平成3年2月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(全文)
県議会の活動
議 事 日 程 第四号 平成三年二月二十八日(木曜日)
午前十時開議
第一 議案第一号から議案第八十一号まで及び報第一号(質疑)
第二 一般質問
会議に付した事件
一 議案第一号から議案第八十一号まで及び報第一号(質疑)
二 一般質問
出 席 議 員(四十六人)
1 番 井 出 益 弘
2 番 和 田 正 一
3 番 町 田 亘
4 番 中 村 利 男
5 番 山 本 一
6 番 宗 正 彦
7 番 岡 本 保
8 番 鈴 木 俊 男
9 番 阪 部 菊 雄
10 番 中 村 裕 一
11 番 平 越 孝 哉
12 番 大 江 康 弘
13 番 中 西 雄 幸
14 番 橋 本 進
15 番 古 田 新 蔵
16 番 浦 武 雄
17 番 堀 本 隆 男
18 番 宇治田 栄 蔵
19 番 下 川 俊 樹
20 番 石 田 真 敏
21 番 木 下 秀 男
22 番 中 村 隆 行
23 番 藁 科 義 清
24 番 門 三佐博
25 番 尾 崎 要 二
26 番 那 須 秀 雄
27 番 木 下 義 夫
28 番 上野山 親 主
29 番 北 村 翼
30 番 尾 崎 吉 弘
31 番 西 本 長 浩
32 番 岸 本 光 造
33 番 松 本 貞 次
34 番 浜 本 収
35 番 和 田 正 人
36 番 浜 口 矩 一
37 番 山 崎 幹 雄
39 番 田 中 実三郎
40 番 森 利 一
41 番 村 岡 キミ子
42 番 森 本 明 雄
43 番 中 村 博
44 番 中 村 千 晴
45 番 小 林 史 郎
46 番 渡 辺 勲
47 番 藤 沢 弘太郎
欠 席 議 員(なし)
〔備 考〕
38 番 欠 員
説明のため出席した者
知 事 仮 谷 志 良
副知事 西 口 勇
出納長 梅 田 善 彦
知事公室長 市 川 龍 雄
総務部長 山 中 昭 栄
企画部長 川 端 秀 和
民生部長 高 瀬 芳 彦
保健環境部長 遠 藤 明
商工労働部長 天 谷 一 郎
農林水産部長 安 田 重 行
土木部長 磯 村 幹 夫
企業局長 吉 井 清 純
以下各部次長・財政課長
教育委員会委員長
上 野 寛
教育長 高 垣 修 三
以下教育次長
公安委員会委員 玉 置 英 夫
警察本部長 西 村 浩 司
以下各部長
人事委員会委員長
寒 川 定 男
人事委員会事務局長
代表監査委員 宮 本 政 昭
監査委員事務局長
選挙管理委員会委員長
稲 住 義 之
選挙管理委員会書記長
職務のため出席した事務局職員
事務局長 山 本 恒 男
次 長 倉 本 辰 美
議事課長 中 西 俊 二
議事課副課長 松 田 捷 穂
議事班長 高 瀬 武 治
議事課主任 松 谷 秋 男
議事課主事 松 本 浩 典
総務課長 田 上 貞 夫
調査課長 阪 上 明 男
(速記担当者)
議事課主査 吉 川 欽 二
議事課速記技師 鎌 田 繁
議事課速記技師 中 尾 祐 一
議事課速記技師 保 田 良 春
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午前十時四分開議
○議長(岸本光造君) これより本日の会議を開きます。
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○議長(岸本光造君) 日程第一、議案第一号から議案第八十一号まで、並びに知事専決処分報告報第一号を一括して議題とし、議案等に対する質疑を行い、あわせて日程第二、一般質問を行います。
26番那須秀雄君。
〔那須秀雄君、登壇〕(拍手)
○那須秀雄君 知事は、二月議会の冒頭に当たり、その説明の中で「交通基盤の整備の進展に伴い、今、和歌山は全国でも有数の魅力ある県に変貌しつつあります」等々、申されたのであります。
本年二月十日、高速道路南紀延伸に大変力を尽くされた古田先生の叙勲祝賀会が御坊市で開かれたのであります。私もこれに出席すべく、四時に田辺を出ました。一時間で御坊、五時から六時まで御坊におって、六時から引き返し、七時の田辺の会合へ出る。物理的に決して無理なスケジュールではないのであります。ところが、車は名田に参って、ぴたりととまってしまったのであります。物すごい渋滞であります。あとは時間との闘い。一寸ずりに天田橋の手前まで来たときには、既に六時になっておったのであります。天田橋を渡ることなく引き返して、やっと田辺の会合に間に合わせたのであります。これが、中村裕一議員が指摘していた天田橋北詰めの混雑のために起こる現象かと思いましたが、走行車両のほとんどが県外ナンバーでありました。この方々が果たして、今、和歌山は全国で有数な魅力ある県に変貌しつつあると感じたでございましょうか。紀南の住民は、高速道の南伸は悲願である、それこそ辺地からの脱却の第一歩だと考えているのであります。
知事はまた、新しい時代に挑む力強い産業基盤の発展の第一の柱は活力ある地域産業の発展であり、交通基盤の整備は産業発展の基礎であるととらまえておられるのであります。まさに、そのとおりであります。
そこで、高速道南伸に対する知事の推進の決意とその具体的なスケジュールについてお尋ねをいたしたいと思います。
平成元年二月には、御坊─田辺間二十一キロメートルの環境アセスメントの手続を進めることが建設省より発表されたのであります。近畿自動車道紀勢線が高規格道路網計画に組み入れられて、以来、急ピッチで計画が具体化されたことについては、知事初め関係各位の努力のたまものと感謝しているところでございます。しかしながら、御坊─田辺間については今回の環境アセスメントの手続から外れており、田辺市民にとって、また田辺以南の県民にとって、非常に残念に思うのであります。
新聞によれば、南部─田辺間については、田辺以南への先線の分岐の問題や、田辺市が計画している総合運動公園等の地域開発プロジェクトの整合の問題、またさきに決定されている西田辺バイパスとの関連などの問題が整理されておらず、もう少し時間をかけて調査が必要ということで今回の環境アセス区間から外されたと聞いています。田辺、白浜には、白浜空港ジェット化を初め、燦黒潮リゾート構想の一環として田辺湾総合リゾート計画等、地域開発プロジェクトが盛りだくさんに計画されておりますが、高速道南伸が田辺以南まで実現してこそこれらのプロジェクトが成功するのであり、地域活性化が図れるのであります。
高速道路の整備促進には、国への働きかけと地元の受け入れの協力がうまくかみ合って、初めて事業が前向きに進むのであります。いずれにしても高速道全線開通は県民の悲願でありますが、とりあえず田辺までの一日も早い開通が必要であり、今後、南部─田辺間の計画決定のおくれを取り戻すために国に対して強力に働きかけるとともに、市町村に対して、開発計画との整合性やバイパスから国土開発幹線自動車道に変わったことによる都市計画の変更などの問題について地元自治体の理解と協力が得られるように、地元の受け入れ条件の整備を図ることが急務であると考えるのであります。
ついては、御坊─南部間の整備計画の決定の見通しと完工の予定、南部─田辺間の取り組みについて土木部長にお答えを願いたいと思います。
また、高速道田辺以南の南伸のプログラムについては、私のもくろみによると、湯浅─御坊間は関係者の日夜を分かたぬ努力により着工より十年で完工するといたしますと、あと四年の平成六年。御坊─南部間は、その着工の時期によりますが、着工より十年、それに南部─田辺間が完成するまでに少なくとも十五年から二十年はかかるのであります。
それでは、この十五年から二十年の間、冒頭申し上げた国道四十二号は今のままで辛抱せよと言われるのか、それともほかに方法を考えておられるのか、お聞かせを願いたいと思います。
次に、各主要道路に対するアクセス道路、特に田辺市内における道路網について幾つかの提言を申し上げ、質問をいたします。
まず、元町新庄線についてでございます。これは都市計画道路との関連で、既に元町から江川、片町から銀座へと、西からの進入に大いに役立っているのでありますが、銀座海蔵寺の難所はさておき、東からの進入路であり、一方通行でその役を果たせない駅前通りから礫坂の間を先に着工することとしたらどうでしょうか。また、北のバイパスや国道からの進入口である切戸橋稲成線と扇ケ浜秋津線の進捗状況をお教え願いたいと思います。
また、温川田辺線の上三栖地内は既に調査されていると言われていますが、その取り組みについてお知らせを願いたいのであります。
上富田南部線においては、上富田岡地内で既に工事が終了いたしております。いよいよ岡坂トンネルにかかるわけでありますが、国道三百十一号岡バイパスも急ピッチで進んでおります。上富田南部線は、国道四十二号、国道三百十一号の貴重な迂回道路としての性格を持つものであります。交通量が熊野橋に集結することが予想されます。これをスムーズに流すためには、今の上万呂北新町線では不足であります。熊野橋からバイパスまで、上富田南部線の整備計画についてお答えを願いたいと思います。
皆さんもお目にされたことと思いますが、毎日新聞の和歌山版でございます。いい写真が出ております。もうちょっと写真写りがよかった方がいいなと思っておりますが、鈴木先生と渡辺先生の対談でございます。対談の中身が非常におもしろくて、毎日が楽しみでございました。既に一昨日で、上・中・下をもって終わられたのであります。非常に残念であります。もっとやってほしいと思います。本人お二方ともちょっと消化不良で、もう少し紙面が欲しかったのではないかと思うのであります。そこで県庁移転の遷都論が語られております。まさに我が意を得たりであります。
鈴木先生は、一般質問最終日、歯にきぬを着せず県政への提言をなさるそうでありますが、恐らくこの問題も提言していただけるものと思います。
私は、事あるごとに県庁の田辺移転を唱えてまいりました。この提言が鈴木先生の一言によりまして、一県議のたわ言ではなく、立派に政策として認知されたのであります。渡辺さんが申しておられるように、さる県の高官が、その立場の中では県庁の移転説を一笑しておられたが、県会議員になると一転、県庁移転説をぶったと言われております。まさに事ほどさように、その選挙区では県庁移転の願望が強いのであります。
私は、少し調べてみました。詳しいデータではございませんが、予算査定の時期に知事室へ大挙して陳情に来る市町村は、押しなべて遠隔の弱小町村であります。そしてまた、予算議会が終わると、お礼参りに来るのか、来さされるのか、大挙して参勤交代に参るのであります。
私は、陳情政治というものにいささか疑問を抱くものでございますが、この陳情団の中に和歌山市の方を見かけることはほとんどないのであります。ということは、弱小で遠隔の町村ほど県行政に対する依存度が大きく、切実なのであります。
私どもも、この一月七日、市長を先頭に、田中県議ともども市内各種団体を網羅して、バスに三時間揺られて、大挙県庁へ陳情に参ったのであります。このようにして私どもは、田辺藩から紀州藩に併合されて以来、百年にわたって参勤交代をしてきたのであります。祖先の怨念がこもっておるのであります。
