平成2年2月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(大江康弘議員の質疑及び一般質問)
県議会の活動
午前十時六分開議
○議長(門 三佐博君) これより本日の会議を開きます。
○議長(門 三佐博君) この際、報告いたします。
知事から議案の追加提出がありました。
職員に公文を朗読させます。
〔職員朗読〕
──────────────────────
財第190号
平成2年3月12日
和歌山県議会議長 門 三佐博 殿
和歌山県知事 仮 谷 志 良
和歌山県議会平成2年2月定例会追加議案の提出について
地方自治法第96条の規定に基づく議決事件について、次のとおり議案を提出します。
記
議案第66号 平成元年度和歌山県一般会計補正予算
議案第67号 平成元年度和歌山県中小企業近代化資金特別会計補正予算
議案第68号 平成元年度和歌山県立医科大学特別会計補正予算
議案第69号 平成元年度和歌山県営港湾施設管理特別会計補正予算
議案第70号 平成元年度和歌山県用地取得事業特別会計補正予算
──────────────────────
○議長(門 三佐博君) 日程第一、ただいま報告いたしました議案第六十六号から議案第七十号までを一括して議題といたします。
議案はお手元に配付しておりますので、まず知事の説明を求めます。
知事仮谷志良君。
〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) ただいま上程されました議案につきまして、御説明申し上げます。
平成元年度予算のうち、用地取得の遅延、その他諸般の事由により本年度内に完了することが困難と見込まれる事業につきまして、一般会計で百四十五億千余万円、特別会計で十四億九千五百余万円を平成二年度に繰り越し使用することについてお願いいたしております。
何とぞ、御審議の上、御賛同賜りますようお願い申し上げます。
○議長(門 三佐博君) 以上で、知事の説明が終わりました。
○議長(門 三佐博君) 次に日程第二、議案第一号から議案第六十五号まで、並びに知事専決処分報告報第一号から報第四号までをあわせ一括して議題とし、議案等に対する質疑を行い、あわせて日程第三、一般質問を行います。
12番大江康弘君。
〔大江康弘君、登壇〕(拍手)
○大江康弘君 きょうはお日柄もよく、大安という吉日でありまして、この大安のよき日にこうして一般質問をさせていただく機会を与えていただきました先輩・同僚の先生方に心からお礼を申し上げたいと思います。きょうは、こうして議場の周りを見渡しますと、大変多くの方が来られておるわけでございます。私のファンクラブの方もあるんですが、「不安クラブ」じゃないかなと。片仮名の「ファン」だったら、知事さん、物すごくいいですね。「ファンクラブ」と言ったら、非常に支えてくれる。しかし、漢字で書けば「不安」です。知事さんいつも「議会を開会する暇がなかったので」と言って専決処分をされておりますが、私もきょうは、「原稿を書く暇がなかったので」ということで原稿なしでやるわけであります。いろいろまた大変なことになるんではないかなというような心配もしておるわけですけれども。
おかげで知事さん、私もこの議場に立って十一年目です。もう、親子ともども二十七年、この県議会、県庁でお世話になっておるわけであります。知事さん、二十七年のきずなというのは、切ろうと思ってもそう簡単には切れるものではないわけなんです。知事が嫌だと言っても、これは大江康弘を切るわけにはいかんですよ。もう私の先代も亡くなりまして、ことしで十二年であります。知事さんの顔見たら、息子よりもおやじの方がよかったなあというような顔をされておられますけれども、しかし私も自分なりに一生懸命、一年一年の年輪を刻んできたつもりであります。
政治というのは、特に「継続」という言葉が非常に必要になってくる世界だと思います。まさに「継続は力」。杉やヒノキが一年一年の年輪を刻んで大木として成長していくがごとく、人間社会においても自分が思った道を生涯生き抜き通していくというのは、これまた非常に難しいことであります。特に我々政治家は、四年に一度住民の皆さんの大きな審判を仰がなければいけないわけであります。それだけに、一日一日が我々議会人の積み重ねになってこようかと思うんです。
知事さん、十一年も県会議員をやらせていただいておりましたら、いろんな肩書をいただくんです。今、私は議会で「文教常任委員長」という非常に名誉ある立場を与えていただいておるんですが、もう一個肩書があるんです。何だとお思いですか。もう衆議院の選挙も終わりました。「元衆議院議員立候補予定者」、これが私の今一番新しい肩書なんです。
