平成15年12月 和歌山県議会定例会会議録 第6号(小川 武議員の質疑及び一般質問)
県議会の活動
質疑及び一般質問を続行いたします。
五番小川 武君。
〔小川 武君、登壇〕(拍手)
○小川 武君 十二月議会の一般質問も最終日を迎えることになりました。四番目の質問として議長のお許しをいただきました。最後までよろしくお願いいたしたいと思います。
まず、先般、イラクで優秀な外務省職員が二人テロ攻撃に遭い、イラク復興の志半ばにして殉職したことはまことに残念であり、哀悼の意を表したいと思います。
ひつぎで帰ってきた二人を見て胸が痛くなりましたが、日本として、こうした事件を乗り越え、イラク復興支援のため、またテロ攻撃に屈しない姿勢を見せるためにも、自衛隊の派遣は昨日閣議決定した基本計画に基づき粛々と実施していただきたいと思います。
ことし最後の質問ということで、先ほどから振り返って思い出しておりました。私にとっては、何か早い一年だったというふうに思います。イラク戦争や北朝鮮の拉致問題、SARSなどが十大ニュースになってくると思いますが、国際的な事件の対応のため、日本の外交が近年にも増して注目された年になったと思います。
さて、和歌山県議会では、熊野古道と姉妹道提携をしているスペイン・ガリシア州フラガ首相から招請があり、またユネスコ本部への世界遺産登録の協力依頼もあり、尾崎要二議長を団長に、下川俊樹、宇治田栄蔵、松本貞次、中村裕一、冨安民浩、坂本登、小原泰各議員と私小川武と事務局職員の訪問団を結成し、十一月十八日から二十五日にかけてヨーロッパの現地調査に行ってまいりました。訪問団を代表して私の方からこの調査について報告をさせていただくとともに、高野・熊野の世界遺産登録に関して若干の質問をしてまいりたいと思います。
十一月十八日、お昼から出発いたしました。同日夕方、イギリスのヒースロー空港に着いたのですが、時差が九時間もありまして、この日は一日が三十三時間という長い一日になりました。空港は、ブッシュ大統領とブレア首相の米英首脳会談を明後日に控え、空港には自動小銃を手にした軍人の警備態勢が厳重でありまして、世界的な緊張関係を肌で感じたわけであります。後日、イスタンブールのイギリス総領事館が爆発テロに見舞われたことを聞き、やり場のない憤りを覚えたわけであります。
十一月十九日、世界遺産にも登録されているウエストミンスター寺院を訪ね、保存工事が実施されておりましたので、保存管理方法をお聞きいたしました。歴代国王の戴冠式が行われるとのことや、歴代国王から無名戦士の墓まで祭られていることから、国営並みの管理がとられているとのことでありました。
続いて自治体国際化協会ロンドン事務所に向かったのでありますが、周辺道路は警備の関係で大渋滞でありました。自治体国際化協会とは、日本の自治体が国際化施策の調査研究や人材育成、また世界の自治体との交流促進のため設立された団体でありますが、安藤所長からヨーロッパの自治体の状況や英国の世界遺産の保全状況について聞き取りを行いました。
その後、イギリスを立って、スペイン北部の都市サンティアゴ・デ・コンポステラへ到着いたしました。以下、この都市の名前を省略して「サンティアゴ」と呼ばせていただきます。空港では、ドピコ・ガリシア州古道振興局長にお迎えしていただきました。空港の会議室でサンティアゴの町の状況や古道の概要を聞きました。
ガリシア州のサンティアゴへの道と和歌山県の熊野古道は、一九九八年に、今回の訪問団の一員でもある下川俊樹議員も当時議長としてガリシア州に行き、知事とともに姉妹道提携を締結したところであります。ことしで五周年になり、ガリシア州フラガ首相も記念して招待状を送ってくれたものと思います。
世界遺産ではガリシア州が先輩であり、一九八五年にはサンティアゴの旧市街地が世界遺産に登録され、一九九三年にはサンティアゴの巡礼道が登録されております。ちなみに、フランス側のサンティアゴの巡礼道が一九九八年に登録をされているところであります。本県の紀伊山地の霊場と参詣道が登録されれば、サンティアゴの巡礼道に続き、世界で二番目の道の登録になるとのことであります。