「県庁移転の考えはないか」と聞きますと、「承っておきます」。「高校野球、紀南でやろうやないか」、「もろもろの条件が整わないので無理であります」。まさに、にべもないのであります。条件を整えようともしないし、言葉に愛がない。立場が変わって、県庁が紀南であり、いろいろなイベントの開催地が田辺である場合のことを考えていただきたい。和歌山市四十万の市民の皆さんは、今の道路事情、JR交通体系に満足するでしょうか。それこそ高速道南伸に弾みがつき、過疎への転落に歯どめがかかるのではないでしょうか。
知事、政治は愛であります。政治は夢であります。まごころ県政にすがりつく思いの紀南の県民に知事の愛情のこもったロマンをお聞かせください。御期待いたします。
私は、かつてこの議場で、農産物輸入枠拡大反対運動について所見を述べさせていただいたことがあります。そのとき、輸入自由化の荒波を受けているのはひとり農業のみではないと申したのであります。また、鉢巻きを締めて自由化枠拡大を阻止できたとしても、しっかりした農業政策がなければ、農業者自身の足腰の強化がなくては現在の国際農業の中で産地間競争、産地国間競争に打ちかつことはできないと申し上げたことを思い出します。
悲しむべき湾岸戦争も終結に向かう中で、この戦争で世界に対する発言力をさらに失った我が国農業は、最後の切り札、米の自由化を迫られるのは自明の理であります。米の自由化を阻止できる大義は今の我が国にはもうないのでしょうか。
この問題はさておくといたしまして、現実にこの四月からオレンジの輸入自由化が行われるのは厳粛な事実であります。三年間の暫定期間があったのでございますから、自由化以後の対応というものは万全になされておると思うのでありますが、知事並びに農林水産部長の所見を求めたいと思います。
関西国際空港は、工期一年余りおくれて平成六年に開港されることになりました。よく「臨空農業」ということを言われておりますが、臨空農業の性格をよくわきまえなければならないのではないかと思うのであります。
かつて、農協で農産物の販売を手がけておったころ、大阪空港から福岡空港までスモモや小梅を発送したことがあります。これも臨空農業と言うなら、ジェット化され、貨物輸送が飛躍的に伸びる白浜空港も臨空農業の対応に迫られるわけでありますが、この際は別の意味で、関空に集まる多くの人々が消費し、また機内食として消費される農産物の提供に絞ってみたいと思います。
空港会社に対する売り込み、アプローチに抜かりはないか、どのような野菜や果菜をつくっていくべきか、またその栽培技術の指導に抜かりはないか、その対応についてお伺いいたしたいと思います。
最後に、梅であります。
ことしの梅は不作だと思います。まだ花が咲いているときにそんなことわかるものか、大きなことを言うなと言われるかもしれませんが、これは博士が言っているんですから間違いございません。なぜならば、改良された梅の品質の中でも古城とか南高梅とかいうのは自花受粉ができないわけであります。したがって、受粉するための媒体がなければならないし、別の品種の受粉樹がなければならないのであります。受粉の媒体をミツバチに頼るのであります。
ことしは、花が咲き始めて満開に至るまで、特に南の方が寒かったし、きょうあたりやっと暖かさが戻り、ハチが花を求めて飛ぶころだと思うのでありますが、既に満開を過ぎた花は生理の終わったような状態であります。したがって梅の花は交配されない状態でありますから、ことしの着果状態はよくないはずでありますが、ところが、待ってみないと梅というのはわからないものであります。
梅は、農業技術の点から申しましても、いまだ未知のものなのであります。地場産業を支える梅であり、紀南地方農業の柱である梅をなお一層安定させるためには、梅の栽培技術とその生理、加工食品としての研究試験が必要と思われるのであります。
梅の里・南部川では、ふるさと創生資金をもって梅センターをつくっておられるのでありますが、市町村、農協、生産者が相集まり、県が音頭をとって第三セクターを組み、試験研究センター等、夢のある梅の里構想を打ち出してはいかがかと思うのであります。
既に、南の方では何千万かのお金を市町村に寄附した農協もあると言われております。農協のお金も、行政のお金も一カ所に集めて有効に利用してはいかがかと思うのでありますが、農林水産部長にも夢のあるお考えがあればお聞かせ願いたいと思います。
以上をもって質問を終わります。非常にお聞き苦しい点は御容赦のほどを願いたいと思います。どうもありがとうございました。
○議長(岸本光造君) ただいまの那須秀雄君の質問に対する当局の答弁を求めます。
知事仮谷志良君。
〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 那須議員にお答え申し上げます。
お話のように、高速道路の紀南延伸は県政の最重点事項として積極的に取り組んでおるところでございます。そのためには国に対して強く要望するとともに地元の協力が大事ではないかということについては、私も同感でございます。特にこれから金よりも用地が一番重要でございますので、市町村並びに関係の地元の皆さんの協力体制を積極的にいただかなければいけないのではないか、延長こそ地元の受け入れ態勢の問題である、用地確保であると思っておるところでございます。
本県の高速道路の整備を振り返ってまいりますと、約十年を一つの節目として進んでまいっておりまして、昭和四十九年には阪和自動車道が開通いたし、昭和五十九年には海南湯浅道路が開通いたしました。さらに現在、平成六年度を目標に湯浅御坊道路の事業を鋭意進めておるところでございます。
御坊─田辺間につきましては、二十一世紀の初頭までには実現に向けて整備を図っていかなければならないと思っておりますし、また田辺以南については、早期に基本計画に組み入れるよう国に対して強く要望してまいりたいと思っておるところでございます。
次に、県庁の南紀への移転でございます。
県政を推進する立場といたしまして、県下の均衡ある発展、また地域の振興のために各種の施策を推進しておりまして、交通や輸送基盤の整備、リゾート観光開発、産業基盤の整備等々、総合的な観点に立って紀南方面の活性化を図っているところでございます。御提言の県庁舎の移転については、一つの御提言として承っておきたいと思います。
それから、農業問題の自由化対策についてでございます。
オレンジの自由化対策ということにつきましては、かねてから私も、特にオレンジ、牛肉などの輸入自由化を厳しく受けとめておるところであり、昭和六十三年に自由化が決定されて以来、国際化に対応した地域づくり、産地づくりということに鋭意努力を重ねているところでございます。
特にかんきつにつきましては、需給の均衡を早期に図る目的で、全国の産地と連携をとりながらかんきつ園地再編対策に積極的に取り組んでまいったわけでございますし、また、この対策を今後の地域の農業活性化の絶好の機会としてとらえ、県単独事業も行って農業の産地育成に努力しておるところでございます。その結果、柿とか桃などの落葉果樹産地の拡大や味一ミカン、完熟ミカンが定着しつつございますし、さらにまた急激な花卉生産の拡大等、特色のある産地が形成されつつございまして、若者に魅力のある農業が実現されてきつつあると考えております。
今後とも引き続き競争力のある産地育成を図るために、生産基盤の整備、流通・加工対策、生産技術の開発など、一層積極的に推進してまいる所存でございます。
○議長(岸本光造君) 土木部長磯村幹夫君。
〔磯村幹夫君、登壇〕
○土木部長(磯村幹夫君) お答えいたします。
高速道路南紀延伸についてでございます。
まず、御坊─南部間につきましては、ことしの夏ごろに開催されると言われている次期国幹審において整備計画に組み入れられるよう、強く国に要望してきたところであります。今後とも、県議会の御支援をいただきながら国に働きかけてまいります。
整備計画に組み入れられた後、建設大臣から道路公団に対して施工命令が出されることとなっておりまして、事業化がなされていない現時点では完成予定は明確になっておりません。
また、南部─田辺間につきましては、懸案となっている田辺バイパスとの接続方法や南伸計画等について早期に計画を固めるよう国に働きかけるとともに、昭和六十一年に都市計画決定されている田辺バイパスのうち県道辺川芳養線から上芳養田辺線の間の計画の見直しや沿道の土地利用計画との整合等について地元市町とも十分調整を図り、全体として御坊─田辺間の促進が図られるよう国に要望してまいりたいと考えております。
次に、高速道が田辺まで延伸される間の四十二号の混雑の解消についてでございます。
国道四十二号の御坊─田辺間の交通対策としまして、現在混雑している御坊市周辺につきましては、湯浅御坊道路の早期完成を図るとともに、インターへのアクセス道路として県道姉子御坊線等の整備を図り、また御坊市塩屋地区から国道四百二十五号を経由するルート、印南町印南地区から県道印南原印南線等を経由するルート等、複数のアクセスルートの整備を促進し、交通の分散を図ることとしております。
次に、元町新庄線の駅前通り─礫坂間の整備についてでございます。
田辺市において、現在、田辺駅周辺の町づくりについて調査を進めておりますが、元町新庄線の御指摘の区間についても、その沿道を含めて整備方針を検討しているところであります。県といたしましては、御提言の趣旨を踏まえ、調査成果をもとに当該区間の整備について田辺市と検討を進めてまいります。
次に、切戸橋稲成線でございます。
田辺バイパスから国道四十二号までの延長五百メーターの区間につきましては、田辺バイパス関連事業として、県事業により整備を進めております。このうち、北側三百メーターは本年度末完成する予定であり、南側二百メーターの区間についても平成三年度完了の見込みであります。さらに、切戸橋稲成線の国道四十二号から田辺市街地中心部への五百五十メーターの区間については、平成三年度より県施行により新規着手するよう考えております。
扇ケ浜秋津線につきましては、田辺郵便局から北二百五十メーターの区間を田辺市が測量等の調査を進めております。
次に、県道温川田辺線の整備でございます。
長野─上三栖間約一・六キロメートルのうち長野地内の約五百メーター区間については平成元年度から現道拡幅の事業を行っておりますが、一部で用地交渉が難航しております。残る一・一キロメーター間につきましては、平成二年に、バイパス案も含めルート等の検討を行ったところであります。
今後、市当局並びに地元関係者の方々の一層の御協力をいただきながら事業中の区間の促進を図り、また残る区間についても早期にルートを決定するとともに、既着手区間の事業の進捗状況を勘案しながら事業化の時期を検討してまいりたいと考えております。
次に、上富田南部線の熊野橋─バイパス間の整備でございます。
熊野橋から国道四十二号田辺バイパスへ連絡するルートとしまして、現在、県道温川田辺線と県道上万呂北新町線があります。議員御指摘のとおり、事業中の区間の整備が進んでまいりますと、沿道の開発と相まって交通量の増加も考えられますので、今後、地域の状況を勘案しながら検討してまいりたいと考えております。
以上でございます。
○議長(岸本光造君) 農林水産部長安田重行君。
〔安田重行君、登壇〕
○農林水産部長(安田重行君) お答え申し上げます。
オレンジの輸入自由化に伴う産地対策の問題でございますが、基本的な事項については知事から御答弁がございました。
県では昭和六十三年から、かんきつ園地再編対策の推進を初め、高品質果実の生産拡大、研究開発等、産地の体質強化に鋭意取り組んでまいったところでございます。中でも、かんきつ園地再編対策は最終年度に入っておりますが、温州ミカン、中晩柑を合わせて約三千八十ヘクタールの転作や廃園が行われることになり、これは事業実施前の栽培面積の二〇%を生産調整したことになるわけでございます。
