平成17年2月 和歌山県議会定例会会議録 第6号(尾崎太郎議員の質疑及び一般質問)
県議会の活動
質疑及び一般質問を続行いたします。
二番尾崎太郎君。
〔尾崎太郎君、登壇〕(拍手)
○尾崎太郎君 議長の許可を得ましたので、一般質問をいたします。
経済警察委員長に就任いたしましてから、何度か警察学校の入学式や卒業式に参列をいたしました。議長とも御一緒いたしましたが、若者のりりしさ、すがすがしさ、式典の厳かさに圧倒されつつ感動し、いつも帰りの議長車の中で現在の学校教育に欠けているものについて話し合ったものであります。実際、あのような裂帛の気合いを込めた「君が代」の斉唱は聞いたことがなかったですし、鍛えられた若い肉体を包む制服や訓練された動作の様式がいかに若者を美しく見せるかということを再認識したわけであります。なぜ、警察学校は短期間にこれほどの教育効果を上げることができるのか。無論、すぐれた教育プログラムや優秀な教官がいてのことでしょうが、私は警察官という職の特殊性にもその一因があるのではないかと考えております。
警察官は、時として生の暴力に対峙しなければならない職業であります。「言葉の暴力」、「ペンの暴力」などと言いますが、比喩ではなく、身体的な危害を加える生の暴力に立ち向かうことは、まことに容易ならざることであります。技術的なことはもちろん、確固たる使命感、胆力を養成しなければできることではありません。いささか逆説的になりますが、生命の危機の蓋然性こそが警察官をして立派たらしめているのではないでしょうか。
「若者を教育するには徴兵へ行かすのが一番だ」などと言われていたことがあります。何も現代の日本で「徴兵制を復活させろ」と言っているのではなく、昔日の我が国の若者は、徴兵に行くことによって確かに見事に鍛えられたのでしょう。当時の人々は、ちょうど私が警察学校で感じたことを徴兵に行った若者に感じたに違いありません。軍においては危機や危機の想定は日常的ですらあるわけですから、その教育効果はすごいものがあったでしょう。
誤解がないように申し添えておきますが、私は戦争や犯罪を肯定するものでは決してありません。私は、生命が危機に直面するとき、死を見詰めなければならないとき、かえって命が輝くことがあるという事実を申し上げているのです。
前回の質問でも触れましたが、現代の日本は、大東亜戦争の敗戦により戦前と戦後では我が国固有の慣習、伝統、歴史が分断されたために、よるべき道徳律を見出せておりません。今日の道徳的退廃には、さすがに国民の中にも「これではいけない」との機運が生まれつつあり、最近の武士道ブームなどにつながっているように思います。
有名な新渡戸稲造の武士道は、当時、新渡戸が、キリスト教のごとき宗教のない日本ではどのようにして子弟に道徳教育を施すのかとの質問に対する答えとして書かれたものです。武士道によって練り上げられたかつての日本人のすごさは、例えば人種差別がごく当たり前のことであった時代の明治四年から一年九カ月をかけて欧米十四カ国を視察した岩倉使節団が、その毅然とした態度、礼儀作法で行く先々の人々の尊敬を集めたことでもわかります。また、この一行には女性も含まれておりましたが、その立ち居振る舞いは称賛の的でありました。当時、世界といえばそれは欧米のことであったのですから、極東の島国で静かに熟成されてきた日本文化は十分世界に通用するものだったと言えるでしょう。
山本常朝の「葉隠」に「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名なフレーズがあるように、武士は死を見詰めることによりおのが心身を錬磨しました。しかし、意外なようですが、武士道は鎌倉時代に萌芽は見られるものの、天下太平の世に練られたものであります。江戸期も島原の乱を過ぎますと、ほとんど戦乱はありません。軍人というより官僚に近い存在となった武士たちは、世界史にもまれな平和の中、戦場の武器としてはほとんど意味をなさなくなっていた刀を武士の魂とし、刀を通して常に死を見詰め、おのれをむなしゅうすることができる道を完成させていったのです。武士たちが完全に既得権をなくすことになるにもかかわらず、大政奉還も廃藩置県もさしたる混乱もなく行われた世界史上の奇跡である明治維新は、武士道なくしてはあり得なかったでありましょう。
