平成14年2月 和歌山県議会定例会会議録 第6号(中山 豊議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

 質疑及び一般質問を続行いたします。
 三十三番中山 豊君。
  〔中山 豊君、登壇〕(拍手)
○中山 豊君 お許しを得ましたので、質問を進めます。
 ワールドカップが近づくにつれて、ワールドカップとは何なのか、我々にとってどんな意味合いがあるのか問われないままに推移している事態をどう見るかというふうに思うにつけ、県会の場で取り上げ、県内はもちろん全国に向け和歌山県が発信していただく必要があろうと、こういうふうに考えて取り上げてみた第一点であります。
 一方においてオリンピックがあり、それよりも世界の人々がワールドカップでフィーバーすると言われますが、それは何ゆえなのか、これも問うてみたいところです。オリンピックは都市の開催であるのに対して、ワールドカップは国の開催となります。第十七回の今回は、しかも日韓共同、二カ国間で共催するということであります。それに向けてデンマークチームを迎え、キャンプ地と決定され、県実行委員会が組織されて歓迎行事が企画され、民間でも青年会議所など各種の取り組みが進められているところですけれども、実行委員会のもと、どうも組織立った取り組みになっていないように見受けられるのは私だけでしょうか。これも、W杯の意義を県民全体に明らかにされていないというその弱さのあらわれではないかというふうにさえ思ったりするわけであります。
 以下、そのことに視点を据えたところで、幾つか申し上げてまいりたいと思います。
 とにもかくにも、本ワールドカップは東北アジアで開かれる初めてのワールドカップであります。しかも、二カ国が共同で開催するやり方はワールドカップの歴史始まって以来のことであります。このことの意味をFIFAは公式にコメントしているようにもうかがえないのですが、開催国の我々にとって主体的にどう受けとめるのかを明確にして取り組む必要があろうかと思います。ワールドカップの意義と功績を見るとき、FIFAが日韓共同開催の決定に何を期待しているのかを知ることができるのではないか、このような立場で以下、考えてみたいと思うんですが、第一回大会から開催国の命運をかけた大会になっているように見届けられます。その主なところだけを追ってみたいと思いますが、そのことによって本大会の意義を浮き立たせてみたいという試みからであります。
 第一回は、ウルグアイ大会であります。目立った資源もない小さな国が、第一次世界大戦や世界恐慌に巻き込まれた欧米の大国が疲弊していたところ、羊毛や食肉産業で静かな繁栄を迎えていました。国家の威信をかけ、大会の五カ月前、首都モンテビデオに十万人収容のスタジアムを建国百周年に合わせて建設し、迎えられたということであります。世界じゅうが注目するワールドカップはここで生まれ、南米のウルグアイという小さな国が「やればできる」ことを宣言し、人類に自信と希望をもたらした大会であったわけであります。
 しかし、第二回イタリア大会はムッソリーニの思惑に支配されて、ファシズムの威光を示す場として利用されました。このことから、スポーツなかんずくサッカーはフェアでなくてはならないとの理念が打ち立てられていくわけであります。まさに近代スポーツの基礎を築いたのが第二回イタリア大会だと、今日言われているところであります。
 一九三八年、第三回フランス大会も国威発揚に利用されるヒットラーのねらいどおりにされかかったわけですけれども、永世中立の小さなスイスの活躍がその芽を断ってしまいました。ところが、翌年ドイツはポーランド侵攻、第二次世界大戦が始まり、W杯は中断されました。
 戦後の一九五四年(昭和二十九年)、第五回スイス大会に韓国が初出場するわけですけれども、初出場する権利を得た極東予選が日本で行われました。植民地支配から独立して九年、日本と韓国の代表が東京──以前は「神宮競技場」と言われたらしいんですが、現在は国立の競技場です──で対戦をしました。後にも先にも、戦後初めての日韓戦でありました。当時の李承晩大統領は、日本代表の韓国訪問を認めなかった。それで、韓国代表は、植民地支配の屈辱をはね返し、日本に勝って帰国することが至上命令だというふうなことで、日本代表と神宮競技場で対戦されたわけであります。そのときは寒さと雨でぬかるんだ泥が敵だったと言われるほどに、日本は敗れて、韓国はワールドカップの本大会への切符を手にして初参加をしたわけであります。