梅、柿、桃等の落葉果樹への転換が千六百八十ヘクタール、全体の五五%を占め、最も多く、野菜、花への転作が二百七十三ヘクタールで全体の八%を占めるなど、地域の特性に見合った特色のある産地の形成が図られつつあるところでございます。
オレンジの輸入自由化後の産地対策については、全国的な長期需給安定を基本に策定した平成十二年目標の県果樹農業振興計画に基づき、多様化する消費者ニーズに対応しながら、国際間、産地間競争に打ちかつ、高品質で低コスト生産による足腰の強い産地づくりに引き続き取り組むほか、新たに優良系統への更新、園地条件整備事業や生産から流通に至る総合的な品質管理体制確立整備事業を創設するなど、産地の体質強化をより一層強力に進めることといたしてございます。
さらに試験研究では、高度技術の開発に対応するための施設の整備や新産品、新作型の開発など、積極的に取り組むことといたしてございます。
次に、関西国際空港立地に対応した臨空農業の推進の問題でございます。
議員お話しのように、空輸機能を生かした販路の拡大と周辺の人口増や機内食消費など、新たな需要増への対応を基本とした生産流通体制の確立を図ることが本県農業の活性化にとって極めて重要であると考えてございます。
このために、県におきましては、関西国際空港地域整備計画の中で野菜、果実、花による施設園芸タウンづくりを推進しているところであり、平成二年度までに紀の川流域地域で既に七十二ヘクタールの施設園芸団地が育成されているところでございます。中でも、臨空農業に適した、軽量で高単価なイチゴ、トマト、バラ、カーネーションなどの施設栽培に加え、果実ではハウス栽培の柿、桃、イチジクなどの産地育成と並行して新品目や新作型の開発を行うとともに、栽培技術指導にも鋭意取り組んでいるところでございます。
また、空港会社や関連業者に対する県農産物などの売り込みについては、生産者団体ともども、機内食への供給や空港ターミナルビルでの農産物の販売、展示コーナーの設置の働きかけに加え、緑化木の供給など、積極的に働きかけてまいりました。その結果、昨年十二月、県産のジョインジュースが機内食に採用されたところでございます。
今後とも引き続き、空港の開港に向けて、生産団地の育成はもとより、特需センターや花卉流通センターの機能強化を図るなど、総合的な施策を講じながら高収益農業の実現に向けて取り組んでまいりたいと考えてございます。
最後に、梅の研究所の設置についての問題でございます。
議員お話しのとおり、梅はまだまだ研究課題の多いことも事実でございます。そのため、これまでも果樹園芸試験場において、梅の結実安定技術の開発や新品種の現地適応試験に加えて、低温輸送のための鮮度保持技術など、生産から流通に至る技術開発と技術情報の収集伝達に取り組んでまいったところでございます。
さらに、梅の主産地への対応を図るため、昭和六十二年六月、御坊市に開設した暖地園芸総合指導センターに梅の研究部門を設置し、技術開発を強化するとともに、主産地の現地圃場で調査研究を行うなど、産地の課題解決に鋭意取り組んでいるところでございます。
なお、今議会には、緊急度の高い原因不明の梅衰弱症対策を確立するため、研究経費の予算をお願いいたしておるところでございます。
農業に夢のある梅の里構想の中で、議員お話しの第三セクターによる梅専門研究所の設置につきましては、御坊の暖地園芸総合指導センターや桃山の農産物加工研究所、南部川の梅加工研究センター等の既存の研究施設との整合関係、また周辺市町村や農業団体との合意形成など、夢のある構想とはいえ、将来、実現可能なもののためには難しい問題もあるものと考えられますので、今後、関係者の御意見を十分承りながら研究してまいりたいと考えてございます。
以上です。
○議長(岸本光造君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
26番那須秀雄君。
○那須秀雄君 田辺までの高速道のプログラムについて、今からきちっと予測ができないと。これはまあそのとおりだと思いますが、いずれにしても、湯浅─御坊間が平成六年までに開通される。これは画期的なことではなかろうかと思うんです。大変な努力であったと思います。この努力に敬意を表するのでありますが、ここまで開通いたした後で、さらにまた御坊から田辺間の混雑を非常に心配するのであります。
先ほど部長から、幾つかのルートを考えておられるというお話でございましたので少し安心をいたしましたが、どうしても御坊までの開通までにアクセス道路の整備をお願いいたしたいと思います。
今のは要望でございます。以上をもって終わります。
○議長(岸本光造君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で那須秀雄君の質問が終了いたしました。
○議長(岸本光造君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
4番中村利男君。
〔中村利男君、登壇〕(拍手)
○中村利男君 通告順に従いまして、二、三の点について質問をいたしたいと思います。
まず第一点、燦黒潮リゾート構想の推進についてお伺いをいたします。
「熊野に參らむと思へども 徒歩にて參れば道遠し すぐれて山きびし 馬にて參れば苦行ならず 空より參らむ 羽給べ若王子」──幾ら広大慈悲の道とはいいながら、熊野へ参るには、紀路も伊勢路も、やはり遠い。山は険しい。そうかといって馬に乗ってお参りすると、それは苦行ではなくなり、余り御利益はない。それなら空からお参りしましょう。どうか私に羽を下さい、若王子の神様。
さしずめ今なら、「さらばジェットフォイルを与えん 海より参られよ」、これが私の今の率直な心境でございます。
那智勝浦─鳥羽間、二時間三十分で結ばれる高速艇ジェットフォイルの実験航海が、去る二月二十二日、和歌山港から勝浦港、そして紀伊長島港、鳥羽港間で行われました。浜口、下川両先生とともに私も勝浦から紀伊長島まで乗船いたしましたが、一口に言って快適そのものでありました。そして、その名称も「サンベルト゛燦゛黒潮航路」であって、これはまさに太陽がさんさんと降り注ぐ黒潮の海をイメージし、「黒潮と遊ぶリゾート空間」を統一テーマにしている燦黒潮リゾート構想の先駆けではないかと思います。数年後には和歌山から関西国際空港へ、そしてまた関空から和歌山県への海上交通体系の整備という意味からも、この際、那智勝浦─鳥羽間を定期航路として定着していただきたいと思いますが、知事の御所見をお伺いいたします。
次に、燦黒潮リゾート構想では、重点整備地区を七地区に分けて各地区それぞれの特色を生かした整備を行うこととしておりますが、勝浦・太地地区につきましては、「本地区は、日本人の心のふるさとである熊野、多くの観光客が訪れている勝浦温泉、日本一の落差を誇る那智の滝、鯨の町で有名な太地など、個性ある地域資源が豊富な地区であり、これを活用し、心身のリフレッシュを図る『人間回復型リゾート空間』を創出する」となっております。
今、日本人は、押しなべて物には恵まれておりますが、心は病んでおります。人生の疲れをいやしたい、おのれの魂も少しは休ませたい、そういう願いをかなえてもらえる場所を熊野に、そして熊野文化に求めていると思うのでありますが、どこに行けば熊野文化が見えてくるのか。
約二年半前に行われた日本文化デザイン会議は、仮谷知事初め関係各位の御協力によって大成功をおさめたわけでありますが、そのときの仮谷知事の最後の言葉として「まかれた種は大事に育てていきたい。熊野に文化の灯がともされた」、こう締めくくったのでございます。
せっかくともされた熊野文化の灯を育てていくために、そして熊野文化の真髄に触れることができるような、例えば熊野文化コンタクトセンターのようなものをぜひとも熊野地方につくっていただきたいと思うのでありますが、知事の御所見をお伺いいたします。
次に、サンマ船の遭難百周年を迎えて。これは、遭難の状況を交えながら申し上げてみたいと思います。
「あはれ 秋かぜよ 情あらば伝えてよ ──男ありて 夕餉にひとり さんまをくらいて 思いにふける と」、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」であります。また、郷土の料理研究家・梅田恵以子さんも、「味な味」という本の中で、「焼きたてのサンマに大根おろしやスダチを添えて秋を思うのが日本の味の心。一般には秋の魚として知られているサンマが、紀州では冬の味として親しまれる。冬の寒風吹きすさぶころ、サンマが陸地近くに来ると言われ、翌春までサンマ漁が続く」、このように書いております。
サンマのすしとして、またサンマのなれずしとして、広くふるさとの味として親しまれているサンマではありますが、この紀州のサンマにも過去に悲しい歴史がございました。このことについて、「東牟婁郡誌」に基づいて紹介をしてみたいと思います。
「明治二十五年の歳末に於ける勝浦漁船の遭難は仝十二年の太地捕鯨漁船遭難に劣らさる慘事なりとす。同地は秋刀魚の漁獲の本場とも稱すへき所なるも、土着の漁民僅少なるか故に漁季に當りては四五百名の漁夫を雇入るるの習慣なり。されは單に勝浦漁民のみの遭難に非すして、實に左表の如く各郡村に亘れり」。
お手元に「明治二十五年十二月二十八日秋刀魚漁船遭難調」という表をお届けしておりますけれども、行方不明者を随分出しております。勝浦村が二百四十四人のうち七十五人が行方不明です。三輪崎では、二人出て二人行方不明。田辺も随分と多く、四十八名。また田並村に至っては、五十名出漁して三十五名行方不明となっております。知事さんの出身地・和深は七名亡くなっていらっしゃいます。また日高郡の白崎村に至っては、八人出漁して全員八人とも亡くなっております。合計七百四十九名出漁いたしておりますが、二百二十九名が行方不明ということになっておるのでございます。「かくの如く縣下三郡十數町村に亘りて遭難者出せしことなれは、其の報の四方に達するや、其の驚愕實に名状すへからさるものありき」。
実は、私も若かりしころにサンマ船に乗りまして、熊野灘はもちろん、遠く北海道までサンマをとりに行った経験がございます。そのときに襟裳岬の沖で台風に遭いました。二十四時間、生死の間をさまよいました。へさきボスビットは吹っ飛びましたし、胴回りもすかっと取られて難破船同様になって八戸の鮫港に入れた経験もございますので、この遭難事故は私にとっては人ごとのように思えないのでございます。
さて、その当時の模様を「東牟婁郡誌」は、おおむね次のように述べております。
明治二十五年十二月二十八日は曇天であったが、「風波靜穏にして一点の波浪なく眞に恰好の漁獲日なれは、各船共正午頃には已に捕魚を滿載し、衆皆得々然として正に歸船を艤せんとするの際」、突然、土地の漁師達の最も恐れている北西の風が吹き荒れてまいりました。「人々天候の險惡なるを知り、漁獲物を海中に投して船腹を輕くし三艘相連結して極力陸地に漕き戻らんとせり、時に午後二時過なり、然るに風濤益々猛烈にして操縦意の如くならす、止むを得す針路を三木崎沖に取り、大約二里余を漕き進みたるも、日は既に暮れ四方暗黒にして咫尺を辨せす、風威は彌か上に加はり、舟は動もすれは顛覆せんとす、茲に於て搭載せる漁網を悉皆海中に投棄し、必死の勇を皷して漕舟に從事するも到底風涛の力に抗する能はす、茲に於て運命を天に委して又櫓櫂を操らす唯た舟の顛覆せさらんことに意を用ひ、以て萬一を僥倖せり」。
