平成25年12月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(立谷誠一議員の質疑及び一般質問)
平成25年12月 和歌山県議会定例会会議録
第4号(立谷誠一議員の質疑及び一般質問)
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午後1時0分再開
○副議長(花田健吉君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
質疑及び一般質問を続行いたします。
1番立谷誠一君。
〔立谷誠一君、登壇〕(拍手)
○立谷誠一君 議長のほうからそういう指示をいただきましので、通告に従いまして一般質問に入らしていただきます。
一般質問に入る前に、せんだって4名の議員で香港のほうに視察に行ってまいりました。その視察報告をまずさせていただきたいと思います。
去る11月11日から13日までの3日間、井出益弘、坂本登、服部一、そして立谷誠一の4名の議員で香港特別行政区へ、香港の現状と課題の調査に、議長により議員派遣をいただき、行ってまいりました。以下、概略と感想を御報告させていただきます。
私にとっては初めての香港視察でしたので、見るもの全て目新しく、関心を持つことの多い視察でした。香港は、東京23区の半分ぐらいの面積に700数十万人が生活する都市国家のようなまちでした。夕方になると人々はまちにあふれ出てきて、歩けないほどです。今後、世界の人口が膨張すると、こんな状況になるのではないかなと思ったほど、人、人、人であふれていました。
さて、初日の訪問先のジェトロでは小野村所長以下所員の方々と香港の輸出入の現状と将来見通しについてや、翌日は香港日本国野田総領事の計らいで野田総領事、高間副領事、小澤領事に企業のオーナーを加えたメンバーで香港経済の実態と貿易のあり方など広範囲の内容で意見交換を行い、知識を深めてまいりました。また、香港イオン社を訪問させていただき、幹部の奥嶋経理、佐藤経理ほか職員の皆さんから、売り場の実態や商品の鮮度、お客さんの入り込み状況など、多方面の情報収集をさせていただきました。
それぞれの立場の皆さんからいただいた情報によると、1人当たりの香港人の年間所得は約400万円と高く、消費の旺盛なまちであるということ、香港では関税はなく、全ての土地は香港市庁の所有であり、市庁には土地賃貸料が入るため、市庁の会計は大きな黒字となっていること。ちなみに、昨年はお金が余り、使うところもなく、市民1人当たり6万円ずつ還元したと、そういったお話でもありました。さらに、年間の観光客は、何と4800万人に達しており、そのうち71%は中国本土からの中国人で、リピート客のウエートも高いということでありました。
ジェトロの小野村所長からは、世界中のいろんなところに行ってきたが、定年後は香港で仕事がしたい、ここは一番いい、親日的で日本語が格好よく、貿易が自由である、さらに、基本的に低税率で、消費税も固定資産税も相続税も貯金に対する税もない、そして、何よりも汚職を嫌う文化があるということでありました。そして、香港には農地はほとんどなく、農産物は100%輸入に頼っており、日本からも大量に輸入しており、日本にとっても最大の農産物の輸出国であること、特に徳島、宮崎、沖縄が熱心に売り込みに来ている、そして、香港人は日本食が大好きであるとの説明でありました。
ただ、日本からは、熊本のミカンとか地域を特定した売り込み方をしてくるが、香港の人々にとって、日本のどこかなどといった地域に関する関心はむしろ低く、オール日本で売り込むことが大事であるというお話でございました。
さらに、香港は中国へ輸出するショーウインドーであり、中国への直接投資の45%が香港経由となっていて、香港は安心と信頼を受けていて中国投資の拠点となっている、それから、福島県を中心に10県からの輸入はまだ禁止となっており、放射能汚染水の問題など原子力発電所の放射能汚染に関するテレビ報道などが続いていまして、東北というとイメージが悪い、そんな状態であるということであります。
まとめとして、香港における和歌山県の認知度は低く感じられましたので、中長期的な販売戦略をしっかり立て、もっともっと積極的な売り込みを図っていくことにより、香港は和歌山県の産品も十分その努力に応えてくれる土地柄であると強く感じました。
以上、香港視察の報告とさせていただきます。
それでは、一般質問に入らしていただきます。
まず1点目として、旧南紀白浜空港跡地の活用策についてですが、旧南紀白浜空港の跡地活用策は、昨日、大沢県議のほうからも力強い建設的な発言がありましたが、私も同じような趣旨からお伺いをいたします。
