平成15年2月 和歌山県議会定例会会議録 第6号(中山 豊議員の質疑及び一般質問)
県議会の活動
午後一時三分再開
○議長(宇治田栄蔵君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
質疑及び一般質問を続行いたします。
三十三番中山 豊君。
〔中山 豊君、登壇〕(拍手)
○中山 豊君 議長が、おれの出した原稿を見て四十分で終わるかと、こういうふうに言われるから、終わるようにするけれども、せめて議長の計らいで少し延びてもやれるようにしてやってくれと言うたところやけれども、議運の決定もあるだろうから、その決定を忠実に守るとして、もしお計らいいただけるようだったら、はみ出たところは寛大なつき合いをしてください。まず、それをお願い申し上げます。
質問の前に、一言申し上げたいことがあります。
二期八年、海南市から選出され、皆さんの仲間入りを許されて以来、先輩・同僚の皆さんに殊のほか親切にお使いいただき、深い友情をお寄せいただいたことに対して、深く感謝申し上げたいと思います。また当局の皆さんには、触発もされ、啓発もされ、深いご理解をいただきながら、県勢発展、中でも地元の海南市の発展に、殊のほか県政とのかかわり合いを深く絡み合わせながらご留意いただいた点について、海南市の皆さんとともどもに壇上からお礼を申し上げたいと思います。皆さんは言います。中山が県会へ行くようになってから、海南市の様子は少しずつではあるけれども明るくなった、変わってきたではないか、こういうふうにも申されるところです。(「そのとおり」と呼ぶ者あり)ありがとう。県会に出していただいてから、それぐらい冥利に尽きる話はないとして、日ごと、夜ごとに心に刻んでいるところであります。このようなことを申していると時間が足りなくなります。
それで、皆さんにお礼を申し上げながら、八年間言い続け、主張し続けてきた課題の総仕上げのつもりで物を申させていただきたいと思います。当局の皆さんのご答弁は、そういうふうな立場からご対応いただければいいと思います。端々のことについて、あれやのこれやのではなくて、和歌山県政が中山豊の提起に基づきながら、将来にわたってこのように県政を運営していきたいという深いところでお答えいただけることを、まずもってお願い申し上げたいと思います。
西口知事は、私の質問に対して、地元の問題は地元で解決するんだと、こういうふうにも申されました。まさに、その理念に基づきながら県政がずっと運営されてきたやに思われます。地元に出先がないと申したときに、いち早く総合庁舎が建つとまではいかなかったけれども、地元に県の出先を持ってきていただいて、地元の皆さんの要求にこたえていこうということで懸命にお取り組みいただいたのも、その一つのあらわれと評価をしているところであります。
さて、二期八年を経て、辞するに当たって申し上げなければならないとするならば、中山は道路問題に触れずして終わるわけにはいかないと皆さんは思ってくれているでしょう。まさにそのとおりなんです。宗さんもそのようにおっしゃっていたけれども、尾崎さんがもしここに立ったとしたら、高野山向いて野上谷の道をちゃんとせいというふうなことを言うに違いない。僕は入り口の部分、宗さんは野上の真ん中の部分、尾崎さんは一番奥の方のことを取り上げて言うに違いないであろう、こういうふうに思われます。もう、これは原稿から外れているんやで。
そこで、野上谷のあの道をちゃんとせいというこの話は、共産党であれ自民党であれ、政党が違うのにこんなに一緒になって要求されているというのは、県下どこ探してもないくらいの話やろ。こういうふうな道路行政を発展させるのに、豊かな環境が満たされているようなところはどこにもないやろう。知事、そういう環境の中で、この道をほったらかすようなことをしていたらえらい目に遭うで。ということを申し上げて、大山さん、今、一番熟しているのよ。共産党と自民党が一緒になって道をしゃんとせい、高野山までつないでやれと言うてくれているような人的環境が整っているようなところはどこにもないよ。やってください。
ずっと、申し上げたいことを飛ばします。議長のお計らいもあって、質問だけいたしましょう。