戦後、我が国は、六十年間、何とか平和にやってくることができました。僥倖と言ってよいかと思います。しかし、平和のうちには退廃が胚胎するものであるのは世界史の教えるところであります。この平和、繁栄の毒をいかにして中和していくかにその文明の行く末がかかっていると言ってよいでしょう。国のために倒れた英霊を祭るといういかなる国家、共同体にでもある儀式にまで外国からの干渉を許す我が国の現状を思うとき、生と死のはざまにある神秘的なるものに触れずして我々は果たして日本という国を、文明を後世へとつなげていくことができるのか、暗たんたる思いがいたします。
靖国については今後また論じる機会もあろうかとは思いますが、我々の先人がつくり上げた世界に誇り得る精神文化である武士道を見直してみることは、平和である現代でこそ意味のあることでありましょう。
ごらんになった方も多いかと思いますが、少し前に公開された「ラストサムライ」という映画は、我々日本人が見ればややおかしいところがあるにしても、かつての日本人はあれほどまでに美しかったのだということを逆に欧米社会から教えられるものでありました。我々はやはり、殉職ということがあり得る職業、警察官や自衛官、消防士といった方々については感謝と尊敬の念を持つべきであり、ゆめ職務だから当然だなどとは思ってはならないと思います。それがあればこそ、彼らは時に生命の危険を顧みず任務を遂行できるのではないでしょうか。私は、警察学校の入学式や卒業式に武士道の片りんを見たのではないかと思っております。
そこで、警察本部長にお尋ねします。
警察学校での警察官の養成はどのような理念に基づいて行われていますか。また、具体的にどのようなシステムで行われているのでしょうか。
さて、内政の不干渉は、およそ近代国家の外交の大原則であり、国際的なコンセンサスとなっていることは言うまでもありませんが、自国の子弟の教育という、まさに内政そのものに中国や韓国が干渉する余地を根拠づける条項が存在していることを御存じでしょうか。
「近隣諸国条項」と呼ばれるこの条項は、実に不可解な経緯で制定されました。昭和五十七年六月二十六日に日本のマスコミが起こした教科書誤報事件に端を発します。
歴史教科書の検定で文部省が「侵略」を「進出」に書きかえさせたという虚偽のマスコミ報道がなされました。中国政府は、この時点では何ら反応せず、「人民日報」も四日おくれの六月三十日に小さく報じただけでありました。中国政府が本格的に日本批判を開始したのは約一カ月後のことであり、七月二十六日、中国外務省の第一アジア局長が教科書検定について申し入れを行いました。このこと自体、中国政府の我が国に対する内政干渉とも言えるものであり、我が国は中国に厳重な抗議をすべきでありました。
一方、昭和五十七年七月三十日、参議院文教委員会で小川文部大臣は、検定で「侵略」を「進出」に書きかえさせた事実はなかったことを明らかにしています。にもかかわらず、八月二十六日、鈴木内閣の宮沢官房長官は中国・韓国両国に謝罪し、「政府の責任において(教科書の記述を)是正する」、「検定基準を改め、前記の趣旨(アジアの近隣諸国との友好、親善)が十分実現するよう配慮する」との宮沢官房長官談話を発表しました。さすがに、当時の自民党文教部会長だった石橋一弥先生は文教族の重鎮である三塚博先生とともに激しく抗議しており、石橋先生は「「是正」とは何ですか。今までの検定が悪かったと認めるようなものではないか」と迫っております。しかし残念なことに、この談話がもととなり検定基準が見直され、昭和五十七年十一月、いわゆる近隣諸国条項が追加されたわけであります。すなわち、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」というものであります。これだけですと、よく意味がわかったようなわからないような文言ですが、これをつくった官僚の言いわけ的な解釈をするならば、我が国の教科書がアジア諸国をおとしめることがないように戒めたものぐらいの意味でしょうか。しかし実は、文部省が近隣諸国条項の具体的適用のためにつくった「具体的事項についての検定方針(案)」というものがあり、これは要するに、侵略、南京事件、土地調査事業、三・一独立運動、神社参拝、日本語使用、創氏改名、強制連行、東南アジアへの進出、沖縄戦など、十一項目について検定意見を付さないというものであります。