旧南紀白浜空港の跡地利用については、新空港の建設計画がスタートしてからの年月を加えれば、かれこれ20年近くの年月が経過いたしました。私が首長の時代も含め、この間、たくさんの提言や意見などが寄せられていましたが、財源の問題や新空港に対する高さ制限の問題や、南東側に広がる保養地としてつくられた住居に生活する方々に対する騒音の問題、白浜町内における一番高い山を削ってつくられたことでもわかりますように町内でも一番高いところにあり、土地としてはよさそうでも交通アクセスの視点からいえば少し疑問符がつくなど、たくさんのデメリット的要件もあり、今日に至っても恒久的な結論を出すには至っておりませんが、2年余り前の紀伊半島大水害発生後、旧南紀白浜空港が救援物資を運ぶヘリコプターの離発着の拠点として活用をされました。私は、こうした活用こそ、和歌山県民にとって、紀南地域全体にとって大きくメリットのあることだと思います。
旧南紀白浜空港は、和歌山県地図を眺めていただくと、紀伊半島のほぼ真ん中の位置にあり、したがって、それぞれの被災地へ効率よく短時間で到達できる位置にあります。
県議会初日の議会終了後、米軍の普天間基地に所属している政治学博士のロバート・D・エルドリッジ氏の来県をいただき、「災害協力」と題して、東日本大震災と大津波発生後の救援活動「トモダチ作戦」の内容をお聞きさしていただきました。
その内容には、将来に向けて検証し、整理しておかなければならない事柄もたくさんありましたが、米軍は、近年、自然災害における災害協力にも力点を置き、活動しているとのことでありました。その米軍の視点から見た、今後、我々の地域で発生すると言われている南海トラフ地震が発生すると、素早く対応可能な空からの災害救援の基地として南紀白浜空港を考えているとの話でありました。
その理由として、紀伊半島周辺にある高知空港、徳島空港、神戸空港、関西空港の全てが海抜も低く、被災を受けている可能性が高く、使えないとの判断になっており、必然的に高台にある南紀白浜空港が注目を浴び、南紀白浜空港の存在は極めて重要であると考えているとの話でありました。
自然災害発生時に沖縄からの部隊の派遣であれば、山口県の岩国基地で一度給油をして南紀白浜空港に来て、紀伊半島や四国など被災地全体の救援活動に入るため、南紀白浜空港がその拠点施設になるということでありました。
後方支援基地の役割の重要性は、3年前の東日本大震災発生後、岩手県の遠野市が、海岸線より50キロメートルほど内陸部にあること、消防本部の施設があったこと、周辺に広大な平面の空き地があり、陸路においても交通の要所であったことなどから後方支援活動の拠点となり、その大きな役割を果たしたと、総務委員会の視察で寄せていただいた折、遠野市の市長から伺ったところでございます。
遠野市長の実体験を踏まえ、考えておかなければならないこととして、世界一の自然災害発生大国の我々国民として、平素から自然災害は防ぐことはできないが、災害発生後、直ちに救助活動、支援活動に入ることができる体制がとられていることにより、減災につなげられるということを県民の皆さんに理解していただく取り組みは、県として、県民に対して県民の命は守り抜くという大きなメッセージとなり、また、次の世代に対する大変重要な施策であると私は考えています。
以上の視点から、南紀白浜空港、旧南紀白浜空港跡地一帯を和歌山県の、そして国の防災活動拠点として位置づけ、ソフト・ハード両面の各種機能の整備を構築していくことを進めるべきだと考えますが、知事の御所見をお伺いいたします。
○副議長(花田健吉君) ただいまの立谷誠一君の質問に対する答弁を求めます。
知事仁坂吉伸君。
〔仁坂吉伸君、登壇〕
○知事(仁坂吉伸君) 旧南紀白浜空港跡地につきましては、紀南地方に残された数少ない広大な土地でありまして、現空港に隣接するとともに、本県を代表する観光地である白浜温泉の中心にも立地してることから、紀南地域全体の経済発展や活性化を考える上で大変重要な土地であると思います。
現在のように跡地としてそのまま放っておくというのはもったいないと思いますし、白浜町の発展のためにも、あるいは紀南の発展のためにもあんまりならないと思いますので、白浜にふさわしいような何かを誘致したいもんだというふうに考えておるわけであります。
そこで、白浜で何が大事かというと、白浜全体としては、まず観光であると思います。したがって、跡地利用につきましては、観光地としての価値をより高めることを第一に考えて、観光産業との相乗効果が図れ、できるだけ高い集客力を持ち、地元の雇用の貢献も見込めるような、そういう企業とか施設とか、そういうものを誘致したいなというふうに思っているところであります。
他の地域では製造業は業種を問わず歓迎というふうにしておるんですが、ここだけはちょっとイメージ的に観光地と合わないような業種の製造業の工場とか、あるいはあんまり雇用がない太陽光発電所というよりは、にぎわいを創出できるような施設が望ましいと思っております。