築地阪井線の工事完了、供用開始に伴って、周辺地域の急速な発展の様子は大変なものがあります。皆さんも通ってみてください。海南駅から野上向いて走る。龍部池まで行かないうちで道はちょっと狭くなっているけれども、三差路のところまでずっとよくなっている。頭脳立地の方へ行く道もつきました。あのあたりはすごくよくなった。道路がよくなると地域環境がこれほどまでに変わるものか。発展への兆しがふつふつとわいてくるような情景が目の当たりに浮かびます。こういうふうな活力を取り戻そうということの一つのきっかけをつくるとするならば、道をつかんで離さなかったという中山の政治姿勢は大いに評価されてもいいのではないかということだけではなくて、よく離さずに八年間言い続けてきたもんだなということの感慨が深いものがあります。こうふうにして考えたときに、海南市は駅前のあたりの商店街を中心にして栄えておったけれども、一つの道が整備されることによって、今申したような地域への方向に商店街の中心部が移りつつあるくらいに変化してきた。こういうふうな変貌の仕方をしているんです。道はいいですよ、道は地域の発展と皆さんの活力をつけるためには欠かすことのできない課題だとして、いま一つ申し上げておきたいと思います。
それから、龍部池までの拡幅整備を言い続けてきましたけれども、土地区画整理事業とのかかわり合いで当局の皆さんは対応してくれました。重ねて申しますが、龍部池までの道路の整備について、改めてお考えをお聞かせください。
三つ目──これからや。一番狭隘なところを通すのには大変だということで、平成二年に阪井バイパスという仮称バイパス路線の法線を引いた。地域の人たちは、現道とバイパスとの間の五十メートルも離れていないようなところにだれが道を引いたんだという批判が起こって、それから一向に進まないで今日に来ている。しかし、事態は変わってきた。お年寄りも出てきた。先行き考えたら、早いことつけてもらわなかったら、目の黒いうちに道がつかないというふうに差し迫ってきたと。こういうふうな人たちの声が反映されて、あの道を早いことつけてくれ、つけてくれなかったら、おれの人生設計が立たんというふうに変化してきた。そういうふうな変化にこたえて、当局の皆さんはあのバイパスを早いことつけてください、こういうふうに申し上げたいところです。
いろいろお聞きしてみると、国土交通省の皆さんも、一番混雑をきわめているようなところだけをして、あとはできるだけ支線を通し、つないで解消するというふうな意向もあるようだけれども、いずれにしても、ここのところを早いことやってもらうという要求を皆さんに投げかけて、それへの答弁をお願いいたしたいと思います。
木津から東部の方、宗さんや尾崎さんなどが担当してくださっている選挙区にかかわるところの高野山向いての話も、許されるとするならば構想ぐらいは述べておいてほしいと思います。
次は、県道海南金屋線。おりてきて、市民グラウンドから日方の高架までの間に、俗に言う神田という地域。これはまた狭い。今皆さんが大変な努力を重ねて、除却をしたり待避所をつくったりして、県は広めるんやで、整備するんやでという姿を地域住民の皆さんに熱心にお示しいただいていることはありがたい。これについての展望をお聞かせください。
次、環境にかかわるお話を申し上げていきたいと思います。
かねてより、環境問題について持続的、継続的にあれこれと視点を変えて申し上げてきました。総じて申せば、県当局は雑賀崎の埋立計画を断念されたこと、生石山のススキ原を復元させるためにススキを焼く話、タイワンザルの捕獲の方針を決めなさったこと、自然回復を試みる会、孟子ビオトープにNPOの認証を与えてくださったこと、和歌浦干潟の護岸工事を再検討しようと県の態度が改められたこと、これらを挙げてみたら県の環境行政には秀でたものがあると私は見ているわけです。立派だなと思っているんです。地域住民の自然環境を守ろうとする願いや要求を受け入れて行政を進めようとする柔軟な態度をおとりになっているということは、県民の是とするところだとして高く評価しているところであります。いずれの問題についても、当局の決断は住民の声が当局に反映されたものとして受けとめて、まず間違いないでしょう。
