。
最後に、「原子力発電立地政策と日置川町」と題して質問をいたします。
去る八月三日、仮谷知事から社会党県本部に対し、今次知事選挙について推薦依頼のあったことは既にご承知のとおりであります。詳細は省略し、特に原発問題について、これを担当した私案と県本部社会党の提案は次のとおりであります。「原発問題については、過去の経緯にかんがみ、住民合意が得られない限り、これを実施しない」。この原案を提示する中で最終的に合意した協定は、「原発問題については、過去の経緯にかんがみ、地元住民の合意を十分尊重し、対応する」であります。
協定に至る双方の意見交換と話し合いの経過は省略するが、「過去の経緯にかんがみ」とするこの過去の経緯とは、紀伊半島における二十有余年にわたる原発賛否のそれぞれの激しい運動展開の中で、立地予定地にされた県内五カ所はことごとくつぶれ、特に三年前には日置川町に反原発を町是とする町長が誕生し、さらには昨年、日高町における比井崎漁協の海上事前調査拒否に連動する反原発町長の誕生となったが、こういった過去の経緯は既に県民周知の事実であります。
これらの過去の経過を総括するならば、地元住民の合意の成否こそが本問題の最大の要因であったことは、だれの目にも明らかなところであります。そしてこの歴史の歯車は、もはやもとには戻らないのでありますし、また戻してはならないのであります。したがって、意味合いは別にしても、地元住民の合意を十分尊重して対応するという認識に双方が立ったのは、けだし当然であります。
県は第四次長計に原発推進を掲げてきたが、現時点では推進・実施したくともできなかった、できないものは実施すべきではないという論理は、原発推進、原発反対のいずれの側に立ってみても、それが和歌山県における現実であります。現実政党であるとよく言われますが、この現実をどのように認識するか、この際、率直に答えられたいのであります。
二つ目、日置川町における原発問題とあわせて、南紀用水問題に言及し、質問をいたします。
今、平静を取り戻した日置川町市江地区の漁民は、この月末から操業予定のエビ網の作業に余念がない。午後三時過ぎ、近くの入り江にエビ網を入れる。朝五時、エビ網を揚げる。そして、この作業は約二週間続けられる。その水揚げは、一戸当たり百万円を下らない。だから、間違っても放射能でこの海が汚染されるようなことがあってはならないと漁民たちは言う。生活に立脚したこの原発反対の市江地区住民を包む日置川町民による原発反対の会は、町民とともに原発ノーの町長を選択した。それから二年目、町長は町の世論の動向を見守る中で、その秋──昨年です──行われる全国スポ・レク大会を機会に、町の美化と歓迎の意味からも、原発推進、原発反対の両組織に対し、それぞれの看板の撤去を要請した。席上、原発反対の会は直ちに快諾をしたが、推進派はこれに応じなかった。そして、この要請は不成立に終わったのであります。しかし本年七月、日置川町営テニス会場で開催された二千名参加の近畿高校軟式テニス大会を前に反対の会は「反対」の文字を消し、観光宣伝を兼ねた看板の塗りかえを自主的に、全町的に実施した。そして、それに連動して推進の会も、今、ようやくその看板の塗りかえを行う運びとなった。本日以降から行われると聞いてございます。
一見、ありきたりの営みに見えるこれらの動きを県はどのように判断されるか。「大衆は愚鈍にして賢明なり」と言います。こういった動きをどう判断されるか、ひとつその所見を伺っておくものであります。
にもかかわらず、関西電力は今なお、この秋にも、年中行事のように五千円会費の福井原発へのバスツアーを行うためのキャンペーンを行っている。今、冷静さを取り戻そうとしているこの町とその周辺町村への関電のこのような試みは決して成功せず、水泡に帰すであろうと、あえて断言しておくものであります。
昨年、国、県は、二十有余年進めてきた日置川町に係る南紀用水事業を、ある日、一方的に取りやめた。この一方的な措置について、南紀用水をつくってほしいという推進側も、これはいかんと言って反対した側も、唖然とした。一片の新聞を見てびっくりした。日置川町は三年前までは、町の基本方針の二本柱のうちの一つに南紀用水事業の施策を掲げた。もう一つの柱であった、ご承知の原発立地政策は町民によって否決されたが、南紀用水事業は国の一方的な事由でほごとなったのであります。無責任な措置であります。