サンティアゴ・デ・コンポステラとは、「聖ヤコブのいる星降る原野」という意味だそうであります。九世紀初頭、キリスト十二使徒の一人聖ヤコブの墓が見つかり、それ以来聖地としてあがめられ、ヨーロッパ各地から人々が巡礼に訪れるようになったということであります。今でも、エルサレム、バチカンに次ぐキリスト教の三大巡礼地となっております。交通機関が発達した現在でも、徒歩で、あるいは自転車に乗り、約千キロメートルにも及ぶ巡礼道をたどる多くの巡礼者の姿が見受けられます。
十一月二十日は、サンティアゴの旧市街地をドピコ古道振興局長の案内で視察いたしました。町中に敷かれている石畳の下は砂地であります。不安定で、十年ごとに石畳を敷き直し、道路としての機能を維持・保全しているとのことであります。安価なアスファルトで舗装してしまうということは、この地域では法律で禁止されているとのことであります。
ロマネスク様式の大聖堂が市内の中心地にあり、広場から見る大聖堂は大きくそびえ立っております。大聖堂の中に入ると聖ヤコブ像が中央の柱に刻まれており、祈りをささげるため、来訪者がひざまずき、柱に手を添え、お祈りをする行列ができておりました。長い歴史を語るように、その大理石の柱には巡礼者の指跡のくぼみがくっきりと残っておりました。
NHKでは、地上波デジタル放送を記念して、去る十一月三十日から十二月七日まで世界遺産の番組を特集しておりました。この大聖堂については、最終日の十二月七日の日曜日に放映されました。ごらんになった方も多いと思います。スペインは世界遺産の宝庫で、国内に三十八カ所登録されていると聞きました。
巡礼者は、聖ヤコブのシンボルであるホタテガイを身につけているそうであります。高野・熊野古道の巡礼にも、このような何か衣装やシンボルで変身し、別世界へさまよい出るような仕掛けがあるとおもしろいなあと思います。
また、大聖堂ではミサが行われ、私たち視察団のために、ミサの最後に、天井からつり下げられた巨大な銀製の香炉を数人の修道士が天井に届きそうなくらい左右に大きく揺り動かすボタフメイロと呼ばれる儀式を披露していただきました。
その後、フラガ・ガリシア州首相を州自治政府に訪問いたしました。尾崎議長から招待のお礼を申し上げ、木村知事の親書を手渡すとともに、フラガ首相を和歌山にお招きしたいという要請を行いました。フラガ首相からは、本県への声明文が出されました。以下、ちょっとご紹介したいと思います。「世界の中でも、和歌山県とガリシア州は離れたところに位置していますが、千年を超える伝統文化が私たちの社会・文化の礎をなしています。「巡礼」が私たちを結びつけ、そのことは世界的に見ても寛容・交流・創造性の普遍的な事例となっています。私たちの道は世界に対して、文化としての芸術的・社会的・教育的価値を表しています。 和歌山県とガリシア州はともに古道を大切に守ってきました。これは、古道のことを和歌山・ガリシア双方が基礎として考えてきたからです。ガリシアを理解するためには、サンティアゴへの道が必要不可欠ですし、和歌山のことを理解するためには、熊野古道が必要不可欠なのです。これまで同様、ガリシア州政府は、熊野古道のユネスコの世界遺産への登録を応援します。そしてまた、熊野古道が世界遺産に登録された暁には、和歌山県は歴史的な場所として正式に承認され、もっと名声を得ることになるでしょう。 しかし、それは日本だけでのことではなく世界の国々も、そのことによって、文化的歴史的記憶を取り戻すことになります。これは世界文化遺産の本に金文字で書いておくべきことです」とのことでありました。
十一月二十一日は、ガリシア州議事堂にホセ・マリア・ガルシア・レイア議長を訪ねました。議員定数七十五名中、三分の一が女性議員であり、副議長は二人とも女性であるとのことでありました。また、ガリシア州にはリアスという地域があり、日本でも使われる「リアス式海岸」の語源となっているそうであります。