では、近隣諸国条項ができる以前と以後では教科書検定のあり方がどのように変質したのでしょうか。
近隣諸国条項以前の検定のあり方は、中国、韓国の検定批判に対して文部省が昭和五十七年八月九日付で発表した見解が参考になると思います。侵略という記述に対する検定姿勢については、「歴史教育では、史実に立脚して歴史をできるだけ客観的に考察し、判断しようとする態度を育てることが重要であることをかんがみ、教科書検定においては、できるだけ客観的な表現で一貫した記述を行うよう求めている。検定前の教科書の中には、他の戦争に関する記述においては「進出」「侵攻」などの言葉を用いながら、日中戦争の記述では「侵略」という言葉を用いているものがあったので、検定において「進出」「侵攻」などの、より客観的な表現を用いるなど、表現を再考してはどうかとの意見(改善意見)を付した」というものであり、南京事件では、「南京事件については、事実の状況を伝聞ではなく直接的に示す史料に乏しく、特に死傷者の数などは明らかになっていない。したがって検定では、そのような不確実な数値を教科書で断定的に記述することは避けるよう求めている」とするものでした。強制連行についてはどうでしょうか。文部省は、戦時中の朝鮮人労働者の内地移入が時期によって自由募集、官あっせん、国民徴用令と形態が異なるとの理由を挙げ、「これらを一括して「強制連行」と表現することは適当でない」「事実を正確に表現するという観点から意見を付している」と説明しています。
では、近隣諸国条項以降の検定方針の変質によって教科書の記述は実際にどのように変わっていったのか。
小山常実氏の「歴史教科書の歴史」によりますと、近隣諸国条項以降の教科書とそれ以前の教科書との最大の違いは満州事変と日華事変に関する記述であり、検定のたびに「侵略」と記述する教科書が確実にふえていき、昭和六十三年度検定までには全八社の教科書が両事変を「侵略」と記述することになります。また、南京事件の記述では、以前は南京事件を記述した教科書は五社だけで、いずれも犠牲者数は記していませんでした。しかし、五十七年度の検定では七社が南京事件を記述するようになり、犠牲者数も「二十万人以上」、「三十万人以上」とするものや、「少なくとも十万人を超える」と記述されるようになり、六十年度検定では六社が犠牲者数を記し、少ない数字を挙げる教科書でも「十数万」としています。さらに、「虐殺」、「南京虐殺事件」、「南京大虐殺」という言葉が使われ始めます。また、朝鮮人強制連行論が登場し、例えばある会社の教科書では、五十四年度の検定では「多数の朝鮮人が日本内地につれてこられ、ひどい条件のもとで鉱山や土木工事などに働かされました」とあったのが、六十年度の検定となると、「約七十万人の朝鮮の人々が強制的に日本内地に連行され」に変化しております。そして、ついに「侵略」という言葉は日清戦争、日露戦争にまで使われ出していきます。「日本の大陸侵略」、「近代日本と中国・朝鮮侵略」、「帝国主義の世界と日本のアジア侵略」などの見出しで日清、日露両戦争について記しています。ここまで来ると、これはもうあからさまな反日教育としか言いようがありません。また、平成七年度検定の教科書には「従軍慰安婦として強制的に戦場に送り出された若い女性もいた」といった、いわゆる従軍慰安婦の記述が全社一斉にあらわれました。
これほどの惨禍を我が国の教科書にもたらすことになった近隣諸国条項が誤報に基づくものだったとは泣くに泣けないことでありますが、実はいわゆる従軍慰安婦もまた、事実に反する報道がその始まりでありました。
