平成29年12月 和歌山県議会定例会会議録 第3号(坂本 登議員の質疑及び一般質問)
平成29年12月 和歌山県議会定例会会議録
第3号(坂本 登議員の質疑及び一般質問)
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午前10時0分開議
○議長(尾﨑太郎君) これより本日の会議を開きます。
日程第1、議案第168号から議案第194号まで、並びに知事専決処分報告報第6号を一括して議題とし、議案等に対する質疑を行い、あわせて日程第2、一般質問を行います。
41番坂本 登君。
〔坂本 登君、登壇〕(拍手)
○坂本 登君 皆さん、おはようございます。議長のお許しをいただきましたので、一般質問をさせていただきます。
秋の1日を道成寺に足を運びました。数台の観光バスが駐車し、多くの観光客が境内を見学し、また、江戸時代から語り継がれているという縁起堂での絵解き説法に耳を傾け、小野院主の絶妙な語り口に、時には涙ぐみ、時には大声で笑い、興じ、存分にお寺の歴史に聞き入っていました。
私は、今回、その道成寺の日本遺産への認定に関して質問し、当局の考え方をお伺いするものであります。
もともと、私は、道成寺の世界遺産への登録を願い、期待する者の1人でございましたが、しかしながら、本県の世界遺産は、熊野古道及び古道が結ぶ高野・熊野の拠点施設の登録となり、そこから地理的に遠い道成寺はその対象から外れてしまいました。
一方、文化庁の施策として、こうしたすぐれた歴史的魅力を有する文化・伝統を日本遺産として認定し、地方創生、地域の活性化に活用しようとする制度があることを知りました。
地元の日高川町も、道成寺の日本遺産認定に熱心に取り組み、3度にわたって文化庁に対し協議をしたところでございました。しかしながら、認定のハードルは高く、いまだ実現しておりません。
そこで、私は仁坂知事に対し、この件は、これ以上地元の日高川町だけに任せていたのではうまくいかない、これまでの実績もあり、もっと県が前面に出て手助けをしてやってほしいとお願いをいたしました。私も世界農業遺産の際の経験があるので、できることは全力で応援するからとお願いをいたしました。
決断の早い知事は、早速担当部署の観光振興課に対し、この件について積極的に取り組めとの指示を出してくれ、観光振興課も一生懸命対応してくれています。現在は、文化庁と協議に向け、県と日高川町の共同作業に入ってくれていると思います。
私は、きょうここで、改めて道成寺の魅力を皆様にも御紹介し、この日本遺産への取り組みに対する御支援をお願いする次第でございます。
順序として、まず道成寺の歴史を中心にお寺のあらましについてお話しいたします。
皆様も既によく御存じのとおり、道成寺は日高川町鐘巻、天音山の中腹に立地いたします天台宗のお寺であり、御本尊は千手観音でございます。701年、宮子姫とも髪長姫とも言われる当地出身の姫君で、天皇のお后となられた藤原宮子の願いにより、文武天皇が創建されたものと言われています。
お寺の言い伝えによりますと、今から1300年ほど前、平安の世のことでございます。日高川河口、現在の御坊市藤田町あたりのある村の夫婦に1人の女の子が生まれました。その子は宮と名づけられ、愛情いっぱいに育てられましたが、幾つになっても髪の毛が生えず、悲しんだ両親はあらん限りのお願い、お参りをし、神仏の御加護をお祈りいたしますが、かいのない月日が過ぎていきました。
ある日、母親が海の中に一条の光を発する観音様を見つけ、持ち帰り、お祭りし、毎日お祈りを続けていますと、にわかに宮の髪の毛が伸び始め、やがて7尺を超す艶やかな黒髪となり、人々は髪長姫とうわさするようになりました。当時、艶やかな黒髪は、美人の大きな要素であったと言われております。
あるとき、1羽のツバメが髪長姫の一筋の長い黒髪をくわえ、巣をつくっておりました。奈良の都、藤原不比等の屋敷に持ち帰ったそうでございます。これが縁で、宮は時の権力者、藤原不比等の養女となり、宮子と名乗ることになり、やがて文武天皇のお后となり、後に奈良東大寺を建立する聖武天皇のお母さんとなるのでございます。
宮子は、長い髪を授けてくださった観音様をお祭りしたいと天皇にお願いし、命により建立されたのが道成寺だと言われてございます。
創建後はやや不遇の時代をたどりますが、1665年、紀州藩主徳川頼宣の援助で本堂の修理がなされ、さらに19世紀初頭に大規模な修理がなされたといいます。
千手観音の立像・国宝1点、美術工芸品で重要文化財が6件、仁王門の建造物で重要文化財2件、境内は国の史跡となっております。お寺の真髄とも言うべき観音経の絵巻の原本は、現在、ニューヨーク・メトロポリタン美術館に保存されているそうでございます。