 その韓国チームの中に、日本の植民地時代、日本代表として戦った経験を持つ早稲田大学のサッカー部のOBや現役が選手として何人も含まれていたというわけであります。それから半世紀、本大会で両国がW杯を共同開催するわけでありますが、その苦難の歴史を乗り越えてからの十七回大会であります。これに中国も参加します。朝鮮の南北統一が、東北アジアの平和と友好が、とめどもなく発展することの意義は極めて大きいと見なければならないでしょう。
 一九六二年(昭和三十七年)、第七回チリ大会というのがあります。この大会の二年前に、チリは大地震に見舞われました。すべてを失ったからこそ全力で開催しようと、真の復興を果たすには国民が一つになることが必要だというふうにして、チリ大会にチリの国民が団結して取り組んだわけであります。そのスローガンのもと団結して成功させた大会が、チリ大会であります。国の復興のためにはあの六二年が必要だったと、今日も語りぐさのように語られているということであります。
 以下ずっと続くわけですけれども、飛ばしまして、三十六年余の独裁政権フランコ総統の死後六年、その翌年に開いたスペイン大会、これが一九八二年(昭和五十七年)です。これは、サッカーの祭典という枠を超えた使命を負っていたと言われます。ワールドカップは、民主国家になったスペインを世界にアピールする晴れ舞台であったと言われます。生前ピカソが望んでいた姿であった。ピカソが描いたゲルニカが、スペインに民主政府が樹立されるまでとの思惟に基づいてニューヨークの近代美術館に寄託されていたわけであります。スペインW杯大会を期して、ゲルニカはスペインに返還されました。その返還は新生スペインの民主化政策をアピールするものであり、それを祝福するワールドカップであったと言われております。
 一九九四年、第十五回米国大会では第一回から六十四年、ワールドカップは初めて中南米と欧州以外の大陸に渡って、既存のアメリカンフットボール競技場を用いて観客動員は大会史上最高となったと言われます。ローゼンバーグ大会組織委員会会長は「スポーツを商売と結びつけないでいることはできなくなった」と、このアメリカ大会がそのように位置づけられたということであります。スポーツビジネスの始まりを築いたとさえ言われるのがアメリカ大会だったと言われます。
 このようにして見てくれば、ワールドカップの歴史と実績は、人類が築いてきた文化をその節々でしっかりと裏打ちしてきていることがうかがえるというものであります。あるときはファシズムと闘い、あるときは東西分断された中でサッカーを通じて平和を希求する力としたり、あるときは人種差別を大きく乗り越える力となり、さまざまな苦難を乗り越えてきた歴史を持つワールドカップであるのであります。
 日韓両国開催が決定してから朝鮮において統一の兆しが大きくなり、北東アジアの平和を構築しようとのFIFAの秘めた願いが十七回開催に隠されていると見るのは、あながち私だけではなかろう。ワールドカップの歴史を見るとき、当然の帰結と見られるのではないかと私には思われるわけであります。そう思えてならないのであります。その願いのもとに、歓迎活動をもっと表にあらわに出してほしいのであります。横断幕や看板を駅前に、あるいはまたキャンプ地周辺に掲げてもおかしくないのではないか。それほどの意義と実績を持つワールドカップを、県民一人一人の心の中に自信を持って迎え入れられるというふうなところまで高める必要があるであろう。ポスターの掲示、ワールドカップの意義や歴史的な功績を「県民の友」などに掲載して深く理解を求める必要があるのではないかとさえ思うわけであります。
 三月の「県民の友」は、国際理解の問題をテーマにして大きく掲載されておりました。あのときになぜ、このワールドカップの歴史的な意義や功績などを例記して県民に知らすようなことにならなかったんだろうか。そのような認識の低さが今日のワールドカップを迎えるデンマーク歓迎の行事の中にもあらわれているのではないかとさえ指摘したいところであります。歓迎活動をもっと表にあらわに出して、はばかることなくそれを迎え入れよう、そして歴史を、平和と民主主義と人種差別というふうなものを乗り越えていける力にしていこうと、こういう国際親善と国際交流の場にしてはいかがなものかと申し上げたいところであります。