このような状況の中で辛うじて帰ってきた漁夫の話では、自力では帰ってくることが到底無理であるとのことであったから、ちょうどこの突風を避けて勝浦に入港していた沿岸航路の汽船「黄金丸」ほか二隻に依頼して捜索してもらったところ、波間に漂流していた百二十三名の漁夫が救助されております。
翌日、村の吏員が郡役所へ赴いて実情を説明し、遭難者捜索のため軍艦派遣の稟議ありたき旨申し述べたところ、首席郡書記、大いにこれを了とし、郡長の旨を受けて県庁に電報を入れました。
また、勝浦村村長、三輪崎村村長からも軍艦を派遣していただくよう電報を入れたところ、翌日県庁から、漁船遭難のごときに軍艦の派遣はできない、すなわち県庁の内務部長書記官から「軍艦派遣詮議に及ひ難し」と、こんな返電を受け取ったのであります。
このことが当時の中央政界でも問題となりまして、柴四郎代議士外二名が提出者となり、犬養毅外三十名がこれに賛成の署名をして、政府に対して質問書を提出いたしております。また、明治二十六年一月十日発刊の「日本新聞」には、「今や我 天皇陛下の知らし召す大八州の中縣廳なきの縣民あり之を和歌山縣とす。 明治二十五年十二月二十八日此縣瀕海の漁民無慮五百名は海上颶風の凶變に會し一出して皆還らず是實に悲痛惨憺人心ある者の聞に堪えさる所なり而して其當時帝國軍艦の紀海に赴きて之を捜索するの擧あるを見す、今衆議院議員の質問に對し海軍大臣の答辨する所に據れは去十二月二十八日紀州熊野沖に於て漁民遭難に際しては軍艦救護を要するの報告に接せさるを以て即時軍艦を派遣せさりしなりと是に據て之を觀れは當時和歌山縣廳なる者も亦た之を知らさりしか将た知るも視て遭難と爲さゝりしか或は之を遭難と認むるも以て保護するに足らすとせしか三者必す其一に居るへきなり」。このような口調で当時の新聞は報道をいたしております。
さて、話を遭難現場に戻しますが、翌二十九日、三十日と黒潮に乗って波任せ、風任せで流されるわけでございますが、三十一日になって、「暫くして一小港に達す、即ち八丈嶋八重根港にして遭難船中已に漂着せるものありて、火を焚き暖を取り居りしか、本船の着するや、嶋民は愈火を熾んにし、且つ多人數海濱に來り粥を椀に盛りて施與せられ、人々始めて再生の思を爲せり、聞く三十日の夜、八重根港は祭禮にして提燈、燈篭を樹の梢に掛け、ありし故、遭難船は之を目標として漕き着けたるなりといふ」、「八丈島の島民は都て純朴にして而も義侠心に富み、土地の役人は勿論、大いにその災害を憐み、爲に金品を募集し、頗る救恤──難しいので字引を引きましたら、『貧しい人だとか罹災者などに救い恵むこと』とあります──に盡力せり」。
このようにして、お金や米、しょうゆ、カンショ等、救援物資をいただいたわけでありますが、中でもしょうゆは「本嶋に於て醸造する能はす、遠く関東諸國より輸入する所にして嶋民漫りに用ゆることなく、最も貴重せるものなりという」と。こういう大変貴重品であるしょうゆまでもいただくという接待を受け、ようやく二月一日、軍艦「天城號」が八丈島への漂着漁民を乗せて横須賀港に入港。二月三日、軍艦「浪速號」がこの漁民二百十名を乗せて横須賀港を出発し、二月四日午前八時、勝浦港外の山成島付近にいかりをおろして無事に漁民を引き渡した。
以上が「東牟婁郡誌」による勝浦サンマ漁船遭難の概略でありますが、ことしはサンマ船が遭難してから百周年に当たると聞いております。勝浦漁業協同組合初め遭難者を出した各漁協も、何らかの形で供養等について考えているようであります。県といたしましても、今なら絶対そんなことはあり得ないことでございますけれども、あの当時の対応が必ずしも適切ではなかったように思われますので、この際、懇ろに供養されてはいかがかと存じますが、知事の御所見をお伺いいたします。
また、遭難漁民に対して献身的な手厚い援護の手を差し伸べてくださった八丈島に対しても、何らかの形で感謝の意をあらわすべきではないかと思いますが、いかがでしょうか。そして、これを機に八丈島との交流のきずなをより深いものにしてはと思いますが、あわせて知事の御所見をお伺いいたします。
以上で、私の質問を終わります。
○議長(岸本光造君) ただいまの中村利男君の質問に対する当局の答弁を求めます。
知事仮谷志良君。
〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 中村利男議員にお答え申し上げます。
燦黒潮リゾート構想の推進の中で、紀南地域の海上交通の整備についてでございます。
先日の試験航海に乗船し、つぶさに現状を見ていただいて、心から感謝申し上げる次第でございます。
この整備につきましては、本県は燦黒潮リゾート構想でございますし、三重県はサンベルトゾーン構想と、ともに海をテーマとしておりまして、両県のリゾート構想の推進、さらには古い伊勢文化と熊野文化の交流促進といった観点から高速交通機関の導入が重要であると考え、一昨年の五月に紀伊半島知事会議で三重県の田川知事と検討を進めていくということで合意してまいったところでございます。その結果に基づいて試験航海をやりましたけれども、乗船された皆さんから非常に乗り心地がよいということを承っております。
航路開設につきましては、採算性の問題、また集客力の課題がございますけれども、こうした試験航海の成果を踏まえつつ、三重県や関係企業とともに具体化に向けて積極的に今後協議を進めていきたいと思っております。
次に、文化問題として、熊野文化を残すためのコンタクトセンターのような文化施設の設置を考えたらどうかということでございます。
お話のございましたように、昭和六十三年に文化デザイン会議を開催いたしまして、全国から一万五千有余の多数の皆さんに参加していただき、熊野文化についての認識を日本的に理解していただいたところでございますし、また熊野の自然、文化のすばらしさも理解していただきました。
その後、熊野古道──昨年は古道ピアを開催いたしました。また、中上健次さんを中心にして、地元において熊野大学ということでいろいろな研究討議もしていただいております。
御提言の問題につきましては、おっしゃられますように、日本人の心のふるさとでもある熊野でございます。そうした点から、御提言の趣旨を関係市町村と十分相談させていただいて今後とも協議してまいりたいと思っております。
それから、サンマ船の遭難百周年を迎えて、昔からのいろいろな遭難の状況等についてのお話を承りました。
私も、これを余り詳しく知らなかったわけでございます。先日、二階代議士が政務次官をしておられた際に八丈島へ参りまして、八丈島の皆さんから和歌山の遭難の話を聞いたということでお話を承り、また今、中村議員からその話を承ったわけでございます。
昔から特に、紀南から黒潮に乗って千葉や銚子の方へ行ったならば生き延びるけれども、遭難して八丈島やハワイへ行ったら亡くなるという話が伝わっております。そうしたことも、これらの大きな遠因でもあろうかと思います。
お話ございましたように、今、田辺の竜泉寺にも菩提寺があるようでございますし、勝浦にも菩提寺があるということでございます。また関係の漁業協同組合や町村でも、そうした霊を慰めるということでいろいろ協議しておるということでございますので、そうした地元の皆さんの意見を聞きながらこれの対策について考えていかなければならないと思っております。
昨年はトルコ軍艦の遭難百周年が大島で行われまして、それより一年おくれてサンマの遭難があったということにもなるわけでございます。そうした点につきまして、関係の町、漁業関係並びに地元の皆さんと十分対策を検討させていただきたいと思っております。
○議長(岸本光造君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(岸本光造君) 以上で、中村利男君の質問が終了いたしました。
これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
○議長(岸本光造君) この際、暫時休憩いたします。
午前十一時十三分休憩
─────────────────
午後一時三十三分再開
○副議長(橋本 進君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
○副議長(橋本 進君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
29番北村 翼君。
〔北村 翼君、登壇〕(拍手)
○北村 翼君 このたび、先輩各位の御高配をいただいて一般質問の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
世界注視の湾岸問題も、クウェートの解放、そしてまた昼のニュースでは停戦という運びに動いておるようであります。心から歓迎を申し上げる次第であります。
和歌山県の発展につきましては、先輩各位の各般の御努力の結果、漸次、その方途をたどっておるわけでありますけれども、私は選挙区の数点の課題につきまして御質問を申し上げ、御答弁をお願いしたいと思います。
橋本市は、昭和三十年、橋本町ほか周辺六カ町村を合併して市制を施行し、時の人口は三万三千人でございました。その後、昭和五十年に三万五千人となり、二十年間での人口の増加はわずか二千人でありました。しかし、昭和四十八年策定の長期総合計画による田園都市建設構想が昭和五十五年ごろより軌道に乗り、現在では四万七千人に達し、本年度中には五万人に達する予定でありまして、自立都市橋本として発展途上にある町となってまいりました。
昨年の人口増加率は全国都市中第三位であり、県政、市政ともに喜ばしいことではありますが、新しい町づくりを進めるための生活基盤施設となる教育、福祉、環境衛生、道路、公園、上下水道等、各分野における行財政はまことに多端であります。
こうした状況を踏まえ、県行政といたしましても、的確な見通しのもとに、橋本市が将来、紀の川中流域における核都市となるために強力な援助が今日ほど強く求められている時期はないのではないかと思っております。
県知事初め、県議会におかれましては、早くからこうした状況に着目され、京奈和自動車道橋本道路、また橋本市の大阪経済圏との交通の動脈であります府県間道路国道三百七十一号バイパス建設事業に着手していただき、市長を初め市民各層、官民挙げて歓迎しているところであります。本席をおかりいたしまして、心より厚く御礼を申し上げます。
つきましては、私が日ごろ感じている次の三点について県の指導方針をお伺いしたいと思いますので、御答弁をお願い申し上げます。
第一点といたしまして、橋本市民が熱望してやまない国道三百七十一号バイパス建設事業の促進と、これに連なる市脇─清水間紀の川架橋事業についての着手でございます。
国道三百七十一号線は、私より今さら申し上げるまでもなく、橋本、伊都郡内、高野山、龍神スカイライン、さらに串本に至る産業、観光ルートとして県勢の活性化にとってまことに重要な道路でありますが、現道では大阪経済圏との時間距離が途方もなく長く、連休などの夕刻は、橋本市の国道二十四号線から河内長野市までの交通渋滞は目に余る状況であります。これでは、二度と和歌山を訪れる気にはならないと思われ、早期にバイパスの建設が完了することを期待するところであります。
また、橋本市は紀の川を挟んで南部、北部に分かれており、河南には行政間格差を訴える市民も多く、国道三百七十一号バイパスの南部への延伸として紀の川に一日も早く架橋をと熱望しております。