平成十四年一月十一日の某新聞の一面に「日本軍が慰安婦を強制連行した」という内容の記事が載りました。宮沢総理は、この記事の真偽を確かめることもなく、韓国訪問に際して韓国大統領に、たった一回の会談中、慰安婦について実に六回も謝罪しています。東京基督教大学助教授であった西岡力氏は、宮沢総理の謝罪の理由について外務省北東アジア課に尋ねています。いわく、「慰問婦問題というのは、貧困のために売春婦にさせられた人たちの問題なのか、あるいは、国家意志、権力によって強制的に慰安婦にさせられたことが問題なのか、宮沢総理はどっちを謝ったんだ。もしも前者だとすれば、吉原に売られた女性たちになぜ謝らないんだ」。これに対する外務省北東アジア課担当官の回答は、「それはこれから調査する」という驚くべきものでありました。まず謝罪ありきだったのです。そして、翌年平成五年八月四日の内閣総辞職前日、河野官房長官は、何ら根拠がなかったにもかかわらず、日本軍の慰安婦強制連行を認めてしまったのです。後に、当時の官房副長官であった石原氏はジャーナリストの櫻井よしこさんとのインタビューで、この河野談話が韓国との外交上の取引の結果であったこと、また当時幾ら公文書を調べても強制連行の証拠は全くなかったことを明らかにしています。曲がりなりにも国家の命運を背負い、奮闘した我が軍の名誉を著しく毀損するばかりか、近隣諸国条項のときと同じく、誤報、虚報による根も葉もない話を盾にとった外国の不当な要求に屈してしまうパターンができてしまったことは、痛恨のきわみであります。近い将来、例えば領土問題などで同じような手法が用いられ、我が国がまたもや無用の譲歩をするのではないかと深く懸念するものであります。さすがに現在使われているほとんどの中学歴史教科書からはいわゆる従軍慰安婦は削除されたようですが、高校教科書では依然として慰安婦に関する強制連行説などが取り上げられているようです。
さて、実は教科書検定基準には「未確定な時事的事象について断定的に記述しているところはないこと」、「著作物、史料などを引用する場合には、評価の定まったものや信頼度の高いものを用いていること」といった至極真っ当な条項があります。これらの条項に照らすならば、南京事件は教科書に記載するのは妥当でありましょうか。
南京事件を論ずるとき必ず取り上げられる有名な書物があります。日本軍の南京占領当時、現地に駐在していたマンチェスター・ガーディアン特派員ティンパーリーの「What War Means:the Japanese Terror in China」でありますが、これは一九四六年の南京の裁判で判決書の文面にも特筆されたものであります。しかし、立命館大学文学部の北村稔教授の著書「「南京事件」の探究」から本文のまま引用いたしますと、「ジャーナリストという第三者的立場から日本軍の南京占領を告発したと思われていたティンパーリーの著作が、実際には国民党中央宣伝部の意を体して発行されていた」のであり、また「ティンパーリーの著作と同様に、第三者の欧米人による中立的立場からの日本軍告発の書物であると考えられてきたスマイスのWar damage in the Nanking area,December,1937 to March,1938.Urban and rural surveys,Shanghai,Mercury Press,1938も、ティンパーリーを経由した国民党国際宣伝処の要請と資金提供のもとで書かれたことが明らかになった」とあるのですが。つまりは、両著作ともプロパガンダのたぐいであったのです。また、スマイスは南京大学の教授であった男ですが、自分の署名入りの文章では被害は非常に少なくなっているにもかかわらず、匿名では極めてひどい残虐行為があったように書いております。北村教授の研究は、南京で大虐殺があったという認識がどのような経緯で出現したかを順序立てて確認したものであり、南京事件の研究に一石を投じるものでありましょう。
もう一つ、ごく最近出版された東中野修道、小林進、福永慎次郎、各氏の共著による「南京事件「証拠写真」を検証する」という本があります。この本は南京事件の証拠写真とされる百四十三枚を総括的に検証したものであり、証拠として通用する写真は一枚もなかったと結論づけています。私も一読して大変感銘を受けました。例えば、私もよく目にした、軍人が刀を構え、お坊さんのような人を打ち首にしようとしている有名な写真がありますが、この写真を見たとき何とも言えぬ違和感があったのですが、私の抱いていた違和感の正体をこの本は見事に暴いてくれました。ぜひとも一読することをお勧めしておきます。