それにしても、町民がそれぞれの立場で関心を持ち、時にはその賛否の運動に打ち込んできた二十数年は何であったのか。昭和四十二年、私が県議会議員選挙を戦うに当たって、ようやくこの問題が大きな政治問題となった。南紀用水に賛成するのか、南紀用水に反対するのかと。そして、その沿線の道路には、用水反対、賛成の看板がかけられた。それは二十数年前のことであります。そして、それぞれの町、議会においても、その賛否について、時には激しく、時には静かに闘われてきたのであります。しかしそれは、昨年、県、国の一方的な都合で「やめた」となったのであります。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」──過ぎ去ったこと、取りやめたことについて、今さらその理由を聞こうとも思わないし、それを述べようとは思わない。事情はどうあれ、南紀用水事業や原発立地といったこれらのプロジェクトは国や外部資本から持ち込まれたものであり、県もまたそのことに関連して力を入れてきたことも事実であります。そのためにおくれたと言っても過言ではないこの町の活性化に県は特段の配慮をすべしと私は主張してはばからない。知事の見解並びに企画部長、農林水産部長の答弁を求めるものであります。
終わります。
○議長(山本 一君) ただいまの浜本収君の質問に対する当局の答弁を求めます。
知事仮谷志良君。
〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 浜本議員にお答え申し上げます。
木曜島と日本人の墓地でございますけれども、浜本議員には墓地並びに慰霊塔を訪問していただき、心から厚く御礼を申し上げる次第でございます。
話ございましたように、昭和五十四年八月に、久原さん、浜口さんを初め関係者の皆さんやアラフラ真珠株式会社、また県会議員の先生方が中心となり、県も協力して慰霊塔を建立したわけでございます。そして、当時、早川代議士にも国の代表として、また県の代表として行っていただきました。
現在は、日本政府がオーストラリア軍管区に委託して維持管理に努めているところでございますけれども、先ほど、現状では良好な状態ではないという話を聞き、心を痛めているところでもございます。
今後、この処置をどうするかという問題につきましては、国に対しても整備を強く要望するとともに、関係県の愛媛県等々、また関係市町、アラフラ真珠株式会社等、関係の皆さんとも十分協議させていただいて検討してまいりたいと思っております。
それから、県選管発表の有権者数から見た減少傾向の分析と方策の問題でございます。
有権者総数で見ますと、この十年間においては昨年に次ぐ二番目の高い伸び率となっておりますけれども、議員ご指摘のとおり、その大きな要因となったのは那賀郡及び橋本市の大阪府との隣接地域でございます。
一方、減少傾向にある市町村は、地域別に見ると、紀南地方を初めとする内陸部が中心となっております。その要因として県外への人口流出による社会減などがございますけれども、企業誘致や工業団地の造成、地域の特性を生かした産業振興を推進している市町村においては増加しているところもございます。
今後の対応をいかにするかということでございますけれども、まず第一に農林水産業の振興を図るとともに、既に紀南地方においても十九社の企業が進出しているところでもございますので、さらに海岸部、内陸部のそれぞれの特性を生かした、リゾート観光を初めとした企業誘致をより積極的に推進することが必要ではないか、そして若者が定住できる町づくりを重点施策として取り組むことによって若者の流出の防止並びにUターンを推進してまいりたいと考えているところでございます。
それから、日置川町の活性化の問題でございます。