河南には南海電鉄の紀伊清水駅、学文路駅が、また大阪への通勤が一時間の圏域でもあり、伊都県事務所までは紀の川を挟んで指呼の距離であります。橋本市における紀の川架橋の事業効果ははかり知れないものがあると同時に、県としても、高野山より串本への玄関口としてまことに重要な事業であります。
ここで、まず知事の今後の取り組みについてお伺いいたします。
次に、現在事業化が図られています区間のこれまでの進捗状況と今後の見通し、並びに平成三年度以降の計画をお示しいただきたいと思います。さらに、大阪府河内長野区間の進捗状況並びに紀の川架橋の事業化予定につきまして当局の御見解をお伺いします。
二点目といたしまして、橋本・伊都地方を対象とした県事業による文化、体育を目的とした総合センターの建設計画を提起し、御質問をいたします。
県は、昭和六十一年に策定した長期総合計画「新世紀の国21」により、活力と文化あふれるふるさとづくりを基本目標に、コスモパーク加太、南麓サイエンスパーク、和歌山マリーナシティ、南紀JET計画、海辺のふれあいゾーン計画等、豊かな自然を前面に出し、いずれも今日の時代感覚にマッチしたすばらしい計画であり、私といたしましてもこれの早期実現化をこいねがう一人であります。
橋本定住圏構想の中でも、橋本市では大阪都市圏の居住地として大規模住宅地が建設されているが、今後、職・住・文化が融合した居住文化エリアの形成を図るとうたわれており、具体的には諸施策の中で教育・文化・スポーツ・レクリエーション施設を整備し、橋本市の運動公園など都市公園事業を推進する旨、明確に計画を策定されております。
しかしながら、我がふるさと橋本周辺に目を移すとき、こうした施設がないため、県民の新しい住民サービスの期待にこたえるために文化、スポーツ、触れ合いの場を提供できる総合センターの設置を強く望むところであります。
橋本市では現在、これらの要望にこたえるべく、年次計画で総合運動公園を建設すべく国、県の御援助をいただきながら三十ヘクタールばかりの用地取得を終え、現在、市民プールを建設中でございます。この用地を利用し、伊都・橋本圏域における文化、スポーツの殿堂として総合センターの建設をぜひ計画していただけないものか、お伺いをいたします。
第三点目といたしましては、橋本市の中心市街地整備計画に対する県当局の指導方針と今後の取り組みについてお伺いいたします。
まず、若干の経過を申し述べさせていただきます。橋本市は、既に申し述べましたように、住宅開発施策を市勢伸展の柱として今日まで進めてまいりましたが、新旧市街地の都市整備の格差是正が課題となっているわけであります。橋本駅前周辺地区は古くから政治、経済の中心地として栄えてまいりましたが、今日では次のような課題を抱えております。
北部丘陵地の開発による河川の流量増加により、地区内を流れる橋本川を現在の二倍強の広さに拡幅しなければなりません。このため約百二十四世帯の立ち退きをしなければならないこと、また、この河川は上流側がすべて改修済みにもかかわらず、地区内約三百六十メートルが未改修の状況にあり、早期に改修の必要に迫られている状況にあります。さらに、国道二十四号線には歩道もなく、駅前の県道は一方通行であり、地区内の六商店街は衰退の一途をたどっています。
このような中で橋本市は、県の指導を受け、昭和六十四年に当地区一帯十六・三ヘクタールについて土地区画整理事業の都市計画決定を行いました。本事業は、地区内八百二十六戸の家屋をすべて補償の上更新し、公共用地は約一六%の減歩で生み出す事業であり、総事業費は二百億円を超えるであろうと言われる壮大な事業であります。
事業のうち約五〇%は国費、残りは市費であり、県費はほとんどないと伺っております。橋本市における年間建設予算は補助事業を合わせて約二十五億であります。本事業に毎年市費三億円を注ぎ込んだといたしましても七十年の歳月を要するもので、地区内の民家は老朽化しており、建てかえ時でも、計画決定により木造または鉄骨の二階建てまでしか認められません。しかし、高齢化が急速に進む中で、三度にわたるアンケート調査でも二九%の賛同しかなく、計画は行き詰まっております。
また一方では、行政に任せておいてはいつになるかわからない、町づくりは自分たちの手でと、駅前の一部の住民が市街地再開発準備組合を組織し、駅前再開発事業に自主的に取り組んでおります。まさに泥沼化している実情にありますが、要するに、橋本市の土地区画整理事業実施上の困難性、関係住民の事業への参加意識のずれ、国、県管理による河川・道路等の整備の緊急性等、問題があり、至急に交通整理をし、的確な行政の対応が必要と思われます。
市の担当者は、県に対し、都市計画の見直しと指導援助をするとともに、急を要する河川改修事業は直接買収事業で着手してほしい旨、要望しているようでございます。私も、都市計画の何たるかは理解できるところでありますが、これだけの大事業を市の力量で解決できる方途はないものと察します。本事業について、私は県、市が相協力して現実に取り得るべき行政手法を検討し、国の御援助を仰ぐべきが適切であると考えているところであり、当局においても早期に明快な解決のための指針を示されるよう望むものでございます。
そこで、次の三項目について御答弁をお願いいたします。
第一に、土地区画整理事業の都市計画決定の見直しについて、計画変更が可能なのかどうかをお伺いいたします。また、仮に橋本川の改修を含む一部分でも土地区画整理事業として事業化に着手するとしたならば、県として人的援助、また財政的援助はどのようにお考えになられておるのか、お伺いします。
次に、昨年の十九号台風時には紀の川の増水のみで当地区が浸水直前になりました。橋本川にバックウオーターが押し寄せるからであります。万一浸水の節は、国、県、市ともに行政責任を問われかねない現状にあります。橋本川の河川改修の緊急性についてどのように御認識されているのか、お聞かせください。また、現在取り組まれています状況をお聞かせください。
最後に、橋本駅前の住民二十数名が、市街地再開発事業を組合施行で組織し、駅前にビルを建設し、商業床並びに住宅床を配置して橋本市の玄関口として回生を図るべく一年余り積極的な取り組みを行っていますが、これも前述の計画決定との整合上、認可が下るのか大変心配している状況であります。
また、他府県では国費を除く残りは県市折半の補助制度を採用していると承っておりますが、県下では前例がございません。住民みずからが立ち上がる公共事業には行政としても前向きに対応すべきだと考えます。
そこで、このような再開発プランに対し、県としてどのように対応していかれるのか、事務手続上の課題並びに補助制度についてどのようにお考えなのか、お聞かせください。
以上、日ごろより感じている諸点についてお伺いしたわけであります。私にとりましては初めての県政壇上に立っての御質問をさせていただきましたので、まず地元橋本市の行政課題につき重点的に精いっぱいの陳述を申し上げました。今後とも御指導を賜るとともに、和歌山県の東の玄関口としての橋本市に御厚情賜らんことをお願いして、一般質問を終わります。どうもありがとうございました。
○副議長(橋本 進君) ただいまの北村翼君の質問に対する当局の答弁を求めます。
知事仮谷志良君。
〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 北村議員にお答え申し上げます。
橋本市の飛躍発展のための、国道三百七十一号バイパス建設事業の促進と紀の川の架橋着手についてでございます。
三百七十一号橋本バイパスは、話もございましたように、本県の東部と大阪を結ぶための重要な府県間道路でございまして、県政の中でも最重点的に積極的に取り組んで事業に着手しているところでございます。今後とも、大阪府と府県間協議を通じて連携を密にし、大阪から紀見トンネルまでの間の改修の問題、トンネルから橋本へのバイパスについても、なお一層積極的に取り組んでまいる所存でございます。
また架橋につきましても、話ございましたように、橋本市の中心市街地と河南地域を結ぶことにより地域住民の利便性の向上に非常に役立つということは十分承知しているわけでございます。今後とも、諸般の情勢を見きわめながら事業化の時期につきまして検討してまいりたいと思っております。
○副議長(橋本 進君) 土木部長磯村幹夫君。
〔磯村幹夫君、登壇〕
○土木部長(磯村幹夫君) お答えいたします。
まず、国道三百七十一号橋本バイパスの進捗状況と今後の見通しについてでございます。
県境から国道二十四号までの橋本バイパス七・七キロメートルのうち、三石台から慶賀野橋までの間一・三キロメートルは既に完成しております。残る六・四キロメートルの区間については、全区間事業化しており、現在、路線測量、詳細設計、地元協議を進めているところでありまして、平成三年度からは本格的な用地買収に着手したいと考えております。
また、大阪府下河内長野以南の進捗状況についてでございますが、大阪側の国道百七十号外環状線から河内長野市石仏間三・五キロメートルについては、平成元年二月に供用開始されております。石仏より府県境の間については、大阪府においてトンネル部等の調査を進め、早期に全区間にわたって事業着手を行い、事業の促進を図ることとなっております。
次に、市脇─清水間の紀の川架橋についてでありますが、国道三百七十一号の橋本橋が昭和五十三年に二車線の橋梁としてかけかえされておりますので、今後、河南地域での土地利用の状況、また、現在、河南地域で事業中の県道和歌山橋本線の交通状況の推移を見ながら検討してまいります。
次に、橋本運動公園における文化、スポーツ等の総合センターの建設についてでございますが、橋本運動公園については、橋本市が都市計画事業で市民のスポーツ、レクリエーションの場として昭和五十五年度よりその整備に取り組んでいるところであります。この運動公園に文化、スポーツの総合センターを建設することについては、貴重な御提言と思いますので、事業主体である橋本市から具体的な要請があれば関係機関とも十分協議を行ってまいります。
次に、橋本市中心市街地整備計画と今後の取り組みについてでございますが、橋本駅周辺の中心市街地は、議員御指摘のとおり、都市基盤整備がおくれ、地区内の商店街も衰退しつつあります。このため、本地区の整備は橋本市にとって緊急の課題となっておりますが、町づくりの基本的考え方が必ずしも確立されていないことから、県としては、橋本市が本地区整備の基本方針を早急に策定するよう指導しているところでございます。
土地区画整理事業の計画変更については、国、県、市において本地区の整備の基本方針を協議する中で、必要であれば対処してまいります。
また、本地区の土地区画整理事業を推進する上で必要な人的、財政的援助については、橋本市から具体的な要望があれば、必要に応じ、国とも協議しつつ検討してまいります。
次に橋本川の河川改修についてでございますが、橋本川の河川改修事業は、橋本林間田園都市計画による大規模開発を契機として昭和四十八年度より中小河川改修事業で着手いたしました。全体改修計画は、橋本川本川で千九百二十メートル、支川東谷川で三千五百十メートル、合計五千四百三十メートルの計画となってございます。
現在の状況は、議員お示しのように、紀の川合流点からJRまでの区間、すなわち中心市街地土地区画整理事業区域に含まれる三百六十メーターを残し、その上流は概成しております。