その後またサンティアゴへの道の現場に戻り、サンティアゴの手前五キロメートルにある歓喜の丘を訪れました。歓喜の丘は、巡礼者たちがこの地にやっとたどり着き、市街地にある、先ほど申し上げた大聖堂を眺め、歓喜の声を上げたところから名づけられたそうで、この地で体を清め、町中へ入っていったと言われております。周辺には、巡礼者のための安価な宿舎やカフェテリア、キャンプ場等が整備されておりました。高野・熊野にもこういった利用しやすい施設が欲しいなあと思います。
昨年の木村知事の訪問で、フラガ首相初めガリシア州政府から非常な歓待をしていただきました。中でも古道振興局長のドピコ女史には、出迎えから見送り、市街地への同行、それから説明と非常に親切にしていただき、感謝申し上げた次第であります。
十一月二十二日は、パリのユネスコ本部を訪問いたしました。ユネスコとは、国際連合、教育、科学、文化、機関の英語の頭文字をとってユネスコと言うそうであります。国際的な文化交流や教育の普及発展とともに世界の文化遺産の保存活動なども行っており、世界遺産の登録もユネスコの仕事になっております。
松浦事務局長や佐藤ユネスコ日本代表部特命全権大使、ヤン・ミンジャ前ユネスコ担当部長、村井ユネスコ対外関係局アジア・太平洋州課担当者と会談をすることができました。事務局の話では、高野・熊野の世界遺産登録はやっとここまで来ることができた、一時期非常に厳しいときもあった、最終的に提出された計画書がすばらしいものと判断された、高野・熊野にはユネスコ側も高い関心を持っているとのことであり、平成十六年六月の世界遺産登録の感触を強くし、安心して日本に帰ることができるなあと、そのとき思いました。これは、昨日の玉置議員の質問に対して知事が答弁の中で高く評価してくれたとおり、今回の訪問は本当に有意義であったと思います。
またパリでは、自治体国際化協会のパリ事務所も訪問いたしました。元の本県副知事の山下さんが、現在所長をしておりました。山下さんと旧交を温め、日本とフランスの自治体や社会経済状況について問答を交わしました。山下所長から、パリの建築物には高さが三十四メートルと条例で制限を受けること、十年に一度の建物の掃除には補助金が出ること、十世紀以降下水道が供用され、完備されて観光にも使われていること、また景観には厳しく、建物の色は制約を受ける、広告に関しては指定された場所以外には掲示できないこと等、町づくりについて説明がありました。
その後、サンティアゴの巡礼道の起点となるパリ・セーヌ川右岸のサンジャック塔に行きました。かつては大きな聖堂があったそうであります。今は五十二メートルの塔だけになっており、敷地にはナンテンの赤い実が色鮮やかに実っていたのが非常に印象的でありました。現在修復を行っているとのことで、四方を工事用の鉄さくで覆われておりました。
それから、フランスの自治体議員で構成する海岸部自治体協議会を訪問いたしました。事務総長のベルナール・リベール氏から、フランスは観光省をつくり国を挙げて観光に力を入れており、現在、サンティアゴへの道など古道が根強いブームとなっていることから案内所、ホテル、サービス施設を整備していると聞きました。
十一月二十四日、パリのシャルル・ド・ゴール空港から帰路に着き、十一月二十五日に帰ってきた次第であります。
今回の視察は、ヨーロッパの世界遺産、とりわけ姉妹道提携をしているサンティアゴへの道を案内していただいて、それを生で見られたこと、またガリシア州フラガ首相やレイア議長らの歓待を受けて友好を深めることができました。また、ユネスコ側からも期待できる感触が得られたので、大変実り多いものになったと思っております。
こうしたヨーロッパの世界遺産を参考にすることはもちろんでありますが、日本には日本の、また高野・熊野には高野・熊野の歴史や精神性が秘められております。言うまでもなく、世界遺産は人類共通の歴史・文化遺産であり、登録を契機に有効な保存管理の道筋を見つけていかなければならないと思います。