和歌浦干潟を検討し直そうという過程でペントス学会、いわゆる干潟の底生動物を研究している学会の総会の中でも、あれは見直す方がいいよとして県の方へ総会の決議をなされた。それに引き続いて、ファイアバンキアサカグチイクロダという小さなマキガイを発見した先生が海南市にいらっしゃるわけです。元県の教育長をしていた井上さんが青年時代にそれを発見なさって、その学名をつけるときに、自分の名前を使わないで自分が師事していた坂口先生の名前を使って学名をつけたという、それがファイアバンキアサカグチイクロダという名前のようです。これはちょっと聞きなれない名前で舌がもつれるんだけれども、サカグチイクロダというのは、坂口総一郎という先生の名前のようです。クロダというのは、このマキガイの国際的な権威者が京都大学にいらした。その先生たちの名前でつけられたということです。井上先生自身が発見しているのだから、イノウエイクロダとつけて当然だと思われるけれども、そこに井上先生のすばらしい人柄がうかがえるのではないでしょうか。人がしたことでもおれがしたんだというような世の常の中にあって、自分の功績を人に譲ってまでも学会名をつけさせるという、こういうすばらしい人柄、人徳に満ちた先生が海南市におると。そういうふうな先生におれたちが導かれて、薫化を受けて今日まで来ていることを、この場をかりて申し上げながら、その裏打ちをもって県の方たちが、それほどに値打ちのある干潟だとしたらこの干潟を守らなくてはならない、当初計画した工事計画を再検討しよう、こういうふうなご決断をなさったようであります。すばらしい干潟があそこにあるがために、和歌浦湾だけでなくて紀の川の川口からずっと南の方に至るまで、海浜に至る水生動物の豊かさが、あそこを根っこにして保障されているというふうなお話であります。だから、干潟をあのようにして、工事しようとして計画したけれども、あの計画はもう一遍見直すべきだという見地に立たれた県当局の見識の高さというんでしょうか──そこまで持ち上げることはないと言われるかもしれんけれども、見識の高さとすばらしい判断、こういうふうなものの裏打ちの中で環境行政がされているということは、自然環境にいささかなりとも気心のある自分にとってみたらうれしいで。何なのよ県、仕方のないようなことをしくさってというようなことを我に言わすべくもなく立派にやってくれているということに対して、喜びを与えていただく行政は、これは立派だよ。今後も、生石山のススキ原を復元させたり、山を豊かにするような仕事をしたり、こういうふうな形で行政が進められていくことを特にお願い申し上げたいと思います。
これにつけて、せんだって亡くなられた後藤伸先生のお話に少し触れなくちゃならない、そういう気持ちになります。紀伊半島の南部に広がる照葉樹林の大切さを説かれた人です。大塔山系生物研究グループの研究の先頭に立たれた方であります。営林署や営林局に対しても、大きな面積で一斉に伐採などしないでくださいということを繰り返し訴えて、紀州木の国、熊野の山を守る先頭に立たれた人であります。当時は、そのような要求はなかなか営林署や営林局などに受け入れられなかった。こういうふうな暗い大変な時代も受け続けながら、それを主張し続けた人であります。彼は、いろいろな角度から照葉樹林の大切さを説き続け、今日に来りながら、志半ばにして亡くなられたわけであります。南紀の森に昔の自然植生を取り戻そうということで、新聞にも載ったことでご記憶があろうかと思いますが、「いちいがしの会」をおつくりになって、大勢の人々と一緒に照葉樹の植栽を行ってきた功績を持たれている人です。また、いろいろな本を書かれています。「自然を捨てた日本人」「原生林紀行」「虫たちの熊野」といった多くの著書や「くまの文庫」など、和歌山県教育功労賞や田辺市文化賞などを受賞されている人でもあります。また南方熊楠記念館の活動及び熊楠研究にも深くかかわってくれていたようであります。自然環境にかかわる彼の功績を何らかの形で継承される取り組みを私は提起しておきたいわけであります。
あわせて、特に里山を豊かにする樹種の増殖に励まれるように求めておきたいわけであります。宗さんも申されました。山は海を豊かにすることは言うまでないことである。つけ加えておきたいと思います。