二年前に私は、今は亡き玉置和郎先生の後を受けて、やはり将来は国政へ出てやってみたいという思いの中で、二区の多くの皆さんに御心配をかけ、またいろいろ御支援をいただいたんですけれども。そこでいろんな方から、私を思ういろいろな温かい御意見をいただいたわけであります。人間は、この世に生を受けたときから、天職というのがおのずとそれぞれの人間に与えられておるんではないか。しかし、その天職を見つけることというのも非常に難しいことだろうし、先ほど言いましたように、天職を生涯、自分に与えられた天命としてやり通していくということも、これまた人間社会の中で非常に難しいことだと思うんです。
十一年間を振り返って、生涯の目標として絶えず向上心は失いたくない、できること、できないことがあっても、一つでも二つでも上の目標を持って進むことが、日々の自分の政治活動や人生生活において物事を大きくとらえることのできるような心の見方が変わってくるんではないかなあということを感じてきたのであります。それだけに、私は生涯、地方議員として自分の与えられた人生をやってみたい。今、与えられておる県会議員というこのポストでさえも自分にとっては身に余るポストであると思うんですけれども、しかし、これも与えられた天命として一生懸命やってみたいなというふうに思っております。
知事さんが、今、四期目の折り返し点を過ぎた中で、やり残された公約あるいはまたやろうとしておるいろんな思いの中で、あと何期、知事さんこれから続けていかれるかわかりませんが、一生懸命応援しますよ。そして、もしあと何期目かで、「もう大江君、おれもやりたいことやったな。後はひとつ大江君、おまえやれよ」と言ってくれたその時点では、私もまた新たに自分の生き方を考えてみる、そういう心の余裕も持ってこれからの人生をやってみたいなと今思っておるわけであります。
きょう私は、いろいろとお聞きをしたいことがあったんです。お手元の「質疑及び一般質問予定表」の三番以降に大きく空白があるんです。これは、質問をするということでお願いをしてから、きょうここへ上がるまでに、いかに当局の皆さんとのいろんな葛藤があったかということの証左であります。そういう中でこれだけの空白ができたということは、やはり二十七年間の親子ともどもお世話になったきずながまたならしめたものであろうというふうにも思うわけであります。
きょうは、こうして三つの質問項目をお願いしておりますが、一生懸命思うままお話をして、人生の先輩、政治家の大先輩としての仮谷知事の胸をおかりしてやってみたいなというふうに思います。同僚の上野山議員が、けさ起きたら、「きょうは、おれこの後できるんか」という心配をしていましたが、後の藤沢先生、上野山先生、藁科先生に御迷惑をかけないように、また議場におられる先輩の皆さんに御迷惑をかけないように、与えられた時間をやってみたいと思います。もう八分過ぎました。あと三十二分ですか。
まず、総選挙の結果であります。
最近の新聞を読みますと、「ねじれ現象」という言葉をマスコミの皆さんが使われております。これの意味するところは、我が自由民主党が、さきの六月の参議院選挙で国民の皆さんの民意をいただいて負けた、そして今回の衆議院選挙においては辛くも過半数を超える御支援をいただいて、衆参で与野党がそれぞれ逆転をしておるということの言い回しだということであります。
知事さん、私は今こうして立っておりますと、自分が二十五歳でこの議場に送っていただいたときの心境を思い浮かべるわけであります。
「少年、志気を負えば、道を信じて時に従わず」、青年というのは、一たん自分が志を定めたならば、周囲の状況はどうあってもその信じた道へ邁進をしていくという言葉であろうと思います。なかなか、若い時代というのは現実が見えないものであります。理想を追い求める、自分の夢や希望を追い求めていくものであります。これは何も若い人に限ったことではないわけでありますけれども、理想と現実の幅がだんだん縮まっていくというのは、だんだん年がたってくるというような一つのあらわれではないかと思うわけなんです。