こういった白浜町にふさわしい企業に粘り強く働きかけを続けてきましたが、それらしい案件にはどんどん挑戦して、私自身が直接説得に行ったり、いろいろ誘致に努力をしているんですけれども、長い経済停滞の中でなかなかうまくいかなかったというのも事実でございます。その間は、地の利を生かして、広域防災拠点として、現在の白浜空港と一体となった土地として十分活用していきたいと考えております。
今後も、地元白浜町と連携を図りながら、紀南地域の発展につながるような企業や施設の誘致に積極的に取り組んでいく所存であります。
○副議長(花田健吉君) 立谷誠一君。
〔立谷誠一君、登壇〕
○立谷誠一君 知事からは、ただいまのような御回答というかお返事をいただきました。
ちょっと口幅ったいことなんですが、実は、私は白浜に住んでいますので、一番関心の高い場所でもあり、何とかせなあかんと。先ほど発言さしていただきましたが、新空港につくりかえると計画のあった、もう次、計画のあった時点からその跡地をどうするかというのは、町の中でも結構わいわいとそういうやりとりがあったんです。
当然、私なりにもそんなことを考えてきまして、いろいろ、こんな企業はどうやろうか、サッカー場にしたらどうやろうかとか、サッカー11面とれるん違うかと。駒大というとこからも来ていただきまして、駒大というのは、御存じかもわかりませんが、高校サッカー、それから大学サッカーなんかでも、駒大というのは頂点に立ってまして、やっぱり駒大の皆さん方の了解というか、うまく取り組みができるかどうかというのは、そうした施設をつくったときに有効に活用してもらえるかどうかという重要なポイントでもありましたので、何度も来ていただいて見ていただいたわけですけど、最終的に、巨額な予算が要る、総合的に考えて当時の白浜町の財力では難しいと、そんなこともありまして実現に至りませんでした。
それから、少し、こういうお話ししながら今思い出したんですが、新空港が建ったとき、もう旧空港は要らんのだったら──昔、昭和38年前後、あの辺は戦後、南白浜開拓団とか、白浜町に3つの開拓団が入りまして、その方々が本当に額に汗──何というか、汗を振り飛ばしながら働き続けた場所だったんです。それで、ようやく土づくりができて植栽した。当時、ブドウとかいろんなものを。山の上ですので田んぼにはできませんでしたので、そうした麦を植えたりとか芋を植えたりとかと、そうしてやっと土づくりが終わった。これから収穫がふえていくんではないかなと。そのやさきに飛行場の建設計画だったわけです。
そういう私も、おやじがそこに結構広い畑を持っていまして、その畑で芋をこしらえて私らは育ててもうたというか、それがなければ育たなかった。そのぐらい大事な場所でもあったんです。何百年にわたってあの場所を耕作してきて、子育てをしてきた、そういう大事な、農家にとって重要な土地でした。
それで、新空港ができるというふうになったときに、こういう話がありました。「土地、戻してくれへんやろか」、「もと買うた値段で買い取らさしてもらえんやろか」、「これを行政に言うてもらえんか」と、正直、もとの地主の方が何人かそんな相談に見えたのを、今、思い出しまして、ちょっと御披露さしていただいたんですが。
本当に、だからあの土地、単に山を削った上の木が生えてた土地というよりは、何百年にわたって地域の皆さん方が、先祖が次の世代を育てるために、もう機械も入りませんし、くわで耕し続けた場所だったので、これからもそういう土地を快く空港に──当時の、今言えば旧空港と言われる土地ですが、そこに快く先祖の土地を提供していただいた皆さん方の、もう大方の方は寿命終わりましたけども、そういう方々の思いを考えれば、私としては真剣な議論にやっぱりならざるを得ない。
そういった意味で、今、知事は、本当に地域全体が活性化できて、一番重要な、働くとこなかったら生きていけませんよね、そういうことも含めたことをお考えであるということでしたが、いま一度、私は、もうちょっと別の視点から、やっぱり一番何が大事かなと考えてみたときに、我々、200年も300年も寿命がないわけでして、たかだか70~80年の寿命の中で、やっぱり何が大事かなといったら、人の命だと思うんです。今度100年、150年の間に、またここに大騒動を起こす、大きな被害を受けるであろうと大きな災害の発生の予告がされている。100年、150年の周期というたら、本当に忘れたころにやってくる。そういう災害でありますけれども、でも先祖の皆さん方はそれに耐えて、大勢の人命を、家族を失いながらでも生き延びてきた。そうしたことを考えたときに、当時は、江戸時代、もっと前の時代は、いろんな科学的なそういう材料もなければデータもない。申し送りぐらいの話の中で生活するもんだから、またひどい被害を受けても、海のはたにまた家を建て直して、それが一番効率的にええわけですよね、仕事を進めていく中で。そんな時代でした。