日置川町は、古くから木材の町として栄えたところでございます。しかし、黒潮国体を契機にしてテニスの町として定着してまいりましたけれども、当町の活性化は、八八%を占める豊富な山林資源を生かした総合レクリエーション基地の整備ということが最も必要なことであります。また、最近でき上がった良好な日置港を生かした企業誘致、泉都白浜に隣接しているという特性を生かしたリゾート開発、さらには白浜のジェット化を生かした農林水産業の振興を図っていくといった積極的な対策を進めることが必要ではないかと存じております。
こうした観点から、日置川町においても積極的に取り組んでいただくことを期待するとともに、県としてもできる限りの支援をしてまいりたいと思っております。
他の問題は、関係部長から答弁させていただきます。
○議長(山本 一君) 企画部長川端秀和君。
〔川端秀和君、登壇〕
○企画部長(川端秀和君) まず、紀南の交通体系の整備の問題についてお答えを申し上げます。
紀南地域の交通利便性の向上は、県土の均衡ある発展のためには極めて重要な課題であると考えております。鉄道はもとより、道路網、南紀白浜空港、さらにはヘリコプターの活用等、総合的な観点から取り組んでいるところでございます。
このような中、JR東海において、来春からは関西、紀勢本線の特急南紀号に新車両を導入することにより、名古屋─紀伊勝浦間を四十分短縮するという計画を進めていただいております。
紀勢本線を初めとする鉄道につきましては、輸送力あるいは定時性等々から地域にとって極めて重要な交通機関であり、県としても事業者に対し、輸送力の増強、利便性の向上等について働きかけを行ってきているところでございます。
紀勢本線につきましては、特急くろしおの新大阪・京都駅乗り入れの実現、その増便等の成果を得てきたところでございます。また、特急くろしおの揺れの解消を図るための試験運行等を行っていただいているところでございますが、今後なお一層、JR西日本に対し、過日の輸送力強化促進委員会でのご意見も踏まえ、田辺以南の複線化、線形改良、新型車両の導入等、輸送力や利便性の向上を図るよう強く要請してまいりたいと考えております。
次に、原発問題についてお答えを申し上げます。
第一点は、日置川町における原子力発電所の立地問題についての認識はどうかとのご質問でございますが、現時点では、県の三原則の一つである地元の同意が成立している状況にはないものと認識しております。
第二点は日置川町内における最近の動静についてのご質問でございますが、議員お話しの事柄については、町民の皆様の自主的なご判断に基づくものと受けとめております。住民の意向を尊重するという立場から見守ってまいりたいと存じてございます。
以上でございます。
○議長(山本 一君) 商工労働部長中西伸雄君。
〔中西伸雄君、登壇〕
○商工労働部長(中西伸雄君) 県南部の交通と観光振興についてでございます。
さきに開催した紀伊半島観光立県推進地方会議においても、紀南地方の観光振興を図る上で交通アクセスの整備が重要であるとの意見の一致を見たところであります。それだけに、明春、JR東海が名古屋─紀伊勝浦間に新型車両を導入して所要時間が四十分短縮されることや南紀白浜空港のジェット化整備がされることは、観光振興を図る上からも非常に効果があるものと期待をしております。
県といたしましても、こうしたことにあわせ、地元市町村等とも連携をしてキャンペーン等の展開を行い、紀南地方への観光客の誘致に努めてまいりたいと考えております。
以上でございます。
○議長(山本 一君) 農林水産部長若林弘澄君。
〔若林弘澄君、登壇〕
○農林水産部長(若林弘澄君) お答えいたします。
まず、南紀白浜空港のジェット化に向けた臨空産業への取り組みについてでございます。
航空機輸送による農水産物の販路の拡大は、農業並びに漁業の活性化にとって重要であると考えてございます。このため、県といたしましては、既に県長期総合計画の中に、臨空農業の推進、サン黒潮園芸産地の形成として位置づけ、積極的に生産団地の育成に努めているところでございます。