京都と熊野三山を結ぶ熊野古道に面した道成寺は、熊野参詣にも華々しく登場いたします。
928年の夏、奥州白河より熊野詣での途中、僧・安珍は、紀伊の国牟婁郡中辺路、真砂の里、現在田辺市中辺路に一夜の宿を求めます。宿の娘・清姫は、このイケメン修行僧に一目ぼれ。恋に落ちる2人ではございましたが、熊野三山への参拝を急ぐ安珍は、帰りには必ずもう一度立ち寄るからなと清姫に別れを告げ、熊野へと旅立ちます。
今か今かと安珍の帰りを待つ清姫。修行の身と清姫を避けて帰りを急ぐ安珍。安珍の心変わりを知った清姫は安珍の後を追います。逃げる安珍、清姫の怒りはすさまじく、安珍を追いかける清姫の姿はいつしか蛇の姿に見えたと言われます。怖くなった安珍は、道成寺に駆け込み、つり鐘の中に身を潜める始末でございます。
いとしい人への清姫の恋は激しく燃え上がり、つり鐘に巻きつき、情念の炎でついに安珍への思いを遂げるのでございます。いとしい人と一緒ならばと清姫は日高川に引き返し、入水。道成寺の徳により、その後2人は成仏したという物語。いわゆる安珍・清姫物語は、熊野詣でを広める物語として、また、清姫の悲恋を伝える物語として、広く全国に語り継がれました。
参考ながら、その後再興されたこの悲恋の梵鐘は、現在は京都の妙満寺に安置されているそうでございます。
安珍、清姫に対する地元の思いは温かく、毎年4月に行われる道成寺の会式では、清姫が蛇となって安珍を追いかけるさまを再現した踊りが披露され、清姫の地元中辺路では、7月に清姫の墓を臨む清姫渕を舞台に清姫まつりを開催し、その霊を慰めているそうであります。
600年前、2代目のつり鐘が再興されるに及び、その鐘供養に花の精となってあらわれた1人の美しい白拍子、やがてその本性は清姫に立ち返り、鐘の中から蛇の姿となってあらわれる。こうして、激しくも悲しい悲恋物語、いわゆる道成寺物が生み出され、歌舞伎、長唄、浪曲にと、あでやかな衣装と舞が舞台を彩ります。
歌舞伎「京鹿子娘道成寺」は、古今東西、中村富十郎、中村歌右衛門、尾上梅幸、尾上菊五郎、最近は坂東玉三郎など、あまたの名優が清姫となり、日本中の人々の涙を誘い、幽玄の世界へといざなったものでございます。
また、こうした名優の多くは、公演に先立ち道成寺を訪れ、清姫の霊を慰めるとともに、公演の成功を祈願いたしてございます。
近年は、ネットで坂東玉三郎の娘道成寺が英語版となって海外にも紹介され、道成寺は国際的にも名の知れた名刹、名所となってきております。
1000年を超える歴史を有し、文武天皇が宮子姫の願いを聞き入れて建立された道成寺、熊野詣でと相まって全国に語り継がれた安珍清姫物語、この悲恋物語を題材に我が国を代表する伝統文化、道成寺物がつくり上げられ、能に歌舞伎に長唄にと、我が国の古典芸能の基礎をなし、今もなお年間100回を超える舞台が全国で公演されているという。その幽玄であでやかな舞台は、特に女性客を中心に人気を高めています。今やその評価は、国際的なレベルまで高まっている。
私は、この道成寺が日本遺産として認定されるにふさわしい資格を十二分に備えていると確信しております。
日本遺産とは、文化庁が地域の歴史的魅力や文化、伝統を日本遺産として認定する制度でございます。
認定されますと、文化庁の支援を受けながら、地域が主体となって歴史的建造物や文化材等を総合的に活用し、国内だけではなく、海外でも積極的に発信していくことにより、地域の活性化を支援しようとするものであります。
やや専門的には、世界遺産や文化財の登録は、主としてその文化的遺産の保護を目的とするものに対し、日本遺産は地域に点在する遺産を面として活用し、発信することで地域の活性化、ひいては地方創生を目指しているとされております。
平成27度から日本遺産の認定が行われ、既に全国では54件が認定され、このうち和歌山県では、平成28年4月に認定された太地町の「鯨とともに生きる」、さらに平成29年4月に「絶景の宝庫 和歌の浦」、「『最初の一滴』醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」が続いて、3件が認定をされております。県もしくは市町村が申請し、文化庁が日本遺産審査委員会の審査を経て認定するそうであります。
御紹介してきましたように、宮子姫の物語が建立の起源とされ、清姫によって全国津々浦々まで名を知られるようになった道成寺。2人の女性なしでは道成寺の歴史、伝統を語ることはできません。
