平成2年12月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(全文)
県議会の活動
議 事 日 程 第四号 平成二年十二月十三日(木曜日)
午前十時開議
第一 議案第百十号から議案第百二十号まで(質疑)
第二 一般質問
会議に付した事件
一 議案第百十号から議案第百二十号まで(質疑)
二 一般質問
出 席 議 員(四十四人)
1 番 井 出 益 弘
2 番 和 田 正 一
3 番 町 田 亘
4 番 中 村 利 男
5 番 山 本 一
6 番 宗 正 彦
7 番 岡 本 保
8 番 鈴 木 俊 男
9 番 阪 部 菊 雄
10 番 中 村 裕 一
11 番 平 越 孝 哉
13 番 中 西 雄 幸
14 番 橋 本 進
16 番 浦 武 雄
17 番 堀 本 隆 男
18 番 宇治田 栄 蔵
19 番 下 川 俊 樹
20 番 石 田 真 敏
21 番 木 下 秀 男
22 番 中 村 隆 行
23 番 藁 科 義 清
24 番 門 三佐博
25 番 尾 崎 要 二
26 番 那 須 秀 雄
27 番 木 下 義 夫
28 番 上野山 親 主
29 番 北 村 翼
30 番 尾 崎 吉 弘
31 番 西 本 長 浩
32 番 岸 本 光 造
33 番 松 本 貞 次
34 番 浜 本 収
35 番 和 田 正 人
36 番 浜 口 矩 一
37 番 山 崎 幹 雄
39 番 田 中 実三郎
40 番 森 利 一
41 番 村 岡 キミ子
42 番 森 本 明 雄
43 番 中 村 博
44 番 中 村 千 晴
45 番 小 林 史 郎
46 番 渡 辺 勲
47 番 藤 沢 弘太郎
欠 席 議 員(二人)
12 番 大 江 康 弘
15 番 古 田 新 蔵
〔備 考〕
38 番 欠 員
説明のため出席した者
知 事 仮 谷 志 良
副知事 西 口 勇
出納長 梅 田 善 彦
知事公室長 市 川 龍 雄
総務部長 山 中 昭 栄
企画部長 川 端 秀 和
民生部長 高 瀬 芳 彦
保健環境部長 遠 藤 明
商工労働部長 天 谷 一 郎
農林水産部長 安 田 重 行
土木部長 磯 村 幹 夫
企業局長 吉 井 清 純
以下各部次長・財政課長
教育委員会委員長
上 野 寛
教育長 高 垣 修 三
以下教育次長
公安委員会委員長
西 本 貫 一
警察本部長 西 村 浩 司
以下各部長
人事委員会委員長
寒 川 定 男
人事委員会事務局長
代表監査委員 宮 本 政 昭
監査委員事務局長
選挙管理委員会委員長
稲 住 義 之
選挙管理委員会書記長
職務のため出席した事務局職員
事務局長 山 本 恒 男
次 長 倉 本 辰 美
議事課長 中 西 俊 二
議事課副課長 松 田 捷 穂
議事班長 高 瀬 武 治
議事課主任 松 谷 秋 男
議事課主事 松 本 浩 典
総務課長 田 上 貞 夫
調査課長 阪 上 明 男
(速記担当者)
議事課主査 吉 川 欽 二
議事課速記技師 鎌 田 繁
議事課速記技師 中 尾 祐 一
議事課速記技師 保 田 良 春
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午前十時三分開議
○議長(岸本光造君) これより本日の会議を開きます。
○議長(岸本光造君) 日程第一、議案第百十号から議案第百二十号までを一括して議題とし、議案に対する質疑を行い、あわせて日程第二、一般質問を行います。
3番町田 亘君。
〔町田 亘君、登壇〕(拍手)
○町田 亘君 「10番町田義友君」と、五十四年に初当選してこの議場に入った初日、後ろにおられます、当時議事課の主幹であった山本局長に間違われました。その日から三期十一年余りの年月が流れました。来春、四度目の洗礼を受けるに当たり、感慨深いものがあり、初心を忘れずに、今後も県勢発展、県民福祉向上に頑張ってまいりたいと思います。
最初に、第二国土軸構想についてお尋ねします。
本構想の原型は昭和四十年の国連調査団のワイズマンレポートにあり、東京─大阪─広島─福岡と結ぶ第一次国土軸に対し、東京から伊勢湾口、紀伊半島に達し、紀淡海峡から四国、九州に至る西日本の新しい国土軸の実現を目指して、東京への一極集中から多極分散型国土形成に向けて同構想が提唱されたことから注目され、ことし六月、自民党国会議員による東海、南海、四国、九州国土軸建設議員連盟が結成されて促進への動きが高まっている中で、去る十月三十一日、第二国土軸構想促進協議会の設立総会が行われました。
知事は、「第一軸に集積しているのは二次産業が中心だ。豊かな時代を支える第二軸はリゾート・アンド・リサーチがテーマになろう」と指摘され、また「和歌山の地で十七府県八経済団体という大きな協議会は全国的にも珍しい。歴史的な意味を持っている」と満足げに話されたそうであります。
県勢浮揚のために紀淡海峡トンネル構想に取り組んできたが、七年目に入った今も、鉄建公団の地質調査の結果もまだ出ていないのであります。我が和歌山にとって、紀淡海峡も必要だが、東に向かって進めることが第一であります。この歴史的な一歩を起点として、早期実現に向けて努力することが肝要かと思います。
そこでまず、第二国土軸協議会が今後この構想を進めるに際しどのような取り組みをされるのか、また、この構想が我が県に、特に紀南地域の発展につながるのか、知事にお伺いしたいと思います。
和歌山県の過疎化は、特に紀南の過疎化はどうすればとまるのですか、何をすればよいのですか、これからも人口が減って老人ばかりになり、そして一つ一つの集落がなくなっていくのですか、どうすれば昔のようなふるさとに戻るのですか──各地の集会で必ず聞かれる言葉であります。そんなとき、知事、あなたならどうお答えになりますか。
特に、私たちの住む紀南はどうしようもないのだろうか。知事初め県当局の皆さんも一生懸命頑張っていただいていることは認めます。よいカンフル剤はないものだろうか。県全体ももちろんですが、北高南低は今後も続くのだろうか。
ことし行われた衆議院議員選挙で和歌山一区と二区を見ますと、一区は三市十町一村、二区は四市二十六町七村。面積からいくと、一区が約二一%、南の二区は七九%。面積では県全体の八〇%近くもあるのに、二区の有権者は三十三万一千人、四一%しかありません。一区は約二〇%の土地に四十七万八千人。すなわち、海草から南へ県土の八〇%もありながら、有権者は十四万七千人も少ないのであります。
また、県教育委員会にお願いして、昭和二十五年からの生徒数の推移のデータを作成していただきました。戦後生まれの子供たちが多い昭和三十二年から三十三年をピークに、紀南における小・中学校の統廃合により学校数は少なくなり、生徒数の減少には目をみはるのであります。そしてまだまだ減少し、複式はもちろん、生徒が一人もいない学校ができるところもあります。
参考までに、小学校──知事が卒業なさった和深小学校では、昭和三十二年は三百八人、現在は八十四人であります。すさみの江住は三百六十三人あったのが今は三十四人、すさみの佐本は二百六十二人あったのが現在では九人であります。中辺路町では、十三校で千三百十九人あったのが、今、小学校の数は三校になり、二百六十三人に減っています。大塔村しかり、十四校で千三十九人あったのが、現在は三校、百九十二人に減っております。
紀南では、老齢人口が多いのではありません。若い人たち、すなわち小・中学校の生徒を持つ働き盛りの人たちがいなくなっているのであります。近畿のおまけと言われる和歌山。紀南はそのまたおまけと言えるのではないでしょうか。高速道路しかり、JRの複線化しかり、学ぶ大学も働くところもなし、寂しい限りであります。
過疎防止に本当に決め手はないのだろうか。先般、企画部より平成二年国勢調査の中での人口増減の要因について、その資料を見せていただきました。減少の理由として、大手製鉄所の合理化、規模縮小、関連事業の人員削減に伴う県外への流出、旧国鉄・電信電話公社の民営化に伴う合理化で県全体の数字に大きく響くとは考えられません。そして、紀南では依然として若者が県外へと、まだまだ過疎化の傾向にあると言われます。
今後の展望として橋本市、岩出町を中心に増加の傾向にあると言われますが、大阪、和歌山市のベッドタウンでしかないと思われるのであります。今後の展望として、六十年からの減少傾向に歯どめがかかり、まだ今回の国勢調査の結果にあらわれていないが、本県の人口動態は増加に転じると締めくくっているが、田辺・西牟婁地区での人口についての今後の見通しを企画部長からお示し願いたいと思います。
今後どうすれば、何をすれば少しでも紀南の発展につながると思いますか。六十一年、知事が前回の選挙前に発行されたすばらしい本、「ふるさとに生きる」を拝読させていただきました。その中で知事は、こう書いておられます。
「農山漁村から若者が都市部に出ていって、年寄りばかりが残ってしまう。そんな過疎化と高齢化が進んでいるのです。 高齢化そのものは決して悪いことではありません。長寿化という喜ぶべき意味も、もっています。しかし、人口のアンバランス化は、地域の共同体としての機能の喪失や、生産性の低下などの問題を生じる要因となる恐れがあります。 これをくいとめるには、やはりまず農林漁業を働きがいのある産業にしなくてはいけない」──まさに、そのとおりであります。
各市町村長も必死であります。今こそ、将来の国土を守る意味からも、第一次産業をしっかりと見直さなければならないときに来ていると思うのであります。御所見をお伺いいたします。