河川改修の緊急性については、昨年秋の台風十九号による出水状況、橋本川流域における宅地化の進展、府県間道路の改良等を考えますと早急に改修を進める必要があると認識しておるところでございます。この区間の取り組みにつきましては、当初、土地区画整理事業の中で河川用地を取得することとしておりましたが、区画整理事業の進展が見られないため、河川改修事業の緊急性を考慮し、昭和六十二年度より河川事業で直接買収を進めているところでございます。
しかしながら、河川事業用地に係る地権者の中には区画整理事業の進展を期待する人もあり、この人たちには交渉に応じていただけないのが実情であります。このような問題を整理すべく、昨年より国、県、市の関係者で協議を行っているところであり、この三月の中旬には河川改修事業の今後の基本方針を決定すべく、準備を進めているところでございます。
次に、市街地再開発プランに対する事務手続上の課題と補助制度についてでございます。
橋本駅前再開発ビルの建設については、議員御提言のとおり、地区権利者から成る組合施行により、土地区画整理事業との合併で再開発事業を実施しようとするものであります。このため、事業を前提とした再開発事業推進計画を市において現在策定中であります。今後、土地区画整理事業の進捗状況を踏まえ、組合の設立認可等、必要な事務手続について市に対して地元と十分調整を図り、速やかに手続ができるよう指導してまいります。
また、事業化の段階に至った場合には、事業費の補助について国等から補助金の導入が図れるよう検討してまいります。
以上でございます。
○副議長(橋本 進君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
29番北村 翼君。
○北村 翼君 再質問ではございませんけれども、清水の架橋の問題、それから文化、スポーツ施設の問題、今後ともよろしくお願いを申し上げたいと思います。
特に、この区画整理の問題につきましては、橋本川の緊急性についてもただいま御答弁をいただきましたけれども、民間で町づくりをやろうという再開発の動きも出ておりますので、そういった希望がかなえられますように今後とも御指導をお願い申し上げたいと思います。
以上、要望させていただきます。
○副議長(橋本 進君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で北村翼君の質問が終了いたしました。
○副議長(橋本 進君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
47番藤沢弘太郎君。
〔藤沢弘太郎君、登壇〕(拍手)
○藤沢弘太郎君 有権者、支持者の皆さん方の並み並みならぬ御支援で県議会議員に送り出していただいてから、三期十二年が瞬く間に過ぎました。そしてきょう、二月県議会で最後の質問に立たせていただいております。感無量であります。
この間、国政選挙にかかわる議会日程が縮められた関係での二回を除き、毎議会で質問を行ってまいりました。この質問の機会を保障していただいた先輩議員並びに同僚議員の御理解と御協力に改めて厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。
私は、一九五〇年、昭和二十五年にアメリカ占領軍の戦争政策に反対したとの理由で弾圧を受け、その関係で滋賀県から和歌山県に移ってまいりました。和歌山に来て直面した最初の大きな闘争は、御坊における部落差別に対する闘いでありました。その翌年、和歌山県を襲ったのが七・一八大水害でした。一夜にして多くの人命が奪われ、家と田畑、山そして家畜を奪われた人々と、私は御坊市で住民の人たちと泥まみれで連日復興に取り組みました。こうした中で、和歌山に骨を埋める決意を固めたのであります。
幸いに県会議員に当選させていただき、切実な要求を議会での質問や運動を通じ、至らぬところは多くありましたが、その実現のために必死の思いで頑張ってまいりました。県民の立場に立つ県政を確立するという信念のもとに、県政の評価すべき点は正しく評価し、また大企業本位、県民に背を向けた政治に対しては積極的に批判をしてまいったと考えております。
私は、今後の県政が県民を主人公とした民主的な県政へ向けて大きく前進していくことを切望するがゆえに、最後の本会議においても質問に立たせていただいた次第であります。御了承をお願いし、質問に移らせていただきます。
初めに、情勢が時々刻々急激な展開をしてきました湾岸戦争と、それに関連する問題についてお尋ねをしてまいります。
本日、アメリカのブッシュ大統領が戦闘の一時停止を明らかにしたとの報道を聞きました。既にイラクのフセイン大統領は、二十六日、イラク軍のクウェートからの撤退を同日中に実行するとみずから声明しました。我が党は、この声明が無条件で直ちに実行され、それによって速やかな戦争終結と問題解決に展望が開かれることを期待し、大きく情勢が切り開かれた中で、以下の点について知事の御所見を承りたいと思います。
私はまず、今日の激変する情勢のもとで日本国民として重要なことは、日本国憲法の平和原則に立って、戦争協力ではなく、あらゆる機会に戦争終結、イラクの完全無条件撤退、中東の公正な平和を求めて世界に働きかけることにあると考えます。
次に、海部内閣は開戦すると直ちに戦費追加支出や自衛隊派遣を決めるなど、アメリカの要求に迎合して九十億ドルをいかに捻出するか、自衛隊機派遣の正当化を図ることを重視してまいりました。特に、地上戦の開始という事態にかこつけて九十億ドルの支援に全力を挙げるなどということは、憲法上でも絶対許されないことと考えます。
引き続いて、湾岸戦争開戦後、二月に入って国連のデクエヤル事務総長がフランスの新聞「ル・モンド」などのインタビューで、「今の戦争は国連の戦争ではない。そこには国連の旗もないし、国連のヘルメットもない。私は、ただいろんな軍事行動がとられた二、三日後にそういうことがやられたという報告を聞くだけだ。国連がこの戦争に責任を負っているとは言えない」と語りました。湾岸戦争は国連から独立した戦争であるということを、国連の事務総長がはっきりと認めているのであります。国連事務総長のこの表明は重大な問題を含んでいると考えます。
本県にとりましても、中東地域や周辺地域諸国との関係もあります。知事から、以上の三点についての所見をお聞かせいただきたいと存じます。
湾岸戦争と関連して、県内産業問題についてお尋ねをいたします。
県内産業で中東地域及び周辺地域諸国との貿易関係にある企業がありますが、これらの業種及びどのような影響を受けているかについてお聞かせいただきたいと思います。
例えば、戦争状態によって輸送ルートの変更を余儀なくされ、輸送日数がふえたことによる各種の損失や輸出入の停止などの事態が存在したのかどうか、損害があった場合の補償はどのようなことで解決されるのかについて、商工労働部長からお答えください。
次に、一月二十二日付自治準企第三号で、中東地域への医療団派遣に対する協力についての依頼が自治事務次官から都道府県知事や指定都市市長に出されております。これによると、医療団に協力の意向を持っている医師等の推薦方についての配慮のお願いとなっております。多国籍軍への従軍的傾向の強いこの医療団派遣要請にどのような対処をされてきたのか、総務部長からお答えを願います。
次に、臨調・行革路線と今後の県政について質問をいたしてまいりたいと思います。
ことしは、臨調・行革が開始されて十年、地方行革が進められて五年になります。軍備拡大と大企業奉仕、国民生活破壊のこの路線のもとで、福祉、教育が切り捨てられ、多くの困難と犠牲が住民に押しつけられてまいりました。
臨調・行革の真のねらいはどこにあったのでしょうか。それは、今日明らかになっているように、行政改革推進を表看板にしながら、大資本のためのばらまき財政が残した膨大な借金の後始末と軍備拡大、海外進出という二つの目的のための費用を国民に押しつけること、さらに、財界の二十一世紀へ向けての戦略や反動的な理念に基づいて既存の制度の見直しを進め、体制を編成することという二点にありました。
この十年間の臨調の歩みは、戦後、憲法が確立した民主的原則に基づいて国民が長い間の運動を通じてかち取ってきた諸制度、とりわけ社会保障、福祉、教育、地方自治を初めとする民主的な制度への総攻撃にほかならなかったのであります。
仮谷知事は、政府の臨調・行革路線を積極的に県政の柱とするために取り組んでこられました。一九八五年、すなわち昭和六十年十二月には、政府の方針に基づき、和歌山県行政改革大綱が作成をされました。和歌山県政がこの大綱を柱としてどのような変遷をなしてきているのか、特に県民の福祉、教育、暮らし、平和はどのような歩みをなしてきたのであろうか、歴史的に振り返ってみたいと考えるものであります。
まず、本県人口と産業の関係についてお尋ねをいたします。
昨年、一九九〇年の国勢調査が実施をされました。その結果、本県においては、五十市町村中八二%に当たる四十二町村で人口が減少、前回の一九八五年、昭和六十年国勢調査に比べて一万二千八百八十八人もの人口が減っているのであります。
人口減少の主な要因として県当局が挙げているものを見ますと、前回に比べて四千七百九十八人の人口減少となった和歌山市では、「大手製鉄所が六十一年十二月に中期経営計画による合理化(鉄鋼部門の六千人削減)に入り、下請けを含めた関連企業の雇用者の減少」と「地価高騰による近隣町村への人口流出」の二つが挙げられております。
産業との関連を中心に見てみますと、海南市では「大手製鉄会社、石油関連会社等の規模縮小」、有田市では「石油関連会社等の県外関連事業所への派遣」、御坊市では「電力会社の火力発電所が六十年から営業運転に入ったため、建設作業関係者が転出」、新宮市では「旧国鉄、旧電電公社、旧専売公社の民営化による転出」「大手製紙会社の規模縮小」、下津町では「石油関連会社等の操業停止による人口減少」、由良町では「御坊火電工事に伴うケーソン製造関係作業者の転出」と「大手造船会社の規模縮小」が挙げられております。また、かつらぎ町、高野口町では「零細事業所が大半を占める経済構造であるため、県外他市町村への人口の流出」が、串本町、那智勝浦町では「遠洋、沿岸漁業の操業縮小」が挙げられております。
以上の実態は何を物語っているのでありましょうか。県政は歴代にわたって大企業奉仕の政治を続けてきました。大企業に対して多くの金を注ぎ込みましたが、これらの企業は企業の都合だけによって労働者を首切り、また、さっさと和歌山を捨てていっているではありませんか。このような大企業の横暴を許しておいてよいものでしょうか。
仮谷県政が力を入れてきたことが人口減少の大きな要因になっているとお考えになりませんか。こうした県政のあり方が今大きく問われているのではありませんか。人口減少は県勢の落ち込みのバロメーターでもあります。
一方、人口が増加している南部川村を見てみますと、特産である梅の栽培拡大によっての増加であります。これは、地場産業や農業など、地域に根を張った産業の拡充が人口の定着化と増大に貢献することを示す基本的な姿であり、大企業優遇の姿勢を改め、つり合いのとれた産業を築いていく県政を確立することが重要であることを強調いたしたいのであります。
以上述べてまいりました諸点について、知事の明確な御答弁をお願いいたします。
商工労働部長から、この十年間における鉄鋼、石油、製紙関係労働者の動向について、国勢調査の内容とも関連してお答えいただきたいと思います。