絵解き説法に使われる道成寺縁起絵巻。かつては熊野比丘尼が使ったとされる絵解きは掛け軸によるものであり、一度に多くの見物人に語りかけ、その普及を図ったとされています。一方、道成寺の絵解きは屋内にあって、巻物を広げる絵解きであり、この説法方法は全国唯一この道成寺だけであり、もちろん世界でも道成寺だけだそうであります。
伝統と御仏と芸能の寺・道成寺。女性が歴史を彩る道成寺。私は、この道成寺を日本遺産の候補として強く推薦し、支援するものでございます。知事の御所見をお伺いいたします。
○議長(尾﨑太郎君) ただいまの坂本登君の質問に対する答弁を求めます。
知事仁坂吉伸君。
〔仁坂吉伸君、登壇〕
○知事(仁坂吉伸君) 県では、これまで広域にまたがる日本遺産「鯨とともに生きる」や「絶景の宝庫 和歌の浦」については、県が申請者となり、認定を得たところでございます。こうした経験も生かし、現在、道成寺を中心とした日本遺産の認定に向け、地元日高川町と一緒になり、文化庁との間で鋭意協議中でございます。
議員御提案のとおり、歴史的に価値が高い道成寺や、そこを舞台とした道成寺縁起、現在も年間3000回を超え行われている絵解き説法なども非常に人気がございます。それに加えて、いわゆる安珍清姫の物語でゆかりのある熊野古道沿いの地域も巻き込み、広域的な地域で日本遺産として認定されれば、さらに地域の魅力が増幅するものと考えております。
日本遺産の決定に当たる文化庁の見解では、古い遺構や物語があるだけでは不十分で、それが現代の生活に生かされているというところが大事とされております。県が出ていって文化庁と現在相談をしとるんでございますが、今のような話をどういうふうに構成するかがなかなか難しい課題ではございます。
今後も、引き続き県が主体となって、日高川町や地元の皆さんと一緒になり、道成寺や安珍清姫の物語を現代に生かすストーリーを作成して、日本遺産の認定に向け積極的に取り組んでまいりたいと考えております。
○議長(尾﨑太郎君) 坂本 登君。
〔坂本 登君、登壇〕
○坂本 登君 まず、道成寺の日本遺産認定に向けての県の取り組みについては、知事より力強い答弁をいただきました。日高地方の観光振興のため、日高地方の地域活性化のため、県が先頭になって早い時期に認定をいただけるよう頑張ってください。要望といたします。
次に、道路整備について質問をいたします。
私は、常々、道路行政に関しては、仁坂知事の短期間に集中して予算化し、重点的な整備を進めるやり方には大いに共感し、感心しているところでございます。
今回お尋ねするみなべと龍神を結ぶ、いわゆる龍南線、現在の国道424号線に関しましても、迅速かつ重点的な整備により、みなべ町内はほとんど整備が進み、日常生活における住民の利便性は格段と向上いたしました。ただ1カ所を除き、大いに感謝申し上げるところでございます。
残ったただ1カ所は、みなべ町清川と田辺市龍神地区を結ぶ切目辻トンネルでございます。
このトンネルは、延長419.7メートルのさほど長くもないトンネルでございますが、幅員、高さを見ると幅員5.5メートル、最大高5.4メートルと極端に狭く、昭和32年に完成したいわゆる手掘りトンネルでございます。内部は岩がごつごつと飛び出し、崩れてこないよう壁面をコンクリートで吹きつけし、さらに、出入り口は鉄板で崩落を防止しているといったトンネルでございます。地元では、でこぼこトンネルと呼ばれております。
パネル、知事さん、もう何度も通って現場を見てくれてると思いますけども、こういうトンネルでございます。(パネルを示す)ちょっとパネルを大きくしてみました。
このような状態でございます。吹きつけたコンクリートの間からは水がしみ出し、全体的には暗く、住民から「特に夜などは怖くて通れない。引き返してきた」との苦情が多く寄せられております。
私は、今回この切目辻トンネルの危険性、利便性の両面から捉え、このトンネルの問題点を指摘し、整備の必要性を訴えてまいりたいと思います。
まず、危険性についてであります。
平成24年、中央自動車道笹子トンネルの天井板が落下するという大惨事は記憶に新しいところでありますが、さらに近年、南海トラフ地震の発生が大きな警鐘となって、建物やトンネルの剥落等が憂慮され、そのための点検、補修が進められていると聞いています。
このトンネルについては、先ほど来申し上げていますように老朽化が激しく、いつ壁が崩落してもおかしくない状態であり、私としては、その危険性は相当高いレベルにあるのではないかと思います。
トンネル整備の必要性について、県土整備部長の見解をお尋ねいたします。
○議長(尾﨑太郎君) 県土整備部長森戸義貴君。
〔森戸義貴君、登壇〕
○県土整備部長(森戸義貴君) 危険度を踏まえたトンネル整備の必要性について、御質問を頂戴いたしました。