私は、そうした視点からよく考えて思いますのに、やっぱり次の世代の命を助ける活動、命を助けられるものを考えられないかと、そういうふうに考えた次第です。
先ほどお聞きいただきましたように、そんなに、よさそうで、そうでもない土地である。だったら、あの土地が米軍がそう言われてる、だからということではないですけれども、あの土地をもっともっと我々の次の世代に対する──先ほど発言さしていただきましたが、県民に対して、県民の命は守りますよと、そういうメッセージが発信できる。そして願わくば──せんだってもフィリピンで大きな台風の後、大勢の皆さんが亡くなりました。本当に何万人という人が亡くなってるのが、それでも過ぎてくれば、数カ月もすれば、何か我々の心の中から薄らいでいく。しかし、命が何万人と亡くなっている。
そうしたときに、あそこがもしそうした機能を備えられる、そういう場所になっておれば、フィリピンやそういうとこにでも、もしかすると救援という形で人の命を助けるための活動の拠点になるんではないかなと。そのこと自体が我々にとっての、やっぱり人の命が救えたというのは誇りでもありますし、地域のこれからも、次の世代に対するそういう責任を果たした姿になるんではないかなと思えてならないわけでございます。
そういった視点で、今、知事から御答弁をいただいたんですが、いま一度、一番危機管理という立場の中でその指揮をとっておられます危機管理監のあたりからも、そうした視点からのお考えを一度お聞かせいただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
○副議長(花田健吉君) 危機管理監木村雅人君。
〔木村雅人君、登壇〕
○危機管理監(木村雅人君) 大規模災害が発生した場合、自衛隊や海上保安庁を初め防災関係機関の多数のヘリコプターが全国から集まってくることから、広いスペースを確保することができる旧南紀白浜空港跡地を広域防災拠点に指定し、各機関の救助・救援活動の拠点として活用することとしております。重要な防災の拠点であるというふうにも考えております。
また、隣接の現南紀白浜空港は、国からSCU(広域医療搬送拠点臨時医療施設)に指定されており、ことし8月には、県外の医療施設に患者を搬送する全国規模の和歌山県広域医療搬送訓練を内閣府等と協力し実施したところであります。
今後も、航空部隊の救助・救援活動の中心的役割を担う施設として活用し、県民の命を守るため訓練を重ね、大規模災害に備えてまいりたいというふうに考えております。
○副議長(花田健吉君) 立谷誠一君。
〔立谷誠一君、登壇〕
○立谷誠一君 ありがとうございます。今回、私、これ一番力点を置いて発言をさしていただきたいと思いましたので。これからちょっと要望をお願いしまして、次の質問に入らしていただきたいと思います。
遠野市というまちがありまして、先ほどお話しさせていただきましたが、総務委員会で岩手県の遠野市──海岸べりから約50キロぐらいの奥地にありまして、ここが今回の東日本の大津波で海岸線が皆破壊された中で、ここが救援支援基地となったということで、そしたらということで視察をさしていただけることになりました。ここで市長に2時間にわたってお話を直接聞いた内容の幾つかをお聞きいただいて、また今、危機管理監のほうからお話がありましたようなことも含めて、今後の参考にしていただけたらと思います。
いろいろ本当に危機管理監のところでは調査もされておられるんだと思いますが、例えば、災害が発生したら、まず負傷者の対応をどうするか。これは、病院だったり、お医者さんの確保、看護師さんなんかの確保ですよね。
それから、一番やっぱりそうだったなと思ったことの1つに、今回も我々の地域で大量に死傷者が出るん違うかと。残念ながら数字は、本当に出すこと自体不遜な思いですけれども、何万人、何十万人というような数字が出たりしています。遠野市でも、このことが大きな課題で問題になったようです。それは、いっときに何万人という遺体を焼くことができない。
このことに対して、例えば遠野市長の話では、国のほうから「今回に限って火葬にすれば、お金は国が負担するから」、こんな話があったと。しかし、現場は「違うで」と。「火葬場はこんなことに対応できるようにしていないから、1日に2人か3人か火葬できればええぐらいの施設しか持っていない。そこに何万人の遺体を持ってくるわけですから、そんなもん土葬にしなきゃならん。これだって本当にちょっと視点としては抜かってしまっていた」。本当にそうやなと、何万人も一遍に遺体を焼くわけにいかないですよ。そんなことであったりとか、じゃ、これを今度我々の地域も、そんなこともやっぱり可能性の中でどうしておかなあかんのかとか。