こういうことを考えてみましたときに、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、二十年間の流人生活があったものの、反平家の旗上げをして古代社会に終止符を打ったのが三十四歳。そして、古代から中世へと移行していく中で、足利尊氏が後醍醐天皇を破って武家の頭領として室町幕府を開いたのが三十二歳。そして近くは、織田信長が、戦国の群雄割拠する諸国の中で、諸国統一に向けた流れというのは桶狭間の戦いであったと思うんですけれども、ここで今川勢を破ったのが二十七歳。いずれも、閉塞した時代、停滞した時期にあって、時代を揺り動かし、時代を推し進めていく原動力になっておるのは常に若者ではないかな、若者が絶えずそういう時代の節目に重要な役割をしておるというふうに思うわけなんです。
近くは高杉晋作、幕府に破れた長州藩を、東奔西走して坂本龍馬と一緒になって薩長連合により明治維新の礎を築いたのであります。しかし、高杉晋作は享年二十九歳でこの世を去った。坂本龍馬は、享年三十三歳で世を去った。この二人は、自分に与えられた生涯の使命が済んだかのように亡くなっていっておるわけであります。
こういうことを思います中で、今回の総選挙の焦点というのは一体那辺にあったのか。消費税だと言う人もあれば、いろんな争点も言われておりますけれども、自由民主党の立場において総選挙中に訴えてきたことは、いろいろと自由民主党に対して国民や県民の皆さんの中に大きな不満はあっても、戦後、日本国の責任政党として大筋において自由民主党が今日までとってきた政策というのは決して誤りではなかった、こういうことを信じておる一人であります。
政治というのは政治家が行います。そして、その政治家を選ぶのは二十歳以上の国民一人一人に与えられた大きな権利であります。自民党に対するいろんな御批判や御指摘があっても、自由民主党に責任政党の立場を今日まで与えてきてくれたのが大半の国民の皆さんであったと思うんです。日本には、政党を選ぶという自由な体制があります。
昨年の六月は、先ほども言いましたように、国民の多くの皆さんが自由民主党の政策に対して疑問を持ち、義憤を持った中で自民党が大きく負けた。私も、六月の自民党の全国代表者大会で話もしたんですけれども、自民党の長年にわたる長期政権の中で、政治家というのはもっと謙虚に政治をやらなければいけない、みずからを戒めて政治をやらなければいけないという多くの国民の皆さんの温かい前向きの御批判の声であったと思うんです。それだけに、今回の衆議院選挙の結果を見たとき、改めて自由民主党に政策の担当責任を与えていただいた国民の皆さんに感謝を申し上げるとともに、やはり謙虚になって次の時代に向けて政治をやっていかなければいけないという思いを感じたのであります。
知事さん、我々のこの自由な社会、自由に行動ができて、自由に物が言えるという今の体制をどう思われますか。
先ほど明治維新の話に触れましたけれども、あの若い志士たちは、決して大名の子供だとか殿様の子供だとかいう上級武士ではなかったと思うんです。知事さんが角間さんとお話をされているこの本を読んでも、歴史が好きだということを書かれておりますが、彼らが命を捨てても今の体制を破らなければ日本の将来が来ないという行動の理念は何であったのか、私はそこに注目をしたいのであります。
やはり、決められた身分社会においては活性化は出てきません。徳川幕府がそうであります。士農工商という身分制度をつくった。幾ら弱くても、武士の子は武士であります。幾ら強く生まれても、農民の子は農民であります。こういう生まれながらにして与えられた身分社会の中では、活性化というのは出てこない。そういう閉塞した状況、体制に対して、これではいけないということで立ち上がったのが、まさに日本で初めての革命だと言われるあの明治維新における命を捨てて体制を変えた行動の理念であったと思うんです。我々は、「戦後民主主義」という言葉をよく使いますけれども、今日の民主主義の体制の基というのは、あの明治維新の革命の行動の原点にあったのではないかなと思うのであります。ここらは知事さん、いかが評価をされておるのでありましょうか。
今、東欧におけるいろんな共産主義国家あるいは社会主義国家を見ても、大きな時代の流れにあって変革を求められておる時期であろうと思います。今、中央において、パーシャル連合だとかいうような新しい政党の枠組みが議論をされておるようでありますけれども、そういう中央の政党政治を受けた今日の地方議会の流れがあっても、これからは我々地方議会が新しい政党のあり方、新しい議会のあり方を求めていかなければいけない時期に来ておるんではないかなと思うのであります。政治家として、行政の長としての仮谷知事は、今回の総選挙の結果を見てどういう御意見を持たれているのか、お聞かせをいただきたいと思うのであります。
次に、二十一世紀の県の姿についてお尋ねを申し上げます。