当地域の特性を生かした空輸品目といたしましては、カスミソウ、ガーベラ、スターチスなどの高級切り花や、野菜ではエンドウ、ミニトマト、また果実では完熟ミカン、ハウススモモなどに加え、高鮮度が求められる青梅など、さらに漁業ではイセエビなどの高級魚介類が考えられることから、これらに加え、新たな品目の導入も検討しつつ、なお一層生産対策の強化が必要であると考えてございます。
今後とも、各種の施策を積極的に活用し、高品質周年供給産地の育成を図るとともに、予冷施設や保冷施設の整備など、関係団体ともども流通体制の強化を図り、臨空産業の振興に努めてまいる所存でございます。
次に、日置川町と南紀用水事業の関係についてでございます。
昨年十月末、日置川町議会全員協議会に国、県、田辺市が出席し、それぞれの立場から南紀用水事業の縮小、すなわち日置川取水断念の経緯、さらには今後の農林水産業の取り組みについて説明させていただき、ご理解を得たものと受けとめてございます。
この問題につきましては、日置川町並びに町民の方々に種々ご苦労をおかけしたことも承知しておりますが、その背景には、ミカンを初めとする厳しい農業情勢の大きな変化があり、やむを得ないものであったと考えてございます。
こうしたことから、今後は町当局の意向を踏まえながら、地域の農林水産業の振興について一層努力してまいりたいと考えております。
以上でございます。
○議長(山本 一君) 土木部長磯村幹夫君。
〔磯村幹夫君、登壇〕
○土木部長(磯村幹夫君) お答えいたします。
まず、新白浜空港と臨空産業についてでございます。
ジェット機の就航により、プロペラ機に比べて貨物輸送能力は約六・五トンと約三倍強に増強され、また時間も短縮されることから、臨空産業にとってすぐれた立地環境を生むこととなり、今後、県民の皆様方にジェット機就航による波及効果等について熟知していただき、より関心を持っていただくよう働きかけてまいりたいと思います。
次に、国道四十二号と紀南地方についてでございます。
道路整備は本県の重要課題であり、鋭意取り組んできているところであります。中でも国道四十二号は、県南部において重要な幹線道路であります。
国道四十二号の田辺─新宮間につきましては、昭和四十四年に一次改築が完了しております。しかしながら、地形、地質の厳しいところが多く、防災上、交通安全上、問題のある箇所が少なからずございます。このため、国においては、皆様ご承知のとおり、順次道路改良を進めてきており、現在、田辺バイパス、日置川道路、広角道路、那智勝浦局改、郵便橋両岸の交差点等の改良事業が実施されているところであります。
また、平成四年度予算には、都市計画道路那智勝浦新宮道路が新規事業として大蔵省に要求されたところであります。
今後、県といたしましては、去る八月に結成された国道四十二号改良促進協議会を初め、関係各位のご支援をいただきながら、異常気象時通行規制区間等、交通隘路区間の改良を国に強く働きかけてまいります。
以上でございます。
○議長(山本 一君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
43番浜本 収君。
○浜本 収君 私は先祖代々白浜でありますし、観光客と白浜の歴史といった立場で物事を少し調べてみたのですが、奈良朝時代に三人の天皇さんが山坂を越えて牟婁の湯へ入りに来た。これは観光客とは言えないので、これからの話には余り関係がないのですが、そのころは皆歩いてきた。そういったことは別として、紀勢線が開通して白浜駅ができたころに白浜の町が栄え、人口がふえた。そして、やがて町名が「白浜町」に変わる。子供のころ、「黒潮列車はきょうも待って」とか「バックミラーの片えくぼ」といった歌が明光バスに乗れば流れていたことを覚えております。そういった交通の動向と人口の増、そして特に観光地における観光客の増、これらを最も端的にあらわしたのが新大阪乗り入れであります。