 国際イベントであることから、未経験も考慮に入れなくてはならないと思うわけですけれども、日本サッカー協会の記章は、もう皆さんもご存じのように八咫烏──三本足のカラスであります。足が三本もあるというのは考えもつかない話なんですが、ある大学生に鳥の絵を描かせたら三本足の鳥を描いたというふうな笑えないお話が過去にあったことを思い出しますけれども、それとは全く違うんです。八咫烏。これを日本サッカー協会の記章にするには、よその人たちだけの発想によってでき上がったものではなくて、あれが日本協会の記章に取り入れられるには和歌山県人の先輩たちの功績のあったことを思い出さなくちゃなりません。
 もうくどくどとは言いませんけれども、そのようにして考えたとしたら、そのワールドカップ、日韓両国開催、なかんずくデンマークチームの歓迎というふうな意味合いから言うたら、知事が常に提唱している緑の雇用の問題や連続テレビドラマの「ほんまもん」からしたら、今、和歌山県は打って出て全国に発信する、こういうことの中でなぜワールドカップが、和歌山県から大きくその意義や功績を発信するということにならないのだろうか。今、知事が積極的にそういう取り組みをなされていることに上乗せしてこの課題も全国に発信するよう、和歌山県の立ち働きを望むところであります。
 デンマークチームを歓迎することによってどれだけのもうけがあるとか、あれやのこれやのというふうな試算、商業主義、エコノミックに流れるような側面だけでは、ワールドカップに参加するデンマークチームを和歌山県に歓迎するには事欠くのではないかと思われてなりません。もっともっと、そのことの意味合いや歴史的、文化的な評価を県民とともにしていけるような取り組みをお願いしたいところであります。いかがなものでしょうか。そういうふうな立場で、一つは、先ほど申しましたように、もうちょっと歴史的にも文化的にも、国際理解の観点からの迫り方を急いではどうなのか。そのあたりに心配りをしていただいてはどうだろうか。まさにサッカー協会の記章にもあるように、和歌山から発信してワールドカップを大きく成功させるんだと、こういう立ち働きを和歌山県が大きく行って不思議ではないというふうに思われるところです。それが一つ。これは知事に所感を述べていただきたいと思います。
 二つ目には、デンマークチームのキャンプ地としての練習場や宿泊所に係るもろもろの対策。これは、かつて登壇した二人の議員からも述べられておりましたけれども、ただ単に交通規制だとか、あるいはまた雑踏警備とか、そういう側面からだけではなくて、あそこにたくさんの人が集まってくるときに、あの競技場周辺の地域住民が随分と迷惑をこうむるであろう。余りサッカーにも関心はないけれども、こんなに人が来て大変だったということだけが残るというやり方ではなくて、デンマークチームを歓迎し、フレンドマッチをやったり、たくさんの人たちが和歌山県に来てくれたというふうなことをワールドカップを通じてともに喜び合えるような歓迎の仕方が他にあるであろう。警備や交通規制だけではなかろう。そういうことに心配りをしていただけるように、警察を中心にしながら関係機関がもろに力を合わせて対策を練ってほしい。こういうふうなことを申し上げて、県警本部長の所感を述べてください。
 次に、先ほども申し述べましたけれども、「県民の友」などを通じながら広報活動をもうちょっと積極的にやってください。もちろん、横断幕とかポスターとか、いろいろあるでしょう。次に述べるジュニアの駅伝大会の表彰式の会場に横断幕が一つあったよ。ああ、外にないけど中にあるわいと、不思議に思ったくらいです。よその県を視察に回ったときに、たまたま開催県であったこともあるんでしょう、駅や中央の目抜き通りなどにはそういうものがやたらと見えたことが記憶にあるんですけれども、それに置き比べて和歌山県にはこれがないのはなぜだろうと、そういうことをすごく気にしてきたこととのかかわり合いで、大いにこの側面からの取り組みを要請したいと思うんですけれども、関係部長及び教育委員会あたりからのご答弁をいただけたらありがたいと思います。