知事さんに期待を申し上げたいのは、時代のスイッチマンになってほしい、時代を転換していくかぎの役目を果たしてほしいということであります。
人にも青春時代があるように、日本の国もそうであります。歴史にも青春時代というのがあります。そして、「青春」という言葉を和歌山県に当てはめてみたならば、今まさに和歌山県は青春の時代だと言えると思うんです。お互いの人生を振り返ってみたときに、青春時代というのはるんるん気分で楽しいことばかりではないわけであります。悲しいこともある、つらいこともある、また人をうらやむこともある。しかし、人間の形成期においてこの青春時代をいかに自分が心にとめて目標を持って人生を送っていくかによって、将来大きく変わっていくものだと思うのであります。それだけに、和歌山にとっては、今まさに陣痛の時期であろうと思います。そして、大きく開け行くその前夜であろうと思うわけであります。こういう和歌山の青春時代において、知事さんもいろいろと悩まれ、考えられたことが多かった毎日であろうかと思いますけれども、四期の半ばを越した知事の政治生活を振り返って、県民の皆さんにお訴えをしてきた公約がどれくらい実現をされてきたとお考えでありましょうか。
そして今、知事さんが中心になって和歌山県が挙げて進めておるいろんなプロジェクトを見てみましても、一年や二年で完成するような計画は見当たらないのであります。しかし、これらの多くのプロジェクトは、知事さん自身が県庁のスタッフの皆さんを信頼してやってきた、知事さん自身が出されたものであります。これを今後、知事さん自身の手でどういうふうにされていかれるのか。私は、政治家・仮谷志良の公約実現に対しての責任を聞いてみたいと思うのであります。
二十一世紀になればこういう和歌山県になるんだ、県民の皆さんはどうかひとつ希望を持って一緒にやってほしいということで、県民の皆さん一人一人に知事さん自身がお願いをし啓蒙されたことがあるのか。十年後と言えば、今小学校四年生、五年生の子供たちが成人式を迎える年であります。もっと年齢を下げて小学校や中学校の生徒のみんなに、和歌山県は君たちが大人になったらこういう県になるんだ、こういうふるさとになるんだということをもっと理解をしていただくような施策が必要ではないかなと思います。一つ一つのプロジェクトがどうも有機的に結合をしておらなくて、それぞれが単発で進んでおるような気持ちになってやまないのであります。もう少し視点を変えて、和歌山県の二十一世紀のあるべき姿はこうだ、どうかひとつ理解をしてほしいという、県民の皆さんに対してのアピールが必要な時期ではないかなと思うわけであります。この点もあわせてお伺いをさせていただきたいと思います。
二番目に移りたいと思います。公共事業と民間事業についてであります。
地元のことを言って申しわけないんですけれども、私は、白浜空港が大事であります。白浜空港が大切であります。我が県議会におきましても、昭和五十六年に全議員一致で建設促進議員連盟をつくっていただいた。初代の会長は下川先生のお父さんである下川舜三先生、次は松本計一先生、三代目は馬頭哲弥先生、そして今四人目に不肖私が、議員の皆さんの温かい御支援をいただいて会長にさせていただいておるのであります。
知事が、あの白浜空港を千二百メートルから千八百メートルの滑走路にして、悲願であるジェット航空を飛ばすんだという政治決断の裏には、和歌山県の均衡ある発展こそが県民の幸せにつながっていくという政治家としての判断があったと思うのであります。地元にとってみれば、まさに大きな政治の光を当てていただいたのであります。今は、建設事務所の職員の皆さんが最前線に立って頑張ってくれておりますけれども、今日までの空港の歩みの中で一つ疑問に思うのは、田辺市の丸紅の計画のあの公表の仕方であります。
二年前の一九八八年八月でありますが、丸紅が田辺市開発構想案共同発表ということで一千億構想を打ち出したのであります。二年前と言えば、御存じのように、空港の事業化が採択になって初めて実行予算がついたのであります。そして、その後どういう動きがあったんか知りませんけれども、去年の七月に二千億円という、我々田舎に住んでおる者にとっては考えられないような巨費を投じて開発をするという新聞発表があったんです。
たしか、浜本先生もここで御質問をされたと思うんですけれども、一千億円の発表があったときは、朝起きてみれば自分の土地がテニスコートになっておったというような地権者の皆さんの大きな不安の中で、さらに今申し上げましたように二千億円構想。私は、こういうことは田辺市ももっと慎重にやるべきであったなと思うんですけれども、仮谷知事さんや市長の談話を見ても、また丸紅の談話を見ても、「県の指導のもとに進めてきた」とあるわけなんです。