これからの環境行政について、さらなる発展を期待するところであるけれども、どのように発展させようとお考えいただけるのか、お考えをお述べいただければありがたいと思います。
山をつくりたいという人たちが、私の周りにたくさん集まってくるようになりました。それは、知事が緑の雇用というような事業を起こされてからでしょう。美里の方で山を掃除するということで、森林組合からハローワークを通じて求人があった。四人グループで応募する。四人が固まっていきたいんやというお話であります。一人でも欠けたらあかんのやというお話や。どこから求人があったのかなと思っていろいろ調べてみた。林業振興課かいな、県庁のそういうふうなことにかかわる部署からの紹介かいなと思って聞いたけれども、なかなかない。よう考えてみたら、県が企画して、求人などの作業はハローワークに移すんだってな。ハローワークからあったんやと言う。ハローワークの署長に聞いてみたら、実はあったんや、四人来ていると言うわけや。五人の募集に対して四人や。一人も欠けたらあかんのや。グループで行きたいんや。四人とも行けるようにご配慮願いたいと申し上げたら、ハローワークの署長は四人を美里へ派遣してくれるようなご配慮をいただいて、この間うちから行っていますわ。
その人たちが帰ってきて、僕のところへ話をしに来てくれているのや。山を汚すの見て、汚している山を見て、汚されている物を見たら、だれが汚したかということがすぐわかる、こういうふうなことから始まって、山の水はきれいや、和歌山の山はきれいやと、こう言うわけ。その中に一人、丸坊主にしてお坊さんみたいな人がおったので、あなたはどこから来たんですか、生まれたのはどこですかと聞いてみたら、大阪で生まれて、大阪で育って、沖縄へ行ってきた。沖縄からはるか祖国を眺めたときに、和歌山の山が一番立派や、和歌山の山が一番きれいや、それに引かれて和歌山へ来たんや。海南の山に住みついて、そういう作業にグループと一緒に参加するという、こういうふうな人がそこにおった。その人のいわく、私が住んでいる山の近くに大きな山桜がある、山桜に差し渡し十センチばかりのフジのつるが巻きついて、今まさにその山桜が枯死寸前に追いやられていた、私はそれを見かねてフジのつるを切った、やがてこの山桜が枯れないでよみがえってきて春になったら花が咲くであろう、それが楽しみやと言う。こういう心を持って和歌山の山を守りたい、こうおっしゃる──ちょっと、余り静かになり過ぎるなよ。
木村知事、こういうふうな人たちが今和歌山に集まってきよるんよ。あなたが提起をしている緑の雇用というふうな事業に鼓舞され激励されて、必ずやその事業が達成される道行きには和歌山は立派になる。日本全国広しといえども、和歌山ぐらい立派な山はないと、この人たちは言うているのや。和歌山に住みついて、和歌山の山に見なれている我々は、さほど和歌山の山の立派さは知らないかもわからない。それほど、ふるさと和歌山の山はいいんや。立派なんや。それを守ろう。それを根城にしてそこで生活し、和歌山県を発展させようという、この事業こそが二十一世紀の将来にわたって発展していく道であろう、私もそう思う。自然にかかわりを持って関心を示し出せば示し出すほど、そういうふうな情感が豊かになる。こういうふうにしてやりたいね。緑の雇用をもっともっと発展させていきたいと思います。そういう意味合いでやっていきたいと思います。
次の過疎対策に移ります。
二月十一日の紀元節、何のことはない、日本の国が建設された日やということで紀元節があった。昔、建国の日や。歴史的には本当かうそか私は知らんで。知らんけれども、建国の日やと言われたら、その日に建国されたんやなということにちなんで、我が祖国、我がふるさとがどういうふうになっているかということを改めてもう一遍眺めてみようやないかという気心が起こるのは、普通だったら当たり前の話やろ。