 次に、二つ目の問題に入りたいと思うんですが、ジュニア駅伝大会の問題です。
 これは、多くはもう述べる必要もないんじゃないかと思います。いかにどんなものであったかということは当局の皆さんもよくおわかりのことですから、シビアに反省をして、次からも続けていこうとするならば、そのような総括を的確にしなさって次に備えるという基本的な姿勢を明確にしていただくことが大事であろうと、こういうふうに思うわけです。なぜならば、県民総参加の取り組みをやめられてから、多くの県民がスポーツを通じて県勢活力に大きくフィーバーし合おうというふうなことがなくなってから、どういうもんだろうということを常々気にしていたところ、これを県が立ち上げて実行するということになったので、それなりの意味があるというふうに受けとめながら、開催要綱を見せてもらいました。「スポーツ振興と青少年の健全育成を図るとともに各市町村の活性化に資するため」と、目標に掲げられました。こうあってほしいものだというふうにして、さらに継続して開催されることをお願い申し上げながら、以下、申し上げたいところです。
 記録がしゃんととれていなかったという不手際がもろに出た大会ですよね。具体的に申し上げると、県庁前からずっと大浦街道を通って、和歌浦をずっと回って、そして毛見の湾岸道路へ行ってマリーナシティへと、そこまではつつがなく行けたということなんですけれども、最後のマリーナシティへ入ってから、七コース、八コースがお互いにダブり合うことになってしまったわけですね。先に行った者と後に行った者が重なって走らなならん。中学生と小学生がお互いにダブり合って走るというふうなことになって、記録がとれなくなったということなんでしょうか。
 開会式のときに知事は、予想以上に盛り上がる大会であったというふうな評価をなさっておりました。そのとおりだったと僕も思います。それなりの意味があったと思います。なのに、結果として、せっかく県下各地から小・中学生が参加して一生懸命走ったのに記録もとってもらえない、表彰もしてもらえないという事態が起こるという、こういうふうな不手際はもう金輪際起こすべきでないんじゃないか。だとしたら、今次の大会は何であったのか、何でこんなことになったのかということを、目的に照らし合わせながら的確に総括をして次に備えていただくというふうなことにしていただきたいと思います。そういう立場からご要望やらご意見などを幾つか申し上げて、ご回答などをいただければと思います。
 一つは、子供たちを送ってきたそれぞれの市町村、「参加してよかった」ということから始まって、「何な、あんな大会」というふうな意見もあったに違いない。そういう意見を選手を送ってきた各市町村、自治体から酌み尽くしてほしいというのが一件であります。
 二つ目は、あの記録は正式な記録として使えるほど正確なものではなかったのではないか。チームの記録はあるけど個人の記録がないなどというのは、どう考えてもおかしい話であります。だから、あの記録の扱いについてもしゃんとせなならんのやないかと思います。
 三つ目、コース決定のときに当然ああいうところであんなことになるであろうというようなことを予想したに違いないと思うんだけれども、予想もしないでそのまま突っ込んでしまったのか、予想したけどうまいこといかなんだということなのか、うまいこといかなかった理由を明確にし合う必要があるであろう、こういうふうに思われます。
 続けて開催するとするならば、一個でも欠けることがあってはならないというふうな意見を僕の周りに寄せてきてくださっていることもあります。そういう意味合いから、次に続けるとするならば五十市町村が参加するというのは必須の条件だと言われていることなどについても、はっきりとした態度をお示しいただきたいなと思います。
 そういうことであるだけに、当初から計画して、自治体が選手を送ってきて参加していくというふうな取り組みにはなっていなかったようであります。中途から立ち上げてきて、市町村に選手を派遣させるというふうなことの経緯から、予算やらいろいろな問題で苦労したというお話も聞くにつけ、小さな自治体、特に遠隔地の自治体などでは大変だったと思います。だから、五十市町村のチームを参加させるとするならば、それが大会成功への不可欠の要因であるとするならば、県が交通費ぐらい補助してもいいのではないか、こういうふうにさえ思うわけですが、それらも含めて。