また、我が軍の南京突入時、あろうことか、中国軍のかなりの軍人が軍服を脱ぎ、市民に紛れ込んでしまうという考えられない行動に出ました。これらの兵は、ハーグ陸戦法規やジュネーブ傷病者条約に言う保護されるべき交戦者でも法的資格を満たした捕虜でもない、極めて危険な兵隊であるので、残酷なようでも処刑されても国際法上は合法であり、実際に処刑されていますが、虐殺のたぐいでは断じてありません。
日本海軍の96式陸上攻撃機が南京を爆撃したときには市民を何百人も殺したと言ってアメリカは大騒ぎしておりますが、蒋介石はこのことを国際連盟に訴えております。しかるに南京事件と称される事件が起きたとされる当時、蒋介石は国際連盟にこの大虐殺を訴えてはおりません。南京にはアメリカの外交官を初め世界各国の人々がいましたが、国として正式に日本に抗議した国はありませんでした。
以上のようなことから、私は一九三七年の十二月から翌年一月にかけての南京において、日本軍が組織的な大量虐殺を行ったとは到底信じられないのです。また、「侵略」という言葉は、「広辞苑」によりますと「他国に侵入してその領土や財物を奪いとること。」とありますが、日本は大陸に略奪しに出ていったのでしょうか。
北清事変での出兵以来、日本軍は軍規厳正をもって知られ、その行動は多くの外国人の称賛するところでありました。おおむね日本が大陸へ派兵したのは、さまざまな勢力が群雄割拠する不安定な情勢の大陸で、日本居留民を守るためでありました。日華事変については、その発端となった盧溝橋事件は日本軍が仕掛けたものでないことは確かであります。
いずれにせよ、物言わぬ先人たちのその時代のパラダイムの中での懸命の営みを、人であるがゆえに愚かな行為もあったにせよ、今に生きる我々がすべてを根本的に否定してしまうのはいかがなものでありましょうか。しかも、それが外国からの圧力によるものだとするならば、何とも情けない話であります。自国の歴史は、それを聞く子供たちが目を輝かすようにみずから堂々と語らなければなりません。我が国の歴史教科書を自虐的とする一因となった近隣諸国条項について、教育長の御所見をお伺いいたします。
次に、三月三日付の産経新聞は、文部科学省は前回の教科書採択の混乱への反省から、中学教科書採択での正常、公正な採択環境確保に向け、制度の改革に乗り出す方針を決めたと報じております。いかに平成十三年度の採択が正常ではなかったかということでありますが、言うまでもなく採択の公正は必ず確保されなければなりません。この点につきまして、本年八月の採択に向けての教育長の意気込みをお聞かせいただきたいと思います。
また私は、よりよき歴史教科書というのは学習指導要領に示された我が国の歴史に対する愛情を深めることのできる教科書であると考えておりますが、教育長の御見解をお聞かせください。
次に、前回の質問では中学教科書の採択手続についてただしましたが、今回は高校教科書の採択手続についてお教えください。
最後に、教育に関心のある方々から非常に好評だと聞いております学校開放週間の実施状況についてお尋ねして、質問といたします。
○議長(小川 武君) ただいまの尾崎太郎君の質問に対する当局の答弁を求めます。
教育長小関洋治君。
〔小関洋治君、登壇〕
○教育長(小関洋治君) 教育に関する三点の御質問にお答えいたします。
まず、教科書の作成に当たっては、国際協調の精神は大切にしながらも他国の干渉などに屈することなく、主権国家としての責任と主体性のもとにこれを行うことが重要であると考えております。
御質問の近隣諸国条項につきましても、こうした基本認識に立って適用すべきであることはもちろん、信頼できる歴史的事象を客観性、公平性等に十分留意して取り扱うことが強く求められると思っております。
小中学校の教科書採択について、県教育委員会では教科用図書選定審議会を設置し、各採択地区内の市町村教育委員会に対し、検定を経たすべての教科書について、学習指導要領の趣旨及び各教科の目標や内容を踏まえ、十分な調査研究を行うよう指導・助言しているところです。来年度実施される中学校教科用図書採択においても、採択環境が適正に確保され、より一層公正な採択が行われるよう指導してまいります。
また、県立高等学校の教科書採択は、各学校、生徒の実態等を踏まえて行うことが大切であることから、事務委任規定を設け、教育委員会が定める基本方針と実施要項に基づき、学校長が行うこととしております。各学校では、教諭等を調査員に委任し、専門的な立場から選定に係る資料を作成するとともに、教頭、教諭、保護者等から成る選定委員会を設置して幅広く検討・審議し、校長に推薦するという手続をとって進めております。
