平成29年9月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(谷口和樹議員の質疑及び一般質問)
平成29年9月 和歌山県議会定例会会議録
第4号(谷口和樹議員の質疑及び一般質問)
汎用性を考慮してJIS第1・2水準文字の範囲で表示しているため、会議録正本とは一部表記の異なるものがあります。
正しい表記は「人名等の正しい表記」をご覧ください。
質疑及び一般質問を続行いたします。
37番谷口和樹君。
〔谷口和樹君、登壇〕(拍手)
○谷口和樹君 皆さん、こんにちは。37番議員の谷口和樹でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
先週末の台風18号において、列島各地で大きな被害が出ております。改めまして、被災された皆様方に謹んでお見舞いを申し上げます。
我々の和歌山県でも、2011年9月に紀伊半島大水害で大きな被害を受けました。痛ましい被害を受けた際に、全国から多くの支援や励ましの声をいただいた中で今があるわけですから、受けた御恩に深く感謝をしつつ、被災された皆様方の一日も早い復旧・復興をお祈りするところでございます。
話は変わります。
一昨日、「紀伊民報」に第11回田辺・弁慶映画祭のコンペティションノミネート9作品が決まって載っておりました。ことしは147作品の応募からということで、いずれも秀逸な作品がそろっていると思いますので、ぜひ11月10日から12日、紀南文化会館にお足をお運びください。
そして、質問に入らせていただきます。
1つ目、乳がん検診について質問をさせていただきます。
1項目め、和歌山県の乳がん検診受診率について、資料2をおめくりいただきましたらありがたいです。
日本の乳がんにかかる方は年々増加しており、2016年には約9万人の日本人女性が罹患し、亡くなられる女性は2013年には1万3000人を超え、2016年においても残念ながら1万4000人を超えて増加し続けております。これは、35年前に比べて3倍以上、また、女性の30歳から64歳では乳がんが死亡原因のトップとなっております。
資料3を見ていただきましたらありがたいいです。
特徴的なのは、他のがんのように年齢が高まるとともにふえるがんとは異なり、乳がんは30代から増加し始め、40代後半から50歳代前半にピークを迎えます。グラフで見ると比較的若い世代で多くなっており、20代で患う人もいますので、若いときから関心を持つことが大切ですが、最近では閉経後もふえており、ピークの年齢を過ぎても注意が必要であります。
資料4を見ていただけたらと思います。
欧米などでは、乳がん検診受診率の向上と治療の進展に伴い死亡率が年々減少していますが、日本の乳がん検診受診率はOECD加盟国30カ国の中で最低レベルに位置し、注意すべきは死亡率は年々増加傾向にあるということであります。
現在、日本人女性の11人に1人が生涯のうちに乳がんを患うと言われています。しかし、他のがんと比べ、早期発見と早期治療で生存率が高いという特徴があり、いずれにしても、1、早い年齢から、2、発見率の高い乳がん検診の受診を、3、定期的に行う習慣の奨励が必要であると思います。
この受診時の検査には、乳房エックス線いわゆるマンモグラフィー検査と超音波検査があり、この乳房エックス線・マンモグラフィー検査は、乳房をプラスチックの板で挟んで平たくして、乳房専用のエックス線装置で全体を撮影いたします。医師の触診や自己チェックでは発見できないしこりや石灰化のある小さな乳がんの発見に適しており、死亡率減少効果を示すことが証明されています。検査の感度、がんをがんだと判断できる精度は80%前後だと言われています。ただ、乳房を平たくして挟むので痛みを伴うのと、デンスブレスト(高密度乳房)や若い人の場合はわかりにくいときがあります。
超音波検査とは、超音波を使って医師の触診や自己チェックでは発見できないしこりや見つかったしこりが良性か悪性かといった診断に用いられています。針を刺したり放射線や薬を使わないので体への負担は軽く、これは乳腺密度の高い人や若い人への検査に適していると言われています。