 さらに、実施した後、和歌浦の方でのあの急な坂道を小学生などに走らせるのはちょっと無理なのではないか、子供の正常な発育を考えたときに一考すべきではないかというふうな意見も寄せられてきていることを申し添えておきたいと思います。
 最後にこの項について申し上げたいんですけれども、駅伝をあのように実施したことによって、県内の小・中学生の中に極めて能力のすぐれた選手もたくさんあることを発掘したに違いないと思います。そのようにして発掘した能力のある子供たちをどのようにして伸ばしていくかということが、あの大会が今後も生き続け、開催し続けていく一つの責務ではないかと思います。それらに対するしかとした、選手育成と将来へ向けての発展の基礎になるであろうそのような保障を与えてあげてください。(「ええ意見や」と呼ぶ者あり)ありがとう。
 そのこととのかかわりで言うたら、やっぱり学校教育に依拠することを抜きにしては考えられないんじゃないかと思います。今の中学校の体育活動、クラブ活動というのは、まさに残念至極な話ですね。これを今どうあの事業との関係で立ち上げながら、子供たちが能力を伸ばし、中学校の活動の中で生き生きと育ち上がっていくというような教育保障をすべきでないか、今やるべきじゃないかと思います。学校の先生だけに依拠できないとするならば、社会人もそういう活動に大きくかかわりながら、学校のクラブ活動や体育活動を旺盛にさせていく必要があろう。
 ちょっと横道にそれますが、正月が明けてから、よそへ出て行ってうちへ帰ったんや。家に入っている新聞を見たら、ある中学校の中学生が、十九歳の男の子に乗せてもらった自動車が夜中に走っていて交通事故を起こして死んじゃったというような記事が載っているんや。これについてもようけ語りたいんだけれども、あれこれしゃべっていたら時間がないんでな。もう、ここだけにしますけれども。
 その子供の親に会うて聞いてみたら、小学校の時分はサッカークラブや何やいろいろあって生き生きと育って、中学校へ行っても立派に育ってほしいなと思っていたけれども、中学校へ行ったらそういうクラブがなくなっちゃった、もう中学の生活に張りがなくなっちゃったということで、崩れ始めて学校へも行かなくなったし、夜な夜な外へ出て夜遊びするようになっちゃったんや。あげくの果てに、そういう人たちの車に乗せてもらって死んじゃった。そこまでの間に、学校へもいろいろ言いたかったし、言うてきたけれども、聞いてもらえなんだ。もう死んでしまった後、生き返ることができないとするならば、言う気力もないし言う気持ちもないと、投げ捨てるように僕に言うわけやね。それを思い浮かべるにつけて、今申し上げる。優秀な潜在能力のある子供たちを発掘しておきながら、あれでとまりだ、あれでしまいだなどというような取り組みは県政のとるべき立場ではないんじゃないかと思います。これは教育委員会のみならず、県政全体でそれをどうフォローするかということで、中学校及び社会活動とのかかわり合いの中でそこのところを裏打ちしていくようにお願い申し上げたいところであります。
 次は、広域ごみ化の問題や。
 海南・海草・那賀の広域計画と橋本広域計画を見せてもらいながら、大量消費、大量廃棄の社会経済活動を転換させることを基礎にしてこのことを考えなかったら、正しいごみ処理の広域化の計画がうまいこといかんのやないかと。海南・海草・那賀で進められているその進め方も、あるいはまた橋本でやられているそのやり方も、多かれ少なかれ、そういうふうな観点からは少し大きくずれているし、県のごみ処理広域化計画も国の意向に合わなくなってきているんではないかというふうに申し上げたいんですが、これについて当局のご意見をお聞かせください。
 まだしゃんと用地も決まってないし、計画も立ててないから、皆さんにお知らせするということになっていないんだとか、あるいはまた何だとかということではなくて、もうすべてこういうふうに進めましょうという計画が立てられて、内部でかなり検討され立ち上げようという準備が進められているところなので、はっきりとしたご返答を願いたいと思います。