次に、和歌山県経済の重要な位置にある地場産業、中小商工業についてお尋ねをいたします。
紀陽銀行発行の「経済月報」一九九〇年十二月号に、地場産業の市場占有率調査十二品目の内容が特集されております。十年前の昭和五十六年の市場占有率、いわゆるシェアと比較した六十三年の現状は、企業の努力にもかかわらず、一部を除いてはシェアの状況に、順位も含めて大きな変動はありません。
本県の地場産業の特質は、メリヤスなどの繊維、皮革に代表されるように、伝統的な素材型産業が柱となっており、付加価値の高い事業が少ないことであります。素材型産業の特質を生かすとともに、付加価値の高い産業への発展が強く望まれてきております。また、産業の内容から見て家内工業的性格を持ったものも多く、従業者の状況も事業所によって多種多様であります。
商工労働部長にお尋ねをいたしますが、ここ十年間における地場産業の特徴について、特に規模別出荷額と従業者の状況、業種別の企業倒産件数とその理由、また素材型産業の振興と付加価値の高い産業の発展に対する具体的施策についてお答えください。
さて、農山村における過疎化は、日本の基幹産業である農業に対する政府の施策とも相まって、深刻という域を超えた事態となっています。とりわけ後継者問題は、県政にとっての重要課題であります。水産県和歌山と言われる漁業においても同様であります。
農林水産部長にお尋ねをいたします。この五年間に新規に中学、高校、大学卒業者で農業を継いだ青年がどれだけあったのか、またUターン青年はどのような状態なのか、県として後継者対策にどう取り組んできたのか、そこでの問題点と今後どのような具体的対処を考えているのかについてお答えください。山村、漁業についてもあわせてお答えを願います。
続いて、臨調・行革の集中的な攻撃を受けた福祉切り捨て問題についてお伺いをします。
「福祉を充実すると先進国病になる」という政府の宣伝が振りまかれ、「自立互助」「民間活力」が唱えられ、社会保障、社会福祉などに対する国や自治体の財源が削減をされました。本県も政府の補助金カットなどによるしわ寄せを受け、財政的困難を来したことも事実であります。
こうした事態の中で、県民の切実な要求運動と関連して一定の積極的施策もとられてまいりました。しかし、政府が老人医療無料化から有料化への方針を打ち出したとき、知事は政府の予算化が行われない以前から無料化の予算を打ち切られました。その議会で我が党議員団は、仮谷県政が「福祉和歌山」と言いながらの老人に対する冷たい仕打ちを批判し、無料化のために必要な約十一億円の財源は、例えば基金を初め、高野龍神スカイラインの赤字解消のための年間八億五千万円の無利子貸付金などの財源を県民本位に考えれば十分対応できるとして、有料化をやめて無料化の回復を行うよう提案をいたしましたが、知事はこれを無視されました。
また、県が単独で対処され、喜ばれてきた、寝たきり老人に対する年間六千円の見舞い金、重度重複障害者への年間六千円の見舞い金、また病没母子家庭への見舞い金なども打ち切ってしまわれました。
県は、六十年度からこれらの見舞い金を見直して、例えば寝たきりのお年寄りには、おむつなどの現物支給をしていると言っております。しかし、お年寄りは、年一回楽しみにしていた見舞い金が来なくなり、その上、申請をしないと現物がもらえない状態に置かれたのであります。さらに、高齢のお年寄りに対する長寿祝い金が、今までの八十五歳が打ち切られ、九十歳以上に引き上げられました。私は、長寿と言えば七十歳以上と考えてもよいのではないかと思います。
知事にお尋ねをいたします。老人医療無料化の復活や各種見舞い金の復活、長寿祝い金をさしあたって今までの八十五歳までに戻すことを初め、打ち切られた福祉関係の制度を戻すよう取り組まれたいと考えますが、知事の御所見をお伺いします。
民生部長と保健環境部長にお伺いをします。
老人医療の無料化や各種見舞い金の復活、長寿祝い金の年齢引き下げを行うとすればどれだけの予算化が必要なのか、それぞれの項目についてお聞かせください。
次に、県の各種積立金である基金についてお伺いをいたします。
この問題は、第一日目に我が党の村岡キミ子議員が質問をいたしておりますので、これとも関連をしてただしてまいりたいと存じます。
自治省の財政局長は、各種積立金いわゆる基金について、元年度は十三兆円に上り、このままでは来年度は十七兆円を超えることを、去る一月二十一日から三日間開かれた都道府県財政課長会議で明らかにいたしました。基金は、財政調整基金、減債いわゆる県債管理基金と特別目的基金から成っておりますが、政府資料によりますと、都道府県の基金は九〇年末の見込みで約六兆二千億円に上るということであります。
本県の基金について見ますと、一九九一年末予定には、補助金カット等の調整債あるいは財源対策債の国の補てん分約四百億円の前倒しが含まれているとはいえ、千二百五十一億円余が見込まれているのであります。
政府による地方行革の押しつけの中で、地方自治体は福祉や教育、住民サービス関連を削り、公共料金や住民負担の引き上げの中で基金が積み立てられてきました。本県の基金は、この十年間に約三倍の額になっています。二十基金のうち、特定目的の基金として必要なものもあります。しかし、基金全体を住民の福祉、教育などに有効に使用することが県民本位の県政であると考え、以下の諸点について総務部長から答弁をいただきたいのであります。
まず、財政調整基金についてであります。
この基金は、一九九一年末予定で百三十六億円余となっております。この基金を、さきにも述べました臨調・行革で廃止された老人医療費の無料化の復活や各種見舞い金などの復活を初め、福祉、教育など、県民のために積極的に活用するよう対処されたいのであります。
次に、県債管理基金についてであります。
一九九一年末予定の基金残高は六百十二億円余にもなり、これは一九八九年度決算における基金残高の実に四・四倍、十年前に比べると十倍以上の多額の積み立てとなっているのであります。第一日目における総務部長の答弁では、県の借金の元利償還として毎年三百億円程度が必要ということでありましたが、本年度県予算案によりますと、一般会計で公債費二百五十億円余が計上されておりますから、県債管理基金からは五十億円ということであります。
そこで、この県債管理基金を来年度から仮に百億円あるいは百五十億円にするならば、一般会計の公債費を大幅に減額し、住民に犠牲を押しつけてきた、福祉を初め県民のために使用すべきであると考えます。
また、特定目的基金についても一九八〇年度からの基金残高の推移や内容を見てみますと、もっと積極的に活用すべきものや、基金としてでなく年度計画で可能なものなど、基金内容の見直しなどを検討すべきであると考えられるものがあります。御答弁をお願いいたします。
以上で、私の質問を終わります。ありがとうございました。
最後に、重ねてごあいさつ申し上げることをお許しいただきたいと思います。
先輩・同僚議員の皆さん、十二年間にわたる温かい御交誼、心から厚く御礼を申し上げます。あと一カ月に迫った一斉選挙で勝利へ向けての御奮闘を御期待申し上げるとともに、今期ともに勇退される皆さんの御健勝をお祈りいたします。
知事初め県職員の皆さん、また今期で退職される皆さん、議員生活を通じ、数多くの勉強をさせていただきました。ありがとうございました。
最後になりましたが、私を県議会へ送り出していただきました皆さんに、議場からではございますが、厚く御礼を申し上げます。
議員生活の体験を今後の人生に大きく生かしていくために、うんとうんと頑張っていく決意でございます。ありがとうございました。
○副議長(橋本 進君) ただいまの藤沢弘太郎君の質問に対する当局の答弁を求めます。
知事仮谷志良君。
〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 藤沢議員にお答え申し上げます。
湾岸戦争につきましては、お話ございましたように、二十六日、フセイン大統領がイラク軍のクウェートからの撤退を表明したと伝えられたところでございますけれども、さらに先ほど、ブッシュ大統領が本日二時に戦闘行為を一時停止するとの声明を発表したとの報道がございました。私としては、国際動向を注視しつつ、これが一日も早い和平の実現につながることを心から願うものでございます。
なお、御指摘ございました自衛隊機の派遣でございますけれども、これについては、自衛隊法の規定に基づいて既に関係政令が定められているところでございますし、また湾岸平和基金拠出金の九十億ドルについては、平和回復活動を行っている関係諸国が大きな負担を余儀なくされている現状等にかんがみ、我が国としてもできる限りの措置をとるためのものとして、政府の決定により、現在、国会で議論されているところでございます。
さらに、今般の湾岸戦争については、国連安全保障理事会の決議に基づく国際社会全体の共同行動であると理解しておるところでございます。
次に、行革との関連において人口減少に対する知事の考え方と基本姿勢ということでございます。
一昨日、渡辺議員が過去の本県の歴史を振り返って、時代とともに世の中は変わっていく、しかし、一時的な流れに左右されることなく基本を眺めていかなければならないというお話がございました。先ほど来お話しの本県の産業振興に係る取り組みについては、基本的には戦後の我が国の産業政策と非常に関係がございます。日本の復興のためには高度経済成長、そしてそのためには重化学工業が発展してまいりました。
特に、和歌山県においては、海岸との関係上、重化学工業が発達した。しかし、日本を襲った二度にわたるオイルショックを初め、世界経済の急激な変化により重化学工業の事業規模の縮小等、本県産業が非常に厳しい局面を迎えたことは事実でございます。
そうした中で、県としても事業規模の縮小に伴う県経済への影響をできるだけ少なくするよう企業に対して善処方を申し入れてまいったところでございますが、公害問題、産業立地上の問題等と相まって今日に至っているのが現状でございます。
一方、産業構造の転換に向け、加工組み立て型産業の育成、企業誘致や各種プロジェクトの実施に取り組んでいるところでございまして、和歌山県の新しい企業のあり方といったものについて積極的に取り組んでおり、今後ともなお一層取り組んでまいりたいと思っておるところでございます。
次に、臨調・行革による福祉への対処でございます。
福祉・健康和歌山の実現は県政の重要な柱として取り組んでまいったところでございまして、御質問の点については、厳しい環境の中で今後新しく生じるであろう問題、必要性、緊急性、総合的な検討を加え、スクラップ・アンド・ビルド方式を含めた見直しを行ったものでございます。
県民の健康・福祉の向上については、私の政治信念でございますので、今後とも積極的に取り組んでまいりたいと思います。
最後に、藤沢議員には、三期十二年にわたり県会議員として御活躍いただきました。政治的立場の違いはあれ、議会人としての姿勢に敬意を表するとともに、議員の今後ますますの御健勝を心からお祈り申し上げます。どうもありがとうございました。
○副議長(橋本 進君) 商工労働部長天谷一郎君。
〔天谷一郎君、登壇〕
○商工労働部長(天谷一郎君) まず、湾岸戦争の県産業への影響等でございます。
本県における中近東貿易のうち、輸入については、平成二年八月から十二月の間で約八百九十九億二千七百万円で、前年同期に比べますと約一四〇%の伸びでございます。そのほとんどが石油関連製品でございます。