それで、黒沢山の近くや山頂に上がってみな。和泉山脈はもちろん、泉佐野の方までずっと見晴らせて見えるよ。和歌山はもちろんのこと、景色はいいわ。そやけれども、足元の田や畑は荒れてえらいことや。ミカンやカキ畑は、もう侵食植物に荒らされて入りようがないくらいにやられている。そこのお年寄りに聞いてみたら、昔は四十軒ほどあったけれども今は二十軒もないわと、こう言うわけや。しかし、そこに住んでいる人たちはどんな人かといったら、もう年寄り二人や、えごえごしておって、あと十年もしたら人がおらんような村になるでと、こういう話。地方の政治家として、政治の末席を汚している中山にとってみたら、おれは何をしたらいいのかいな、何が考えられるのかなということをひしひしと胸を打たれたよ。政治というものは、もっとこういふうなところに光を当てて当然ではないか。それに置き比べて、日本の今の政治はどういうことなのよということを考えざるを得なかった。
戦後、焦土に化した日本の国を復興させて、経済成長されてきて豊かになり、物が便利にもなった。だけれども、今どうよ。それに置き比べて考えてみたら、思い出すことがあります。中国の唐代の大詩人に杜甫という人がありました。四十六歳の春、反乱軍の占領下に置かれた長安の都をはかなみながら、山や川の自然はまともなままちゃんと残っているのを見て、「国破れて山河在り 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙をそそぎ」、こういうふうな歌を歌われているわけです。それに置き比べて、日本はどうよ。それとまるっきり逆や。「国栄えて山河なし」や、ぼろぼろや。こんな国にだれがしたんなということをみずからに問いたかったわけよ。今、そういうふうな国から立ち上がらなかったら日本の将来はあり得ない。こういうふうなところから和歌山県が立ち上がろうやないかということを知事が提起されたことにかかわってやられているという、こういうふうなことではないかと思われる。
そのふもとの小学校は、もう閉塞状態。小さくなっている。そこの住民たちは言う。公営住宅なり県営住宅なり市営住宅なりが建ってくれたら、子供がふえて、もっと適正な規模で学校運営がされて活気が出てくるのに、それに置き比べて亀川はどうよと、こうなるわけや。皆さんのご協力を得て、亀川に県営住宅を建ててもらった。今、海南市の小学校で適正規模で経営されている学校は亀川しかないで。それに置き比べて、黒沢山のふもとの小学校は閉塞状態。こういうふうなことを置き比べてみたときに、どうしても黒沢山のふもとに県営住宅を建てたり水道を布設して、若い人たちがよそへ出ていかないようにインフラをするという、こういう取り組みをどうしても政治の仕事としてしなくちゃならんのやないかと、こういうふうに思われる。
近代文明が発達して、それにならされた青年たちが、洗濯機も使えないような家庭の生活の実態の中で、だれがおれと言える。お年寄りにしろ、親にしろ、家におって田を守れ、畑を守れというようなことは口が裂けても言えない。まさに寡黙になるというわけや。そういうふうなところに光を当てて、もっと生き生きしたというところまでは言わないにしても、普通に人間が住みつき、人間が生活の場にできるような地域にしてあげてほしいと思うわけです。戦争中どうやったんよ。町が焼かれるときに、荷物を提げて皆逃げ帰ってきたところやないの。戦争が終わったら、荷物を提げてまた都市部へ行った。一番えらいときに、一番厳しいときに、人間はああいうところへ身を隠して生き延びていったんじゃないの。そういうふうな生き延びていったところが、もう役に立たんから、今、大したことないからといって捨てんなんことはないでしょう。そういうふうなところにこそ今政治の光を当てて、もうちょっと人間らしい生活のできるような地域に変えていけるような和歌山県であってほしい。こういう地域は和歌山県に幾らもあるはずや。海南で探すことないよ。幾らもあるはずや。そういうところへこれから和歌山県政が力を尽くしていただけるよう特にお願いをして、ここの項は終わります。
次や、市町村対抗ジュニア駅伝。もうまとめて言う。
去年の不始末を反省して、ことしは立派にやってくれた。実によかった。評価しておきたい。皆さんの努力に。だけれども、一つ、二つだけ物を申しておきたい。あれだけ立派にやっておきながら、次に県民の心を鼓舞し、県民をさらに前に推し立ててやろうやないかというような気心をなぜ発揮できるような総括をしてあげんのよ。申し上げようか。