最後に、学校開放週間は、和歌山県内のすべての公立学校が一斉に授業や学校行事等を公開することを通して学校の教育活動に対する保護者や地域の人々の理解と関心を深め、地域ぐるみで児童生徒を育成する機運を高めることを目的として三年前から実施しております。本年度は、去る十一月の第二週を中心に実施し、日ごろの授業の公開や開放講座の開設、「頑張れ母校!先輩が先生」などゲストティーチャーを招いた取り組み等が各学校で行われ、開放期間中の総来校者は十四万五千人を数えました。
まだ授業の開放の面で不十分な点も見られますので、これを補強しながら、今後とも保護者の方々や地域の皆さんへの学校開放の充実に努めてまいります。
○議長(小川 武君) 警察本部長宮内 勝君。
〔宮内 勝君、登壇〕
○警察本部長(宮内 勝君) 警察学校の指導理念についてお答えいたします。
警察学校における新任警察官に対する教養・訓練の理念は、警察官が警察法の精神にのっとり民主警察の本質と警察責務を自覚し、公正・明朗かつ能率的に職務を遂行し得るよう人格を磨き、学術を修め、実力を養うことを目的に実施しております。具体的には、犯人と対峙してもひるむことなく、危険や困難に遭遇しても屈せずに立ち向かう強い精神力と執行力を備え、また人間味豊かな警察官の育成を目指しております。
次に、警察学校の指導システムについてお答えいたします。
警察学校の指導システムは、職務執行に必要な基礎法学や犯罪捜査などの基本実務に加え、強靱な体力と旺盛な士気を養うため、柔道・剣道などの術科訓練や警察官としての規律、礼節の根幹となる警察礼式、教練等の訓練を徹底しているところであります。
また、全寮制のもとで集団訓練を実施し、同期生と寝食をともにする中で互いに切磋琢磨し、人格の陶冶と連帯感の醸成に取り組んでいるところであります。
こうした訓練に対し入校当初には戸惑いを見せる学生もおりますが、次第に警察官らしいきびきびした行動や体力・気力などが養われてまいっております。引き続き、治安の基盤となる優秀な警察官の育成に努めていく所存であります。
○議長(小川 武君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
二番尾崎太郎君。
○尾崎太郎君 それぞれに御答弁をいただきました。
警察官の養成というのは非常に厳しい訓練がそのもとになっているんですけれども、現在の学校教育の中にも、前の質問でも触れましたけれども、厳しさというものを取り入れていく。昨今、文科省の方もようやくゆとり教育の弊害というものに気づき始めまして、これはちょっと見直していかないかんなという機運が生まれてきたことは喜ばしいことでありますけれども、この厳しさとか鍛練というものがやっぱり若者というのをすばらしく鍛えていくんだという現実があるわけですから。まあプロフェッショナルを養成する警察官のシステムをそのまま参考にするというわけにはいきませんけれども、よいところをぜひ学校教育にも取り入れていっていただきたいなと思っております。
それから、教育長の答弁の中に、「他国の干渉などに屈することなく、主権国家としての責任と主体性のもとに」という大変力強い言葉がありました。本当にそのとおりでありまして、日本の政府はやや腰が引けているところもありますけれども、和歌山県の教育委員会は断固としてこの主権国家としての誇りを忘れることなく、本当に期待したいと思っております。
ことしは採択の年であります。今の教育長の意気込みがずうっと持続していただけるよう要望いたしまして、質問といたします。ありがとうございました。
○議長(小川 武君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で尾崎太郎君の質問が終了いたしました。
これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
この際、暫時休憩いたします。
午前十一時四十一分休憩
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