単にブームに浮かれてコンセプトも戦略もないままに踊り出したプロジェクトは、競争に敗れて消えていかねばならないのであります。私たちの住む紀南にも大小数々の計画がありますが、結果的に土地の値上がりだけが残るのではないかと心配するのであります。
そこで、紀南にとって、否和歌山県にとって大きなプロジェクトである南紀白浜空港についてお尋ねいたします。
このプロジェクトを核として、南紀地域においてフライト農業を初めとする農林水産業の振興、産業の活性化、観光の振興、さらには新規航路の開拓、またコミューター・ヘリコプター便の就航などが期待されるものであって、大いに夢のあるプロジェクトであります。この南紀新空港のジェット化の実現があってこそ、南紀の活性化、飛躍発展が望めるのであって、地元初め関係者の熱意と努力により計画が進められており、引き返すことのできない事業であります。
このことから、県当局、白浜町初め広域市町村の皆さんが必死で平成六年四月開港を目指して努力され、先般、地元の皆さんの御理解を得て、ようやく道路及び河川のつけかえ工事が着手され、本格的な動きへの第一歩を踏み出したものと受けとめ、心から喜んでいる一人であります。
しかしながら、現在五〇%近い未買収の用地や花木団地の移転、白浜町公共施設の三点セットなど、解決しなければならない課題がまだまだ山積しています。このたび工事着手という好材料が生まれてきたこのときに、この時期こそ、山積している課題解決への糸口として弾みをつけて一気に前進させるよう、今が重要な時期と考えられます。
このためには、今まで以上、関係市町村と連携を密にしながらも、県関係部局が一体となった積極的な取り組みをお願いし要望するものでありますが、現状について、どのように展開しているのかお示しいただくとともに、空港関連予算の執行について土木部長にお尋ねいたします。空港と一次産業、空港と観光等、田辺・西牟婁地方の振興についても、関係部長から夢のある答弁をいただきたいと思います。
次に、水産関係についてお尋ねいたします。
新しい国際海洋秩序として二百海里時代を迎えた我が国の水産業にとって、沿岸漁業の重要性がますます増大する中で、栽培漁業を含めた資源管理型漁業並びに推進漁場の整備開発、養殖漁業の振興、水産利用加工業の振興等々、新しい時代に対応した技術の開発等を行うために試験研究の成果が大きく期待されるところであり、また近代的水産業を確立する必要があります。そのためには、研究内容の高度化、多様化に対処するため、研究施設の整備、組織機構の充実を図ることが我が和歌山県の水産業に課せられた大きな使命であります。
そこで、まず我が県の水産試験研究機関について、意見を述べながら質問いたしたいと思います。
本県の水産関係の試験研究機関として、水産試験場が串本町に、水産増殖試験場が田辺市に、内水面漁業センターが桃山町にと三場があり、漁業者への指導教育施設として漁民研修所が串本町に、また放流用種苗等の生産供給施設として栽培漁業センターが那智勝浦町に設置、運営されているのであります。
水産試験場は明治三十五年に和歌山市に開設され、串本、和歌山、田辺、和歌山、田辺、串本と長い長い歴史を積み重ねながら、昭和四十二年に、増養殖部門は分場として田辺に残り、水産試験場のみ串本町に移転したのであります。また、四十八年に水産増殖試験場から内水面漁業センターがさらに分離して今日に至っているのであります。
最初に驚いたのは、水産試験場、漁民研修所、栽培漁業センターの三施設ともすべて借地であります。水産和歌山県にふさわしい研究機関とは思われません。土地を出すから我が町に来てくれないか、無償で土地を提供してくれるなら行きましょう、と施設を建設してきたように思われてなりません。
先般、世界的にも有名な近畿大学の原田先生にお会いする機会を得ました。独自に開発されたキスの大量養殖、マグロの養殖、マダイの養殖期間を天然物で三年かかるところを養殖で一年半に、養殖用チタン生けす網の実用化等々、すばらしい成果をおさめられています。外国からも、国内各地からも、毎日のように見学に勉強にやってきておられるそうであります。
県の職員の方たちも一生懸命頑張っておられます。そして研究成果も十分上げられていることは認めます。しかし、もっと成果を発表するなど、研究者だけではなく、商売人にもなってPRすることも必要だと思います。お考えをお聞かせ願いたいと思います。
昭和四十九年三月に県行政審議会が大橋前知事に行った行政組織の答申の中に、串本の水産試験場と田辺の水産増殖試験場の分散は総合的な試験研究を行う上で望ましくない、すなわち水試、増試の統合整備の勧告が出されています。
本県の水産試験場や増試も、老朽化がひどく、手狭で、時代のニーズに対応できなくなっているのが現状であります。現在の五つの施設はすべて部門別に独立した機構であり、各機関が分散したのは経済的問題や政治的配慮もあろうが、すべての部門が統合するだけではなく、二十一世紀への和歌山型水産業を創造し、転機に立つ水産業に即応した技術の開発を目指して、バイオテクノロジーを初めとする新しい時代に適応した先端技術の開発、新たな利用加工技術の開発等、先導的な試験研究体制を確立する必要があると思うのであります。
これからの施設は、ただ単に研究するだけの部門ではなく、小・中学校の生徒はもちろん、国内外から広く親しまれる、そして水産を知ってもらうために、ウオーターフロント公園での海との触れ合い、水族館での魚との語らい等、だれでも気軽に訪問できる、また百年の大計に立った夢のある水産総合センター的なものをつくるべきだと思いますが、知事のお考えをお聞かせ願いたいと思います。
平成元年に和歌山県水産試験研究整備計画検討委員会が設置され、積極的に検討されていると聞きますが、その内容と将来的展望についてお示し願いたいと思います。そして、平成三年度、政府に要望している多機能静穏域整備事業について、お考えをお示し願いたいと思います。
最後に、田辺湾内の神島に群れる鳥類のふん公害についてどのように把握しているのか、そしてまた、先般、知事にすさみ町から陳情のあった水産専門学校についてのお考えがあればお聞かせ願いたいと思います。
私の母校、熊野高等学校の物語を少しお聞きいただきたいと思います。
熊校は、歴史の古い学校であります。その歴史を振り返ってみますと、大正五年、地元六カ村で組合立上富田実業学校として始まったのが最初であります。その目的は、農業を教え、富田川筋の農村地帯の農業後継者の育成がねらいでありました。その後、六カ村だけではなく、西牟婁郡内に県立学校として大正十二年、県立西牟婁農業学校として発足したのが県立高校としての始まりであります。
そして大正十四年、熊野林業学校と改められたのであります。その林業学校は、林業教育への大きな期待を背負って、木曾、吉野とともに日本三林業学校として熊林が誕生したのであります。「熊野」と名づけられた由来は、当時の長谷川知事が、樹木の繁茂を意味し、日本的視野に立ったスケールの大きさをねらい、発展せよと願いを込めて名づけられたそうであります。
地元の人々の温かい援助と職員、卒業生の血のにじむような努力によって、廃校という一大難局を切り抜けながらも、その後、熊林の名が全国に広がったのであります。
昭和十五年、大陸に進路を求めて拓殖林業科が設置され、英語、中国語を学び、植民、拓殖林業などの専門学科が加えられたのであります。戦後の二十一年、県立熊野農林学校と改称し、拓殖林業科は廃止され、農業科、農産加工科、林業科、用材科の四学科を設置したのであります。そして昭和二十三年に交付された学校教育法により、現在の新制高等学校がスタートしたのであります。
本当に古い、しかも輝かしい歴史を持ち、卒業生一万三千八百三十三人を出しているすばらしい母校であります。それとまた、すばらしい先輩も出ております。県会議員では、那須先生と同姓同名の元県会議員の那須秀雄先生、大江先生のお父さんの大江敏一先生、北条力先生、生駒敬三田辺市長、そして先輩の堀本先生、そして私、町田亘でございます。
県関係では、企業局長であった葉糸さん、そして同じく企業局長であった松前さん、企画部長であった上地耕平さん、経済部長であった真砂多吉さん、総務部長で今田辺市長になっておられる生駒敬三さん、東京事務所長であった楠本秀一さん、交通部長だった杉本嘉寿雄さん、そして作家の宇江敏勝さん、ソウルオリンピックやり投げ選手の溝口選手、そして、今、人気絶頂の歌手・坂本冬美さん。
このようにして、古い歴史の中に、その時代その時代の流れ、社会情勢の変化、技術革新に対応し、ニーズに合った学科によって教育がなされてきたのであります。
以前より、地元建設業界、測量業界から林業土木の新設を強く望んでいるところであります。我が県内で土木科の学科は、北の和歌山工業と南の新宮高校だけであります。日高を含め、紀中にはありません。特色ある学校づくりを目指して、時代のニーズに合った林業土木科の設置を強く要望するものであります。紀中に土木科の新設についての御感想をお聞かせ願いたいと思います。
次に、福祉と婦人問題についてお尋ねいたします。
国際婦人年、国連婦人年の十年が経過し、今や婦人問題は世界の重要な課題であります。我が国においても法制上の枠組みが整ってまいりましたが、まだまだ社会一般には「男は仕事、女は家庭」の風潮が残っているのが現状であります。男女平等を目指す社会や職場への共同参加を基本理念とした婦人問題等の啓発が、今後ますます望まれるところであります。