この乳がん検診受診の啓発運動がピンクリボン運動であり、ピンクリボン運動は、アメリカの乳がんで亡くなられた患者さんの御家族がこのような悲劇が繰り返されないようにと願いを込めてつくったリボンから、1980年代、アメリカでスタートしたと言われています。
以来、1990年代から急激に世界中で広がり、行政、市民団体、企業などが乳がんの早期発見を啓発するためのイベントを展開したり、ピンクリボンに関連した商品を販売したりして、その売り上げを団体や研究に寄附したりして社会の意識を変え、1993年にはナショナルマンモグラフィーデー(10月の第3金曜日)が制定をされました。
資料1を見ていただきますとありがたいです。
このピンクリボン運動の象徴的なものが、社会的なシンボルをピンクにライトアップして啓発のメッセージを送るピンクライトアップであり、日本でも2000年に東京タワーがピンクにライトアップされました。その後、徐々に広がり、和歌山県でも、紀三井寺、そして金剛峯寺など運動が始まっています。
紀南では、紀南病院の検査技師さんたちを中心にピンクリボン紀南が2010年に運動を始め、乳がん検診啓発月間の10月には、熊野本宮大社の大きな御協力を得まして大斎原の大鳥居をピンクにライトアップし、啓発を行っています。また、春には、手づくりのピンクリボンを市民の方に約1万個配布して、つけてもらって啓発運動を行っています。
その成果もあってか、紀南の受診率は軒並み少しずつ上がっております。直近では田辺市45.3%、上富田町55.3%、白浜町48.5%となっています。
和歌山県でも広がるピンクリボン運動ですが、その乳がん検診の受診率について、厚生労働省は受診率50%を目指しています。
4年前の一般質問でも取り組みについてお聞きをいたしました。その後、和歌山県の乳がん検診受診率は取り組みの成果が出ているか、また何年をめどに50%を達成するのか、福祉保健部長にお聞きをいたします。
○副議長(山本茂博君) ただいまの谷口和樹君の質問に対する答弁を求めます。
福祉保健部長山本等士君。
〔山本等士君、登壇〕
○福祉保健部長(山本等士君) 乳がん検診受診率の向上につきましては、検診対象者への郵送による個別通知を初め、各種イベントにおいて乳房の模型を活用した啓発や、県立図書館における乳がん経験者やその家族を講師に招いた講演会の開催など、さまざまな機会を捉え、検診による早期発見の重要性を県民に周知しております。
これらの取り組みによりまして、本県における69歳以下の乳がん検診の受診率は、地域保健・健康増進事業報告によりますと、平成24年度の38.1%から平成27年度の45.2%まで上昇してまいりました。ちなみに、同じ平成27年度の全国の受診率は35.0%となっております。
検診による早期発見・早期治療は非常に重要であると考えており、平成30年度の乳がん検診受診率が50%を超えるよう、引き続き取り組みを進めてまいります。
○副議長(山本茂博君) 谷口和樹君。
〔谷口和樹君、登壇〕
○谷口和樹君 御答弁ありがとうございます。ぜひ、30年度と年度を区切っていただいたので、数字を追いかけて懸命のお取り組みをよろしくお願いいたします。
続きまして、2つ目の質問に入ります。
マンモグラフィーと超音波検査を併用する乳がん検診についてお聞きをいたします。多少重複する部分もございます。
乳がん検診の方法としては、視触診、超音波検査、マンモグラフィー検査の3つの方法があります。
触診。医師の視触診により、進んだ乳がんの見落としがなくなります。
2、超音波検査。全年齢に適応。特に乳腺の多い乳房には有効であります。
3、マンモグラフィー検査。40歳以上の方に適応。乳腺が少なくなった閉経後の乳房には威力を発揮します。
国際標準的にもマンモグラフィー検査というのは基本の検診方法ですが、日本人は欧米人と違い、40歳代に乳がん罹患のピークがあり、それより前の年代の若年女性のデンスブレスト(高密度乳房)には、マンモグラフィー検査はがん発見率がやや低いと言われています。マンモグラフィー検査によって見つかるのは非浸潤性乳管がんが非常に多く、超音波検査・エコーで見つかってくるのは、マンモグラフィー検査では発見できない2センチ以下の浸潤がんが多くあります。マンモグラフィー検査と乳房超音波検査を併用することによって、マンモグラフィー検査単独に比べて、特に40歳代まではがん発見率が上昇するということが言われています。