土木部長、空港の用地というのはなぜ買えないんですか。なぜ、繰り越し額が大きいんですか。一体、この理由は那辺にあるんですか。
田辺市という、あの紀南の地方自治体の中核都市において、前にもオリムピック構想というものをぶち上げて、業者がやれなかったからと言って帰っていった。今回も、そういう不安を持っておるのであります。それだけに、こういう計画においてまず第一に大事なのは、地域の住民の皆さんの熱い思いであります。その熱い思いを吸い上げて、行政がどういう方向に持っていくかということが行政のあるべき姿だと思うのであります。リゾート法でもそうでありますが、指定をされることがあたかも目的であるがごとくのような地方自治体の動きというものには、私はどうも納得がいかないのであります。
今の田辺市を見ておりましたら、まるで一企業の営業の窓口のような動きかなという思いさえもするわけであります。こういう一千億だとか二千億だとか──仮谷知事が政治生命をかけ巨費を投じての大きな公共事業をやっておる場所において、あれだけの企業があれだけの計画を本当に真剣にやる気があるならば、少なくとも地権者の皆さんの三分の二以上が賛成をしておらなければいけない。少なくとも、水面下で用地は半分以上取得ができるという事実関係がなければならない。ああいう公表の仕方をさすということは、私は行政の責任であろうと思うんです。いたずらに土地を高騰させる要因の一つになる。まさに、空港用地が買えない。土地が高騰しておる起因は、ひとり丸紅が責任だとは言わないまでも、私はワン・オブ・ゼムになってきておるのではないかなと思うんですが、この点はいかがでありましょうか。
知事さん、私が非常に残念に思ったのは、いろんな土木行政の施策があっても、紀南において空港建設という大きな事業を進めておられる土木部が、あの計画が発表された時点において、この丸紅の企業誘致に関連をした県当局と言えば商工労働部になるわけですか、庁内において、「ああいうことをされたら困るじゃないか。ああいうことをされて、うちの用地が買いにくくなったらどうするんだ」というような、そういうやりとりがあったんですか。私は、あってしかるべきだと思うんですよ。知事さんもこの本の中で、公務員は自分の与えられた仕事に対して目的意識を持たないとだめだということをはっきり言われておるわけであります。
そういうことを考えたときに、今後いろんな企業がいろんな形で進出をしてくると思うわけです。そういう場合の一つのルールとして、公表の仕方について今のようなままではだめだと思うんですが、そのあたりの検討は今後どういうふうにされていくのか、お聞かせを願いたいのであります。
地域の人々の気持ちと大きくかけ離れて、企業がはしゃいで、それへ地方自治体がついていくように見られるような今の状態は県の行政の指導において変えていかなければいけないと思うわけですが、この点もお聞かせを願いたいと思います。
最後になりました。三番目のランドバンクであります。
今、二番目の点で触れましたけれども、土地を売る人々は代替地が欲しい、お金なんかは要らないんだ、和歌山県さん、どこかに土地を紹介してくれよという声を聞くわけであります。県の土地開発公社においては、各地域においていろいろと用地を取得されておるわけでありますけれども、もう少し県が先行投資で土地を買って、そういう用地の提供をしてくれる県民の皆さんの中で、できれば代替地にしてほしいという人に対しては、お金よりも、こういう土地がここにありますよというぐらいの手持ちがなければおかしいと思うのであります。今後、高速道路だとか大きな公共事業の推進に当たって避けて通れない道だと思うんですけれども、そういうことも含めて今後の対応をお聞かせ願いたいと思います。
あと、三分になりました。これで質問を終わりにさせていただきたいと思いますけれども、最後に、県警本部長に所感を申し述べさせていただきたいと思います。
和歌山の南港ですか、昨年から六件で八名が亡くなられたということ。けさもNHKのニュースでやっておりましたが、亡くなられた皆さんにはここで御冥福をお祈りするわけでありますけれども、本部長のインタビューで気になったのは、あの荷揚げをする滑りどめですか、もう少し高くしないといけないということをおっしゃられていたんです。私がおかしいなと思ったのは、何か本部長のインタビューを聞いておったら──確かにインタビューというのはごく一部でありますから、その前後は何を言われたか定かでないんですけれども──カーブを百キロで回った、そして亡くなった、そしたら百キロで回っても行けるような道にすべきだというような感じに実は受け取られたわけであります。