来るべき二十一世紀は婦人の活躍する時代と言われていますが、我が和歌山県は高齢化社会を迎え、今日まで以上の福祉施策を講じなければなりません。活力あるふるさとづくりにも、婦人の知恵と力を生かさなくてはならないと思います。婦人の活躍を期待し、社会参加を推進する上からも、県行政の中に婦人問題を総括する部門の設置等を望むものでありますが、県当局の御見解をお伺いいたします。
最後に、障害者福祉週間が始まった十二月九日、私の友人A氏が「町田さん、こんな話ってありますか」と、少々興奮した声で私の家に来られました。
A氏は、三歳のときに事故で右足を切断し、中学三年を卒業するまでは松葉づえを頼りに学校に通ったのであります。中学校を卒業してから義足をはめるようになりました。三年に一度、今日まで約十五足ほどの義足をつくりかえたそうであります。
普通、義足をつくるとき、今までは町より書類を出して、県事務所に行き、月に一回、県指定のお医者さんが田辺に来られて診察をしてもらい、田辺の義足店に行ってつくってもらっていたそうであります。
そこで、今回も三年以上になり傷んできたので県事務所に行ったところ、「今までは県の福祉でやっていたが、今回からは国の厚生年金の方でやってくれるので、社会保険事務所に行ってください」とのことでした。そこで社会保険事務所に行くと、「こちらでは手続はやっていない。義足をつくることについては河村技士がすべてをやっている。十二月五日に国立白浜病院に来るから手続をしてほしい」と言うので、国立白浜病院に十二月五日に河村技士を訪ねたところ、「ことし十一月に国から担当のお医者さんが和歌山に来たばかりで、次に来るのは、二年に一回だから二年待たなければならない」とのことです。しかし、余りに気の毒なので河村さんの方から大阪の厚生年金病院に電話をしてくれたところ、厚生年金病院の方からは「もう一度県の方に頼んで福祉でやってもらっては」との返事をいただき、その足でまた県事務所に行ったそうであります。ところが、県事務所では「やはり厚生年金でやってもらわないといけない」と言われました。
今までなら、月に一度、医者が田辺に来て、地元で義足ができたものが、厚生年金でつくると、前日より付き添いを連れて大阪の千里の厚生年金病院に十時までに入り、国の指定した義足の業者に行って注文しなければならないそうです。そして、義足ができ上がったとき、また大阪の病院に見せに行かなければならないそうです。万一、義足のビス一本取れても、大阪の業者から取り寄せなければなりません。
どうしてこんなに不便にするのですか。これだけ医学が進み、地域医療が発達しているのに、また田辺にも白浜にも国立病院があるのに、そしてすぐ近くに義足をつくる業者がいるのに、大阪の厚生年金病院に行かなければなりません。大変であります。障害者にとっては、国でつくってくれる義足も、県の福祉でつくってくれる義足も、同じであります。制度の問題もあろうが、全国に十カ所ぐらいしかない厚生年金病院に行かなくても代行等でできるよう、国に働きかけるべきだと思います。
また、左手が事故のため義手をはめておられる方から、次のような話を聞かされました。「少しでも自分の右手の色に合わせてくれるよう頼むのだけれども、毎回色が違ってくる。義手をはめている障害者の気持ちがわかってくれない」と話されたことが思い出されました。
部長のお考えをお聞かせ願いたいと思います。
以上で、終わらせていただきます。ありがとうございました。
○議長(岸本光造君) ただいまの町田亘君の質問に対する当局の答弁を求めます。
知事仮谷志良君。
〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 町田議員にお答え申し上げます。
まず第一点は、第二国土軸でございます。
お話ございましたように、本年、第二国土軸の議員連盟ができました。また去る十月三十一日には、関係二十五団体による推進協議会が発足したわけでございます。
本県の長年の念願は何かというと、やはり鉄道、高速道路による国土軸への直結ということでございまして、それが現実の問題ともなってきている現在でございます。さらに、国土軸そのものに本県を位置づけるということは、東は中部・東海、さらには首都圏、西へは四国、九州という広域的な圏域の中で本県が重要な地位を占めるということになるわけでございますので、県勢の一層の発展に極めて大きな意義があると考えております。
また紀南地方にとっても、第二国土軸の一環である伊勢湾口の架橋が大きな問題として取り上げられており、これが建設されると東海方面との時間距離が大幅に短縮されますし、また現在、三重県、和歌山県ともに検討を進めている紀南地域と鳥羽方面とを結ぶ海上交通とも関連し、東海方面との交流が活発化するなど、大きな効果が期待できるのではないかと思います。
特に、リゾートやリサーチなどを中心としたこれからの豊かな時代を迎えるに当たり、本県の自然や農林水産資源等を生かしつつ、紀南地域を含めた紀伊半島全体の浮揚を図ってまいりたいと考えておるところでございます。
今後、当面の県政の最重要課題である近畿自動車道紀勢線の南伸とあわせ、この第二国土軸構想を強力に推進していくために、協議会の団体と一丸となって関係機関に働きかけ、調査研究活動を展開してまいりたいと思っておるところでございます。
次に過疎対策でございまして、るる紀南地方の過疎の状況を説明いただいたのでございます。
過疎問題は、和歌山県にとっても非常に大事な問題でございますけれども、国全体でも大きな問題でございまして、皆さん方の御支援を得て新過疎法が成立したわけでございます。
特に、本県の過疎地域の市町村長さんは非常に苦労しておりますが、何が一番えらいかというと、やはり人口、若い者が減るということが一番の問題でございます。地域産品等いろいろ検討を加えておるわけでございますけれども、県においても、この新過疎法に基づき、「若者が定着するような産業振興」「都市的、文化的機能を備えた生活環境の整備」「自立した地域づくりを推進する人づくり」を三つの柱にして進め、そしてまた、お話ございましたように、農林水産業、一次産業の見直しを図るということが一番大事なことだと思うんです。
特に私は、海岸地帯より山村地帯が過疎化する、林業が一番の問題ではないかと思うんです。外国材等の関係もございますが、森林資源が十分活用されていないんではないか、山が何ら生産効果を上げ得ないところに大きな問題があるのではないかと考えておるわけでございます。そして、今後それらをいかに文化ゾーンとして、いろんな形においての開発といいますか、向上を図っていかなければならないかということがございます。
農業におきましても、紀南地方の花等、高度化を進める問題がございます。漁業においても養殖事業の推進の問題、林業についても加工を加えた問題等々、おっしゃられた見直しの問題について、今後ともなお一層配慮していく、そしてまた道路交通網の整備を図って、相ともに資源を見出す形で進めてまいりたいと思っておるところでございます。
それから、水産試験場の問題につきまして、過去の経過もお話しいただき、御意見も承ったわけでございます。
お話のように、水産試験場はいろいろな歴史がございます。現在の串本の試験場へ参りますときに、田辺に水産試験場がございました。田辺を廃止するということでございましたが、串本に行くことになったならばまた簡単に行けないという問題がございまして、増殖試験場を置いた、そうしたいろいろな経過があるわけでございます。
行政検討委員会で前の知事への答申に加えたものに、そうした試験場の統一の問題がございました。それを受けて、県でも検討を重ねてございます。また、お話ございましたように、最近のバイオテクノロジー等、いろいろな技術進行の問題がございますし、漁業者の意向もございます。そうした意味から、現在、試験場の統合ということについて検討委員会をつくっており、その中には学識経験者、漁業者、行政関係者も入って検討していただいておるわけです。
その検討に基づき、また先ほども申しましたように、試験場自体、その地域と、首長とか政治の立場とかでいろいろ結びつきがございますので、そうした問題等も踏まえてなお一層検討を進めていかなければならないと思います。
ただ、試験場のあり方として、成果をもう少し発表すべきじゃないかということでございます。私も同感でございまして、試験場のやっておることを漁業者にもう少し知ってもらう必要があると思います。そしてまた、漁業者がやってほしいことを取り上げることが必要だと思います。
そうした点で、例示いただいた近大との関係等、そうしたよそのところも学びつつ成果を発表してまいりたいし、また試験場に学生も小学生も入ってきて──私は、魚の中にはすばらしい科学があると思うんです。我々の知らない生態といいますか、サケにはサケの生態があって、生まれたところへ戻ってくる、なぜ来るんだろうとか、タチウオは休むときは立ったままになっておるとか、そういういろいろな習性、勉強しなければならない科学がたくさんあると思うんです。だから、そうした問題についても、小学生、中学生も来てもらうとともに、また一般の漁業者もそこに入ってきて研究する態度、こういう形で御提言いただいたわけでございまして、そうした点については十分趣旨を体するような形で今後進めてまいりたいと思っております。
それから、すさみが念願している水産専門学校、これについては私、賛成でございます。現在、学校法人法に基づく水産学校じゃなしに、専門学校、各種学校は知事が認可する学校でございますので、そう難しい学校ではないわけでございます。そうした意味で、来ていただいて若い人たちを教育していただくということ、非常にありがたいことだと思っております。
○議長(岸本光造君) 企画部長川端秀和君。