ヨーロッパでは、世界遺産にとどまらず、すべからく昔のものが大事にされており、サンティアゴへの道については、保存を図りながら新市街地を形成していったと聞きます。起点となるパリ・セーヌ川右岸サンジャック塔も修復しているとのことでありました。日本においてもこうした思想を導入し、温故知新を図っていく必要があると思います。
文化的、歴史的景観を残す高野・熊野の全体的な保存について知事のお考えをお聞きしたいと思います。
平成十六年には、高野・熊野が世界遺産に登録されることとなります。世界遺産登録をインパクトにした県全体の観光振興や交流の活発化といった地域活性化の戦略的な構想を打ち立てることが重要であると考えます。世界遺産登録は、ユネスコという国際的な機関によって高野・熊野が認定されるわけでありますから、他の観光地との特色分化やブランド化が図られることになります。また、世界遺産登録を情報発信するだけでかなりのPR効果があると思いますが、一般の旅行好きな人に数ある観光地から選んでもらおうとするのは、やはり世界遺産登録だけでは心もとないものがあると思います。
世界遺産の趣旨に見合う施設や周辺環境の整備、案内の仕組みづくりが必要となりますが、観光志向が「見る観光」から積極的な「する観光」へ移ってきている中、ターゲットを絞った誘致活動や多様な体験のメニューづくりなどが必要になってくると思います。
先般、NHKの人気番組「プロジェクトX」で湯布院の町づくりが放映されておりました。地域づくりは人づくりの典型となる町おこしで、地域と町が一丸となっての取り組みが効果を上げていると思います。湯布院の町おこしの基本となるのは地域資源の活用であり、由布岳を見て町並みを散策し、温泉に入り、地域のおいしいものを味わってもらうことを基本にして、静かな町づくりを目指してきたものと思います。番組では、地震被害を受けた後、町中の移動に馬車を走らせたりイベントを開催していったことが話題になり、客足が伸びたそうであります。その後も、リゾートマンションには目もくれず、美術、音楽、映画など文化的なものや景観の保存などでリピーターをふやしていったものと思われます。
湯布院にも負けない歴史文化が高野・熊野にはあると思います。和歌山もこうした地域資源を大切にし、さらに体験観光のメニューの充実や地域交流に工夫を加え実践する中で高野・熊野の地域イメージをつくることが大事になろうかと思います。
今後、全体として国民の所得の伸びが見込めない中、従来の観光業の収益を上げていくことは非常に難しいと思います。余り収益は見込めないが、地域住民の満足度を押し上げることを考えたらと思います。地域住民が主体となって高野・熊野の歴史、文化、体験等を組み合わせ、また一ひねりして、訪れたお客さんとともに楽しめる集客交流の事業づくりを起こしてみてはと思います。
高齢化と不景気で余りお金はないが時間がある人はふえていると思います。地方では気づかない何げないことにも興味を持って訪れ、参加してくれると思います。さまざまな事業の積み重ねにより地域が刺激を受け、新しい文化や産業のヒントが生まれると思います。こうした集客交流の事業展開について、知事のご所見をお伺いしたいと思います。
以上で、世界遺産登録に関する調査の報告と質問を終わりますが、この際、コスモパーク加太の問題について一言申し上げておきたいと思います。
コスモパーク加太に係る県土地開発公社の金融機関からの借入金問題については、和歌山地方裁判所における調停に代わる決定を受け、今十二月定例会に関連する議案が提出され、多くの議員から質問があったところであります。
本問題は、一年以上の長きにわたり県当局及び県議会が一丸となって取り組んできた課題であり、とりわけさきのコスモパーク加太検討委員会におきましては、県議会各会派から参加のもと、県議会を挙げて取り組み、集中して議論を行い、検討委員会としての報告を出したところであります。私個人も検討委員会に参加させていただくとともに、その後も今日に至るまで解決策を模索してまいりました。裁判所の特定調停では県、公社、金融機関それぞれの立場で主張し、とりわけ県は検討委員会の報告のもとで主張した結果として裁判所から調停に代わる決定がなされたものであり、私もやむを得ないと考え、賛同するものであります。