あとほかに、ボランティアの人のことなんですが、遠野市はそんなんで後方支援基地となりましたので、大量に全国からいわゆる救援物資をそれぞれ送ってきていただくわけですけど、そこで約1000人のボランティアが必要だった。1000人のボランティアというたら、これを管理監督していくだけのノウハウを持っていなければ大混乱が起こる。適切な指導ができなければ、その能力が十分発揮できない。そんなことも科学的にやっぱり位置づけて、対策を講じていく必要があると思うたわけであります。
そのほかに、これも恐らく知事も御存じだとは思いますけど、私らも視察先で以前経験したことに、結構ごみを送ってくるという話を言われるわけです。まあいえば、女性の方でしたら使った下着を大量に送ってくる。何もないんだから、そんなもんも要るやろうと。それから、賞味期限が切れた缶詰であったりとか、いわゆるまあ今の日本人では食に要しない、そういうもんも大量に入ってくるわけです。それを色分けして、それを処分するのに1000万からの処理代も要ったとか、そんなお話もありました。
こんなこと1つとっても、やっぱり単なる防災というよりは、そうした後の体制も加えた総合的なそういう考え方と施設と、もう1つは、もう学問の域に入るんと違うかなと。単に災害の救援だけじゃないでと。そういうことから含める。例えば、埋まってる人を助けようと思ったら、救助犬の育成だったりとか訓練だったりとか、本当に言い出したら切りがないんですが、この辺でやめたいと思いますけれども、そんなふうなお話を長々と2時間にわたって教えてもらいました。こうしたことも含めて、これからのあの場所がそういう困った皆さん方の救援の発信基地になっていく。こんなすばらしい取り組みはないんじゃないかな、そんなふうに考えている次第です。
残念ながら時間が少ないので、このあたりでこのことについて閉じさしていただこうと思うんですが、南紀白浜空港の跡地の活用については、そうしたこともまた改めてお考えの中にも、隅のほうにでも置いていただいて、地域全体のそうした今後のことを研究いただきたいなと、そんなふうに思う次第であります。要望とさしていただきます。
それでは、2点目に移らしていただきたいと思います。
次に、地域の移動手段の確保についてということで、田辺・西牟婁郡内で長い年月にわたって地域の住民の移動手段としての役割を務めてくれたバスの会社が、近年、自家用自動車等の普及による乗降客の激減により経営困難を来しており、余りにも収支の合わない路線について、来年9月よりの運行を中止にしたいとの申し出が町の行政のほうにありました。
バス会社の責任者に面会を求め、事情やお考えをお尋ねしましたが、「今、行政より1000数百万円の補助をいただいているが、とてもやないが収支が合っていません。今後、少々金額を上げていただいても難しい」とのことでありました。そして、運転の中止を考えている路線メニューとしては──固有のまちの名称を出さしていただこうと思います──「すさみ町内の路線は全面的にやめたい、旧日置川町も田辺市内もやめたい、白浜町内は5路線のうち1路線はやめるが、あとの4路線は頑張って続けていきます」、こういった内容でありました。
現実的な問題として、町内で時々すれ違うバスを車の窓越しにのぞいてみても、人が乗っていない。ちょっと口の悪い人は「空気を運んでいる」と言う人もおるほどで、ほとんど乗っていないことが多いのですが、一方、たまに利用される方々もいて、この方々に視点を置くと、バスの運行がなくなると他に移動手段がなく、病院や買い物に行けないことになってしまいます。過疎地域では、ますます住みづらい土地となってしまいます。
この悩ましい問題は、県下のあらゆるところで発生すると考えられ、また、今日においては全国的な問題でもあると思います。少子高齢化の進捗により、今後ますます県下各地域で生活困難となる訴えが発生してくることが予想されますが、地域の移動手段をどのように守ろうとしているのか、この問題に対してどのような方策を考えられておられるのか、お考えをお伺いしたいと思います。
○副議長(花田健吉君) 企画部長野田寛芳君。
〔野田寛芳君、登壇〕
○企画部長(野田寛芳君) 地域の移動手段確保に係る県の方策についてでございますが、路線バスは、通勤、通学、通院等、県民の日常生活を支える移動手段として欠かせないものであり、その利便性を確保するため、バス路線の維持を図っていくことは大変重要であると考えております。
しかしながら、議員御指摘のとおり、バス事業を取り巻く環境は、人口の減少、過疎化の進展、自家用車の普及などにより、近年、利用者が著しく減少しており、大変厳しい状況であります。