〔川端秀和君、登壇〕
○企画部長(川端秀和君) 田辺・西牟婁地区における人口の見通し等につきまして、お答えを申し上げます。
本県における平成二年国勢調査概数結果及び今後の見通しについては、開会に際しての知事説明の中で御説明申し上げたところでございます。
その中で、田辺・西牟婁地方の人口は昭和六十年国勢調査人口に比べて五年間で二千八百三十四人の減少となってございますが、この地域は紀南の中核圏域として、また本県のリゾート構想推進の中心的な地域として、今後一層の振興、発展を図っていかなければならない地域であると考えてございます。
本年四月には田辺市、白浜町、上富田町及びその周辺町村を対象とした南紀JET計画が国の承認を受け、重点的な社会基盤整備が進められつつあるところでございます。また、田辺・白浜地区を重点地域とする燦黒潮リゾート構想についても、この十二月中には承認が得られるものと考えてございます。
こうした点を含め、今後さらに南紀白浜空港のジェット化整備、近畿自動車紀勢線の南伸等、高速交通機関整備のインパクトを最大限に生かした臨空都市圏の形成、リゾート、観光を初め一次産業の高度化等の進行による産業基盤の整備等、関係市町村や地元の方々とも協力しながら、各般にわたる活性化策のより一層の推進を図り、人口が増加基調に転じるような圏域全体の発展を期してまいる所存でございます。
以上でございます。
○議長(岸本光造君) 土木部長磯村幹夫君。
〔磯村幹夫君、登壇〕
○土木部長(磯村幹夫君) お答えいたします。
白浜空港の現状と見通しについてでございますが、南紀新空港建設事業については、昭和六十三年度に本格的に事業化されて以来、用地交渉を中心に取り組んできているところであります。
現在の用地買収の状況は、半数以上の地権者の方から御協力をいただき、おおむね半分の用地を取得しております。残された用地についても、地権者との話し合い、代替地等に関し、地元白浜町、田辺市ともども精力的に取り組んできているところでありますが、なお一層地元市町との連携を密にし、解決に向け、全力を挙げて地権者との交渉を行ってまいりたいと思っております。
なお、道路、河川のつけかえ工事については、先般、地元関係者の方々の御理解を得、現地に着手したところであります。また、白浜町の公共施設の移転計画や新しい花卉団地計画については、白浜町において積極的に取り組んでいただき、関係者、地元との話し合いも進みつつあると伺っております。そうした中で、予算の執行についても全力を挙げて取り組んでまいりたいと考えているところであります。
なお、議員御指摘のとおり、今は当事業にとって重要な時期であると認識しているところであり、今後の事業の進捗に当たっては県庁内関係部局及び地元市町と一体となって、より一層努力してまいる所存であります。
以上であります。
○議長(岸本光造君) 農林水産部長安田重行君。
〔安田重行君、登壇〕
○農林水産部長(安田重行君) お答え申し上げます。
白浜空港と紀南の一次産業の問題でございます。
白浜空港の整備ジェット化は、輸送時間の短縮や輸送力の増大、消費圏域の拡大等、新しい流通手段の展開が可能となり、また入り込み客の増加による需要の拡大が期待されるなど、田辺・西牟婁を中心とした紀南、紀中の一次産業に大きなメリットをもたらすものと考えてございます。
こうした新たな空港機能を生かして夢のある一次産業を育成するためには、高価格品目の継続的な定量出荷が要求されるところでございます。このため、カスミソウ、エンドウ、青梅、イセエビなどの農水産物の生産拡大と、これまで培ってきた技術力や地域特性を生かし、洋ラン、チェリモヤなど新しい高級品目の産地づくりを進めるとともに、農産物の予冷施設や魚介類の蓄養施設など、流通施設整備を図り、地域内外に広く生鮮農水産物を販売するフライト産地の育成にも努めてまいる所存でございます。
次に、多機能静穏域整備事業とはどういうものかという御質問でございます。
この事業は、水産庁の平成三年度新規事業として、現在、大蔵省に予算要求をされているものでございまして、事業の内容は、外洋に面した波の高い海域において、大規模な防波堤を設置して静穏域を造成し、藻場や干潟魚介類の増養殖場等を効率的、集中的に造成して地域漁業の生産に寄与しようとするものでございます。
外洋に面した海域が多い和歌山県にぜひ一カ所誘導したいと考え、今回、政府要望をしているところでございます。
以上でございます。
○議長(岸本光造君) 商工労働部長天谷一郎君。
〔天谷一郎君、登壇〕
○商工労働部長(天谷一郎君) 南紀白浜空港と観光について、夢のある答弁をということでございますけれども、南紀白浜空港がジェット化されると、首都圏はもちろん、名古屋、大阪、さらには北海道、九州からも定期便あるいはチャーター便の発着が可能となり、雪の北海道から一足早い春を求めて観光客が団体で訪れることもあるでしょうし、さらに九州とを結んだ、例えば黒潮エアラインといったものも可能になるのではないかと思います。
温暖な気候、風光明媚な海や山、温泉、新鮮な魚や農産物、その上、高野、熊野に代表される歴史や文化のある和歌山県でございます。海のルート、陸のルート、そしてこの空のルートも加われば、きっと日本じゅうどこからでも気軽に訪れることのできる観光地として、より脚光を浴びることとなると考えます。
○議長(岸本光造君) 民生部長高瀬芳彦君。
〔高瀬芳彦君、登壇〕
○民生部長(高瀬芳彦君) まず、婦人問題の主管部門についてお答えいたします。
現在、青少年婦人課に婦人班を設置してございますが、今後、女性の社会進出に伴う能力の活用や支援体制の充実、またライフステージの変化による老後の生活をめぐる福祉の増進等、多くの問題があり、今後、庁内外の連絡調整がますます重要になってまいると考えてございます。
女性問題を総括する部門の設置については、十分検討をしてまいりたいと考えてございます。
次に、厚生年金保険被保険者の義足支給についてお答えしたいと思います。
厚生年金制度の中では、身体に障害のある方の社会復帰を目的とした、障害者に義手、義足、補装用具、車いす等を支給し、あるいは修理する事業がございます。
この事業は国の委託を受けた厚生年金事業振興団が実施しており、その診断については厚生年金病院を指定している関係で、他の病院では行うことができないことになってございます。したがって、県内には厚生年金病院がございませんし、また指定された義肢製作所もございませんので、近畿では大阪厚生年金病院で直接受診されるか、巡回修理等の機会を御利用していただいてございます。
ただ、大阪での受診に対して移送費は支給されることになってございますが、障害者に大変な御負担と御不便をおかけしている実情もございますので、御質問の趣旨にあわせ、今後、国に対して検討するよう強く要望してまいりたいと考えてございます。
以上でございます。
○議長(岸本光造君) 教育長高垣修三君。
〔高垣修三君、登壇〕
○教育長(高垣修三君) まず、神島のふん公害についてお答えを申し上げます。
国の天然記念物である神島は、田辺南部海岸県立自然公園並びに田辺鳥獣保護区の中に位置づけをされてございます。
その神島における鳥類のふん害については、管理者である田辺市から、島の南東部の樹木が白くなっているという報告を受けてございます。今後、田辺市と十分協議を行うとともに、それぞれ所管する関係部局とも連携を図りながら実態の把握等に努めてまいる所存でございます。
次に、学科の改編等につきまして、お答えをいたします。
このことについては、全県的な視野から、社会の変化への対応や学校の適正規模、普通科、職業科の割合の問題、生徒数の減少等を勘案し検討してきた長期計画の内容を踏まえて進めているところでございますが、今後も、学科改編に当たっては、学校、地域の実態を踏まえ、生徒の特性の伸長と学校の活性化を図り、特色のある学校づくりを推進するという観点から対応してまいる考えでございます。
以上であります。
○議長(岸本光造君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
3番町田 亘君。
○町田 亘君 今、教育長から御答弁いただきましたが、けさの新聞に、神島に、ふん公害だけではなくて、釣り客がたくさん入っているという記事が出ておりました。田辺市と連絡をとって、ふん公害も含めて調査を願いたいと思います。
それと、水産関係の研究機関についてですが、昭和五十六年、串本町に試験場用地として一万余平米、隣接地に漁民住宅用地四千余平米、計一万四千平米の用地を確保しております。当然、今、検討委員会で試験場の候補地の一つとして御検討をいただいているとは思いますけれども、今後、地元、漁業組合等の振興に役立つようなことも含め、有効利用を配慮されるように強く要望して、終わります。
ありがとうございました。
○議長(岸本光造君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で町田亘君の質問が終了いたしました。
○議長(岸本光造君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
45番小林史郎君。
〔小林史郎君、登壇〕(拍手)
○小林史郎君 まず、障害者対策の問題で質問いたします。