切目辻トンネルは、議員からも御指摘ありましたとおり、昭和32年に供用された素掘りの岩盤にモルタル吹きつけを行ったトンネルでございまして、近年建設されたトンネルに比べますと幅員が狭く、高さが低いトンネルであると認識をしてございます。
切目辻トンネルでは、幸いにも崩落や剥落といった事故は発生してございませんが、議員御指摘のとおり、漏水があることは確認をしてございます。
トンネルだけでなく、橋梁等の道路構造物は、平成24年に発生した中央自動車道笹子トンネルの天井板崩落事故を受けて平成26年に改正された道路法に基づき、5年に1回の近接目視による点検が義務づけられました。県では、平成28年度からトンネルの定期的な点検に着手し、来年度までに全てのトンネルの点検が完了するよう順次行っているところでございます。
切目辻トンネルは、今年度、近接目視による点検を実施しているところであり、その結果を待って必要な対策を検討することとなりますが、一方で、トンネル整備については、点検結果に基づく補修以外にも、トンネルが狭く低いといった課題や暗く通行しづらいといった交通の利便性等を総合的に考えて、抜本的な改修整備の検討も必要であると考えてございます。
○議長(尾﨑太郎君) 坂本 登君。
〔坂本 登君、登壇〕
○坂本 登君 ただいま県土整備部長から、狭くて低い、加えて暗くて通りにくいといった課題を考え、抜本的な改修整備の必要性があると前向きな答弁をいただきました。まあ頑張ってください。
次に、住民の利便性についてでございます。
龍南線の愛称で呼ばれるこのルートは、古くから龍神地区の方々の海岸部へ通じる重要路線で、生活道路でもありました。かつては同じ日高郡の自治体であった両町村は、長い歴史の中で深い強いコミュニケーションを形成してまいりました。
現在、龍神地区は、御坊に至る日高川ルートや田辺市に通じる虎ケ峰ルートなど、何本かのルートが整備されてきておりますが、仮にこの切目辻トンネルが整備されますと、近畿自動車道みなべインターチェンジへの時間アクセスは飛躍的に短縮され、高速道路に最も近いルートとして、地区区民の利便性に対する貢献度は大変大きなものがあろうと思われます。
でき得るならば、トンネル出口の高度を掘り下げ、線形を改良していただければ、なお一層利便性は向上し、住民の喜びやいかばかりかと思われます。知事の御所見をお伺いいたします所存でございます。
以上で、私の第1回目の質問を終わります。
○議長(尾﨑太郎君) 知事。
〔仁坂吉伸君、登壇〕
○知事(仁坂吉伸君) 国道424号は、みなべインターチェンジと田辺市龍神村を結ぶ幹線道路でございまして、県では川筋ネットワーク道路に位置づけております。これは観光バスの対向が可能な幅員で全線を通すというものでございまして、まず、このためにみなべの町から清川工区の整備を進めてまいりました。
そうした中、清川工区では、紀伊半島大水害により法手見トンネル付近の現道が被災し、1人のとうとい命が失われました。被災後、急遽バイパス計画に変更するなど時間を要したものの、去る10月にようやく完成をし、みなべ町側では清川地区までの整備がおおむね完了しました。御家族を亡くされた後も御協力いただいた御遺族を初め、議員、地元の皆様の御尽力に感謝をしております。
ようやくここまで来ましたけれども、清川工区から国道425号との交差点までの区間は急カーブが続く未改良区間が残っておりまして、特に、切目辻トンネルは乗用車同士の対向でさえ困難な状況でございます。議員御指摘のとおりでございます。
残る区間の整備を進めることで、高速道路へのアクセス強化に加え、事業中の県道芳養清川線とのネットワークが構築されるため、これができちゃいますと、みなべの町、それから龍神、田辺市街、清川、この全部がつながって、災害時や緊急時、さらには観光アクセスなどの利便性が向上するものと期待しております。
こうしたことから、切目辻トンネルを含むこの区間については、来年度、ぜひ事業化したいと考えております。
○議長(尾﨑太郎君) 坂本 登君。
〔坂本 登君、登壇〕
○坂本 登君 知事からは、国道424号線、川筋ネットワーク道路として認識のもと、未改修区間は次の整備区間として事業化を予定するとの極めて力強い答弁をいただきました。積極的な県の姿勢に、住民は大喜びであろうと思います。地元がやらなければならないことは地元として一生懸命に努力することをお誓いし、一日も早い改修、整備を要望するものであります。
以上で、私の質問を終わります。ありがとうございました。(拍手)
○議長(尾﨑太郎君) 以上で、坂本登君の質問が終了いたしました。