こうした中、県としても、バス路線の維持を重要な課題と捉え、複数の市町村をまたぐ広域的、幹線的なバス路線やノンステップバスの導入に対しまして、国と協調して補助を行っているところでございます。
また、県が設置しております和歌山県生活交通対策地域協議会とか、市町村の地域公共交通会議におきまして、路線バスの維持対策だけでなく、コミュニティーバスや乗り合いタクシーなど、各地域の実情に応じたより効果的、効率的な移動手段の導入について、国、市町村、関係事業者及び地域住民と連携し、協議、検討を行っているところでございます。
今後は、さらにそういった取り組みに加え、市街地や過疎地域といった地域の特性、あるいは各地域において計画されているまちづくりなど、さまざまな状況に見合った持続可能な公共交通ネットワークのあり方について、地域協議会等の場において、関係機関と連携しながら検討してまいります。
○副議長(花田健吉君) 立谷誠一君。
〔立谷誠一君、登壇〕
○立谷誠一君 御答弁をいただきました。
こんな資料をちょっと用意さしていただきました。(資料を示す)これ、田辺・西牟婁の路線バスの図なんですが、これはもうバス会社のほうの社長からいただいてきたもんですが、きょうはここで議員の皆さん方に、あるいは当局の皆さん方に見ていただいても構んかどうかと確認をさしていただいた上で、きょう提示をさしていただきました。「どうぞ結構です」と、こういうことでした。
見方ですが、ピンク色になってるところの路線が今回提起されてまして、このままいくと、来年の9月からここの場所にバスが走っていない、そういう事態が起こってくると、こういうことです。
本当に、私らもある意味、もっと真剣になって考える必要がある。無責任なこと言ってないかな、そんな思いでこの席に立たしていただいてます。本当に、誰かに無理なことを言うて、解決策がそこにある、そういう問題じゃないと思います。みんな一緒になって考えないと、県下全域でこういう事態、今起こってなかっても次にまたそういうことが起こっていく。だから、きょうこの席に御参会の議員の皆さんを初め皆さん方で、やっぱり自分の地域の今後の交通弱者に対する対策をどうしていかなきゃならないか、一緒に考えていただけたらと思いまして、こういう資料を用意させていただきました。
それから、今、御答弁いただきましたので、もう1点だけお願いしたいと思います。
次に、そしたら路線バスを運行しているバス会社は県内に何社ぐらいあるんでしょうか。それぞれのバス会社の経営環境、やっぱり経営状況がどういう状態にあるんかなと。このことも、こういう時代を迎えればやっぱり関心事の1つで、また一緒に考えていくことができないかと、そんな思いで経営環境はどうなってるのかなと。
それと、10年、20年前──50年も100年もという話ではなくて、10年、20年前と比べて、今日のバスの乗降客の現状って本当はどないなってるんかな。減ってる、減ってると聞いてるけれども、どういう減り方になってるんか。そういった意味で、いま一度御答弁をいただけないかと思います。
○副議長(花田健吉君) 企画部長。
〔野田寛芳君、登壇〕
○企画部長(野田寛芳君) 県内で路線バスを運行している事業者数とか、それから利用者数、それから経営状況ということでございましたが、県内で路線バスを運行している事業者は、現在11社ございます。
まず、利用者数のことを申し上げますと、利用者数の推移につきましては、昭和46年度がピークでございまして、7136万人ございました。このときを100としますと、平成3年度は2630万人で36.9%、それから平成13年度は1639万人で23.0、それから平成23年度になりますと1441万人で20.2と大変大きく減少しておりまして、大変厳しい状況でございます。当然ながら、経営状況につきましては、とても苦しいということが言えると思っております。
○副議長(花田健吉君) 立谷誠一君。
〔立谷誠一君、登壇〕
○立谷誠一君 はい、ありがとうございます。
もう1件だけお尋ねをさしていただきたいと思います。
近年になりまして、いろいろな規制緩和が進みました。特に小泉内閣のときにいろんな規制が緩和されてなりましたが、現時点でのこの路線バス事業者に対する指導・監督権限についてどういう状態にあるんかというのを、ここ5年、10年、そういうスパンで見たときに規制緩和がかなり進んだんで──以前は、私らの記憶では陸運局的なところがあって、開設するんでも陸運局の許可が要って、それを中止あるいはやめる、変更するんでも、やっぱり陸運局の強い権限のもとに、なかなか簡単にさしてもらえないというか、自由にはさせられない、それがやっぱり公共交通機関の使命たるゆえんだったと思うんです。それが、規制緩和が進みましたので、現時点での我々が知っておかなければならない指導・監督権限の範疇を教えていただきたいと思います。
○副議長(花田健吉君) 企画部長。