平成17年、平成18年の2カ年にわたって、国の健康フロンティア整備事業、女性がん対策ということで、マンモグラフィー検査の緊急整備のほか、撮影技師、読影医師の養成等も行われ、現在は10年前に比べますとはるかに機器も技師の精度管理も向上しています。
超音波検査は、精度管理をこれからさらに徹底され、超音波検査を併用するような形に40歳代が置きかわっていくのだろうと、2015年の健康局がん対策・健康増進課、第14回がん検診のあり方に関する検討会でも言われています。
そこで、質問です。
乳がん検診については、マンモグラフィー検査だけでは見つけられないものもあることから、超音波検査との併用推奨を考えられないか、福祉保健部長にお聞きをいたします。
○副議長(山本茂博君) 福祉保健部長。
〔山本等士君、登壇〕
○福祉保健部長(山本等士君) 市町村が実施するがん検診は国の指針において定められた方法で実施されておりまして、乳がん検診につきましてはマンモグラフィー検査を実施しております。
超音波検査を併用する検診につきましては、国の設置する有識者会議であるがん検診のあり方に関する検討会において集中的に議論されているところでありまして、今後、超音波検査の有効性が認められれば、国の指針に位置づけられることとなります。
県といたしましては、引き続き、国における検討会での議論の動向を注視してまいります。
○副議長(山本茂博君) 谷口和樹君。
〔谷口和樹君、登壇〕
○谷口和樹君 マンモグラフィーが見逃しやすい年代、若年女性が不幸な目に遭わないように、よりよい検診を進めていただけたらなと思います。
検診というのは、受けたらやっぱり皆さん、検診受けてきたということで絶対な信頼度を検診の機器に対して、検診に対して持っておられます。そのよりよい完璧な検診方法を和歌山県でぜひとも推奨して、不幸なことをなくしていただけたらなと切に思うところでございます。
それでは、続きまして、2番目の質問に入らせていただきます。
龍神村B29搭乗米兵慰霊祭について、お聞きをいたします。
昭和20年(1945年)5月5日午前11時ごろ、和歌山県田辺市龍神村の殿原地区上空で日本の戦闘機にアメリカのB29爆撃機が撃墜され、轟音とともに墜落しました。搭乗アメリカ兵11名のうち7名が死亡し、敵機墜落を喜ぶ一方で、終戦前にもかかわらず、村人は遺体を探してひそかに埋葬し、木製の十字架を建てました。また、村人は、生き残った4人にも危害は加えず、おにぎりやたくあんを食べさせたといいます。
ただ、この生き残った4人は、残念ながら、一度は村人たちに看護され助けられましたが、その後、大阪信太山に連れていかれ、後に玉音放送の後、捕虜拷問が発覚するのを恐れてか、日本軍に3人が斬首処刑され、1人は不明となっています。
繰り返しますが、終戦前にもかかわらず、墜落の翌月には現場で仏式の供養をし、以降続き、ことし5月に、死亡した米兵を弔う73回目の慰霊祭が行われております。
現在の慰霊碑は、水害や道路拡幅で何度か移設し、現場から1キロほど離れた今の場所になっています。
1945年、国民学校初等科2年でB29の墜落を目撃した龍神村殿原在住の元中学校教諭、古久保健さんは、「ばれたら処刑されていてもおかしくないが、戦争中でも人間として当たり前の行動をしたんだと思う」、そのように振り返っておられました。
古久保さんは、まだ母親のおなかにいるときに父を戦争で失っています。幼心に焼きついた戦争の恐怖と慰霊祭を幼いころから見続けてきたことから、古久保さんは、遠くアメリカにいるであろうB29の搭乗兵の御遺族が家族の亡くなった場所を知りたいんじゃないか、そのように考えて、退職後にB29乗務員の遺族探しを始め、2013年10月に奇跡的につながった遺族とアメリカで対面しています。
その様子も含め、B29慰霊祭、そして史実の掘り起こしから遺族探しの活動を、大阪芸大出身の笠原栄理監督が映画「轟音」として制作をされています。また、活動の中心となってきた古久保さんは、2005年に墜落時の様子などを伝える「轟音 B29墜落の記」、昨年には墜落で戦死した米兵の遺族との対面などを描いた「轟音 その後」を出版されています。