しかしながら、県当局におかれましては、本問題の今日に至るまでの経緯を直視し、この問題を教訓として今後かかることのないようにしていただきたい。また、コスモパーク加太の土地の利活用は今後の和歌山県にとって最も重要なものであると考えられ、県当局にあっては我々県議会と連絡を密にして利活用方策を講じていかれたいと強く要望いたします。
先のことは確かに予測しにくい時代であります。そんな中、我々は冷静に現状を分析して、未来に向かって対策を講じていく必要があると思います。どうか、平成十六年が和歌山県と県民にとってよいお年となるよう祈念いたしまして、私の質問を終わります。ご清聴、ありがとうございました。
○議長(尾崎要二君) ただいまの小川武君の質問に対する当局の答弁を求めます。
知事木村良樹君。
〔木村良樹君、登壇〕
○知事(木村良樹君) 世界遺産登録を契機とした県勢発展に係るいろんな面からの有益なご質問に対し、心から感謝を申し上げます。
私も、質問を聞いていて、だんだん元気が出てまいりました。というのは、先般来の質問の中でもお答えしたんですけども、大分スピードを上げて世界遺産登録の事務をやったもんですから、本当に来年の六月に世界遺産の登録になるのかどうかということが本当のところ私自身もちょっと心もとないところがあって、それで、まあ言ってみれば最後のだめ押しというふうな感じで先般フランスそしてスペインへ県議団が行っていただき、しかも松浦局長に最後の話をしてきていただいたということ、そしてそのときの感触が、一時期はちょっと危ない時期もあったけどもまあまあいけるやろうというふうな話を聞いてきていただいたという話、今ご披露いただきまして、本当に僕は心から、ああこれはいけそうだ、いけそうだからますますそれをてこにして地域振興に当たらないといかんなという気持ちがいたしました。
つい先般も、ご質問の中にもありましたように、NHKのテレビでサンティアゴ・デ・コンポステラをやっていました。私も、手を突っ込んで、よくあんな大理石みたいな石がへこむところまでいったなと思いますけども、また改めて、去年だったかな行ったのを思い出しながらその番組を見せてもらったんですけども、そのとき思ったのは、世界遺産というのはなかなか大したもんやなと、これに和歌山県の高野・熊野がなればやはりいろんな形でのインパクトがあると、これを生かさない手はないし、だが逆に、なったもののあんまりよくなかった、それからいろんな集客的なことが何もなされてないということになると、これは本当に逆に恥になるなというふうな感じがしたわけでございます。
あのサンティアゴ・デ・コンポステラでも、お金持ちの人からそうでない若い人なんかまでぞろぞろと、最後は歓喜の丘から見るんでしょうけども、非常に苦しい道をフランスから歩いてくるという。これはまあ確かにあそこが聖地であるというふうなこともあるんですけども、日本の場合も、例えば四国八十八カ所というの──この間も言いましたけど、集印帳なんか、これもう一度集め出すと最後まで集めないと気が済まないというのが日本人の通性としてありまして、場合によってはバスでぐるぐるっと回ってきて集めてるというふうなこともあるわけです。何とか道が初めて、初めてというかサンティアゴ・デ・コンポステラに次いで和歌山の道というふうなものが指定されるということの中で、何とか、巡礼とまではいかなくても、昔は「アリの熊野もうで」というふうに言われたんで、高齢化が進んできて大分時間のある──先ほどは時間があってお金がないというお話がありましたけど、時間があってお金もある人が多いんです、高齢者の方には。だから、そういう方に来てもらって、それで集印帳みたいな形で、全部行かなかったら何となく本当に高野・熊野、まあ吉野も含めてですけども、行ったことにならないというふうな形の仕組みづくりというものを考えたいような気が物すごくいたします。