ことしは、国連が世界行動十カ年計画を発表して障害者の「完全参加と平等」を世界各国に呼びかけてからちょうど八年目に当たり、いよいよこの行動計画の最終期を迎えるわけであります。この間、我が国においても、本県においても、この呼びかけにこたえて障害者対策に関する長期計画を策定し、鋭意その実現に努めてきたところでありますが、十二月九日は障害者の日でもあり、ただいまは障害者福祉週間の最中でございますので、これまでの取り組みの現状を振り返りながら、最後の詰めをお願いする立場から、若干の問題で質問させていただきます。
国連の「完全参加と平等」の呼びかけがあってからは、国民の障害者問題に対する関心と理解が急速に進んできていることが実感できますし、また、障害者自身の自覚と立ち上がりも際立って高揚してきているように思えます。
私の場合、飛行機や新幹線に乗降するときの車いすの配慮は大変ありがたいわけで、特に、行く先々できちんと車いすを用意して迎えてくれる対応には頭の下がる思いがいたします。
段差のない町づくりの問題、オルゴールつき信号機の設置、集会での手話通訳者やLHPの配置等、いろんな面での行き届いた配慮が進み、障害者を取り巻く環境にはかなりの変化が見られます。また、国の施策の面でも、この間、小規模共同作業所への助成制度や特別障害者手当ての創設、さらには関係諸法令の一定の改善等も行われました。しかし、こうした前進面の反面、重大な後退現象も見られます。
ちょうど国際障害者年のその年にいわゆる臨調・行革が始まり、これからの福祉は自助、自立、社会連帯で進めるということで、養護施設やホームヘルパー制度、老人医療費等が次から次へと有料化され、さらに重大なことは、これらの地方自治体に対する国の補助金が八割から五割に引き下げられ、地方での障害者対策や福祉施策の改善に大きなブレーキをかけたということであります。
以上のように、我が国の障害者対策は国連の呼びかけのもとでかなりの前進を見ていますが、「完全参加と平等」という視点に立つ場合、極めて重大な立ちおくれがあると言わねばなりません。
と申しますのは、私は十二月八日の土曜日に放映された障害者問題についてのNHKスペシャル番組で、アメリカ障害者法に係る部分をたまたま見ることができましたが、大変なショックを受けました。我が国の心身障害者対策基本法に当たるこの法律は、雇用、公共輸送サービス、公共施設、通信などの分野での障害者に対する差別を法律で禁止するという画期的な内容であります。
テレビによりますと、車いすの入れない段差のあるレストランが障害者を差別するものと裁判に訴えられ、その経営者がやむなく二十万ドルをかけて施設改善を行うことで和解したという話や、雇用面においても障害者の差別扱いができなくなり、二年以内に障害者でも働けるように設備を改善する義務を企業者が課せられ、その費用負担のために中小企業家が困り果てていることなどが放映されました。
この法律は本年七月に発効したもので、今後、実施が進むにつれていろいろ複雑で困難な問題に直面することが予想されますが、重度の心身障害者を含めて一人の人間としてその尊厳と人権を守り抜こうとする壮大な挑戦として、万雷の拍手を送りたいのであります。
そもそも我が国にあっては、戦前から戦後にかけての一貫した劣等処遇、つまり能力差によって権利の侵害があっても当たり前という考え方が色濃く残されており、そのこともあってか、障害者対策も恩恵的な施策として進められるという側面を持っていました。したがって、ひどい障害の子供を持つ親たちにとって、これを恥とするような傾向が強かったと言えます。
思い出しますと、子供のころ、私の近所にも重度の心身障害児がおりましたが、その家ではこの子供を奥に閉じ込めて、めったに外に出すようなことはありませんでした。こうした状況のもとで、重い障害を持つ子供たちの中には、その残された持てる能力をも退行させるばかりで、思春期までに命を落としてしまう例が非常に多かったのであります。
しかし、心身障害者対策基本法の制定とともに、障害者を見る目は大きく変わり、生きる権利を保障する立場から医療と教育がこの子供たちに行われるようになりましたが、この結果、能力の発達退行に歯どめがかかり始め、昭和五十年代の後半に入りますと、乳幼児健診制度が充実されてくる中で、障害の早期発見、早期療育が行われるようになり、また障害児教育の義務化が施行されるなど、この子供たちの能力の発達退行を食いとめ、次第に「成人おめでとう」の言葉が送れるようになったのであります。
さらにまた、共同作業所などの実践が進むにつれて、たとえ発達障害を持っていても、三十代、四十代、五十代になっても能力の退行を起こすことなく、人間的に生きることに勝利するという姿が実現できるようになりました。これは、少し大げさな表現になるかもしれませんが、かつての人類の歴史になかったことであり、人間の尊厳を主張する上で私たちの社会がかち取ったすばらしい金字塔だと言えると思います。
このように、どれほど重い重複の障害者であっても、その人が尊敬され、生きる権利が保障され、そのために社会から援助されるということは、その社会が進歩しているということのあかしであって、この意味で、障害者こそ人間を大切にする社会進歩の歴史をつくっていく推進者であり、まさに社会の主人公であると言えると思います。そして、どんな障害者であっても、社会的に支えられる中ではその残された能力を最大限に発展させることができるのであります。
私は、皆様方の御厚意のもとに、毎年パラリンピックすなわち身体障害者スポーツ大会に参加させていただいておりますが、「振り向くな力の限り飛び立とう」というキャッチフレーズで開かれたことしの福岡大会でも、鈴の音を頼りに競い合う視力障害者の方の百メートル競争や車いす競技など、障害者の残された能力を伸ばすことのできる可能性の大きさに目をみはるばかりでした。
先ほども触れましたように、アメリカの障害者法では雇用の面での差別撤廃を重要な柱と位置づけていますが、これは障害者の持つ労働能力の評価を正しく行うとともに、障害者も健常者も人間として全く同じであるという立場に立ち切っていることのあらわれだと思います。この点で、我が国の現状はまだまだ大きな立ちおくれがあると言わざるを得ないのであります。
そこで民生部長にお尋ねしますが、以上申し上げてきた視点に立って、本県の長期計画の実施状況を総括する場合、どのような成果と問題点があり、今後残された期間において何を重点にどんな事業を推進されるおつもりかを御報告願いたいのであります。
続いて小規模共同作業所の問題で質問いたしますが、先ほど申し上げましたように、労働の喜びを体験することが障害者に生きる意欲を与え、その発達能力を高める上ではかり知れないほど大きな役割を果たしていることは御存じのとおりであります。県下にはこうした作業所が十九カ所あって、大変な御努力をいただいていると聞いていますが、どことも経営状態は極めて厳しいようで、これら関係者から補助金の増額を望む切実な声が寄せられてきています。
その人たちのお話では、職員給与を十万円以下に抑えるなど切り詰めに切り詰めて頑張ってみても、平均レベルで年間一千万円ぐらいは最低必要と言われ、現行の本県の補助基準は余りにも低過ぎます。この補助金については最近増額いただいたところと聞いていますが、それでも十人規模の作業所を例にとると、滋賀県の年間七百八十四万円に対し本県の二百六十万円はその三分の一にも満たない状況であり、この活動の果たす貴重な役割を考えるならば、来年度予算における本補助金の増額を求めざるを得ないので、このことについて民生部長のお考えを伺いたいのであります。
続いて、紀北養護学校の問題に関連して教育長にお尋ねします。
新聞報道によれば、紀北養護学校には精神薄弱と肢体不自由の重度重複学級がなく、このため和歌山市内の子供たちがスクールバスできのかわ養護学校に通学しており、このほかに十五人が紀北養護学校の訪問教育を受けていますが、うち八人が園部分校での交流と触れ合いの場に参加しているとのことであります。そして、これら十五人の父母たちが四万一千人余りの署名を集めて、紀北養護学校にも重度重複学級を設置するよう求めているとのことであります。
また、この学級設置については、昨年、県特殊教育協議会が昨年県教委に対して「重度重複児が十分な教育を受けられる条件整備が必要」という答申を出し、紀北養護学校育友会もこの学級設置を求める嘆願書を県教委に提出しているとのことであります。また関係者の説明では、重度重複障害児で二時間近くもかかって通学しなければならない条件に置かれているのは、県下で和歌山市内の子供たちだけだと言われています。
私は、先ほど乳幼児健診による障害の早期発見や障害児教育の義務化が実施されるにつれ、これまで思春期までに命を落とすことの多かったこれらの子供たちが次第に「成人式おめでとう」の言葉を送ってもらえるようになってきていることを訴えました。現に、この子供たちは、二年間近く園部分校の触れ合いの場に通う中で、生活リズムが整い、自然排便ができるようになったり、チューブで食事をとっていた子供が先生との信頼関係によってしっかりと口を動かせるようになったり、目と身振りで笑いかけ、語りかけることのできる子供に成長したりするなど、訪問教育と違う集団の触れ合い教育の成果が着実に上がってきています。
このように、「重い障害があっても学校に行けば仲間と触れ合って成長できるのに」「せめて義務教育の間は毎日学校に行かせてあげたい」という母親たちの願いは、まさに当然過ぎる悲痛な叫びであります。
したがって、県教育委員会としては、この切実なお母さんたちの要求に対し、たとえ学級設置が困難な場合でも、これまでの方式を継続するとか中間的な暫定措置の方法を考えるとか、とにかく何らかの前向きの対応をしていただきたいので、教育長より心の優しい御答弁をお願いしたいのであります。
続けて、質問いたします。