 さらには、広域化計画の基本方針の中では、ごみの減量化、資源化施策を踏まえたごみ量を基礎とすると計画はうたわれているところですけれども、これらの立場から、これらについての情報公開と住民参加の計らいが一向に打ち出されているようには思えないので、それらについてもあわせてご答弁を願えたらと思います。
 次に、農業振興地域の整備についてであります。
 和歌山県の農業は国の農業政策と切り離して語ることはできないということは承知しております。とはいいながらも、国の農業政策は和歌山県の農業の隅々にわたって合致したものかどうかということになってくると、これはそうではないということを前の機会にも登壇して申し上げたことがありましたけれども、今回はその観点からさらに地域の実情に合わせながら、農業振興地域整備にかかわるところで主なところをただしてみたいと思います。
 これに伴って、一九八〇年代、地域の兼業化や過疎化が進み、耕作放棄地がふえて担い手の減少があったりして、直撃されて農業が著しく不振に陥っていくわけであります。これらの農業を取り巻く環境の変移を経ながら、農地を保全するための制度としてのよりどころは農業振興地域の整備に関する法律に基づいてきて、今日までがあるわけであります。この法律に基づいて農業振興地域制度がつくられて、地域指定がされて、市町村は整備計画を作成することになるわけであります。農業振興地域整備計画の策定に当たっては、知事との協議をすることとなっているわけであります。昭和四十年代から取り組まれてきている事業でありますが、海南市は計画を四十九年に策定して平成三年に第一回の変更をし、平成十三年に第二回の変更をしているわけであります。そのときの知事との協議の過程で、海南市の農業振興地域指定にかかわって、指定された地域でどのように農業を振興させるかというふうな意味合いで、多分、こうしたらどうや、こうしたらどうやという意味合いで県から指導もし、助言もされたに違いない。ところが、昭和四十年代からこの方、海南市の農業振興地域指定をされた振興地域で農業が盛んになったというためしは一つもない。まさにこれが形骸化されてきているというふうなことを顧みるときに、今、都市近郊の農業をどうするかという点の瀬戸際に立たされているのではないかという立場から、今までどのように助言し指導してきたかということをあらかじめお聞かせ願いながら、地域でさらに一層の奮闘と努力をしながら農業振興のために力をかしていきたい、こういう決意を込めながらお尋ね申し上げて、第一回の質問を終わります。
 ありがとうございました。
○議長(井出益弘君) ただいまの中山豊君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事木村良樹君。
  〔木村良樹君、登壇〕
○知事(木村良樹君) ただいま、ワールドカップサッカーが歴史のいろんな場面で非常に大きな役割を、その地域そしてまたその国、関係国との間において果たしてきたというお説を承りました。
 今、日本の国、二十一世紀を迎えて北東アジアとの関係、中国でありますとか韓国でありますとか、こういうところとの関係がこれからますます重要なものになってくるというふうな中で開かれる日韓共同開催のワールドカップということで、これは歴史的に見ても非常に僕は意義のあるものであると考えておりますし、ただいま議員ご指摘のとおり、そういうふうな意義ということを県民の皆様にもいろんな形で知っていただく必要、これは重要なことであろうと思っております。
 そしてまた、その日韓開催のワールドカップの一翼をこの和歌山県が担うことができたということ、デンマークを誘致することができたということをもっともっと、その意義について県民の皆様に広報していく必要があろうかと思います。そしてまた、ちょっとまだ十分な盛り上がりには欠けていると思いますけれども、この南国和歌山の特色を出した歓迎の仕方、そしてまた盛り上げ方というふうなことを今後考えていきたいと思います。
 そして、あわせてまた、このデンマークにつきましては、先般も申し上げましたけれども、クヌッセンという船員の方が徳島の船員の人を救うために命を投げ出したというふうな和歌山との関係も深い国ということもありまして、これも非常に国際関係ということでは大きな問題であろうと思いますので、こういう点も強調しながら何とか、この和歌山が練習場になったということをもっともっとこの地域の発展に役立てていく努力を積み重ねていきたいと思います。