北山村、生徒が足りない。だから、中学生が走るところを小学校で受け継いで走ってもいいか、こういう話になったときに、規格からいったらそれは当てはまらんからやめてくれと、こういうふうなことを言うたら、どの市町村からもチームをつくって参加することができない。それを皆さんが受け入れて、どの市町村からもチームをつくって走ることができたという。これは立派なことですよ。こういうふうなことを過大にせよ評価をして、裏にこういうふうな論議があって、これほどに皆さんのご協力と協調ができて成功したんやでということを参加した子供たちやご父兄の皆さんにお話ししたとしたら、次もそうしなくちゃならない、次もそういうふうにしてでも参加させてもらいたいというふうにして盛り上がってくるはずなのよ。これが一つ。
二つ目、一番最後に走ってきたチームはどこだと思う。北山村と違うんや。そういうふうな支援と援助があって、北山村は最後尾でなかった。四十七番目に入ってきた。この四十七番という順位は、北山村にとってはすばらしい成績だったと僕は思っている。なぜかと言ったら、皆さんの前段でのそのような協調と支え合う力の反映として見たときに、四十七番というのはすばらしいでしょう。こういう評価をしてほしかった。北山村も喜んだであろうし、北山村を参加させることによって、それほどの成績をおさめられたということの背景に、自分たち一人一人が役に立ったんだということの認識をみんなして共通に持ったとしたら、これほど立派なジュニア駅伝というものはないやないの。これは、よそへ言ったって恥ずかしくないような仕事よ。こういう仕事を和歌山県がやっておきながら、なぜそういうふうなところへ発展的に持っていこうとする総括をしてあげないの。県の幹部は、そういう意味合いで才覚を発揮してやってほしいで、正直言ったら。もうちょっと、そういう点の勉強をしてほしい。
その次、最後尾で走ってきたのは花園村や。あのコースを走るのに、二時間足らずもかかったんや。そぼふる雨の中、応援する県民は、まんじりともしないで最後に走ってくる花園村を待ってたじゃないの。入ってきた花園村に惜しみなく激励の拍手を送ったでしょうが。ああいう姿は和歌山県民の美徳よ。いいところなのよ。そういうふうなところを強く大きくすることによって、和歌山県はもっと立派になる。仕方のないような青少年が生まれるような土壌をなくしていくようなことができる。教育の大事なのは、そういうことなのよ。やれ指導要領やの、「君が代」やのどうやのと、そんなことだけで立派な子供にはならん。具体的なそういうふうな事実と、具体的なそういうふうな成果を皆さんが評価し合うことによって子供たちが立派に育っていくのと違うのか。新しい立派な県民性が培われていくというものよ。あと五分──これ、走っているのやで。
次、ミカン──(「漆器もあるで」と呼ぶ者あり)漆器か。漆器もそうよ。
簡単に言うたら、もう漆器はあえぎあえぎや。もう、今までみたいに一般的に言うたってあかんのや。漆器をよくしようと思ったら、漆器をよくしてくださいと言って、国の認定を受けた伝統工芸士というのがあるのよ。その人を大事にして、その人を柱にして物づくりを盛り上げていくというような、そういうふうなことに成功していないのよ。漆器組合の皆さんも、漆器をつくるあの町の人たちも、海南市も、県も。伝統工芸士を軸にしながら、物づくりにいそしんで、つくったものをみんなに買ってもらう、売ってもらう、こういうところに収れんをした取り組みをしたら、必ずや──だって、去年一年経験したんや。きょうもいらしているけれども、沈金の工芸士、その人の作品展をした。その工芸士の作品展の場所で、私は、沈金の工芸士だということを皆さんに見てもらった。たくさんの人が来て、その人がつくってくれる作品を皆いただいて帰るという、こういうふうなことが起こったじゃないの。それをみんなに広め、その仕事をもっとみんなで押し上げるということにしたら、黒江の漆器産業は他に引けをとることのないように発展していくであろうと、こういうふうに思う。去年の一年間の実績からして。それをぜひ県も応援してあげてほしいと思う。
次、ミカン。