それからもう一つは若い人、バックパッカーと言っていろんな人が世界を回ってるんですけども、こういう人たちに紀州材でつくったような簡易な、自分たちで維持管理するような宿泊施設みたいなものをつくって、それでそういう人たちが時間をかけてこの地域を回れるような仕組みとか、いろんなことを考えていけば、もう本当に指定される地域が広い分だけ逆に楽しみが出てくるというふうな面も私はあると思います。
どうしても指定に物すごく時間をはしょってやったもんですから、これからそういうふうな方のアイデアというものが──まだ、案内板を統一するとかその程度のことしか余り出てないような面があるんですけども、もっと大きく、ダイナミックにこれを生かしていくような方法を考えていきたいなというふうな感じがします。
世界遺産の関係の条例みたいなのをつくるのも一つであろうし、それから住民の方の参加を制度的につくっていくような仕組みも大事だろうと思いますし、それからこれはまあ三県に──サンティアゴ・デ・コンポステラの道はフランスとスペイン、二国にまたがっているわけですけども、この和歌山県のあれも三県にまたがっているわけですから、こういうふうなところの特性というふうなものも生かしていくとか、それからそれへと夢は広がりますし、またちょっとした体験型観光ということを行っても世界遺産で指定されている高野・熊野での体験ということになれば、これは一味違ったものになってくると思いますので、まあいろんなこと、それからそれへと夢が広がるわけでございます。
そしてまた、そういうふうなときには、先ほど湯布院の話もありましたように、これもうはっきり言って、県庁とか市町村役場とか、そういうところだけが中心になってやっていくというふうなやり方では、正直言って盛り上がりません。観光地で今勢いを取り戻しているようなところは全部町づくりのリーダーみたいな人がいて、そういう人が中心になって、それに行政がいろんな形で手助けしていったということがやっぱり起爆剤になってるということなんで、そういうふうな大きな地域リーダーみたいなものも和歌山県にどんどん育てていきたいなというふうに思っているわけでございます。
最後に、この世界遺産登録についていろいろ貴重なご提言いただいたわけですけども、これからですので、ぜひこれからもまた県議会と一緒になってこの世界遺産登録、もしうまくいけば県発展の起爆剤にしていきたいと思いますのでよろしくお願いいたしまして、私の答弁とさせていただきます。
どうもありがとうございました。
○議長(尾崎要二君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(尾崎要二君) 以上で、小川武君の質問が終了いたしました。
お諮りいたします。質疑及び一般質問は、これをもって終結することにご異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(尾崎要二君) ご異議なしと認めます。よって、質疑及び一般質問はこれをもって終結いたします。
【日程第三 議案等の付託】
○議長(尾崎要二君) 次に日程第三、議案等の付託について申し上げます。
ただいま議題となっております全案件は、お手元に配付しております議案付託表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
なお、常任委員会の会場はお手元に配付しておりますので、ご了承願います。
お諮りいたします。十二月十一日及び十二日は常任委員会審査のため休会といたしたいと思います。これにご異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(尾崎要二君) ご異議なしと認めます。よって、十二月十一日及び十二日は休会とすることに決定いたしました。
次会は、十二月十五日、定刻より再開いたします。
本日は、これをもって散会いたします。
午後二時四十二分散会