広川町に設置されるたちばな養護学校についてでございますが、校舎建築の進捗状況から見て、果たして来春四月の開校に間に合うのかどうかという不安が地元関係者の間で出されていますので、その辺の見通しと開校時における生徒、職員などの体制がどのような形で発足できるかを御報告願いたいのであります。
続いて、障害者の雇用促進の問題で質問いたします。
これまでも法定雇用率を達成していない企業名の公表を迫るなど、その促進方を強く求めてきたところでありますが、本県における雇用率達成の最近の動向をお示し願うとともに、この雇用義務対象になっていない精神薄弱者や精神障害者の雇用の現状がどうなっているのかについてお伺いしたいのであります。
障害者にとって、雇用の問題は生きるためにぎりぎり必要な要求であり、とりわけ心の病を持つ障害者にとっては最も切実で深刻な要求でありますので、どのような指導を行い、どのような実績を上げているのかについて商工労働部長の御答弁をお願いいたします。
続いて、企画部長にJR紀勢線の新広川駅設置の問題に関連して質問いたします。
最近、有田の地方紙で「広川新駅が近く設計に着手され、平成四年秋までに開設」という報道記事がありましたので、地元の期待がにわかに集まっていますが、もしこの新駅が本当にできるのであれば、ぜひこの機会に身障者の願いにかなった駅をつくってほしいと、有田郡身体障害者福祉連盟から次のような要望が寄せられています。
その要点を申し上げますと、一、障害者用のトイレを設置し、駅舎の内外から利用できるようにされたい、二、車両とホームの段差を小さくされたい、三、改札口は車いすの出入りのしやすい幅にされたい、四、手すりをスロープの両側に設置されたい、五、盲人用の点字案内板や聴覚障害者用の電光伝言板を設置されたい、六、設置しても利用できない施設では困るので、この計画立案、実施設計に当たっては障害者が参加できるよう配慮されたい、等でございます。一たんでき上がってしまうとその改修は大変難しいことになりますので、ぜひ今度の新設の機会に実現してほしいということであります。
そこで、企画部長より、これら要望事項の実現をするためにJRへ交渉していただけるのか、また広川新駅設置の具体的見通しがわかっておるならばお答え願いたいのであります。
いま一つJRへの要望をお願いしたいのでありますが、それは、乗りかえ等の多い主要駅において、ホーム別階段に対応するエレベーターを設置してほしいということであります。
私の場合、二本の松葉づえを使えばある程度の距離が歩けますし、体も大変楽になりますが、階段を上るときに、片手で手すりを持ち、もう一方の手で二本の松葉づえを使うことはできないので、やむなく一本の松葉づえに頼ることになります。例えば、東京へ行く場合、もし在来線の新大阪駅ホームから新幹線駅に上る階段に対応するエレベーターがあれば、車いすの人でも、松葉づえを二本使う人でも、一人で乗りかえができることになるわけで、私たちのひとり旅ができやすくなります。
アメリカの障害者法では、公共輸送における障害者差別に特に厳しく対処していることでもあり、ぜひこのことでJRへ要望をお願いいたしたく、企画部長のお考えのほどを伺いたいのであります。
この問題の最後に、県庁舎へのエレベーター設置の問題で質問いたします。
このことについては何回となくお願いしてきましたが、その都度、構造上の理由から設置困難という答弁が返ってきています。このことを十分承知しながらなぜ繰り返すかといいますと、いま一度障害者対策の持つ意義について見直しをしていただきたいからであります。
私は、障害者こそ人間を大切にする社会をつくり出す主人公であるということをるる訴えましたが、もしこの視点に立つならば、構造上の困難を克服してエレベーターをつけるということは、本県行政が人間を大切にする社会づくりのために大きな一歩を踏み出すことを意味しています。私は、今日の技術をもってすれば、金を出すことを惜しまない限り、東別館と本館にエレベーターを設置することはそれほど難しい課題でないと考えています。要は、知事が障害者対策の持つ意義をどのようにとらえてくれているのかに係る問題だと思われますので、知事はこのエレベーター設置についてあくまで構造上の問題の水準で対応されるおつもりか、それとも重大な行政姿勢にかかわる問題として対処していただけるのかどうかについてお伺いしたいのであります。
次に、ミカン対策を中心とする農業問題で質問します。
この三日からブリュッセルで開かれていたガットのウルグアイラウンド閣僚会議は結論を見ないまま中断し、結論を来年一月に持ち越すことになり、私たちの心配していた米の輸入自由化も、その決着はひとまず延びたわけであります。
しかし、その最終局面で、各国の農業保護を五年間で三〇%削減するとともに各農産物とも最低限国内消費の五%の輸入を義務づけるという議長調停案が出されました。当然、日本やECはこれを拒否しましたが、これが今後の交渉の伏線となる可能性があって、これから来年初頭にかけての事態は大変厳しくなってきていると考えられます。
そもそも、今度のガット農業交渉は、自国の輸出市場拡大のためにその障害になっている各国、特にECの農業保護の大幅削減と輸入規制の撤廃を目指すアメリカと、自国の農業と農村を守るために農業保護を含む域内の共通農業政策を維持しようとするECの対立を軸として展開されていますが、アメリカはECとの交渉を有利にするために、我が国に米の輸入自由化の受け入れを迫ってきているのであります。
一般新聞に余り報道されませんでしたが、ブリュッセルには日本を含めて二十三カ国、三万八千人の農民が結集し、三日には大デモ行進を行いました。驚いたことに、各国農民代表の主張が、出てきた国はそれぞれ違っていても、農業を守れ、環境を守れという点で全く一致していました。そして、アメリカ農民の代表は「アメリカ政府代表の立場は大多数のアメリカ農民の立場と願望を反映していない」と告発していたということであります。
つまり、農業保護の削減や自由貿易を求めているのはアメリカ農民ではなく、穀物メジャーや大商社などの多国籍企業であります。日本の財界四団体の首脳も「同ラウンドは日本経済の死活にかかわる。米の問題は腹をくくって決断してほしい」と発言するなど、自分たちのもうけのために日本農業を犠牲にする態度を露骨に示しています。何であったか覚えていませんが、もし五%の自由化枠を認めれば、これに関連して少なくとも三十万人の失業者が生まれるであろうという試算を見たことがあります。
本県農業の中心は現在果樹農業であっても、米は依然として果樹に次ぐ生産高を誇る大切な作目であって、もし部分自由化が強行されるような事態になれば、本県の中山間部における過疎化の進行と農地の荒廃化に一段と拍車がかかることは明らかであります。また、全国的な米の転作によってミカン、梅、桃などの本県特産物が重大な影響を受けざるを得ません。
今のところ、政府・自民党は「米は自給を基本に」という姿勢を崩していませんが、今後、アメリカや財界の意向に沿った妥協が行われる危険が極めて大きいと思います。
したがって、来春のラウンド再開を前にした今日の重要な時期に、知事として、また全国知事会議などを通じ、米の自給体制を厳守することを関係機関に申し入れていただきたいのでありますが、知事のお考えのほどを伺いたいのであります。
続いてミカン対策でございますが、オレンジの自由化を来年に控え、最近の売れ行き不振傾向の中で、多くのミカン農民はこれから先どうなるのかという不安感に駆られています。自由化に備えての二割減反という百八十万トン体制のもとで、裏年でもあり、ことしこそと熱い期待を燃やしていました。しかし、極わせからわせにかけての出足はよかったものの、暖冬による着色のおくれから出荷が集中化してくる中で、激しい値崩れを引き起こしています。
加えて、最近の消費者ニーズによる段ボールの小型化が出荷量全体を引き下げる役割を果たしています。例えば、これまで十五キロ段ボールを百個とってくれていた市場がありますと、十キロ段ボールに小型化した場合、百五十個とってもらって初めてとんとんの勘定になりますが、実際はこれまでと同じ百個しかとってくれない場合が多いようで、これが出荷量を引き下げる側面ともなっています。
その上、泣きっ面にハチと申しますか、遅くにやってきた台風二十八号が大変な被害をもたらしました。完熟に近い状態の実が強い風に揺すられたために、枝のつけ根といいますか、ほぞと言われるところが傷み、腐敗しやすくなって、ジュースに落とさざるを得なくなっています。畑の位置にもよりますが、ハウスの被害等も加わって、農家にとっては大打撃を受けているところが少なくありません。
そこで農林水産部長にお尋ねしますが、本年産ミカンの本県における今日までの需給と価格動向について御報告いただくとともに、完全自由化の段階になっても今日の百八十万トン体制で十分やっていけると考えておられるのか。また、今度のミカンの台風被害について何らかの救済措置がとれないのか。その場合、農業災害共済で対応せよということになろうかと思いますが、これは三割の免責条項があって、補償対象農家は当然限定されてきます。したがって、県として農共済に対し、特別の救済対策について要請、話し合い等ができないかどうかについて、農林水産部長のお考えを伺いたいのであります。
最後に、高校関連の問題で質問いたします。