ミカンは、やはりいいものをつくれ、前にこういうふうに言うたけれども、いいものをつくってもさほどでないんやな。外国からの貿易の自由化から始まって、何かにつけて人間の、国民の嗜好状況が変わってきているということも手伝っている。これは、一つの文化やで。よそから来た文化に支配されて、日本伝来の立派な文化が侵食されてきていることに気づかないで、あれやのこれやのというような形でうろうろしていたら日本人なくなるで、正直言うたら。ミカンを大事にし、ミカンを食するというような日本人になろうと思ったら、その心を大事にしようや。そういうところに立ち返ってミカンづくりを考え、ミカンの販売消費活動を考える。戦略的にはそうすべきだと思う。東京の市場や、そういうふうなところへ行くにも、だれ和歌山のミカンや、やれ何のミカンやというようなことだけではなくて、政府にも、日本の食文化にかかわって、外国の支配に左右されて崩されていくことのないような、文化状況を創造するようなミカン政策を打ち立てることをお訴えして、二分残っているところで、うまいこと終わります。
ご清聴ありがとうございました。長いこと、八年間だったけれども、おつき合いいただいたことを、本当にお礼申し上げます。よろしく。(「核残っているで」「核燃料」と呼ぶ者あり)核燃料ある。ようけ書き過ぎたんで失念することもあるわ。
核燃料。これは、県もそんなものを許すわけはないと、そういうふうな態度をとられている。関電も、そんなものを持ってこようというふうな意思でないということも表明している。これらを合わせたら、新聞に書かれているあれやこれやする心配はないようだけれども、事態はどういうふうにして変わっていくかもわからない。そのときに、しゃんとした態度で対応してくれることを県にお願いを申し上げて、終わります。ありがとうございました。
○議長(宇治田栄蔵君) ただいまの中山豊君の質問に対する当局の答弁を求めます。
知事木村良樹君。
〔木村良樹君、登壇〕
○知事(木村良樹君) ただいまのふるさとづくりということとか、緑の雇用、過疎問題、こういうことについてまとめてご質問いただいたわけでございますけれども、和歌山県の中山間、こういうところが滅びていくというふうな形になっては、これは和歌山県にとっても不幸ですし、そしてまた日本全国にとってもこれはゆゆしき事態だというふうな考え方の中で、私は一生懸命こういうことを進めているということでございます。
それから今の、この間新聞に報道された問題でございますけれども、これにつきましては、今中山議員のお話のあったとおりでございます。
○議長(宇治田栄蔵君) 土木部長大山耕二君。
〔大山耕二君、登壇〕
○土木部長(大山耕二君) 初めに、国道三百七十号の整備につきまして、順次お答えいたします。
築地阪井線につきましては、その供用により交通混雑が緩和され、安全で快適な交通環境が確保されることによって、この地域の健全な市街地の形成に寄与するものと考えております。
それに続く重根地内から龍部池までの区間につきましては、土地区画整理事業の中で平成十五年度新規に事業着手をしたいと考えております。
さらに、その東の阪井バイパスにつきましては、以前に地元提示を行ったルートを基本とし、周辺の道路網や町づくりのあり方を踏まえながら、海南市とともに、地元の理解を得て、国土交通省とも協議を進めることによって、早期の都市計画決定に向けて努力してまいります。
さらに、木津バイパス以東の構想につきましては、美里町、野上町内で行っている道路整備と整合性のとれたネットワークとして考えてまいります。
次に、県道海南金屋線神田地区につきましては、短期に事業効果を発揮できる日方川沿いの狭隘区間を優先的に整備しております。暫定的な供用形態として待避所を設置するなど、きめ細かく取り組んでまいります。
今後とも、下水道事業などとの連携を密にしまして、地元の皆様のご協力をいただきながら事業を進めてまいります。
以上でございます。
○議長(宇治田栄蔵君) 環境生活部長秋月成夫君。
〔秋月成夫君、登壇〕
○環境生活部長(秋月成夫君) 今後の環境行政の取り組みについてお答えいたします。