次に輸出でございますが、同じく平成二年八月から十二月の実績は約四十四億六千七百万円、前年同期に比べて約五〇%と落ち込んでございます。輸出の主なものは、鉄鋼で約四十億九千百万円、光学器械、繊維機械等で約三億四千八百万円、その他が約二千七百万円でございます。
次に輸送コスト等の問題でございますが、対ヨーロッパ輸出が一部ケープタウンを経由している等の理由により、トン当たり八ドル上昇してございます。また、対中近東輸出においては、保険料率が貨物価格の〇・五%以上上昇してございます。
各業界、団体等においては、現在のところ大きな影響はないとのことでございますが、今後の状況によっては地場産業への影響も懸念されるため、引き続き事態の推移を慎重に見守ってまいりたいと考えてございます。
次に、十年間の労働者の動向でございます。
御指摘の企業の業種別のこの十年間の労働者の動向を見ますと、鉄鋼では昭和五十五年が一万一千百六十八名、平成二年では六千五百名とその他県内関連企業等への出向者が三千六百四十名、計一万百四十名でございまして、一千二十八名の減でございます。石油三社では、昭和五十五年が二千三十九名、平成二年で九百九十五名と出向者が三十八名の計千三十三名で、一千六名が減少しております。パルプは、昭和五十五年が四百二十名、平成二年で二百三十二名に出向者が百六十九名で計四百一名、十九名が減少してございます。
これら企業の従事者の減少要因は、日本の産業構造が素材型から加工型に大きく構造転換したこともございますが、中期経営計画による合理化なり減産による規模の縮小等、そしてまた労働力のサービス業等への流出なども要因となっていると考えてございます。
それから、地場産業の特徴と今後の具体的施策でございます。
地場産業は、郷土の長い歴史の中で育て上げてきた自前の産業でございまして、地域経済の最大の担い手として、県においてもその振興を積極的に図ってきたところでございます。
規模別出荷額でございますが、昭和五十四年と六十三年を比較いたしますと、従業員数三百人以上の大企業の出荷額が一兆二千九百六十億三千五百万円から一兆五百六十四億一千百万円で、八一・五%と落ち込んでございますが、地場産業に代表される中小企業においては、八千二百九十二億八千万円から一兆七百三十七億四千三百万円と、一二九・五%の伸びとなってございます。
また従業者の状況でございますが、五十四年は八万五千九百三十七人、六十三年は七万七千六百十一人と、八千三百二十六人の減でございます。この主な要因としては、円高や産業構造不況に伴う経営の合理化等によるものと考えられます。
次に、業種別企業倒産件数とその理由でございます。
昭和五十四年から六十三年までの十年間で負債額一千万円を超える倒産は累計で八百九十一件に上りますが、昭和六十一年から平成二年にかけては減少を続けており、中でも平成二年は過去最低の三十五件でございます。業種別に見ますと、卸小売業が三百三十一件と多く、次いで製造業が二百三十件、建設業が百九十六件等となってございます。倒産の理由については、放漫経営によるものが最も多く、次いで市況悪化による販売不振で、この二つの要因による倒産が全体の約九〇%を占めてございます。
次に、素材型産業の振興と付加価値の高い産業へ発展させる具体的施策でありますが、基本的には、単なる物づくりや下請的生産に終始している受注依存型体質から、価値観づくりと消費者に対して積極的な企画提案ができる地場産業を目標に、新商品、新技術の開発やデザイン、ファッション等、ソフト部門の充実を図ることが緊要であると考えております。
そのため、県においては、従来の施策に加え、工業技術センターを研究開発型機能及び開放交流型機能を備えた魅力ある研究開発支援施設として整備するとともに、県内外の大学、公設試験研究機関等との連携を図り、産・学・官の技術交流や人材育成と各種事業を効果的に実施するため、テクノ振興財団を設立することとし、地場産業の高付加価値型産業への脱皮を目指してまいりたいと考えてございます。
以上でございます。
○副議長(橋本 進君) 総務部長山中昭栄君。
〔山中昭栄君、登壇〕
○総務部長(山中昭栄君) 初めに、中東地域への医療団の派遣に対する協力要請についてでございます。
本年一月に自治事務次官から文書をもって、公立病院において医療団に参加の意向を持つ医師等の推薦について、本県への依頼と市町村への趣旨伝達の要請がございましたので、県立医科大学と公立病院を設置する市町村に対してその趣旨を通知したところでございます。
なお、医療団の派遣は難民キャンプ等において被災民等の救済活動を行うためのものでございます。実際の医療需要、派遣先国の意向あるいは医療団の安全確保等を考慮して決定され、特に、中東地域における戦闘行為が継続中は派遣されないものと聞いておりますし、また医療団に参加するかどうかはあくまでも医師等の自発的な意思によるものでございまして、その性格上、強制すべきものではないと承知をしております。
なお、現在までのところでは、県立医科大学、公立病院ともに医療団への参加の申し出はない状況でございます。
次に、基金の取り崩しについてでございます。
まず、御指摘のございました財政調整基金は、県財政の健全な運営を行うために、例えば経済事情の変動等による著しい財源不足に対処をする等、年度間の財源調整を行うために設置しているものでございます。その残高は平成二年度末で百四十五億円、三年度末で百三十六億円となる見込みでございますが、本県のように税収構造が石油あるいは鉄鋼といった特定の業種に依存をし、経済の変動に左右されやすい不安定な構造となっている団体にあっては、財政運営上ある程度の残高を確保しておくことが必要であると考えております。
お尋ねの福祉関係経費については、その必要性、緊急性等、総合的な観点から検討を加え、見直しを行ったものでございますが、もとより福祉の増進は県政の重要な課題であると認識をしているところでございまして、毎年度の予算編成において、種々の施策を積み上げていく中で一般会計全体としてなお財源に不足が生ずるというような場合には、財政調整基金の活用を図っていくことが必要であると考えております。
次に、県債管理基金の活用でございますが、御指摘のとおり、県債管理基金の平成三年度末における残高は六百十二億円となる見込みでございます。しかしながら、これは、県が発行した財源対策債あるいは調整債の将来の償還財源として地方交付税で前倒し交付をされ、これらに相当する額を積み立てることとされたことなどによるものでございます。
このような趣旨及び将来の公債費の状況からすると、財政の対応力あるいは弾力性を確保していく上からも、県債管理基金の単年度における大幅な取り崩しには慎重でなければならないものと考えております。
ただ、平成三年度において約五十億円の取り崩しを行ったように、今後も公債費の増大が福祉、教育等の政策的経費の圧迫要因とならないように、県債管理基金の適切な運用を行ってまいりたいと考えております。
最後に、その他の特定目的基金でございますが、平成三年度において、例えば県単独老人医療費や重度心身障害児医療費として福祉対策等基金から九億円、道路事業用地の先行取得として土地開発基金から十五億円等、活用を予定しております。
今後とも、これら特定目的基金については、その必要性あるいは積立額等を十分検証しながら、その設置目的に沿い、事業の進捗、資金需要等に対応した運用に努めてまいりたいと考えております。
以上でございます。
○副議長(橋本 進君) 農林水産部長安田重行君。
〔安田重行君、登壇〕
○農林水産部長(安田重行君) お答え申し上げます。
後継者問題の現状と対策でございますが、農林水産業の後継者対策は、一次産業の振興はもとより、地域の活性化を図る上に重要な問題でございます。後継者を育てる環境づくり、励ます環境づくり、自立する環境づくりの三つの環境づくりに視点を置いて、これまで体系的に種々の施策を展開してきたところでございますが、経済の好調な成長による労働力不足や賃金アップ等が進む中で、一次産業特有の作業環境や若者の価値観の変化等により、後継者の確保は大変厳しい状況にございます。
お尋ねの最近五カ年間の新規農業就業者は三百六十六人で、そのうち八十二人がUターン青年となっており、これを学歴別に見ると、短期大学卒を含めた大学卒業者が百三十三人、高校卒業者が二百二十二人、中学卒業者が十一人となってございます。
こうした状況の中で、議員のお話にもございましたが、梅と花等により高収益農業を展開している南部川村において人口が増加しており、こうした例にあるように、魅力ある農林水産業の構築と生活環境等の整備、さらには新規就業者のための技術指導等の支援対策に努めることが重要なことと考えてございます。
このため、地域の活性化を図る総合的な施策の展開に加え、地域、市町村、教育機関等との連携を図り、若い農業者の育成確保のため、技術交換大会や海外派遣教育等、農村青年教育の充実、都市青年との交流促進及び就農相談活動等を強化し、また若い林業従事者の新規参入を促進するため、先進地見学等による技能向上や作業員資格免許の取得等、技能教育や就労安定を図り、漁業では青少年水産教室を開催するなどし、さらに機会あるごとに農村、農業の持つよさ、特有の文化をPRし、農林水産業の後継者対策を強化してまいりたいと考えてございます。
以上でございます。
○副議長(橋本 進君) 民生部長高瀬芳彦君。
〔高瀬芳彦君、登壇〕
○民生部長(高瀬芳彦君) 福祉関係の各種見舞い金などを復活した場合の必要額について、お答えいたします。
寝たきり老人見舞い金、約二千三百万円、重度障害者見舞い金、約一千七百万円、病没母子家庭激励金、約千六百万円、また長寿祝い金の年齢引き下げについては約二千三百万円が見込まれます。
しかしながら、知事からもお答えしたように、こうした見直しの中で、新たな県民のニーズにこたえるため、要援護老人生活補助用具の給付事業、障害者福祉地域啓発事業並びに各県事務所への手話通訳者の設置など、きめ細かな福祉施策の充実を図ったところでございます。
以上でございます。
○副議長(橋本 進君) 保健環境部長遠藤 明君。
〔遠藤 明君、登壇〕
○保健環境部長(遠藤 明君) 老人保健医療費の自己負担額についてでございますが、入院、外来を合わせ、昭和六十二年度は約十六億七千万円、受給者一人当たり約一万六千円、昭和六十三年度においては約十七億八千万円、受給者一人当たりで約一万七千円となってございます。
老人医療費については、年々増加が見込まれる中で、老人保健制度の運営の安定化を図るため、老人自身にも無理のない範囲で御負担をいただいているものでございますが、また県としても老人の健康増進のため検診や予防、啓発活動に力を入れているところでございます。
○副議長(橋本 進君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
47番藤沢弘太郎君。
○藤沢弘太郎君 最後の質問でありますので、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。
○副議長(橋本 進君) 以上で、藤沢弘太郎君の質問が終了いたしました。
これで、本日の質疑及び一般質問を終わります。
明日も定刻より会議を開き、質疑及び一般質問を続行いたします。
○副議長(橋本 進君) 本日は、これをもって散会いたします。
午後二時五十七分散会