来年、中学卒業生は前年度より千四百人近くも減ると言われ、平均競争率を前年並みに維持することを前提にした場合、来春の高校募集定員が一気に二十七学級も減ることになります。有田でも四十人少なくなるということで、一学級減らされるのではないかと心配し、地教連、PTA、中学校長会等の連名で、現学級数を維持してほしいという陳情書を出しているところでありますが、六百人以上も減る和歌山市内などでは深刻な事態でないかと思われます。
と申しますのは、高校進学というものは、本人の希望、学力、通学距離、家庭事情等、いろいろ複雑な要因が絡み合っていますので、数式の計算のように単純に割り切れるものではありません。今でも、希望した学校を受験できない生徒や普通科を目指してきたのに職業科に変更せざるを得なかった生徒等、いろんなゆがみが生まれているのですから、これほど多くの学級を一挙に減らすようなことがあれば、矛盾が矛盾を呼び、一地域のゆがみがその周辺に波及する等、県下全体にその影響が広がってくることが心配されます。
したがって、進学率を全国平均より相当上回るような措置をとるなど、この際、学級減について何らかの緩和措置をとることを検討していただきたいのでありますが、教育長の御所見をお願いしたいのであります。
ところで、いま一つの緩和対策として、普通科、商業科、家庭科で四十人学級制度をとることが考えられます。本県と同様、他府県においても高校生の急減現象がここ当分続くわけでありますが、新聞報道によりますと、東京都や富山県では、生徒の急減期対策としてこの四十人学級制度の採用を検討しているようであります。
ここに新聞のコピーを持っておりますが、本年九月十八日付の「北日本新聞」では、富山県では九月十七日の本会議における「生徒減少期に合わせ、国の標準より少ない定員にしてはどうか」という質問に対し、中沖知事は「県単独で行うと、相当の財政負担が必要だが、県として何らかの改善措置を検討したい」と答えたとあり、その解説として、「県教委は今後、長期的な生徒減少に対応するため、学級定員の減少や教師の多忙化解消など県独自の対策を検討し、十一月に発表する県立高校の来年度学級編制に盛り込む方針」と書いてあります。
また九月十一日付の読売新聞では、東京都教育委員会は、生徒の急減を教育環境改善につなげるため、一学級当たりの生徒数を減らすという選択を来春から導入し、都立校で最も人数の多い普通科と商業科でも段階的に四十人学級を実現することにしたと報道しています。
このように、四十人学級の実現は、高校入試の面から見ても生徒指導の充実の面から見ても父母の要望にこたえるものであり、また先生方の多忙解消にも役立つものであります。
以上のことから、生徒急減期対策として高校での四十人学級の早期実現を検討していただきたいのでありますが、教育長のお考えのほどを伺いたいのであります。なお、このことに関連して、もし本県における第四次高校教職員改善計画の達成状況がわかっておれば御報告願いたいのであります。
以上で、第一回目の質問を終わります。
○議長(岸本光造君) ただいまの小林史郎君の質問に対する当局の答弁を求めます。
知事仮谷志良君。
〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 小林議員にお答え申し上げます。
障害者対策についていろいろ御意見を承ったわけでございますが、その中で庁舎本館、東別館にエレベーターを設置できないかということでございます。
この件については、これまでもたびたび御指摘をいただき、種々検討してまいったわけでございますけれども、現庁舎の老朽化あるいは行政需要の多様化による狭隘化が進む中で、設置は困難であると考えております。
もとより、障害者対策の必要性、重要性は十分認識しているところでございまして、このような制約のある中で、現在、庁舎利用に当たっての障害者対策として、スロープ等の施設の改良、車いす等の設置、課室からの職員の出迎えによる案内誘導を行うなど、障害者の方々に御迷惑をかけないよう、できる限りの対策を講じておるところでございまして、御了解をいただきたいと思います。
また、障害者の皆さんが県庁を訪れた場合の応対については、県民ロビー、県民相談室へ職員が出向いていろいろ御相談させていただきたいと思っております。
次に、米の問題でございます。
小林議員からブリュッセルのウルグアイラウンド閣僚会議の実情についてお話がございました。私も非常に関心を持ってこれを眺めているわけでございます。
米は国民の基本食糧でございますから、輸入自由化については前にも述べたように反対でございますし、このため、全国知事会並びに近畿ブロック知事会を通じ、機会あるごとに米の市場開放阻止に関する要望を政府に対し申し入れているところでございまして、今後とも政府に対し、自由化阻止を働きかけてまいりたいと考えております。
○議長(岸本光造君) 民生部長高瀬芳彦君。
〔高瀬芳彦君、登壇〕
○民生部長(高瀬芳彦君) 障害者対策については、昭和五十七年に障害者にかかる和歌山県長期行動計画を策定するとともに、障害者対策推進本部を設置し、啓発、福祉、医療、雇用、環境整備等、総合的な施策の推進を図ってきてございまして、県民意識の高揚を初め、施設整備や社会参加の促進事業など、各分野において相当の成果を上げてきてございます。
昨年八月、事業の実施状況を取りまとめ、評価点検の上に立ち、在宅福祉対策の充実、就労対策、生活環境の整備などを課題として、重点施策の見直しを行ったところでございます。
今後、障害者の方々が地域社会で可能な限り自立して社会参加が促進できるよう、関係部局ともども連携し、在宅福祉対策の充実を初めとする各種施策の一層の推進を図ってまいりたいと考えてございます。
次に小規模作業所の補助金についてでございますが、小規模作業所は心身障害者の福祉的就労の場として推進していく必要があると考えてございます。これらの作業所に対し、市町村を通じて運営費の補助を行っているところでございますが、昨年度に引き続き、本年度も補助金の増額を図ったところでございます。
今後とも、作業所の運営実態を見ながら検討してまいりたいと考えてございます。
以上でございます。
○議長(岸本光造君) 商工労働部長天谷一郎君。
〔天谷一郎君、登壇〕
○商工労働部長(天谷一郎君) 本県における本年六月一日現在の障害者雇用状況については実雇用率で一・九〇%となっており、法定雇用率の一・六%を上回るとともに、昨年の一・八九%に対し、わずかですけれども、〇・〇一ポイント改善されているところでございます。
これを企業規模別に見ると、従業員六十三人から二百九十九人については実雇用率が二・二四%、三百人以上九百九十九人については一・一五%、千人以上については一・二%となってございます。
次に、御指摘の精神薄弱者については、平成二年九月末日現在において就業中の方が四百三人であり、また県下の公共職業安定所における有効求職登録者数は百五十二人となっております。
今後、障害者雇用の一層の促進を図るため、障害者雇用促進協会や職業能力評価判定機関である障害者職業センター等、関係機関と連携を密にしながら、障害者に対する職業指導、職業紹介を充実するとともに、精神薄弱者及び社会復帰可能な精神障害者については、必要に応じ、事業主に委託して行う職場適応訓練制度の活用も図りながら、職場復帰ができるよう取り組んでまいります。
また、雇用率未達成企業に対しては、個別訪問指導をより強力に行ってまいりたいと考えております。
○議長(岸本光造君) 企画部長川端秀和君。
〔川端秀和君、登壇〕
○企画部長(川端秀和君) JR広川新駅設置の見通しと障害者対策につきまして、お答えを申し上げます。
広川町における駅の問題については、かねてからの地元関係者の要請を受け、先月十九日に運輸省、JR西日本の幹部の方々が現地視察をされるなど、実現に向けての取り組みがなされているところでございますが、今後、地元広川町、JR西日本等を中心に具体化に向けての検討が進められることになってございます。またその際、障害者対策も含めての検討を働きかけてまいりたいと考えてございます。
次にJR主要駅における障害者対策についてでございますが、県としても、障害者の方々が自由かつ安全に公共交通機関を利用できるための施設整備は重要な課題であると考えてございます。今後とも関係部局と連携をとりつつ、JR初め関係方面への働きかけに努めてまいりたいと考えてございます。
以上でございます。
○議長(岸本光造君) 農林水産部長安田重行君。
〔安田重行君、登壇〕
○農林水産部長(安田重行君) お答え申し上げます。
本年産ミカンの需給と価格動向はどうかということでございます。
本年産温州ミカンの需給計画については、全国果実生産出荷安定協議会が決めた全国の総需給量百六十六万九千トンの出荷計画に基づく本県の需給計画は前年対比八三%の二十万七千トンで、その内訳は生食用十六万三千トン、加工用三万一千トン、その他輸出・自家消耗一万三千トンとし、計画的な出荷を推進してきたところでございます。
御承知のとおり、本年は異常干ばつによる小玉果傾向、着色のおくれなどもあって、九月、十月の出荷量はやや少な目に推移したことから、前年対比一三〇%ないし一四〇%の高値で推移したところでございます。
しかしながら、九月中旬以降の長雨による肥大促進もあって、十月中旬以降の市場出荷量は予想以上に多く、また暖かい日が続いたため、一時的に値崩れを起こしたものの、十二月に入り、主要市場での平均卸売価格は持ち直してございます。