さらに、戦時中から慰霊祭が続けられてきたことを知った和歌山市の元航空自衛官がアメリカ空軍関係者にその話を伝えたところ、70年にわたって地元の人たちが搭乗兵の供養をしていたことをアメリカ政府を代表して感謝の気持ちを伝えたいということで、2014年10月20日にアメリカ兵による追悼式典、そして、その追悼式典後には、同地区住民の慰霊に感謝してアメリカ太平洋空軍音楽隊によるコンサートが殿原小学校で開かれています。
古久保さんによると、米軍関係者が慰霊碑を訪問するのは、昭和24年に連合国軍総司令部(GHQ)が訪問して以来とおっしゃられていました。
古久保さんの、「ばれたら処刑されていてもおかしくないが、戦争中でも人間として当たり前の行動をしたんだと思う」という言葉のとおり、終戦前にもかかわらず、当時の村民が亡くなったアメリカ兵を弔い、けがした兵を助けた行いや、平和への思いとともに慰霊祭が今なお続いていること、後に探し出したアメリカの遺族に遺品を届けたこと、70年たってアメリカ軍による追悼式典が行われたことなど、いずれの行動も和歌山県にとって誇れるものだと考えますが、現在、過疎が進む山間部の状況から、積み重ねてきた歴史の編さんが途切れてしまうことも考えられます。
そこで、お伺いいたします。
慰霊祭が続いてきたことや歴史的にも高い価値を持つ遺品や残骸の保管について和歌山県はどのように考えるか、教育長にお伺いいたします。
○副議長(山本茂博君) 教育長宮下和己君。
〔宮下和己君、登壇〕
○教育長(宮下和己君) 明治期から第2次世界大戦ごろまでの遺跡は近代遺跡といい、政治、経済、文化、社会などさまざまな分野に及びます。議員御指摘の場所は、文化財として考えるならば、この近代遺跡に当たる可能性があります。近代遺跡については、歴史が浅いため、その重要性について認識や評価が定まっていませんでした。そのため保護措置が講じられた遺跡が少ない状況にあったことから、国においては平成8年に調査が開始されております。しかしながら、保護措置を講じるに当たり、いまだなお評価が定まっていないなど課題が残されております。
県教育委員会におきましては、今後、国の動向も見ながら、市町村教育委員会とともに、近代遺跡の調査研究をしてまいりたいと考えております。
なお、田辺市では、市立歴史民俗資料館や旧殿原小学校において、墜落機の遺物などの展示、さらに地元公民館において、このエピソードを題材に制作された映画「轟音」の上映や講演会の開催など、次世代へ伝える取り組みを行っていると聞いております。これら田辺市の取り組みは、他の市町村においても参考になるものと考えてございます。
○副議長(山本茂博君) 谷口和樹君。
〔谷口和樹君、登壇〕
○谷口和樹君 ぜひ、よろしくお願いいたします。
続きまして、3番の質問に入りたいと思います。
高レベル放射性廃棄物の最終処分場に関する科学的特性マップについて、お聞きをいたします。
8月1日、経済産業省が示した高レベル放射性廃棄物の最終処分場の科学的特性マップについて、和歌山県内ほぼ全域が適地とされたことを受け──項目3の資料1を見ていただけたら──知事は、定例記者会見で、「誘致するとかいいですよと言うつもりは全くない。県内への最終処分場候補の可能性についても、国から打診されることも嫌ですし、初めから全くノーだ。市町村が手を挙げた場合についても、やめたらいかがでしょうかと言う」と述べられたと新聞を通して聞いています。
その理由として、県内では大規模地震が予想され、地下が変形する可能性があること、地形的にも複雑なこと、人家などから隔離すべきだが、山間地を含めてほとんどの地域に人が居住していることを挙げ、「処分場として余りいいところではないと思う」と述べられたとのことです。全く同じくそのとおりだと考えます。
この科学的特性マップとは、原子力発電に伴って発生する高レベル放射性廃棄物を地下深くの岩盤に埋設する地層処分を行う場所について示した地図であって、選ぶ際にどのような科学的特性を考慮する必要があるのか、それらは日本全国にどのように分布しているのかといったことを示したものだということです。
高レベル放射性廃棄物とは、原子力発電においてウランを核分裂反応させる過程で生じる熱を取り出して電気にしていますが、資源の少ない日本では、この過程を経て発生する使用済み燃料の中からウランやプルトニウムを再処理し、これらを再利用する核燃料サイクルを推進していっています。