我が国では、昭和四十年代から社会経済活動の急激な拡大の結果として公害問題が発生し、今や環境問題は日本だけでなく地球全体にかかわる問題であり、人類の生存そのものにかかわる問題となっております。
今後においては、単に残された環境を守るだけでなく、自然再生のように失われたものを復活させる、あるいは環境林やビオトープのように生き物に優しい環境を創造していくという新しい考え方が求められております。また、本県の自然環境保全やリサイクルの推進などのテーマにおいては、環境を保護するという視点に加えて、良好な環境を生かした地域振興と循環型産業の育成という視点も加えていく必要があります。さらに、地球環境の問題においては、県民の一人一人が自分のライフスタイルを見直すということが求められております。
県といたしましては、第一には、県民、企業、地域と行政が協働するという姿勢に立って、それぞれの活動の盛り上がりを支援していくことが重要と考えております。平成十五年度予算案におきましても、NPOや地域が行うそのような活動の支援策を盛り込んだところでございます。
第二に、行政内部においても、関係部局がよく議論をして、それぞれの立場から協力して取り組んでいくことが大切と考えており、教育委員会とともに環境教育に取り組むほか、農林水産部局と環境林整備に向けた取り組みなどを進めることとしております。
本県の環境保全は、ご質問の中の後藤伸先生を初めとする各地域で地道な活動をされてきた多くの方々のご努力によりここまで進んできたという側面がございます。そして、先人から引き継いだ良好な環境は後世に確実に渡していかなければなりません。容易な道ではありませんが、多くの方々とのパートナーシップに基づいて和歌山環境立県を目指して積極的に取り組んでまいりたいと考えております。
以上です。
○議長(宇治田栄蔵君) 商工労働部長石橋秀彦君。
〔石橋秀彦君、登壇〕
○商工労働部長(石橋秀彦君) 伝統工芸士を柱とした漆器産業の振興についてお答え申し上げます。
海南の漆器を初め、県内の伝統工芸品産業に光を当て、積極的に活用していくことは、和歌山の活力アップや地域の活性化に重要なことであると考えてございます。
県では、伝統工芸品産業振興の新たな試みとして、伝統工芸品リバイバル支援事業を創設し、伝統工芸を継承していく後継者の確保に努めるとともに、伝統工芸品の魅力を広める体験教室の実施など、産地の積極的な取り組みを支援してまいりたいと考えてございます。今後、伝統工芸士を活用した海南の漆器産業の振興について、県も積極的に漆器組合や海南市と一緒になって考えてまいりたいと考えてございます。
以上でございます。
○議長(宇治田栄蔵君) 農林水産部長辻 健君。
〔辻 健君、登壇〕
○農林水産部長(辻 健君) ミカン対策についてのご質問にお答えいたします。
まず、ミカンの安値対策についてでございますが、ミカンの価格は平成三年にオレンジの輸入自由化があったものの、平成六年以降は比較的高価格で推移してございました。しかし、最近の厳しい経済情勢に加えまして、消費者ニーズの多様化や流通構造の変化などにより、ここ数年は全国的に低迷してございます。
このような状況の中で、国におきましてもさまざまな対策が講じられており、これを受けまして県といたしましても、平成十三年度から表年と裏年の生産量の平準化を図る需給調整による価格安定対策と連動した生果ミカンの価格補てん対策を実施してございます。さらに、消費拡大につなげる毎日果物二百グラム運動もあわせて展開してございます。県といたしましては、優良品種の育成やマルチ栽培の推進などの高品質生産対策、省力・低コスト対策など地元対策を推進する一方、より効果的な価格安定対策や消費拡大対策の充実について、全国みかん生産府県知事会議などを通じ、国に対し強く要望するとともに、農家、関係者一体となってミカン農家の経営安定を図ってまいりたいと考えてございます。
以上でございます。
○議長(宇治田栄蔵君) 答弁漏れはありませんか。──この際、申し上げます。所定の時間は残り二十四秒でございます。再質問されますか。
〔「二十四秒などと言われたら、もう物言う気にならん。もうええよ」と呼ぶ者あり〕
○議長(宇治田栄蔵君) 以上で、中山豊君の質問が終了いたしました。