 以上でございます。
○議長(井出益弘君) 環境生活部長秋月成夫君。
  〔秋月成夫君、登壇〕
○環境生活部長(秋月成夫君) 広域ごみ処理計画について、お答えします。
 まず初めに、県のごみ処理広域化計画が国の意向に合っていないのではないかということについてでございますが、本計画は国が示したガイドラインに基づき策定したものでありますが、その後、ごみ処理をめぐる社会経済情勢が大きく変化してきておりますので、施設整備に当たっては、リサイクルの推進による減量化等も勘案した上で、適正な施設となるよう市町村に対する指導を行ってまいります。
 次に住民参加と情報公開についてでございますが、海南・海草・那賀ブロックの場合、まず用地が選定された後に焼却するごみの量、減量化目標、分別の種類、適正な施設規模などに関する基本計画が策定されることになります。この際に住民を初め各界の意見を広く取り入れる形で議論を行い、その情報を公開するよう、関係市町村を指導してまいりたいと考えております。
○議長(井出益弘君) 農林水産部長辻  健君。
  〔辻  健君、登壇〕
○農林水産部長(辻  健君) 農業振興地域整備についてでございますが、農業振興地域制度は、将来にわたって農業振興を図るべき地域を明らかにし、その地域に必要な土地基盤や近代化施設などの整備を総合的に進めることを目的とした制度でございます。現在、県内では四十七の農業振興地域を知事が指定しており、その整備計画を市町村が策定することによりまして、地域の農業振興や秩序ある土地利用を図るなどの点で一定の成果をおさめてきたところでございます。
 議員ご質問の整備計画の策定、変更に際して県が行う助言、指導といたしましては、おおむね十年先を見通して、優良農地の保全を目的とした土地利用計画の妥当性や、効率的で重点的な農業投資が計画されているかどうかなどでございます。県といたしましては、今後とも本制度を十分活用しながら、地域農業の発展のため適正な運用と指導、助言に努めてまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(井出益弘君) 教育長小関洋治君。
  〔小関洋治君、登壇〕
○教育長(小関洋治君) スポーツに関する二つのご質問にお答えいたします。
 まず、ワールドカップキャンプについてでございますが、デンマークチームを迎えての和歌山キャンプを成功裏に進めるために、既に実行委員会並びに運営委員会を立ち上げ、関係方面等、多くの連携のもとに着々と準備を進めているところでございます。
 まず練習場や宿泊所の安全対策等についてでありますが、これは日本組織委員会の警備及び交通対策に関する指針というのがございます。これに基づきまして、県警察本部等と連携を密にしながら安全の確保のために準備を進めております。
 次に県民への広報活動についてでありますが、現在、歓迎横断幕やポスター等を製作しているところであり、完成次第、県内の効果的な場所へ掲示したいと考えております。さらに、幾つかの民間団体からものぼりやステッカー等を製作して交通機関などへ広く配布する計画が出されてきております。今後とも、広く県民の皆様のご支援のもとにデンマークチームをお迎えできるよう、さまざまな方策を講じながら積極的に広報活動にも取り組んでまいりたいと考えております。
 次に、第一回市町村対抗ジュニア駅伝競走大会についてお答えいたします。
 このたび初めての大会でありましたが、幸いなことに、全市町村の参加のもとに、県警察や陸上競技協会、さらには七百三十名に上るボランティアの方々や沿道の住民の皆様方のご協力によりまして、盛大に実施することができました。関係の皆様方に改めて厚くお礼を申し上げます。
 しかしながら、議員ご指摘のように、一部に競技運営上の不手際があり、課題を残す結果となりました。特に七区と八区の周回コースについては、これは観客が応援しやすい場所として設定したものであったわけでありますが、七区と八区とのゼッケンの色を変えるなどの工夫をしたにもかかわらず、当日あいにく雨天であったこと、さらに多くの観衆がコースの上に立ち入ったことなどがあり、結果として混乱が生じました。現在、各市町村に対して今大会についての意見を今月末をめどに求めておりまして、今後これらを今回の反省の材料として関係者と十分協議し、来年度以降、充実した大会として定着させてまいりたいと考えております。