〔野田寛芳君、登壇〕
○企画部長(野田寛芳君) 路線バス事業者に対する指導・監督権限についてでございますが、道路運送法に規定する事業の経営許可、それから運賃、料金の認可、それから事業計画の変更認可、事業休廃止の届け出などの権限は、国土交通省が所管しております。
なお、事業計画の変更のうち、路線の休廃止につきましては、6カ月前までに国土交通大臣に届け出ることになっております。これは、許認可でなしに届け出ということになっております。それから、この場合でも、市町村が設置する地域公共交通会議等で協議が調った場合につきましては、6カ月前ではなく、30日前までに届け出ることとなっております。
許認可については、以上でございます。
○副議長(花田健吉君) 立谷誠一君。
〔立谷誠一君、登壇〕
○立谷誠一君 はい、ありがとうございます。
大変困難で難しい作業なんですが、到達された時代を迎えるまでの過渡期の時代としては、知恵を絞り、汗をかいて、考え、取り組まなければならない。これがここに出席されている、私はもちろんのことですが、全員の仕事でもあると考えます。よい方策に到達できますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、最後の質問です。
提出した質問項目書類に「高等学校への進学について」となってるんですが、「高等学校を卒業していなければ資格も取れない」、これは大分前の時代に、よくこんな言葉は聞かされた言葉なんです。このことについて、進学ということのキーワードで質問をさしていただきたいと思います。
中学校卒業後に高等学校へ進めなかった子供たちのことについて、お伺いをいたします。
「高等学校を卒業していなければ資格も取れない」とはよく聞く、また聞かされた言葉です。今日では、高校へ行くことができなかった子供たちの数は、私たち──私は昭和24年生まれで、現在64歳です。私の子供の時代というのは、昭和30年代なんです。それから、高校はもう40年という年代でしたが、私たちの時代は、それでもなかなか、まだ戦争が終わって10年、20年と、そういう時代でもありましたので、家庭の事情であったりとかいろいろなことで学校へ行けない。私は白浜のほうでしたが、大体進学率──中学から高校に行くときに、当時の進学率は70%でした。
実は、私の家内が中辺路町というところなんですが、1つ違いですので、家内はもっと悪くて、60人のうちにほんまに1割、2割と、そんな時代だったようです。だけど、失礼な変な言い方ですが、行けない仲間があった。そのことで、すごくそういう覚悟を持って生き延びていこうとする子供の力も、そこに同じような境遇で行けないという子供たちがあるということが、強い支えの側面もあったかもわかりません。
それが、当時行けなかったのは、勉強を頑張らなんだからとか、体が弱く受験を諦めたとか、勉強嫌いだったからとか、受験したがだめだった、そんなことがあって整理をされて、学校へ行ける者と行けん者と、こうなったわけですけども、それにしても、考えてみたら、わずか生まれて15年、「15歳の春」とよく言いますけど、15歳の春でこの現実を受け入れてきたわけです。
しかし、今日の子供たちも、同じように15歳のこの年に受け入れざるを得ない。そういう6年生、3年生、3年生と、この学制の区切りの中で受け入れているわけでありますが、しかし、年月が経過いたしまして、自分のスキルアップを考えるなど少しゆとりのある時間を迎えたとき、「中学校卒業だけでは、社会で頑張ろうと思っても資格すら取れない」と、いまだにこんな言葉を使う方々も結構多くて、そう言われています。
学生時代に学力が低かったのは、もしかして記憶力が弱かっただけではないんでしょうか。いずれにしても、わずか15歳で、だめな人と振り落とされているのが現状です。本当にこんなこと、人が人に烙印を押してしまう、それもごくわずかな子供たちに対して──今日ではですよ──ごくわずかな子供たちに対して、大人の世界が罰を与えているかのようであります。
高校学費を今日では政府が補助する時代です。もう義務教育みたいなものです。新しい時代を迎え、高等学校の存在は、もっともっとフランクで幅広いものがあってもいいのではないでしょうか。何とか全員高校へ入学させてやれないものでしょうか。当局のお考えをお伺いいたします。
○副議長(花田健吉君) 教育長西下博通君。
〔西下博通君、登壇〕
○教育長(西下博通君) 県立高等学校への進学に対しましては、「和歌山の子供は和歌山で育てる」という方針のもと、高等学校で学びたいと希望する生徒が入学できるよう、募集定員を確保しているところでございます。
また、全日制課程や定時制課程の高等学校に進学できなかった生徒につきましても、県内に3校設置している通信課程の高等学校において、定員を定めず、希望すれば高校教育を受けることができるようにしております。