次に、オレンジなど輸入自由化後の百八十万トン体制の見通し、これでやっていけるのかということでございますが、この計画は、平成三年四月から実施される自由化を前提に国が慎重に検討を行い、平成十二年度を目標として果樹農業振興基本方針で示したものでございまして、県としては、百八十万トンの枠の中で、今後一層、適地適産を基本として、老木園、不良系統園などの更新を初め、施設栽培、マルチ栽培等による高品質ミカンの生産拡大に努め、国際競争、産地間競争に打ちかつ産地づくりに取り組む必要があるものと考えてございます。
次に、二十八号台風被害の救済対策で、特に農共済と話し合えないか、要請できないかというお話でございます。
台風二十八号による温州ミカンの被害救済については、現在、関係共済組合において被害の調査評価中でございますが、農業災害補償法の適用、すなわち共済金の給付は国が定める基準収穫量の三割以上の減収量が対象となっていることは議員お話しのとおりでございまして、現行制度では、三割以下の減収園に対する救済措置は困難であると言わざるを得ません。
しかし、お話しの共済組合との話し合いについては、特にことしはミカンの裏年にも当たりますし、また異常干ばつやたび重なる台風の本県への上陸という特殊事情を十分考慮した上での評価がなされるよう働きかけてまいりたいと存じてございます。
以上であります。
○議長(岸本光造君) 教育長高垣修三君。
〔高垣修三君、登壇〕
○教育長(高垣修三君) 四点の御質問のうち、まず紀北養護学校在籍の重度重複障害児の教育についてでございますが、訪問教育制度の中で、学習内容や方法等において工夫をしてきたところでございます。
これらの児童生徒たちは、障害の実態に応じ、集団の中で学ぶことの喜びを体験させることが大切でございます。今後、現状を踏まえ、健康状態や体力に応じた学習内容をより充実してまいりたいと考えてございます。
次に、新設のたちばな養護学校の校舎建設の進捗状況についてでございますが、平成二年度を初年度とした四カ年計画を立て、平成三年三月末までには当初予定の管理棟、校舎棟の一部を完成することになってございます。また、開校時においては、小学部、中学部、高等部を合わせ約八十名程度の児童生徒数を予定しており、これに見合った教職員の確保に努めてまいる所存でございます。
次に高校の学級数でございますが、来春の中学校卒業予定の生徒数は、お話のように、前年対比で約千四百人程度が減少ということになり、今後もこうした傾向は続いてまいります。
こうした状況から、来春の募集定員については、過去の学級増により生じている諸課題あるいは中学校の卒業生徒数の推移の問題、そして私学の振興並びに地域の状況等、全県下的な視野から総合的に検討を行っているところでございます。
次に、四十人学級については、教育指導上好ましいことでございますが、国の標準定数法にかかわる学級編制基準の改善が必要でございまして、直ちに実現をすることは困難でございます。
しかしながら、生徒増加期に四十五人学級を維持してきた経緯を踏まえ、国における対策や近府県の取り組み状況等を十分把握しながら研究を続けてまいりたいと考えてございます。
また、現在国が進めている第四次の高等学校教職員定数改善については、平成二年度の改善率は千分の七百三となってございまして、各府県はこの国の改善状況を踏まえ、定数を定めているところでございます。
以上であります。
○議長(岸本光造君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
45番小林史郎君。
〔小林史郎君、登壇〕
○小林史郎君 御答弁いただきましたが──今度はもう、知事がいい答弁をしてくれたら再質問も要望もせんとこうと思っておったんですが、先ほどのエレベーターの問題の答弁は余り納得できませんので、要望、質問兼ねてのことになると思いますけれども、一言お願い申し上げておきたいと思います。
障害者にとって、例えば私の場合、東別館に上がっていくときに大変苦労するわけです。特に、去年でしたか、いい方の足をくじいて、二本つえをつかんといけないときがあったわけです。そのときに、どうしても教育委員会へ行かなならん用事があって、つえを二本ついて行ったんですが、とても上がれません。そこで、連絡するようになっておりますので連絡したところ、守衛の方が来てくれたんです。ところが、何か道具で上まで上げてくれるのかと思ったら、何もないので負うてもらわなならんということになるわけです。そうすると、僕もいい加減重い方やし、負うてもらうのは大分気が引けますので、もうお断りして、かわりに用を済ましてもらったんです。
そういうことから、何でもないような──もしあそこの外へエレベーターをつけるとしたら何億か要るのかもわかりません。その金はもったいないような気もするけれども、しかしそれは、障害者にとっては非常にありがたい、要求の強いものであるわけです。
そういう点をわかってほしいなという意味で、あえて「つけてくれ」と言わんと「行政姿勢の問題として知事はどう考えてくれるんですか」とお尋ねしたんですが、知事はその点について、つける気がないような意味に受け取れる答弁であったので、それはそうであるのか、あるいはやっぱりこれから検討して何らかの方法を考えていこうという意欲、姿勢を持ってくれているのかどうか、その辺がはっきりわからん答弁であったので、この点を明らかにしてほしいと思うんです。
私思うのに、例えば、先ほど教育長に紀北養護学校に重度重複の学級を設置していただけないかとお願いしたところ、まあ前向きに対処してくれるような答弁でございましたが、はっきり設置へ努力しますということを言ってくれない。この学級を設置することによって年間どのくらいの予算が要るのかわかりませんけれども、一億円ぐらいの金やったら何とかなるんやないかと思うんです。そうした一億円が非常に貴重過ぎるように感じる、そういう行政姿勢を変えていただきたい、見直していただきたいというのが、私の今主張させていただいたことであるわけです。
せんだって、有田で障害者の触れ合いの会があったんですが、そこの実行委員長が開会のあいさつでこういうことを言われました。「私の友達がプラハで二週間生活してきたんやけれども、──車いすの障害者ですが──二週間あそこで生活して、不自由を感じることは一度もなかったということを聞かされた」と。プラハの町というのは四百年の歴史を持つ古い町並みだそうですが、車いすで生活をして不自由を感じないような町並みができておるということです。
また、その同じ実行委員長は「ヨーロッパ諸国では『障害者』という言葉はあるけれども『健常者』という言葉がない。『まだ障害を持っていない人』という意味の言葉があるけれども『健常者』という言葉がない」というぐあいにあいさつで言っておられましたが、これを聞きましたときに、やはりヨーロッパは、障害者に優しい、心の優しい、大切にするという点では日本よりはるかに進んだ国ではないかという感を持ったわけでございます。
そういう意味で、和歌山県政においても、そうした障害者に優しい行政の一つの手始めとして、ちょうどこの県庁の家主さんは知事さんですので、ぜひそういう設備をしていただきたい、あるいはそういうことを検討していただきたい、こういうぐあいにお願いしたところでございます。
先ほども申し上げましたが、そういう要望を申し上げるとともに、もう本当につくらん、検討せんというのか、その辺のところを明らかにしていただきたいと思います。
以上でございます。
○議長(岸本光造君) 以上の再質問に対する当局の答弁を求めます。
知事仮谷志良君。
〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 小林議員にお答え申し上げます。
エレベーターの件でございますけれども、先ほども申し上げましたように、やる気はあって、いろいろ研究を重ねてきたわけでございます。
ただ、東別館の外にエレベーターをつくれないかという問題を検討いたしましたが、建築基準法でできにくいようでございます。それじゃ中でやるかという問題でございますけれども、狭隘にもなっておるし、金額はどのぐらいかは別として、根本的に改造しなければならないような形にまでなるようでございまして、そうした点から非常に難しいという現状になっておるわけでございます。
そうした面において、先ほども申しましたように、障害者になるべく迷惑をかけない方法をもっと工夫改善すべきじゃないかということで、我々は応対においてもなお一層努力しますし、またいい方法があるということでございましたならば、いろいろ知恵をおかりしながら研究するにやぶさかではないわけでございまして、障害者対策につきまして私も積極的に取り組んでいるところでございます。
○議長(岸本光造君) 答弁漏れはありませんか。──再々質問を許します。
45番小林史郎君。
○小林史郎君 念の入り過ぎかもわかりませんけれども、もう一度、要望申し上げます。
初めて県庁の本館へ手すりをつけてくださいとお願いしたときに、当時の大橋知事は、あそこは大理石か何かであって、手すりをつけられない、技術的に難しいんやというお話であったわけですが、その後いろいろ研究、検討して努力していただいて、手すりがついたわけです。
やっぱり、熱意を持って研究、検討を重ねたらいい方法も見つかってくるかと思いますので、何とかその辺の努力を最大限やってくださることをお願いいたしまして、私の要望を終わります。
○議長(岸本光造君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で小林史郎君の質問が終了いたしました。
これで、本日の質疑及び一般質問を終わります。
明日も定刻より会議を開き、質疑及び一般質問を続行いたします。
○議長(岸本光造君) 本日は、これをもって散会いたします。
午前十一時五十九分散会