使用済み燃料は、再処理により重量にして約95%が再利用可能と言われていますが、再利用できない残りの5%の廃液をガラス原料と溶かし合わせ、ステンレス製の容器に流し込んで冷やして固めたガラス固化体が高レベル放射性廃棄物になります。
この高レベル放射性廃棄物は、オーバーパックという厚さ約20センチの金属容器に包まれ、貯蔵管理されています。
この地層処分についてですが、オーバーパックという分厚い金属容器に封入された高レベル放射性廃棄物をさらにベントナイトと呼ばれる粘土質の緩衝材でオーバーパックに封入されたガラス固化体を囲うということです。このガラス固化体、オーバーパック、ベントナイトの3つで覆われた高レベル放射性廃棄物は、地下深くの岩盤に埋設されるということです。
このマップによりますと、和歌山県の3分の2が「好ましくない特性があると推定される地域ではない地域」、「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い地域」となっていることについて、どのように考えるか。会見での発言を疑うわけではございませんが、核のごみの最終処分場が和歌山にできてしまう可能性があるのかどうか、大事なことですので、つけ加えたいこと、会見で言えなかったこともございましたら、あわせて知事にお聞きをいたします。
○副議長(山本茂博君) 知事仁坂吉伸君。
〔仁坂吉伸君、登壇〕
○知事(仁坂吉伸君) 会見で言えなかったこと、つけ加えることって別にありませんけれども、改めて議場で申し上げたいと思います。
国から公表された科学的特性マップは、火山活動とか断層活動とかいった自然現象の影響など限られた要素で日本の地質環境等を整理したものでありまして、最終処分施設の建設地を決めるに当たっては、これは私もそう思いますが、ほかにも地震とか、津波とか、地形とか、土地の利用方法とか、人がどのように住んでいるかとか、さまざまな要素を考慮する必要があると考えております。
また、科学的特性マップで見ると全国の約7割が「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い地域」とされておりまして、このマップをもって直ちに建設地が決まるようなものではないと考えております。
いずれにしても、既に表明しているとおり、県内に最終処分施設を受け入れる考えはございません。
○副議長(山本茂博君) 谷口和樹君。
〔谷口和樹君、登壇〕
○谷口和樹君 ありがとうございます。
7割が当てはまっているんですけど、その時点で既に3割がもうそこから外れておりますので、7割残っているということでもあると思います。
ちょっと個人的な見解も申し上げつつ、最近の国の動向をメディアを通して見ておりますと、答えありきで、答えが出る方法をいかに透明に見えるようにつくり上げるか、このように映るようにメディアで報道もされているのかもしれませんけれども、そういうことも危惧しながら感じています。
経済産業省から出された科学的特性マップですが、もしかしたらこの和歌山県ありきじゃないのかと危惧していたところ、知事の報道で安心をしたところです。
原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場がどこが適地なのか、これは、識者の方々がかんかんがくがくで御議論されるでしょうが、本当にその高レベル放射性廃棄物の処分方法が安全だと言うなら、実は人は昔々からより暮らしやすいところ、生きやすいところ、安全な住まいを求めて移動して住まわれておりますので、長い歴史を経て一番人の集まっているところが、このことが適地を証明しているのではないかと自分は思っています。
ただ、それ以前に、今を快適に生きるためだけに手に負えない危険物をふやし続けていること自体が、やっぱり賢い人間のすることじゃないんじゃないかなというのも日々感じておるところでございます。
それでは、続いての2つ目の質問に入ります。
高レベル放射性廃棄物の最終処分場に関する国からの調査要請について、お聞きをいたします。
科学的特性マップ作成に至るまでのワーキンググループの報告の中に、「地下深部の長期安定性等が現時点で保証されているものではなく、最終処分施設建設地として特性を確認するためには、詳細な現地調査が必要である。すなわち、将来的に詳細な現地調査等を行った場合、安全な地層処分が成立すると確認できる可能性が相対的に高いことを意味する」、このような文言がございました。詳細な現地調査によっては、より好ましい特性が認められる地域になっていくこともあるとされています。