○副議長(花田健吉君) 立谷誠一君。
〔立谷誠一君、登壇〕
○立谷誠一君 2点目です。そこで、1つお伺いをさしていただきたいと思います。
県内で高校を受験しない、できない、あるいは合格できなかった、そういった子供たちは、今日、毎年、県下全体で何人ぐらいおられるのでしょうか。
○副議長(花田健吉君) 教育長。
〔西下博通君、登壇〕
○教育長(西下博通君) 中学校を卒業した生徒のうち、議員御指摘のように、さまざまな理由により高等学校へ進学しなかったり就職しなかった進路未決定者につきましては、平成25年度春の卒業生では66名、平成24年度では67名、平成23年度では59名、これは過去の3年間の数字でございますが、大体60名前後で推移をしてございます。
○副議長(花田健吉君) 立谷誠一君。
〔立谷誠一君、登壇〕
○立谷誠一君 はい、ありがとうございます。
教育長にこういう質問あるいはお願いするのも本当に気も使うんですけど、これからの新しい時代を考えたときに、この高等学校の教育ということに対して、一遍思い切って発想の転換をしてもらう、そういうことというのはやっぱり難しいでしょうかと思うわけです。
それは、今お話しいただきました59名から60名前後の子供たちが毎年行けてない。実は、1学年というか学年単位で1万人ぐらいの子供さんがあると聞いています。その中の50人から60人の子供だけが高校に行けなくて──それは今の基準で言えば、勉強せなんだから違うかと、そうなるわけですけど、僕、いつも思うんですけど、「15の春」ていっても遅咲きの桜もないやろうか。15まではおくれてたけど、でも、それから先の長い人生の中で取り戻してる、そういう大人になって取り戻してる方々も大勢見受けられます。
私らの時代と本当に違って、ほんまにもう中学校、和歌山県下に数ありますよね。その中で、50人、60人とすると、恐らく1人や2人や3人の子供だけが行けてないという現実なんです。通信制の学校等もあるということでもありますけれども、子供たちはちょっと違うと思うんです。「集団で学ぶ」という言葉もよく教育委員会の皆さん方から聞くお話で、大勢の中で育まれることによって、友達だったりとか、学校の勉強以外のことで身についていく、それが長い人生の中で助けてもらえる、そういう位置関係にもなると思うんです。その友達が高校へ行けてなかったら、そういう友達関係もやっぱり弱くなっていく。そう思うんです。子供たちは、通信教育で学んでというの、それが根性がないとか、根気がないとか、続かないからという話ではなくて、僕は、やっぱりちょっと子供たちの願っていることと違うんと違うかな。
これ、きのうも教育委員会の方にたまたまちょっとお会いしたんで、「40人学級やよね」と、「そこに1つだけ椅子置いといてあげてくれへんか。各学校に置いてくれへんでも構わんで、50~60人だったらな。どこその高校に1つか2つか、こそっと多い目に置いといてあげてくれへんか。そしたら皆行けらよ」と、そんなふうに思ってしまいました。
今、財政事情のいろいろ厳しい時代に、あれもこれもあれもこれも、本当に揺りかごから墓場までみたいなことを言うてええんかどうかというあたりのところを考えもせないかんかもわかりませんけど、私は、15の春ってなあ、15歳で振り落として、先ほどちょっと過ぎた言葉を言うたかわかりませんが、何か我々の大人の社会が罰を与えたかのようなことをしてしまっていないんか、そんなふうに思うわけです。
最後に、これもちょっとお許しいただきたいんですけど、私、いつも思うんですが、教育委員会がどうしたいんかということではなくて、15という年端もいかない子供たちがどうしてほしいんか。教育委員会が、普通科はこれだけやで、工業高校の教室はこれだけやと、こうして割り振りをして、本当は普通科に皆行きたいのに工業高校にも行かな仕方ないと、そんな現象が起こってるように思います。
やっぱり子供の立場に立って、本当は子供たちはどうしてほしいんかと、そういう視点に、そろそろ教育委員会の子育ての視点を子供たちの目線に下げていただいて、考えてみていただけないかと思います。望むことではないんですけども、少子高齢化という時代を迎えて、これから教室がうんとあき出すんと違うんかなと思うんです。そしたら、1つぐらいの机、ちょっとこそっと置かしてもうても問題ないかなと思ってみたりするんですが、恐らくきっと何かルールがあって、「それは実はそんなこと言うてもな、できんことなんや」ということがあるんだろうと思うんですけれども、また一遍そんなことも含めて、教育委員会の協議の中で一度話題の1つにでもしていただければうれしいなと思います。
これで、一般質問を終わらしていただきます。(拍手)
○副議長(花田健吉君) 以上で、立谷誠一君の質問が終了いたしました。