遺族の皆さんにとっても、亡くなられたということは悲しいことでありますが、その原因が那辺にあるのかということも大事だと思うんです。行政がいかにあるべきか、警察行政がどうすべきかということも含めて考えていくべきであると思うわけであります。そういうことをこの間うちから二回、テレビの放映で感じましたので、もうこれ以上申しませんけれども、警察行政を自信を持って進めていってほしいということの所感だけを申し述べさせていただきたいと思います。
以上であります。知事さん、いろいろ嫌なことも申したかと思いますが、私は、きょうは潤滑油のつもりで登壇させていただきました。後、先輩の皆さんがいろいろと御質問をされると思いますので、その点も含めてお願いを申し上げたいと思います。どうも、御清聴ありがとうございました。
○議長(門 三佐博君) ただいまの大江康弘君の質問に対する当局の答弁を求めます。
知事仮谷志良君。
〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 大江議員にお答え申し上げます。
大江議員が二十五歳で県会へ出られたときの心情を思いつつ、総選挙の結果についての話をされたわけでございます。これについて知事の考え方はどうかということでございます。
話ございましたように、私は、今度の選挙は二十一世紀を占う重要な選挙であるし、国内問題では消費税、国際問題では日米摩擦とか東欧諸国の大きな変革、こうした大きな時代の流れの中にあって日本がどうあるべきかということの民意を聞く重要な選挙であったと思うわけでございます。
大江議員も大江議員なりの考え方を持つし、各党自体も今回の民意の反映について十分な分析をやり、この対応を図っておると思います。そうして、こうした大きな時代の流れの中で、これからの国政がいかにあるべきかということを真剣に考えていただいておるだろうと思いますし、また私たち地方政治を行う者においても、政治の厳しさ、そしてこうした大きな移り変わりの激しい時代の中で、なお一層政治というものが大きな使命を持つということを痛切に感ずるわけでございます。これからの新しいやり方について、時代の流れを見詰めつつ、政治の厳しさを感じつつ、私も原点に返ってなお一層努力してまいりたいと存じておる次第でございます。
第二点の、二十一世紀を眺めての知事の考え方でございます。
先ほど話ございましたように、今こそ青春期といいますか、そうした時期にあるんではないかと思うわけでございます。時代的に見ても、二十世紀から二十一世紀へバトンを継ぐときでもございます。また、一九九○年代の最初のときでもございます。私は、長期計画において、抽象的な言葉でございますけれども、和歌山県の将来を「活力と文化あふれるふるさとづくり」ということを目標にしておるわけでございます。そして、それを達成するための柱であり目標であるのは、活力に満ちた産業の発展であり、健康で行き届いた福祉社会であり、そして三点目は人づくりと文化の創造ということにしておるわけでございます。それを進めるためには、和歌山県が紀伊半島に属しておるということが大きな問題でございます。交通基盤の整備が一番重要な課題だと考えておるわけでございます。
皆さん方の協力を得まして、鉄道網で新大阪駅乗り入れができましたし、空港問題では関西空港が動きつつありますし、白浜空港が動きつつございます。また、高速道路の紀南延長の問題が着々と進みつつある現状でございます。大阪と和歌山を結ぶ高速道路、京奈和自動車道、そしてまた国道、県道、林道、農道と、そうした大規模な道路網の整備を図ることによって産業、文化、福祉を進めていかなければならないわけでございます。公約については、終わりつつある問題もあるわけでございますけれども、これからの問題が非常に大きいわけでございます。こうした重要な時期でございます。
そしてまた、将来のビジョンをどうするかということ、話ございましたように、もう少し具体的な地域対応、例えば和歌山地内はどうするか、日高地内はどうするか、田辺地内はどうするか、新宮地内はどうするか、主体的な構想、大観的な見地に立ってもっとビジョンを言うべきではないかということ、ごもっともでございまして、こうした重要な時期でございます。県民の皆さんの理解を得ずして和歌山県の大きな発展はあり得ないと思います。時期は今だと思うんです。県民の皆さんの格段の御理解を得るために、私たちがいかになすべきかということを十分考えてまいりたいと存じておる次第でございます。