町民の皆さん、まあ私もそうかもわかりませんが、余りそのことの効果というのか──ことしの夏も白浜にお客さんが物すごく来られた。駐車場はないわ、どうにもできないほど町にたくさんの人が来られる。もちろん、マイカーの問題はございますけれども、しかし基本的には新大阪乗り入れが大きい。サファリがあるじゃないか、何があるじゃないか、白浜はいいじゃないかと、そういった観点を持った方が今なお白浜の人々の中に少しあるようでございますが、そうではなくて、この乗り入れの果たした役割というのは絶大なものがある。
私は、駅へ、どれくらい人がおりるかというのを調べに行ったのですけれども、忙しくて資料を持っていないというので断念しました。それはある面で、皆さん方初め当局にも大変感謝いたしたいと思いますけれども、瀬島龍三さんが勝浦で、「五時間二十分、それだけでもありがたいけれども、しかしそれでは徹底的な浮上にはならない」と言われた。口を開けば、私たちも「自然があるじゃないか。何があるじゃないか」と言います。しかし、幾ら言うてみたところで、観光客の受け入れの問題とか、いろんなことがございますが、交通問題が一番重要な問題だと思う。
さっき答弁を聞いていますと、串本まで複線化というようなことを言われた。それはいつのことか、わしらが死んだ時分の話かなと、そんな感覚が私にもありますけれども、そうあってはならない。どうぞ皆さん方、官民一体となってこの問題に積極的に取り組んでいただきたい。
知事は企業誘致の問題を触れられたようでありますけれども、仮に私が大阪の企業家であった場合、同じ行くのであったら、関空ができるし、岩出かその周辺へ行こうかとなる。企業家はこう考えて当然だと思う。よっぽどでなかったら来てくれない。難しい議論ではない。土地も安いし何も安いけれども、不便だから来ない。そういった点で、昨日も浜口議員が申されておりましたけれども、林業の活性化あるいは農林漁業の第一次産業をという知事の視点は全く正しいと思いますし、その面でのなお一層の努力を特にお願い申し上げておきます。
今、議会では、議員定数の問題が議論をされてございます。この三月の議会では決議をし、その定数委員会に私も参加をしております。「大概しゃべる男やけど、おまえ、あの会へ行ったら小さなってるの」とよく言われます。しかしそれは、あすは我が身、私たちが勝手に減らしておるのではなく人口が自然と減ってくる、そういういかんともなしがたい状況にあります。
私はそんなことをこの議会では申し上げるつもりはないのですけれども、以前、知事は、すさみに玉置先生が株式会社オリムピックを誘致されたときに祝辞を述べております。それをじっと聞いておりましたら、「人口のふえる町、これが政治のバロメーターだ」と言われた。知事はいいことを言うなと思いました。あれから三年たちました。すさみ町は人口が減っておるのであります。やゆしているのではないんです。そういう現実である。馬頭先生が、子供をしっかり生もうと言われました。それもそうですし、今までも一生懸命やってはくれておりますけれども、しかし南部に対してはより以上の力点を入れていただきたい。
特に今回は四つの問題に絞って申し上げましたが、南紀白浜空港とても、先ほど聞いていると、「熟知徹底させる」という言葉があったので満足をいたしました。私は白浜の湯崎という温泉街の方ですが、「あんたのところはええのう」と言われる方がいる。同じ選挙区ですよ。同じ町ですよ。同じ町でも少し離れた田舎というか、旧村へ行きますと、「わしら、白浜空港ができることと何ぞ関係あるか。やかましなるだけと違うか。あんたら旧町の人は、お客さんようけふえるし、ええけども」と。しかし、それによって町の活性化がどうのこうのと幾ら説明しても、旧北富田村の人にとってみれば、あるいは旧東富田村の人たちにとっては直接的に何のメリットもない、そういうことすらも私は感じる。そして、そういうことを考えた場合に、「臨空産業」というような難しい言葉ではなくて、「あなた方のつくったこの花は、きょうの午後三時に銀座の街角に並べられるんだよ」という展望や明るい発想に立ち、農協やいろんな機関を動員して、それに参画していただくような行政をぜひとも打ち立てていただきたいということ、いずれも要望にいたします。
あと一分であります。終わります。
○議長(山本 一君) 以上の再質問は要望でありますので、以上で浜本収君の質問が終了いたしました。