今回、明確に調査にも反対をされていますが、自治体が反対を表明した上においても、国から調査の受け入れ要請や勧告があった場合に自治体は断れるのか、これを知事にお聞きいたします。
○副議長(山本茂博君) 知事。
〔仁坂吉伸君、登壇〕
○知事(仁坂吉伸君) 国は、科学的特性マップの公表後、地域での対話活動を積み重ね、調査を受け入れる地域が出てくれば、法律に基づく処分地選定調査を実施するということにしております。
また、当該処分地選定調査を実施する地区を定めようとするときは、特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律により、所在地を管轄する都道府県知事及び市町村長の意見を聞き、これを十分尊重しなければならないとされております。
さらに、国は、資源エネルギー庁のホームページにおいて、調査地区の選定に当たっては、知事及び市町村長の意見を聞き、反対の場合には次に進めないと明記しておりまして、地方自治体の意向を無視して調査が行われることはないんじゃないかなと考えております。
いずれにしても、県内での調査を受け入れる考えはありません。
○副議長(山本茂博君) 谷口和樹君。
〔谷口和樹君、登壇〕
○谷口和樹君 ありがとうございます。心配ないよというようなことではあると思いますので、そのように受け取りたいと思います。
昨年12月から、埼玉県から川保麻弥さんという女子プロ野球の元埼玉アストライアの監督をされていた方が田辺に移住してきてくれまして、ボランティアで女子硬式野球のクラブチームを立ち上げていただいてます。地元の女の子たちだけじゃなくて、彼女を慕って県外から移住組も交えて、地域に話題を振りまきつつ、にぎやかにやっております。
玉木議員も有田で女子軟式のクラブチームを頑張っておられると聞いてますが、御存じのとおり、和歌山県では中学生以降は女の子が野球を続ける、特に女子野球の環境というのが今までなかなかできなかったのですが、有田では玉木議員が頑張っておられまして女子軟式が、紀南では川保監督が女子硬式野球を立ち上げて、ことし和歌山県の女子野球というのは初めて確実に大きな一歩を踏み出した、そういう年であると思います。
そんな関係で、人の足りないときにたまにバッティングピッチャーをずっとやってまして、それが今回、全国の議員野球大会で割かしいいピッチングにつながったんじゃないかなと思います。(拍手)本当に議員各位、10数年ぶりの全国優勝、お疲れさまでございました。(「ナイスピッチング」と呼ぶ者あり)ありがとうございます。
実は、本心はちょっと自民党の人ばっかりなんで行きにくいんですけども、過去ずっと県議会の伝統で、向井先輩も、託されたわけではないんですけども続けて出るように言われてましたし、行けるところまで行きたいなと思っていますし。やっぱり行きますと、人口の多い財政の豊かな自治体のチームに当たりますと、県に当たりますと、これはやっぱり負けとうないなと思いますし、裕福で何か頼んだらすぐ道路も直してくれるん違うんかなと、そんなとこには負けとうないなと思いながらやってしまうんですけども。
やっぱり人がいないと野球はできませんので、議員が野球なんかやってると思われるんじゃないかと考えると思うんですけど、やっぱり年1回なんで、できましたらみんなで行きまして和歌山県に優勝を持って帰りたいですし、やっぱり議員が真っすぐ元気にやっていないと和歌山県も元気にならないと思いますので、ぜひ来年は皆さんの万障繰り合わせをいただきまして、連覇にまいりたいと思いますので、御協力をよろしくお願いします。キャプテン、出しゃばって済みません。
あと、今後、和歌山県の女の子が野球を続けられる場所づくり、女子野球の発展にもぜひとも御協力をお願いいたしまして、一般質問を終わります。ありがとうございました。(拍手)
○副議長(山本茂博君) 以上で、谷口和樹君の質問が終了いたしました。
これで、本日の質疑及び一般質問を終わります。
明日も定刻より会議を開き、質疑及び一般質問を続行いたします。
本日は、これをもって散会いたします。
午後2時38分散会