 なお、順位の確定作業の関係上、当日閉会式の場で表彰できなかったチームについては、後日、和歌山県スポーツ賞表彰式の席上において表彰いたしました。
 また、選手の育成についてでございますが、走るということはすべてのスポーツの基本でございます。県体育協会と競技団体とで現在ジュニア一貫指導システム構築事業を実施しているわけでありますが、今回のように大会に参加した選手が陸上競技を基本としながらもそれ以外のさまざまなスポーツの種目にも進んで参加していけるように、そのきっかけづくりになるように幅広い指導を行ってまいることが大切であると考えております。
 以上でございます。
○議長(井出益弘君) 警察本部長岩井良行君。
  〔岩井良行君、登壇〕
○警察本部長(岩井良行君) ワールドカップのデンマークチームのキャンプに関しましては、チームの安全確保や観戦者等による雑踏事故の防止、交通渋滞対策などを重点とした警備対策に万全を期することが私ども県警察の任務でありますが、これ以外にも、教育委員会を初めとする他の関係機関により講ぜられることとなる諸対策につきましても緊密な情報交換を図るなど、連携を維持してまいる所存でございます。
○議長(井出益弘君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 三十三番中山 豊君。
○中山 豊君 ワールドカップの実績や功績、これらに対する評価及び認識について知事からいただきましたけれども、非常に柔軟に対応し受けとめられて、的確なご判断をいただいたものだというふうに評価したいと思います。そういう立場から、ワールドカップ日韓共同開催が極東アジアの平和のためにも大きく役立てられるように国内での取り組みに一層の努力を、全国に向けてアピールするようにこれからも立ち働いていただくことをお願い申し上げておきたいと思います。
 そして、デンマークチームを迎えての取り組みの上で、和歌山は和歌山ならではの特色ある取り組みという話も申されておりましたけれども、まさにそのとおりだと思いますので、よそがしていることなども情報を収集しながら、和歌山の特色はどういう形で出したらいいものなのかということを事務当局にも申しつけ、ご検討くださるようお願い申し上げておきたいと思います。
 秋月部長、広域化計画ね、よろしいわ、そういう形で。国のそういう意向に真向かいにあれこれついていったら、しまいにひっくり返されるというようなこともよくあるお話なので、柔軟に対応して、公開性や、あるいはまたそういう意味合いでの住民との接点、そのあたりを今後も、かたくなな態度ではなくて柔軟に対応し、地域住民と一緒になっていいものをつくっていく、余り自治体や住民にしわ寄せすることのないような施策のご検討、お願いをやっていただきたいと思います。
 これ、申し上げるのがこっちかな、そっちかなと思うんだけれども、教育長にお願いを申し上げておこうか。ジュニアの駅伝大会でああいう不手際をいたした責任はというたら大会の委員長、知事になってくるんやな。知事にそんなものとれというのも言いにくい話やろ。格好つかなよ、のう。あれ、組織体制上、知事がそういうところへお座りになるのがいかがなものかと思うので、そのあたりも含めて総括しておいてください。知事、格好悪いぞ、あんなの。ああいうふうなことをできるだけさせない、避けて通れるような綿密な組織体制も考えておいて。一つの課題としてお願いしておきます。
 以上、終わります。
○議長(井出益弘君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で中山豊君の質問が終了いたしました。
 これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
 この際、暫時休憩いたします。
  午前十一時四十五分休憩
     ─────────────────────

このページの先頭へ