次に、公共事業と民間事業の関係でございます。
話ございましたように、私たちは、紀南地域の活性化のためには何と申しましても白浜空港のジェット化が一番重要だと考えておるわけでございます。そうしたインパクトを大きく生かして、紀南地域の活性化を図るために複合的なリゾート開発、研究開発型の企業誘致、地場産業の高度化等を推進して、あの地域の立派な町づくりをしていきたいと思っておるわけでございます。さまざまな民間事業、公共事業と十分な連携をとり、整合性を持つということが最も重要なことでございます。お話ございました点、十分意を体して、そうした面においてなお一層努力してまいりたいと思います。
白浜空港の問題について触れていただきました。実際、この用地買収がまだ十分進んでないということ、まことに残念に思っておるわけでございます。お話ございましたように、昭和五十六年に議会において議員連盟をつくっていただいて、議会の皆さんの格段の御努力を得ながら進んでまいりました。六十年に白浜に決定させていただいて、六十一年に五次空港に入れていただいたわけでございます。そうした過程を踏まえながら進みつつあるわけでございますけれども、最近の地価高騰と空港ができたこと、また話ございました田辺の開発の問題等が重なり合って問題点があるわけでございまして、特に大阪付近の皆さんが空港の近くに土地を持っておるのが一番の悩みでございます。
過日も私、白浜で会議がございました際に、うちの空港の用地担当の皆さんとも懇談会をさせていただいたわけでございます。彼らも、非常に苦労して頑張っていただいておるわけでございます。現在の仕事をなすためには、やはり何と申しましても一番大事なことは用地の確保ということでございます。説得するのにも誠意が一番大事であるし、担当者もあらゆる角度から物事を話し合っていくのが解決する上で一番いいんだということを申しておりました。そうした点、なお一層努力したいと思います。
それから、ランドバンク創設についてでございます。
おっしゃいましたように、非常にそうした機会が多うございます。私たちも、それを何とかしなければならんということで、現在、県庁内においても用地取得に関係のある部局長で構成する公共用地取得促進対策委員会というのをつくっておりまして、そこで十分検討させていただいておるわけでございます。
今後とも、そうした面について格段の御指導、御支援をお願い申し上げたいと思います。
○議長(門 三佐博君) 商工労働部長天谷一郎君。
〔天谷一郎君、登壇〕
○商工労働部長(天谷一郎君) 田辺市での丸紅の計画についてでございます。
田辺湾総合リゾート開発事業につきましては、県のリゾート整備促進の一翼を担う、民間資本による主要プロジェクトとして燦黒潮リゾート構想にも位置づけられておりまして、もちろん庁内においても関係部局間で十分協議をされておるところでございます。
この計画の実現は、田辺市周辺地域、ひいては紀南地域活性化に寄与するものと考えてございます。現在、本事業は基本計画の策定作業並びに用地交渉の準備作業を行っている段階でございますが、県といたしましては、生活環境の向上、地域産業の振興はもとより、公共基盤整備事業との整合性についても、施設計画の策定や用地買収に当たって十分な配慮を行うよう強く指導しておりまして、今後とも公共投資と民間投資が相乗効果を生み出し、地域の発展に大きくつながるよう努めてまいる所存でございます。
また、御指摘のありました当事業の構想発表の時期につきましては、当事業が非常に大規模かつ総合的な計画であり、都市づくりという側面を持つなど、地域に与える影響も大きいことから、オープンにすることにより、関係者はもとより、広く地域住民の理解と合意を求めながら計画を進めねばならないとの観点から早期に公表されたものでございます。
今後、議員御指摘の意を十分体しながら対処してまいりたいと思います。
○議長(門 三佐博君) 土木部長磯村幹夫君。
〔磯村幹夫君、登壇〕
○土木部長(磯村幹夫君) お答えいたします。
代替地の先行取得の方法としましては、土地開発公社の活用や起業地以外の土地も含めた面買収による方法等が考えられますが、金利負担も含めた予算措置や財産管理等、難しい問題がございますので、公共用地取得促進対策委員会の中で議員御提案のランドバンクも含め、検討してまいりたいと存じます。
以上でございます。
○議長(門 三佐博君) 答弁漏れはありませんか。──発言時間が終了しております。
以上で、大江康弘君の質問が終了いたしました。